②
山の上に建つ古びた洋館。通称【お化けハウス】に続く坂道は山を囲むようにぐるりと伸びている。
螺旋状の坂道は長く、歩いて登るには多少ばかり時間がかかる。周りは森林に囲まれているとはいえ、夏に登るのは少し辛い。
なにせ道の上には木々の屋根がない。日差しが直接肌を焼いてくる。さらには熱い日差しがアスファルトの道路に反射して、もわりとした熱気があった。
山ということもあって時折涼しげな風も吹いてくるが、暑いことには変わりがない。
そんな長い坂道を、俺と先輩は二人並んで登っていた。
小岩井との会話から二日が経った今朝のこと。先輩から電話がかかってきて、手伝ってほしいことがあると呼び出された。そしてなぜかこの坂道を登っているのだ。
長期休暇中だというのに先輩は相変わらずの制服姿。真っ白なブラウスが日差しに透けて、ブラジャーの紐らしきものが薄くのぞいていた。
それをこっそりと盗み見た後で、視線を外して夏の太陽を仰ぎ見る。
「ねえ、先輩」
「なにかしら」
「どうしてこんな暑い日に、俺たちはこんなところを歩いてるんですかね」
「洋館に行くためよ」
「いや、それはわかってるんですけど」
充分に太陽を睨みつけてから、俺は先輩へと視線を向けた。
先輩は額に滲んだ汗をハンカチで拭いながら歩いていた。
「どうしてお化けハウスになんか向かってるんですか。もう用はないはずですよね?」
「あるわよ。私も遠山君も忘れていた、大事な用がね」
「はあ……。なんですか、それ」
「カメラよ。ビデオカメラ」
「ビデオカメラ……?」
何のことかと考えて、やがて思い出す。
そういえば、俺と先輩で洋館の入り口にビデオカメラを設置したのだった。いろいろとあって、すっかり忘れていた。
ビデオカメラを回収しに行くということか。それで先輩は空の手提げ鞄を持っていたわけか。
「あぁ、ビデオカメラですか。……ん? でも待ってください」
納得しかけて、けれどおかしな点に気がつく。
あの洋館には警察の調べが入った。ならそのときにビデオカメラも見つかっているはず。もう門の周りにビデオカメラは残っていないのではないだろうか。
「もうないんじゃないですかね?」
「警察に事情を話して、ビデオカメラについて聞いてみたの。そうしたらそんな物は見つかっていないと言われたのよ」
「それ、おかしくないですか?」
「そうね。たまたま偶然見つからなかったか、あるいは誰かに盗まれたのかもしれない。どちらにせよ行ってみればわかることよ」
「それもそうですね」
俺としては後者の方が可能性として高いと思うのだが、はたして真相はどちらなのやら。
長い坂道を登り続けてどれほど経ったか。やがて住む者のいなくなった古びた洋館が見えてきた。
青い屋根に白い壁面。どこかのホテルにありそうな広いロータリーと、その手前に設置されたアンティーク調の鉄柵で作られた門。黒河凪沙と決死の奪い合いをした日から、はじめて訪れるそこは相変わらずの佇まいを見せていた。
俺たちはさっそくビデオカメラの有無について調べる。
門近くの草むらの中。蔓の中を探して、あっさりとビデオカメラを見つけ出せた。
「……どうやら、盗まれてはいなかったみたいですね」
二つのビデオカメラを手にして、先輩を振り向く。
先輩は俺の傍にやってきて、手提げ鞄の口を広げた。俺はその中にビデオカメラ収めた。
「盗まれていなくてよかったわ。ということは偶然ということになるわね」
「偶然……。そんなことってあります?」
「あるんじゃないかしら。そもそも警察は死体だらけだった部屋しか見ていない可能性もあるのだし、きっと偶然見つからなかったのよ」
「まあ、そうかもしれないですね」
頭の中にちらりと浮かぶものがあったけれど、口にはしなかった。
先輩はこれ以上の深入りを望んではいない。そんな人に話したところでなにも変わらず、そして話せば怒られる。あるいは説き伏せられるか。どう転ぶにしても、先には進めない。先輩が進むことを拒むから。
それにきっと先輩だって気がついているはずなのだ。わかっていて言わないということは、つまりそういうことなのだろう。
先輩に視線を向ける。彼女はビデオカメラの入った手提げ鞄を肩にかけようとしていた。少しだけ悩み、俺は手を差し出した。
「俺が持ちますよ」
「あら、気がきくじゃない。でも大丈夫よ、これくらい」
「いいから、貸してください。女の子の荷物を持ってあげるって、一度してみたかったんですよ」
「こんな私を女の子扱いしてくれるのね。小岩井さんみたいに可愛らしくないのに」
「知ってますか、先輩。先輩は美人で有名なんですよ。女神って呼ばれているくらいなんですから」
「あら、そうなのね。遠山君もそう思ってくれているのかしら?」
「さあ、どうでしょうね」
そんな風に言い合いながら、俺たちは踵を返して、登ってきた坂道を下りはじめる。登っていたときより、数段も歩きやすかった。
「遠山君は小岩井さんみたいなのが好みなのでしょう?」
「そんなこと、勝手に決めつけないでくださいよ。俺は可愛い系よりも美人系が好みなんです」
「あら、そうだったのね」
こんな風に先輩と会話をするのは久しぶりな気がする。こんな風にどうでもいいことを言って、時たまからかってみたりして。そんな会話を長いことしていなかった気がするのだ。
俺は先輩との何気ない会話が好きだったりする。だから、先輩に面と向かって言えはしないけれど、久しぶりにできてすごく嬉しかったりするのだ。
だから、こんな日々がまたやってくると思うと、事件から手を引くのも悪くはない気がした。
「ねえ、遠山君」
「なんですか?」
「このあとも時間はあいているの?」
「まあ、予定はなにもないですけど」
「なら、喫茶店にでも涼みに行かないかしら」
「……いいですよ。行きましょう」
俺と先輩は喫茶店に向かうために、長い下り坂をゆっくりとした速度で歩いた。相変わらず、暑い日差しが降り注いでいた。
☆
先輩と別れたのは、空がオレンジ色に染まる頃だった。カラスが遠くの方で鳴いていて、それはもうどこにでもあるような夕方の風景だった。
俺は街全体が夕焼け色に染まっていく様を見ながら、ゆっくりとした足取りで家路を歩いていた。
先輩と別れたのは喫茶店の前で、当然ながら隣に彼女の姿はない。彼女の面影があるとするのなら、それは俺の肩にかかった手提げ鞄くらいか。中には先輩のビデオカメラが二台も収まっている。ちょっとした重量感を感じさせてくる。
……。
「……ん? ビデオカメラ?」
そこで、俺は足を止めた。自分の肩にかけられたビデオカメラの入った手提げ鞄を見つめる。
「しまったな」
先輩にこの手提げ鞄を渡し忘れてしまった。
どうして今頃になって気がついたのか、と自分に問いかけるも、意味はないと知りため息を吐き出した。
「先輩の家に渡しに行くか?」
目の前に視線をやれば、すぐ先に自宅がある。正直、戻るのは面倒だった。
どうしたもんやらと考え、先輩に電話をすることにした。
スマホを取り出して先輩へ通話の発信をする。
『もしもし』
「あ、先輩。遠山ですけど。えっとですね」
『ビデオカメラのことかしら?」
「……はい。今、思い出しまして」
『奇遇ね。私もついさっき気がついたわ』
「渡しに行きましょうか?」
『……いいえ。明日、部活があるのだし、その時に持って来てもらえるかしら?』
「わかりました」
通話は終わった。
どうやら今すぐに先輩の元へ行かなくてもいいようだった。少しだけありがたかった。
☆
帰宅した俺は、リビングに明かりがついているのを見つけた。扉を開いて中に入ると、奈央と未央がいた。
「ただいま」
そう声をかけると、奈央と未央は俺の方へと顔を向けた。いつも通りの感情があまり出ていない表情だった。
「「おかえりー」」
二人揃ってそう言ってくれた。
二人はテレビの前にある足の低いテーブルでなにかをやっているようだった。近づいていってのぞいてみると、どうやら夏休みの宿題をやっているようだ。
「お、ちゃんと宿題やってるんだな。いい子だな。えらいえらい」
「兄ちゃんは宿題やってるの?」
奈央が聞いてきた。
「んー。兄ちゃんは悪い子だからな」
「やれよ兄ちゃん」
「やりなよ兄ちゃん」
二人が心なしか俺にジト目を向けてきている気がする。
なんというか勉強に関しては、この二人は生真面目だ。というよりも遊ぶときはしっかりと遊び、勉強をするときはしっかりと勉強するというスタンスなのだ。
だから今の二人は俺が小学生だったときより勉強ができるエリートちゃんだったりする。このままいったら俺より頭のいい高校に進学してしまいそうだ。
そうなったら俺としても鼻が高いというものだ。決していじけたりはしない。絶対にしないから。
「手厳しいな。だがな、我が弟と妹よ。兄ちゃんは宿題にかまけている暇はないのだよ。残念なことにね。あー、本当に残念だなー」
奈央と未央はそっぽを向いていた。
どうもこのネタは面白くなかったようだ。残念だ。
「じゃあ、兄ちゃんは部屋に行く。二人は宿題頑張れよ」
「頑張るよ、兄ちゃん」
「まかせて、兄ちゃん」
俺はリビングを後にして、そのまま自分の部屋に向かった。
部屋に入り、扇風機の電源をつける。カタカタと音を立てながら扇風機の首が動き始めるのと同時に、羽根がゆっくりと回り始める。やがて高速回転した羽根が風を部屋中に送り始めた。
その様子を横目に、俺はベッドに腰を下ろし、そして肩にかけていた手提げ鞄を傍に置いた。
夕暮れ時とはいえまだ暑さが残っていて、扇風機をつけないという選択肢は思い浮かばなかった。
しばらく涼んだあとで、なんとなく手提げ鞄へと視線を向ける。鞄の中には二台のビデオカメラが入っている。
そういえば、と。手提げ鞄を見て思い出す。
そういえばこのビデオカメラのバッテリーを預かったままだった。
ビデオカメラを洋館に設置したとき、しばらく先輩と交互にバッテリーを替えようという話になって、バッテリーとその充電器を預かっていたのだった。ビデオカメラを設置したことと同様に、バッテリーの存在も忘れていた。
どこに置いてあったかと部屋中を見渡して探すと、部屋の入り口のあたりで充電器に繋がったままのバッテリーを見つけた。
「これも明日返しに行くか」
ベッドから立ち上がり、バッテリーの充電機を外した。そしてバッテリーと充電機を持ってまたベッドに座り、二つをビデオカメラの入った手提げ鞄にしまおうとして、俺は動きを止めた。なんとなく撮った写真を見たくなったのだ。
それから充電機だけを手提げ鞄にしまい、バッテリーとビデオカメラを手提げ鞄の外へと出す。そしてバッテリーをビデオカメラに取り付け起動させた。起動音とともに画面が青白い光を放った。
ビデオカメラを操作して撮影した写真の一覧を呼び出した。写真を一枚一枚見ていく。洋館の門あたりの夜の風景がいくつも流れていく。そこに人の姿はなかった。
それは何度も確認したことだし、見る前から知っていた。黒河と洋館で対面する前の日の昼。バッテリーを変えたのは俺で、写真もすべて確認している。
けれどそこまでの記録しか見ていない。最後の日。つまり黒河と洋館で対面する前の夜だけは、まだ俺も先輩も見ていなかった。
その時間帯の写真に目を通す。しばらくは誰もいない風景が続いた。
違う日の写真と同じで誰も写らない。そう感じ始めたとき、その写真は見つかった。
夜の闇に紛れるようにして、洋館の門を登る人物の姿が写り込んでいた。
写っているのは黒河だと思われる。黒河はあの時より前にも洋館に来ていたのだ。でもなぜ?
写真の黒河は手ぶらだ。動物を連れている様子もない。彼女一人で門を超えている。
不思議に思って写真一覧の続きを見ていくと、また門の前に人が立っている写真が見つかった。一瞬、門から出てきた黒河かと思ったが、どうも違うと気がつく。なぜなら写真の人物は門に向かっていたし、なにより黒河とは違う体型をしていた。黒河ではない別の人物が写っていたのだ。
その写真を見て、俺は手を止めた。
しばらくの間写真を見つめ、やがてスマホを手に取る。電話をかける。相手は小岩井だった。
『もしもし。どうしたの? 遠山』
「お前に話があるんだ。明日の昼、予定は空いているか?」
『うん、空いてる』
「ならこの前のファミレスで話をしよう」
こうして。明日の部活後、俺は小岩井と会うことになった。大切な話をするために。
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