第三章「別れは唐突に」
①
その日は朝からセミが騒がしく鳴いていて、茹だるように熱い日だった。
俺はクーラーがガンガンに効いたリビングで、テレビを見ながらゴロゴロとしていた。とてもではないがエアコンのついていない自分の部屋にはいられなかった。
さっきから廊下の方でドタバタと走り回る音が聞こえている。おおかた、奈央と未央が追いかけっこでもしているのだろう。元気なものだ。
奈央と未央はあまり感情を表に出さないためおとなしいと勘違いされることが多い。けれど実際は違っていて、実はけっこうやんちゃな部分もあったりする。だから時々騒がしくしていることがあった。
『今日は○○市で起こった事件について、詳しく掘り下げてみようと思います』
弟と妹の元気はどこから出て来るのかと思いを巡らせていたところ、テレビからそんな言葉が流れてきた。
視線をやると、俺たちの住む街で起こった事件についての特集みたいなことをやっていた。コメンテーターや何かの専門家らしき人たちが並び、なんやらいろいろと口にしている。
世間ではこの街で起こった事件はいろいろと衝撃的なものであったらしいのだ。
ペットたちの殺害事件から始まり、黒河凪沙の惨殺死体、服部桃花の飛び降り自殺。それらはすべて同じ街で連続して起きた。
それに。
ペット殺害事件の犯人とされ惨殺死体で見つかった黒河も、黒河を殺したとされ飛び降り自殺を図った桃花も同じ高校の生徒だった。
それだけで世間の話題をさらったのだとか。
『三つの事件が相次いで起こったのでしょう? なにか裏があるんじゃないかと勘繰ってしまいますよね』
そんな陰謀論的なことを口にしたのは眼鏡をかけた小太りの男だった。最近よくテレビに出てくる、オカルトや陰謀論大好きなコメンテーターだ。
世間では人気らしいが、俺はどうにも好きになれない人物だった。
だが、今回の彼の発見は的を得ているととしか言えない。
確かにあの三つの事件の裏には黒幕のような組織がある。あるいはもう個人になってしまっているかもしれない。
あれから不気味な事件は起きていない。とするのなら、組織のメンバーは黒河と桃花の二人だった可能性もある。つまり残っているのは【あの人】とかいう人物だけ、ということにもなるわけだ。
まあそれもハッキリとした証拠もないので、確信を得られているわけではないのだけれど、少なくとも黒河凪沙と服部桃花が裏で繋がっていたのは確かだとは思う。
いずれにしろ、もう俺には関係がない話だ。俺たちはこの事件から手を引いたのだ。考えるべきことではない。
俺はチャンネルを変える。
けれどめぼしい番組はなく、仕方なくテレビの電源を落とした。
手持ち無沙汰になり、どうしようかと考え、ゲームでもやることにした。
近くのテーブルに置いておいたスマホを手に取る。テキトーに目についたゲームアプリを起動した。すると運悪く更新ダウンロードが始まってしまった。
それほど時間がかかるわけではないのだけれど、少しだけイラついてしまうのは、俺が短気ということなのだろうか。
不執拗に画面タップをしていると、突然着信通知が鳴り響いた。相手を見ると、小岩井未知瑠からだった。
なんだか久しぶりのような気がした。
『遠山、お昼空いてる?』
通話に出ると、そんな言葉が耳に届いた。
「まあ、空いてるけど。どうかしたか?」
『えーと、会えないかなーとか思っちゃってるんだけどどうかな。あ、えと。勘違いしないでほしいんだけど、これは別にデートのお誘いとかじゃなくてね、まあ女の子に会いたいとか言われたことのない遠山はそう思っちゃっても仕方がないけど』
「いや、別に思ってないけど」
『……あ、あーそっか。そうだよね、うんうん、勘違いするわけないよね』
……どうしたのだろうか。なんかいつもの小岩井らしからぬ謎発言しているのだが。
「お前、大丈夫か?」
『は? 大丈夫に決まってるし、別になんかデートに誘ってるみたいな言い方になっちゃったなとか思って焦ってるわけじゃないし。恋人とかいたことないくせにデートに誘ってるみたいとかわかるのかって? やかましいわ!』
「誰もそんなこと言ってないし、やかましいのはお前だ。耳元で叫ぶな」
『あ、ごめんごめん。つい癖で』
「癖なのかよ」
なんだか洋館で出会った時の小岩井を思い出させた。あのときもこいつは変なことを自分で言って、自分でキレてた。
そのことを思い出して、思わず笑ってしまった。
『な、なに笑ってるの』
「悪い。お前と洋館で会ったときのことを思い出してさ。あの時もお前、今みたいにキレ芸してただろ」
『あー、あのときもそんなことあったっけ。……って誰がキレ芸したって?』
「お前しかいないだろ」
小岩井が耳元でぎゃんぎゃん騒ぐ。
それは本当にやかましかったが、けれど安心している自分もいた。
いろいろとあったけれど、小岩井はどうにか元気を取り戻せたようだった。単純に、それが嬉しかった。
「で、会いたいって、理由は?」
『えっと、お礼が言いたくて。ほら、わたしのために動いてくれたでしょ?』
「ん。別にお礼なんていらないし、気にするな」
『いいから、お礼がしたいの。それに、話したいこともあるし』
「話したいこと?」
『そうそう。だからこれから会えないかな。お昼も奢るからさ』
こうして、俺は涼しい家から出ることになった。
☆
「ご注文のお品はお揃いになりましたでしょうか」
ウェイトレスの言葉に俺と小岩井は小さく頷いた。
「ごゆっくりどうぞ」
頭を下げたウェイトレスに小岩井は「ありがとうございます」と言った。俺もそれに続く。
ウェイトレスが去っていってから、俺は机の料理に目を向けた。
熱々のドリアがそこにあった。
俺はスプーンで一口すくい、口に運ぶ。チーズの味が口中に広がった。
ゴクリと飲み込んだあと、ふと小岩井に視線を向ける。
小岩井は彼女が注文した包み焼きハンバーグを横目に、ストローでアイスコーヒーの入っいるコップの中身をかき回していた。
「食べないのか?」
「わたし、猫舌なんだよね」
「あ、なるほどな。そりゃ大変だ」
「本当に、大変」
そう言って、小岩井はため息を吐き出した。
小岩井との電話を終えてからどれくらい経ったか。俺と彼女は駅前のファミレスにやってきて、お昼を食べることになった。
そして今に至る。
今日の小岩井は。白色で右胸のあたりに黒い星が描かれた半袖Tシャツに、黒のホットパンツ、スニーカーという格好をしていた。ちなみにホットパンツのベルト部分にはいつもの手帳ホルダーがぶら下がっている。
洋館で会った時の私服とはほんの少し雰囲気が違って見えて、けれどどこか似ている気もした。小岩井はこういう系統の服装が好きなのだろうか。それとも単に黒と白という色が好きなだけか。
「猫舌なのにそんな熱そうな料理にしたのか」
「だって、ハンバーグ好きだし」
なぜか頬を膨らませる小岩井。
子どもっぽい雰囲気のある彼女には、その表情がすごく合う。子どもっぽさに拍車をかけるようだ。
口にしたら怒られそうだ。
「お前さ、言動が子どもっぽいんんだか大人っぽいんだかわからないよな」
「どういう意味?」
「普段の口調はちょっと落ち着いたような感じなのに、時々子どもみたいな行動するというか。体型も子どもっぽいし」
「は? 体型がなんだって?」
机の下で脛を蹴られた。超痛い。
「暴力反対」
「貧乳を馬鹿にする者は死すべし」
「誰も胸の話はしてないぞ? 顔身長とかの意味だったんだが。……さては小岩井さん、貧乳であることを気にしてらっしゃる?」
「……、」
「無言で脛を蹴るな、脛を」
「知らない」
小岩井は子どものようにそっぽを向いた。その反応が怒ったときの妹、十歳の未央とそっくりで思わず吹き出してしまった。
これは小岩井をますます怒らせてしまう反応だな。やってしまった。
「なに笑ってるの」
案の定、不満顔で睨まれてしまった。やだ、まったく怖くない。
「悪かったよ。笑うつもりはなかったんだよ」
「じゃあなんで笑ったの」
「思い出し笑い」
「なにを思い出したんだか」
「怒った妹の反応。いや、お前にそっくりでさ」
「……妹さん、何歳?」
「十歳」
小岩井はなぜか顔をほんのり赤く染める。その顔を隠すように俯いてしまった。
十歳の子どもと同じ反応をしてしまったと知って、恥ずかしいと思ったのだろうか。だとしたらなんともかわいいやつだ。
抱きしめたくなっちゃうぜ!
いや、冗談だけど。
でも、体型も顔も性格も。子どもっぽいところがあるのに、近づかれてドキドキしちゃったんだよな、俺。どうあっても、女の子は女の子ということなのだろう。
「あぁもう。お礼をしようと思ったのに、怒らせること言わないでよね」
そう言って、小岩井は誤魔化すようにナイフとフォークを手に取る。そしてハンバーグをナイフで切って、フォークで口に運んだ。
「あっつ!」
どうやら熱いのを忘れていたようだった。
また笑ってしまって、また脛を蹴られた。
脛は痛いよ、脛は。
☆
「改めて、あの時はありがとう」
食事を終えたあと、小岩井は俺に頭を下げた。
あの時というのは、小岩井が容疑者になってしまった時のことだろう。
正直に言って、お礼を言われるようなことはなにもしていない。友人としてあたりまえのことをしただけなのだ。お礼なんていらない。
「お礼なんて、別にいいって言ってるだろ。俺に言うくらいなら先輩に言ってくれよ。あの人もいろいろと動いてたし」
「椎名先輩にはもうお礼をしたよ。……椎名先輩も遠山と同じで、お礼なら遠山に言ってとか言われちゃったけど。あと、謝られた」
「あぁ。自分のせいで巻き込んだーとか言ってたんだろ」
「……うん」
「俺も謝られた」
「みたいだね。椎名先輩が言ってた」
しばらく会話が止まる。俺も小岩井も口を開かず、店内の声や音に耳を傾けていた。けれど、いくら耳を傾けてみても、どこか遠くから聞こえてくるようだった。妙に現実味がない。
「手を、引くんだってね」
やがて、口を開いたのは小岩井だった。
彼女が口にした言葉の意味はすぐにわかった。
服部桃花の飛び降り事件、というよりも月下香の印、ないしは月下香の会についての調査。小岩井はそのことについて話しているのだろう。
「まあな。先輩から聞いたんだな」
「うん。わたしたちの身を案じて、そう決めたんだよね」
「先輩がな」
「……遠山はその意見についてどう思ってるの?」
「どうもなにも。もともとは新聞部の活動として始めたことだ。なら続けるかどうかは部長である先輩が決めること。ただの部員である俺はそれに従うだけだよ」
小岩井は俺の目を見つめ、けれど俺は目を背けた。誤魔化すように手元にあったメロン味のソーダを飲んだ。
甘ったるい味が口に広がり、炭酸の刺激が喉を焼いた。
「それは立前じゃないの?」
「……、」
「わたしは遠山の本音が聞きたい」
「……正直に言うと、本当は調査を続けたい。ここまできたのなら最後まで、っていう思いもある。でもそれだけじゃないんだ」
そこで、俺はようやく小岩井の目を見つめ返す。小岩井は真剣な表情で俺の話を聞いているようだった。
「知りたく、なったんだ。どうして嫌な事件があの街で立て続けに起こったのか。知りたいって思うようになったんだ。……でも、調査を続けたら小岩井や先輩に迷惑をかけてしまうかもしれない。それは嫌なんだ」
だから、先輩の言葉に頷くしかなかった。それが正しいと思った。
「……そっか」
小岩井は、どうしてか安心したような表情を浮かべた。そして小さく笑う。
「わたしもなんだ。わたしも知りたい。だから手を引いちゃうのは残念だなって思ってたんだよね。……わたしたちだけで調査を続けない?」
「でも、それでお前になにかあったら……、」
「心配してくれて嬉しいな。でも大丈夫だよ。こう見えてもわたし、強いんだよ」
そう言ってファイティングポーズをしてみせる小岩井。冗談じみた格好のために、本当なのか嘘なのか、よくわからなかった。
「それにね、ここでやめたら後悔すると思うんだよね。わたし、後悔はしたくないんだ」
「小岩井……、」
「別に無理にとは言わないよ。遠山がやめるって言うなら諦めるよ。諦めて、一人で調査を続けようと思う。……どうする?」
後悔する。
小岩井の、その言葉が胸に残った。
あぁ、そうか。ここで止まったら後悔するかもしれないのだ。それはなんだか嫌だった。
でも足を踏み出してしまえば、なにが起こるかわからない。小岩井が危ない目に遭うかもしれない。それも嫌だった。
すぐには答えが出せそうになかった。
「……考えさせてくれ」
だからそう言った。
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