③
新聞部の部室へと続く扉を開けると、先輩が窓辺にいる姿を見つけた。彼女はパイプ椅子を窓のすぐそばに置いて、開け放った窓から外を眺めているようだった。
白いレースのカーテンと先輩の黒髪が風に揺れて、なんだか絵になっている気がした。
「おはようございます、先輩」
声をかけると、先輩はゆっくりとした動きで俺を振り返った。彼女の顔はいつも通りの生真面目そうなものだった。
「おはよう、遠山君」
「今日もいい天気ですね。いい天気すぎですけど」
「そうね」
俺は長机からパイプ椅子を引き出して座る。学生鞄をパイプ椅子の足にもたれさせるように置いて、手提げ鞄を長机の上に置いた。
「ビデオカメラ、持ってきました。あとバッテリーも預かってたの思い出したので持ってきましたよ」
「そういえばそうだったわね。ありがとう」
先輩は立ち上がって俺のそばまでくると、長机の上にあった手提げ鞄を手に取る。先輩は手提げ鞄の中身を確認し始める。
俺はそんな先輩の横顔を見つめる。
やっぱり、先輩の顔は整っている。
雪のように白く透き通っていて、絹のように滑らかな肌。長い黒髪は艶やかで、癖っ毛など一つもないように見える。その瞳は磨かれた黒真珠のように綺麗で輝いている。
まるで完成度の高い人形を見ているような気分にさせられる。どこか非現実的な美しさを持っているのだ。
女神。なるほど。確かにそれは言い得て妙だ。
綺麗な先輩の顔を見続けることは永遠に飽きそうにない。それはきっと初めて会ったときから感じていることだ。
「ねえ、先輩」
「なにかしら」
先輩は不思議そうに俺を見つめる。俺はその視線を見つめ返す。
「先輩は俺と出会った時のことを憶えていますか?」
「急にどうしたのかしら。……もちろん、憶えているけれど」
「校門をくぐってきた俺に先輩が声をかけてきたんですよね。新聞部に入らないか、って」
「ええ」
「どうして、俺だったんですか?」
ずっと気になっていた。
けれど先輩は理由を言わなくて、俺もまた聞くことをしなかった。気になってはいたものの、先輩が言わないのなら言わないだけの理由があるのだと思っていたからだ。
けれど今になって、どうしても聞きたいと思ってしまった。
「……直感があったのよ」
「直感、ですか」
「そうよ。貴方とならうまくやっていけると思ったのよ。私って実は人付き合いが苦手なのよ。だからあの時は後輩なんていらないなんて思っていたのだけれど、貴方を見たらどうしても新聞部に勧誘したくなってしまったのよ」
先輩は懐かしむような声色で言う。
俺は黙って先輩の言葉を聞く。
「今でも不思議に思うわ。どうしてあの時、私は貴方とならうまくやっていけると思ったのかしら。理由なんてわからないわ。だから本当に直感としか言えないのよ」
「そうですか。俺は直感で選ばれたわけですね」
先輩らしいと思った。先輩なら直感があったと聞いても納得できる。先輩はそういう人だ。
「どうしてそんなことを聞いたのかしら」
「ほら、新聞部は今年で廃部になるじゃないですか。だから聞いておこうかなと」
「そう。……もうすぐ、終わってしまうのね」
先輩は寂しそうに笑った。彼女にしては珍しい表情だと思った。
「ねえ、遠山君」
「はい」
「たった二年だったけれど、新聞部に入ってよかったと思う?」
「……どうですかね。ただ先輩といられた時間は嫌いじゃなかったです。先輩はどうですか? 先輩は俺を新聞部に入部させてよかったと思っていますか?」
「そうね。よかったと思っているわよ。私は貴方と過ごす時間が大好きだったから」
「嬉しいです」
俺は笑った。先輩も柔らかく微笑んだ。
きっと、先輩といた時間は一生の思い出になるだろう。それくらい楽しい日々だったから。
☆
部活が終わり、俺は昇降口にいた。
先輩は部室の鍵を返しに行くついでに職員室に用があるとかで、もうしばらく学校に残るとのことだった。だから俺は先に帰っていいと言われた。
特に用もなかったため言われた通りに帰ることにした。
昇降口を出て校門に向かおうとしたところで、体育館から生徒たちが出て来る姿を見つけた。そのほとんどが体操着を着ていた。
どうやら運動部が部活を終えて帰ろうとしているようだ。
なんとなくその様子を眺めていると、生徒の一人と目が合った。目が合った生徒はなぜか俺に手を振ってきた。そうしながら俺の方に走ってくる。
知り合いか? と思って目を凝らしてみると、それは谷川水希だった。
谷川はそのまま俺のところまでやってくる。
「やあ、遠山くん」
「ん。……どうしたんだ? 俺になにか用でもあるのか?」
「いや、ちょっと話したいなって思ってね」
谷川は半袖体操着の袖を肩まで捲りあげていて、長い黒髪を後ろで結んでいた。部活の時は髪を縛るようだ。体操着というのと髪型のせいか、教室で会ったときと雰囲気が違っていた。
制服姿の彼女はフレンドリーではあるものの、なんだか落ち着いた雰囲気が漂っていた。けれど今の彼女は違う。活発そうな雰囲気が出ていた。
「話?」
「そうそう。小岩井ちゃんのこととか、ね」
言いながら、谷川は縛っていた髪を解いた。腰くらいまである黒髪が風に揺れて、そこはかとなくシャンプーの香りがした。柑橘系の香りだった。
「小岩井? ……ああ、前にそんなこと約束してたな」
「でしょ? 遠山くんの口から直接聞きたいなって、思って」
「歩きながらでもいいか?」
「うん」
俺と谷川は校門に向かって歩きだした。並んで歩きながら俺は口を開く。
「谷川も知っての通り、小岩井は犯人じゃなかった。真犯人は服部桃花っていう、その……俺の友だちだった奴だ」
「……友だちだったんだね」
「まあな」
「その、ショックだった?」
「多少は。友だちだったからな」
「そっか」
「ああ」
それからしばらくはなにも話さず、俺たちは歩き続けた。やがて、校門が近づいてきたところで、俺が口を開いた。
「あいつは……桃花は女の子みたいな顔で、身体つきも女の子みたいに華奢だった。それを利用して小岩井に扮して、小岩井に罪を被せようとしたんだ」
「じゃあ私が見たのは小岩井ちゃんじやなくて、服部桃花って子だったんだね」
「そういうことになる」
「でも、どうしてわかったのかな」
「現場の近くに桃花の持ち物が落ちていたんだよ。銀色のボールペンだ。それと、目撃者がいたんだ」
俺は演劇部の部員が服部桃花を目撃した話について、谷川に話して聞かせた。
谷川にしてみれば疑問の残る話だったかもしれない。目撃者がいたのなら、どうして警察は服部桃花も容疑者としなかったのか。そういう疑問だ。
案の定、谷川はその疑問を口にした。
どう答えたものか。
疑問の答えを持っているのは【月下香の印】。簡単に言ってしまえば、持ち主へと繋がる痕跡を消すという代物だ。
消すとは言っても、完全になくすわけじゃない。持ち主の痕跡を痕跡だと思わせなくするのだ。意識外へと押しやるというべきか。そんなオカルティックな現象を引き起こせる。
そんな話をしたところで谷川が納得する訳がない。
「……死体が発見される前日のことだから、関係ないと思って警察には話をしなかったらしい。どうして関係ないと思ってしまったのかはわからないけどな」
考えあぐね、結果、はぐらかすことにした。【月下香の印】などというけったいなものについて話すよりも、ずいぶんとマシな答えだとは思う。納得してもらえるかは微妙なところではあるが……。
「んー。そんな風に思うかな、普通」
「さあな。……死体を見て、動揺してたのかもな」
「そうかもしれない。ま、当人じゃないからわからないか」
校門を抜けて学外へと踏み出す。
校門を出てすぐの道は緩やかな坂になっていて、俺と谷川は昇る方へと歩みを進めた。坂を登り、青と赤と白の線がクルクルと回る目印が置かれた理髪店の前を抜けて、やがて小さな商店が見えてくる。かつてその商店の前には煙草の自動販売機があったというが、今は見る影もない。
「でも。演劇部員の話も不思議だけど、もう一つ不思議なことがあるね」
「なにが?」
「ボールペン」
「ボールペン?」
「そうそう。……その服部桃花って子は体操着を着ていたんだよね? ボールペンなんて持っていくのかな」
「……あれ?」
「作業するんだったら邪魔になるし、なにより落とす可能性だって考えるだろうし。持っていかないと思うんだけどな」
考えもしなかった。
確かにボールペンを持っていく理由はない。演劇部員の話では、桃花は手ぶらで来たと言っていた。なにかを書くための紙かなにかを持っているのなら不思議はない。だがそれもないとなると、不思議に感じてしまう。
どうして桃花は焼却炉にボールペンを持っていったんだ?
「……確かに不思議かもしれない」
「そうでしょ?」
考え、そして新たな疑問を見つけた。
黒河凪沙が起こした事件の際、洋館に彼女の制服のボタンが落ちていた。それも見つかりやすいところに、だ。
今回のボールペンにしたってそうだ。
ボールペンは見つかりやすいところに落ちていた。
なにか関係があるような気がした。
☆
谷川と別れた俺はそのままの足で、小岩井との待ち合わせ場所にやってきた。
小岩井はすでにやってきていて、静かに俺を待っていたようだった。
「待たせたか?」
手持ち無沙汰にスマホをいじっていた小岩井に話しかけると、彼女はすぐに顔を上げた。
「ううん、さっききたところ」
「そうか。……中に入るか」
「うん」
俺と小岩井はファミレスの店内へと入る。店内は汗をひかせるほどに涼しかった。
入り口で店員に対応され、すぐに席に通された。どうやら空いていたようだった。
「何か食べるか?」
席に着いてから、俺は小岩井に聞く。すると彼女は首を振ってみせた。
「わたしは大丈夫。もう食べてきたから」
「そうか。俺は注文するけどいいか?」
「うん」
店員を呼んで注文する。
去っていく店員を見送った後で、小岩井へと視線を向ける。
小岩井は俺と視線を合わし、けれどなにも言わない。俺が話すのを待っているようだった。
俺は少しだけ考え、料理が届く前に少しだけ話をしておくことにした。
「結論から言う」
「うん」
「俺も捜査を続けることにした」
「……椎名先輩の意に反するけど、いいの?」
「いいんだ。先輩には悪いけど、俺は俺の意思で動くことにしたよ。……それよりも、お前は大丈夫なのか?」
「なにが?」
「先輩が言うように、危険な目に遭うかもしれない」
「言ったでしょ? わたしは大丈夫だって。こう見えてもわたし」
「強いんだっけ?」
「そう」
いつかのように、小岩井がファイティングポーズをしてみせる。俺は思わず吹き出してしまった。
前回は笑えなかったのに、不思議な気分だった。もしかしたら、決心したぶん、今のほうが心に余裕があるのかもしれない。
俺の様子にきょとんとした表情をしていた小岩井だったが、やがて彼女もまた笑顔を浮かべた。
しばらく俺と小岩井は顔を見合わせて、互いに笑った。
「だからね、わたしのことは気にしないで」
「わかった。じゃあ捜査仲間として、これからもよろしくな」
改めてと思い、そっと手を差し出した。悩む様子を見せることもなく、小岩井はすぐに手を握ってきた。握手を交わす。
「こちらこそ、よろしくね」
そこで、俺が注文した料理が届いた。いつか小岩井が食べたハンバーグセットだった。
料理を食べ終え、本題に入ることにした。
「まず、お前に見せておきたい物がある。これは俺が捜査を続けようと決心した理由でもある」
そう言って、俺はスマホを取り出す。画像フォルダから写真を選び、画面に写す。
先輩のビデオカメラにあった、黒河ではない別の人物が写った写真。それをスマホで撮影しておいたのだ。
俺はスマホを小岩井に渡した。
スマホを受け取った小岩井は画面を見つめ、やがて顔をあげた。
「これって……、」
「気になるだろ?」
「気になるっていうか、理由が知りたい」
「だよな。考えたくはないが、怪しいよな」
「……これ、どこで?」
「前に話したことあると思うけどな、お化けハウスの門の付近にビデオカメラを設置してたんだ。そのビデオカメラが撮影してたんだ」
「ビデオカメラ、か。いつの写真?」
「お化けハウスで黒河と会う前の夜。昨日見るまでは、先輩も俺も確認していなかった時間帯の写真だ」
「遠山の言っていた【あの人】なのかな。だとしたら」
「言いたいことはわかるが、決めるのは捜査してからにしたい」
「そう、だね。……よし、調べてみよう」
「ああ」
この日から、俺と小岩井の探偵活動が始まった。
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