④
「たぶん、これぼくのだ」
「……本当か?」
「たぶん……。ここを見れば」
桃花はそう言ってボールペンのキャップを開けた。そしてキャップの内側を見た。
「やっぱり。ほらここ」
俺にキャップの内側を見せてきた。
目を凝らしてみると、そこには【T.H.】と小さく書かれていた。イニシャルだろうか。だとすれば確かに桃花の物なのだろう。
「見当たらないなと思っていたんだよね。どこで見つけたの?」
「……教室に落ちてた」
「あ、そっか。教室か。なんで気がつかなかったんだろう」
「いつ失くしたんだ?」
「うーんとね。昨日、一時間目の時に気がついたから、一昨日くらいかな。落とした記憶はないんだけどね」
「一昨日か。……まあそういうこともあるさ」
「そうだよねー。でも和樹君が見つけてくれて助かったよ。ありがとうね」
そう言って、桃花は銀色のボールペンを鞄の中にしまい込んだ。
「行くか」
桃花がボールペンをしまい終わるのを待って、俺は言った。桃花は頷いた。
俺と桃花は靴を履いて雨が降る外へと踏み出した。傘を差し、一緒に歩き出す。
傘を打つ雨の音が妙に大きく聞こえた。
「それにしても、部室に行かないで帰るのはなんかやっぱ慣れないな」
できるだけ変に思われないように気をつけて、俺はそう切り出した。
桃花の顔を確認してみると、特に気にしている様子はなかった。
「そういうものなの?」
「ああ。お前って部活やってたか?」
「やってないよ」
「……やってなかったか。じゃあわからないかもな」
「うん」
「まあいつもと違うことするとなんか違和感を感じるみたいな、それと同じだ」
「なるほどね」
「中学の頃は何やってたんだ? 部活。中学は部活強制だっただろ?」
「え? 別に強制じゃなかったよ」
「あれ? そうなのか? 俺の中学は強制だったから他もそうなのかと思ってた」
「むしろ強制だったっていうのが驚きかな、ぼくとしては」
昇降口から少し離れたところから地面の材質が変わる。コンクリートからアスファルトへと変わる。
俺たちはそのアスファルトの道。校庭を避けるように設置された校門までの舗装路を歩きはじめた。部活がないこともあってか、舗装路は傘を持った生徒たちで埋め尽くされていた。
「……部活と言えば例の事件があった所って演劇部の部室の裏なんだよな。ほら旧校舎って演劇部の部室兼練習場所になってるだろ?」
「そう、だね。でもどうしていきなりそんなことを聞くの?」
「いや部活の話をしてたらなんか思い出して」
「ふうん。……演劇部か。ぼく、演劇って見たことないんだよね」
桃花は特に何かを考えている風でもなく、雨空を見上げながら言った。
俺は桃花の横顔を見つめる。普段と変わらない表情をしていた。
「俺もだ」
「ドラマとかと違って濃い目のメイクにするんだよね。遠くからでも表情がわかるように、とかいう理由だった気がするけど、よく憶えてないや」
「そうなのか」
「うん」
校門まで続いた舗装路を超えて、俺たちは校門を抜ける。校門を抜けた先は学内の舗装路よりも人混みがマシになる。人と人との間隔が広がっていく。単純に道幅が広くなったせいだろう。
「演劇部の部室、行ったことあるか?」
「え? 旧校舎にってこと?」
桃花は不思議そうに俺を見た。小首を傾げるその姿はどこからどう見ても女の子にしか見えなかった。本当に性別を間違えて生まれてきたんじゃないかと思ってしまう。
だからと言って他の男子どもみたいに、「男でもかまわん! 結婚してくれ!」とかは言わない。桃花がどんなに女の子みたいであろうと、俺にそっちの趣味はないのだ。
「ああ」
「……一回もない、かな」
「旧校舎の裏には?」
「裏? ないよ。死体が吊るされていたっていう焼却炉しかないでしょ? 行く機会なんてないよ」
「……、」
俺は足を止めた。
それに気がつくことなく、桃花は一人で先を歩いていく。
その後ろ姿を見て思う。小岩井と同じくらいの身長なんだな、と。
「ん? どうしたの?」
ようやく俺が足を止めていることに気がついた桃花が俺を振り向く。不思議そうな目で俺を見つめていた。
「いや、なんでもない」
俺は駆け足で桃花へと追いつくと、再び桃花と歩調を合わせて歩き出す。
雨はまだ止みそうになかった。
☆
次の日も天気は雨だった。
「沢渡」
窓の外から聞こえる雨の音に耳を傾けながら、俺は教室に入ろうとする沢渡に声をかけた。とあることを確認するために、朝早く学校に来て沢渡が登校してくるのを待っていたのだ。
まるでストーカーのようなことをしていると思ったが、必要なことなので仕方がない。沢渡には我慢してもらうことになるが、別に問題はないだろう。
「また君か」
沢渡は呆れたように言った。
呆れる気持ちもすごくわかる。嫌いな相手に何度も会いに来られるのだ。俺だったら無視していたかもしれない。
その点、沢渡はこうして反応してくれるので人が良いとも言える。
「今度はなんだい?」
「演劇部だって言ってたよな?」
「それが?」
「小岩井が目撃されたのは死体が発見される前の日だ。時間は部活が終わって少し経った時。旧校舎の方へ走っていく姿が見られている。ということは演劇部の誰かが小岩井を見かけていてもおかしくない。演劇部に証言した奴はいないのか?」
「少なくとも僕はそんな話を聞いていない」
「……旧校舎から焼却炉の周辺は見えるだろ? 何かおかしな点はなかったか?」
「いや。好んで焼却炉に視線を向ける人なんていないと思うけれど、何か作業してたり異変があったらさすがに気がつく。でもその日は何もなかった」
となると、犯人は人目のつかない時間帯に死体を運び込んだと思われる。そしてその時間帯は部活が終わって旧校舎から人がいなくなった後か。
でも谷川が小岩井を目撃した時間はまだ旧校舎にもまばらに人が残っていたはずだ。
小岩井、あるは小岩井に扮した別の誰か。黒河を殺した犯人は人目につかずに旧校舎の裏へ向かったのか? それともどこかに隠れていた? だとしたらなぜ急いで旧校舎に向かう必要があったのか。
そもそも死体はどこから持ってきたのか。
そういえば旧校舎の周りはちょっとした林になっていて、茂みもいくつもある。そこに死体を隠していた?
ならなおさら急ぐ必要なんてない。深夜に校舎へ潜入してゆっくりとやればいい。
それをしなかったのはどうしても小岩井に罪を着せたかったからと考えるべきか。でもそうなると演劇部の連中に姿を見せた方がいいのではないか?
それとも少人数にだけ見せる必要があったのか。その理由は複数人に見られると変装だとバレるから?
頭の中で一つ一つ整理していくと、様々な予測が浮かんでくる。けれど、どれも予測の範囲からは出ない。
「あ、でも」
その時、沢渡が呟くように言った。
俺は顔を上げて沢渡の顔を見る。沢渡は天井に視線を向けて、何かを思い出しているようだった。
「生徒会から来たっていう女子は来たな。旧校舎周辺の点検がどうとか言っていた。でも彼女は関係ないだろう」
「……関係ない? どうしてそう言い切れるんだよ」
「それはだって……そういえばなんで関係ないと思ったんだろうか。そんなことわからないのに」
首を傾げる沢渡の前で俺は思う。
これはやっぱり月下香の印に関係がある事件だ。沢渡の証言が何よりの証拠だった。
「そいつはどんな奴だった?」
疑問を抱えたような表情の沢渡に聞く。どう考えてもその女の子はあやしい。
俺はズボンのポケットの上から中の物を触る。そこには先輩に渡された月下香の印が収まっている。
その男は月下香の印を持っていた可能性がある。だからあやしいと思われなかった。月下香の印がそんなこともできるのかはわからないが、可能性としてはある。
事件現場で発見された犯人に繋がる物をあやしいと思わせない力は確実にある。ならそれが人であっても同じように作動すると見ていいはずだった。
「……身長は低めで、童顔だったよ。それと不思議だったことがあるんだ。その女子は夏なのに上下ともジャージ姿だった」
「ジャージ姿……。ジャージの胸元に名前が刺繍されてるだろ? 見てないか?」
「見てない、というか見れなかった。首にタオルをかけていたんだ。それがちょうど名前のところを隠していた」
「そうか。顔は見たんだよな?」
「見たよ」
「こいつじゃないか?」
俺はスマホで撮ったとある人物の顔写真を沢渡に見せた。
できれば違うと言ってほしかった。そうすれば信じることができる。俺が疑う人物が犯人ではないと思うことができる。
はたして沢渡の答えはイエスかノーか。
自然と唾を飲み込んでいた。
「こんな顔をしていたよ。うん、間違いない」
「……そう、か」
「それがどうかしたのかい?」
「いや、ちょっとな」
「それじゃあ説明になっていないな。もう少し詳しく話してくれる気はないのかい?」
「……それは」
俺は逡巡した。
沢渡に話すべきか。それとも前の時のように誤魔化すか。
そもそも沢渡が目撃したとは言っても、まだ予測でしかない。確定ではないのだ。そんなことをベラベラと話してもいいのだろうか。
「……これはここだけの話にしてくれ」
答えは出なかった。出なかったけれど、気がつくと俺は口を開いていた。自分でも止めることができず、言葉を発してしまっていた。
もしかしたらすべてを吐き出したくなったのかもしれない。それくらい今回わかったことはショックだったのかもしれない。
「俺、真犯人がわかったかもしれない」
☆
その日の授業は身にならなかった。
頭の中をいろいろな思いがよぎっていき、授業どころではなくなっていたのだ。
そしてそのまま放課後になってしまった。
教室を出た俺は昇降口に向かう生徒たちの流れに刃向かうように、階段を上っていく。三階へと向かう。
不思議そうな目で見てくる生徒たちを横目に俺は歩みを進めていく。向かう場所は決まっていた。
その場所でなら頭の中を整理できるかもしれないと思ったのだ。放課後、いつも過ごしていたあの場所。あの場所でならきっと……。
たどり着く。
そこは新聞部の部室。俺の居場所だった。
扉に手をかける。当然のように鍵かかっていた。
仕方なく扉に背を預け、ひんやりとした廊下の床に腰を下ろした。
未だに頭の中はグルグルと回っていた。名前のつけられない感情が心の中でとぐろを巻いている。
まだ犯人と決まったわけじゃない。そう思っているのに、心のどこかで犯人だと言う誰かがいる。あまりにも疑う要素が多いのだ。
もしも。
「……あいつが、本当に、犯人だったら」
俺はどうすればいいのだろうか。
いや答えは決まっている。自首させるのだ。けれど俺にできるだろうか。庇ってしまおうなどと思わないだろうか。
今のそんなことはしないと思っているが、実際に予想通りの人物が犯人だと知ったとき、俺は正しい選択をすることができるのだろうか。
お化けハウスの事件の時は自分の近くで犯人が過ごしていたと知って、世の中わからないものだなと他人事のように思ったものだ。でも今回は違う。あの時よりももっと身近な人間が、知り合いが犯人かもしれない。他人事には思えなかった。
だからもしかしたら間違った選択をしてしまうかもしれないと、自分のことながら不安で仕方がなかった。
こんな風に考えてしまうなんて、我ながら俺らしくないと思う。それほどまでにショックだったとでも言うのだろうか。
「悩んだって仕方がないってわかってんだけどな」
そうだ。悩んでいたって仕方がないのだ。
今は本当に思った通りの人物が犯人かどうか調べるべきなのだ。
調べるべきなのに、俺は動くことができずにいる。こんなところで一人廊下に座って、頭の中をかき回すことしかできずにいる。
こんなとき、先輩ならどうするのだろうか。
想像しかけて、けれど考えなくてもわかると気がつき、やめる。
あの人のことだ。悩むことなんてしないだろう。とにかく動くはずだ。むしろ、本人に真偽を確かめるのかもしれない。ここまでわかっているならそうするのが手っ取り早いと聞きに行くはずだ。
「……そうか。そうだよな」
悩んでいても仕方がない。
調べるのに気がすすまないのであれば、本人に直接問いただしてやろう。それならまだ動こうと思える。
「よし」
腑抜けた自分に気合いを入れるために両頬を叩くと、俺は立ち上がった。
スマホを手に取る。容疑者の電話番号を開く。
通話を押せばもう後には引けない。そこから先は一方通行の道がまっすぐに伸びるだけ。引き返せはしない。
疑ったという事実が俺たちの関係を壊してしまうかもしれないのだから。
逡巡し、けれど意を決して通話ボタンをタップした。
コール音が数度鳴り響き、やがて相手が出た。
「もしもし。遠山だけど、話したいことがある。屋上に来てほしい」
☆
フィクションにおいて、学校の屋上は自由に出入りできることが多い。だが現実では逆で、屋上を立ち入り禁止としている学校の方が多かったりする。理由は色々とあるだろうが、俺の学校も例に漏れず、基本的には立ち入り禁止となっている。
だから俺たちの間では屋上に行くということは、屋上へと続く扉の前の踊り場に行くという意味になる。人気がないため、秘密の話をするにはもってこいの場所だった。
リノリウムの床を歩き、階段を上り、最上階へとたどり着く。
そこにあるのは屋上へと続く鉄扉が鎮座していた。仄暗い空間に設置されたそれは異空間へと続く入り口のようにも思えて、昔読んだオカルト・ホラーのアクション学園モノの漫画を思い出してしまう。
深夜十二時に屋上へと続く階段の数が増え、その階段を上りきると異空間へと引きずり込まれる。確かそういう話だ。
当時は小学生で、その話があまりにも怖くて階段を上るのが怖くなった時期がある。異空間に引きずり込まれる描写は今でも鮮明に覚えているほどなのだから、相当にインパクトのある話だったのだろう。
大人に近づいた俺はそれを思い出すだけで、特に気にすることなく階段を上りきった。
「……まだ来てないみたいだな」
辺りを見回し、そう判断した俺は鉄扉に近づく。そして鉄扉を背もたれにして床に座り込んだ。
スマホを取り出し、電話をかける。相手は先輩だ。
「先輩」
『どうしたの、遠山君』
「真犯人、わかったかもしれないです」
『……そう』
「それで、今から本人に直接話を聞こうと思ってます。……ただ前回のこともあるので、このまま通話中にしておきます。俺が危なそうな雰囲気になったら警察に通報してくれると助かります」
『それで大丈夫なの?』
「さあ。ただ相手が相手なので、どうしても本人に確かめたくなったんです」
『……そう。わかったわ。こちらは任せてちょうだい』
「助かります」
その時、足音が聞こえてきた。きっとあいつがきたのだろう。
俺は通話中にしたままスマホをポケットにしまった。
足音はどんどんと大きくなっていき、やがて足音は止まる。足音の主が俺の前で足を止めたのだ。
「きたか」
足音の主と目を合わせる。足音の主は俺をしばらく見つめた後で笑ってみせた。女の子みたいな可愛らしい笑顔だった。
「こんなところに呼び出すなんて、どうかしたのかな? 和樹君」
服部桃花は不思議そうに言った。
☆
外の雨が勢いを増したようだった。鍵が閉められた鉄扉の向こう側から、雨の打つ音がさっきよりも強く激しくなっていた。
俺は階段を上ってきた桃花の顔を見据える。桃花の浮かべる表情は普段と変わることなく、幼い少女のように可愛らしく小首を傾げた。
「もう帰らないといけない時間なのに、こんなところに呼び出すなんて。……帰りながら話すのじゃダメなの?」
「内容が内容だからな」
「どういうこと?」
桃花の質問には答えず、俺はゆっくりと立ち上がった。
どこから話したものか。そう考える。
「黒河凪沙を知ってるか?」
考えた末に口にしたのはそんな言葉だった。
桃花の顔はさらに困惑したような表情を浮かべた。俺が何を言おうとしているのか、まったく予想できないとでも言うかのようだった。
「黒河、凪沙さん? それって殺されたっていう子だよね?」
「そうだ。黒河はな、連続ペット誘拐殺害事件の犯人なんだ。テレビのニュースで言ってたから知ってるよな?」
「重要参考人、としか言ってなかったけど、犯人なの?」
「ああ」
「どうして知ってるの?」
桃花の質問には答えない。答えずに、話を変えることにする。
「俺は黒河の死体を見た。酷い有様だったよ。人間がやったとは思えない。犯人はきっと最悪な趣味をしてる。黒河をあんな醜い姿にして、衆目に晒した」
「……醜い?」
桃花の声色が変わった気がした。
その理由はなんなのか。想像をして気分を悪くしたのか、或いは……。
「どんな風にして、黒河の死体が置かれていたのか知ってるか?」
「……焼却炉に吊るされていたんだよね」
「……そうだ。手足を切られて、それを腹につめられていた。腸が飛び出してた」
「……、」
「でも、ニュースでは報道されていないんだよ」
「……あ」
「手足を腹につめられていたことも、腸が飛び出してたことも。そして、焼却炉に死体が吊るされていたこともな」
「……、」
「お前は死体を見てないだろ? それなのに、なんでお前は死体が焼却炉に吊るされていたことを知ってるんだ?」
「……それは」
「それからな、桃花。俺が拾ったボールペンは焼却炉の近くで見つけたんだ。どうしてそんなところに落ちているんだろうな」
「……、」
服部桃花は黙ってしまう。答えてくれない。いや答えられないのかもしれない。
「なあ、答えてくれよ。そうでないと、俺はお前を疑い続けなくちゃいけなくなる」
桃花は俯いてしまった。
たぶん俺が言おうとしていることはわかっているだろう。自分が犯人なのではないかと疑われていると、もうわかっているはずだった。
それでいて否定をしないのは図星なのか。或いは俺に疑われているという事実がショックだったのか。
本人の口から語られるまでは当然ながら知る由もない。待つしかないのだ。
「……和樹君はさ」
やがて言葉を吐いた桃花の声色はいつもとは違って、少しだけ暗いような気がした。顔は俯けたままで表情は窺い知れない。
桃花はいったいどんな表情を浮かべているのだろうか。
「ぼくが黒河さんを殺した犯人だって思っているの?」
「……可能性はある」
「ふうん。……友だちを疑うんだ。小岩井さんは信じているのに、ぼくは信じてくれないんだね。そういう人だとは思わなかった」
「どう思ってくれてもかまわない。ただ俺は真実が知りたいだけなんだ。これで絶交にされても仕方がないと思ってる。だけど肯定か否定だけでもしてほしい」
「……ぼくは犯人じゃないよ」
「じゃあ死体の状況を知っていた理由は? ボールペンが死体発見現場に落ちていた理由は?」
「死体の状況は噂で聞いたんだ。ボールペンについては知らない。第一、目撃された犯人らしき人物は女の子って言うじゃないか。ぼくは男だよ?」
「女装したらどうだ?」
「……女装、ねえ。その証拠は?」
「ない」
「それじゃあダメじゃないか」
「でもお前が死体を発見する前の日に、旧校舎に行ったっていう証言ならある」
「は……?」
それは沢渡の証言だった。
旧校舎に来たという生徒会の人間の話を聞いたとき、俺は沢渡に桃花の顔写真を見せた。すると沢渡は桃花の写真を見て頷いたのだ。桃花が来たと言ったのだ。
「お前は生徒会の女子生徒として旧校舎に行ったな? 旧校舎の周りを調べに来たなんて嘘をついて」
「……それが証拠になると、なんでわかった」
明確に声色が変わる。ドス黒いオーラを纏った声色のような気がした。
「これだ」
そう言って、俺は桃花に月下香の印を見せた。
確認するように桃花が月下香の印を見る。そのときになってようやく桃花の表情を見ることができた。無表情だった。
けれどその顔が歪む。無表情だった桃花の口がぐにゃりと曲がった。歪んだ笑顔を浮かべたのだ。
「あは、あはは。そっか。君は黒河ちゃんの事件の謎を暴いたんだったな。持たされていてもおかしくはないか」
桃花は愉しそうに笑う。
その表情は黒河を思い起こさせた。彼女もまた同じように歪んだ笑顔で愉しそうに笑い声をあげていた。
黒河凪沙と服部桃花は似ていたのだ。
「うんうん、そういうことか。通りでバレちゃったわけだ」
「やっぱり、お前もこいつを持ってるんだな?」
「まあね」
予想通りだった。
桃花は月下香の印に関係していた。
かつてあったという月下香の会のような組織があるのだろうか。
「うん、君の推理の続きを聞かせてよ」
「……全部わかったわけじゃない」
「それでもかまわないさ。わかった部分だけ言ってごらん」
「わかった。お前は黒河を殺した。理由は黒河が同じ月下香の印を持つ仲間で、月下香の印を俺たちに取られたからと、もし黒河が警察に捕まったりして他の仲間のことを話されないように口封じするためだろうな。そしてその罪を小岩井になすりつけようとした」
理由はわからない。俺と一緒に連続ペット誘拐殺害事件の謎を知ってしまったから、だろうか?
「まずお前は小岩井の体操着を盗み出し、それを着て旧校舎の方へ走っていく姿を目撃させようとした。カツラでも被って女装したんだ。計算通りにC組の委員長に目撃させることに成功した。その後、お前は用意していたジャージを体操着の上から着た。そのまま旧校舎へと行き、生徒会の人間だと名乗り演劇部に怪しまれることなく、旧校舎の裏へと行くことができた。そして小岩井の体操着に黒河の血液を染み込ませながら、死体の処理をした。あとは小岩井の体操着を元の場所に戻した」
「……うん。だいたいそんな感じだ」
「どうして、小岩井に罪を着せようとしたんだ」
「あの子の父親が殺人犯だからだよ。まあそれも冤罪なんだけど」
「どういうことだ?」
「あっちの事件もぼくが犯人なんだよ。ぼくが女子中学生たちを殺して、小岩井悟にその罪を着せた」
「なんのために?」
「さあ? あの時小岩井悟に罪を着せた理由は特にないんだ。なんとなく、というやつだよ」
なんとなくで小岩井の父親に罪を着せたっていうのか?
「女子中学生を殺した理由なら答えられるよ。一人目は面白そうだったから。二人目以降は一人目で楽しさを知ったから。二人目からはね、犯しながら殺したんだ。すっごく興奮するんだ。すっごく気持ちがいいんだ。……黒河ちゃんもそうやって殺した」
服部桃花は狂っている。そう思わずにはいられなかった。
およそ人間とは思えない言動に吐き気すら感じる。嫌悪とともに恐怖すら覚える。ただ、ただ。気持ちが悪いと思った。
黒河が愉しそうに動物たちを殺した時の感覚を語り、それを聞いたときに感じた感情と同じだった。
だが。黒河が行ったことは許されないことだったけれど、彼女にはそうなってしまった理由があった。
服部は面白そうだったからと言ったが、もしかしたら本当は別の理由があるのかもしれない。
「なあ、桃花」
「ん? あ、もしかして。ぼくも黒河ちゃんと同じようになにか悲しい過去や辛いことがあって、それでこういう人間になったとか思った?」
桃花は俺の考えを見透かしたように言った。その顔は笑ったままだった。
「本当に面白そうだったから殺し始めたんだ。それがすべての始まり。……黒河ちゃんみたいに親の愛情が欲しかったとか、そんな素敵な理由なんてない。ただ殺したいから殺してきた」
「お前……」
「黒河ちゃんを殺した理由は口封じだったけどさ、でも殺すのは楽しかった。久々の殺しだったからすっごく興奮した。何度も果てたよ」
「……そうか」
少しだけショックだった。
なにかかわいそうだと思う理由があって殺したのならまだマシだった。でも桃花はそんな理由を持っていなかった。黒河とは違うと思った。
服部桃花はどうしようもない人間だ。いや、人間と言ってもいいのだろうか。
俺にはどうも同じ人間のように思えなかった。
「お前を警察に連れていく」
「連れていく? どうやって?」
ふいに桃花が自分の背中に手を回した。そしてどこかに隠し持っていたのか、サバイバルナイフを取り出した。それを片手で弄びながら、口角を大きくあげる。
「ぼくは黒河ちゃんのようには行かないよ」
「……俺を殺すのか?」
「男を殺す趣味はないんだけど、仕方ないよね? せめて女の子たちより楽に死なせてあげるよ」
俺と服部桃花の関係は、脆く、砂の塔のように崩れた。
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