③
「三年前の小岩井悟が起こした殺人事件。その被害者の中に僕の幼馴染がいたのさ。それは残虐な姿であいつは、環は見つかったそうだ」
沢渡は静かにそう言った。その声色には感情らしいものが一つも感じられなかった。
自らそうするようにしているのか、それともそうしなければ話ができないのか。俺は判別できなかった。
「僕が環と最後に会ったのは、環が殺される直前だった。いつもみたいに馬鹿言い合って、それでいつもみたいにまた明日だなんて言って別れたよ。……後悔したさ。あの時、僕が環と別れる時間を遅くしておけば、環は助かったかもしれない。そう思うと悔しくて仕方がなかったよ。しかも犯人は環が信頼していた教師だって言うじゃないか。もう頭に来たよ。自分に、そしてあの男に。……だから僕はあの男も、そいつに関係する奴も恨んでいる」
俺は何も言えなかった。
☆
沢渡はもういいだろうと言って俺の前から去っていった。その後ろ姿を美奈という女の子が追いかけていった。
俺は彼らの歩き去る姿を見つめていた。
沢渡が小岩井を目の敵にする理由はわかった。だが納得はできない。
だって小岩井には関係がない。
たとえ小岩井の父親が殺人犯だったとしても、その家族まで恨むのはおかしい。ましてや殺人犯だと決めつけるだなんて……。俺にはわからなかった。
でもそれは俺に経験がないからだろう。経験がないから沢渡の気持ちがわからないのだろう。
もしも沢渡と同じ境遇にあったのなら、俺はどう思うだろうか。沢渡と同じように関係のない犯人の家族まで悪人だと思ってしまうのだろうか。それは正直に言って嫌だった。
そしてもう一つわかったことがある。
それは沢渡が小岩井に罪を着せる可能性は高いということだった。
まず小岩井の父親を沢渡は恨んでいる。復讐してやろうと思っていてもおかしくはない。沢渡の幼馴染を殺した犯人に復讐するために、その娘を犯罪者に仕立てあげる。
その可能性は十分にあると思う。
けれどここで問題になるのは黒河を殺した理由と、男である沢渡は小岩井に扮することが不可能だという点だった。
「……いや、待てよ」
俺はとうに小さくなっていた沢渡たちに目を向ける。
沢渡の隣を美奈と名乗った小柄な女の子が歩いている。その背丈は小岩井に似ている。
これは本当に想像でしかない。だが可能性のある話だ。
小岩井に扮していたのは美奈である可能性はないだろうか?
美奈は沢渡の仲が良い様子だった。あだ名で沢渡を呼んでいたし、けっこう親密な仲に思えた。
それに沢渡の事情も知っているようだった。小岩井悟に対する恨みを知っているようだった。
なら。沢渡と美奈が共犯で、二人で小岩井を嵌めようとしている。そうは考えられないか?
だがそうだとしても依然として問題になるのは、やっぱり黒河を殺した理由だった。
それがわからない以上は沢渡と美奈を犯人だと言うことはできない。可能性の域から出ることはできないのだ。
けれど、その線でも考えておいた方がいいだろう。
とりあえず先輩に相談しよう。
そう思いながら、俺は家路を歩き始めた。
☆
家に帰り着いた俺は自室へとあがり、先輩に電話をかけた。
二、三回のコール音の後、先輩が出た。
『どうしたのかしら、遠山君』
「先輩に話しておきたいことがあるんです。……いま時間、大丈夫ですか?」
『大丈夫よ。話してちょうだい』
俺は谷川水希に会って話をしたことと、沢渡との会話。そして俺の考えを口にした。
話を聞き終えた先輩はしばらく黙ったあと、考えているような声色で話し始める。
『……確かに、遠山君の言うように沢渡君と美奈さんが共犯の可能性はあると思うわ。けれど黒河さんを殺した理由がわからない』
「そこなんですよね。美奈って奴が小岩井の体操着を着れば、なりきりことはできると思うんです。沢渡が小岩井を嵌めようとする理由も十分ですし。でも結局は小岩井を嵌めようとしている可能性しか考えられないんですよね。黒河を殺す理由が見当たらない」
『別の可能性を当たってみた方がいいかもしれないわね。そうやって調べていくうちに二人が黒河さんを殺す理由も見えてくれかもしれないわ』
「別の可能性、ですか?」
『そう。たとえばその谷川さんが嘘をついている可能性もあるでしょう? 自分が犯人だと思わせないために』
「谷川が黒河を……。そうは思いたくはないですけど、確かに可能性はありますね」
『だからいろいろな角度から見てみることが大切だと思うの。いま私たちが考えた可能性以外に何かないか、それを調べてみましょう』
「具体的にはどうやって?」
『そうね、たとえば……。遺体発見現場をもう一度見に行く、とか』
この人は、また無茶なことを言う。
そんなことは無理だ。お化けハウスに潜入するのとはわけが違うのだ。
「それは無理ですよ。警察が現場検証してますし、何より旧校舎の裏に行けないように封鎖されてます」
『夜にこっそり忍びこむとかはどうかしら?』
「警備員とか、さすがに立ってるんじゃないですか? 封鎖されてる場所に」
『そうね』
しばらく先輩はうんとかすんとか言いながら考えている様子だった。電話の先にいるのだから当然のこと彼女の顔は見えないが、きっといつもの真面目そうな顔を浮かべているのだろう。
『いい方法を思いついたわ』
やがて、先輩がそう言った。
俺は嫌な予感がした。
「……嫌な予感しかしないんですけど」
『大丈夫よ。完璧な作戦だもの』
「本当ですか?」
『もちろん。さっそく今夜決行しましょう』
「……は?」
『じゃあ今夜二十四時に学校の校門で待ち合わせとしましょう。待っているわ』
「ちょっ、ちょっと!」
無情にも、電話は切られてしまった。
電話口から聞こえるツーツーという音を耳にしながら、俺は盛大にため息をついた。
「……これも小岩井のためだ」
そのためなら無茶でも何でも付き合ってやろう。
☆
午前零時。
深夜の学校は静かなものだった。
校門に集まった俺と先輩は、鍵が閉まった門を乗り越えて学内に忍び込んだ。そして旧校舎へと向かった。
途中、見回り中の警備員が持つ懐中電灯の光を見かけ、隠れながら進む羽目になった。けれど何とか無事に旧校舎へとたどり着いた。
「それで、ここからどうするんですか?」
旧校舎の扉の前でしゃがみこんだ俺は先輩に聞いた。もちろんのこと、小さな声でだ。
「私が騒ぎを起こすわ」
「はい?」
「だから、私が騒ぎを起こすのよ」
「……、」
「その間に遠山君は現場付近で不審点がないか調べるの。そうね、十分くらいで調べて欲しいわね。たぶんそれくらいしか時間稼ぎができないから、我慢してちょうだい。いいかしら?」
……この人は頭がいいくせにアホみたいなことを言うな。というかアホだ。
「先輩」
「なにかしら」
「完璧な作戦はどこに?」
「いま伝えたじゃない。聞いてなかったのかしら」
呆れた。
先輩だからもう少しマシな作戦を考えてくるかと思っていた。それがこんな誰にでも思いつきそうな物を用意してくるとは……。
「……そうですね、完璧な作戦ですね。よしよし」
「ちょっと遠山君? 先輩の頭を撫でるなんて失礼ではなくて? ふざけている場合じゃないのよ?」
まあでも、それしかないか。旧校舎は施錠されてるから通り抜けることもできない。だから警備員の目を欺いて行くには現状、それくらいしかない。
「わかりました。でも囮は俺がやりますよ」
「ダメよ。遠山君は現場に行きなさい」
「でもですね」
「いいから。これは部長命令よ」
「……わかりましたよ」
本当に頑固な人だ。
少し心配だが任せるしかないようだった。
「私は今から警備員の前に行ってくるわ。携帯で合図を送るから、それを受け取ったらすぐに現場に行きなさい。いいわね」
「了解です」
「そうだ、遠山君」
「なんですか?」
「これ、渡しておくわ」
先輩がそう言って俺の手に握らせたのはひし形の木板だった。中央に花の絵が描かれている。
月下香の印だった。
「役立つかもしれないわ」
「……そうですね。預かっておきます」
そして先輩は旧校舎の裏へと走っていった。
しばらくの間、俺は一人でじっとしていることになった。
先輩は騒ぎを起こすと言っていたが、いったいどうするつもりなのだろうか。まさかあの先輩が奇行に走るとも思えないし、かと言って手荒な真似ができるとも思えない。というか警備には警察官が立っているだろうから、そんなことをすれば公務執行妨害になりかねない。
先輩の作戦はひどく幼稚なものだが、まさか公務執行妨害を知らないことはあるまい。何か手があるのだろうが、なにをするつもりなのか。
公務執行妨害にならず、なおかつ先輩ができそうなこと……。
「会話」
口八丁で乗り切るつもりか?
そんなこと先輩にできるのか?
いや先輩ならやりそうだ。成功するかはともかく、可能性としては考えられる。
携帯が振動したのはその時だった。
確認する。
先輩からの空メールだった。合図だ。
旧校舎の裏へ向かって歩き出す。
けれど懐中電灯の光が見えて、俺は慌てて物陰に隠れて光の方を確認する。
どうやらこちらに向けられた光ではないようだ。あさっての方向を向いていた。その先にあるのは茂み。旧校舎の周りに広がる林の中だ。
光に当てられているのはどうやら先輩のようで、彼女はしゃがみこんで何かをしているようだった。
その背後に懐中電灯を持った制服姿の警察官が立っている。警察官は先輩の手元を照らしているようだ。
「本当にこの辺に落としたのかね」
声が聞こえた。男の声。警察官が発したものだった。
「ええ。とても大切な物なんです」
先輩の声が続く。
どうやら落し物をした体で警察官の目を脇にそらしているようだ。
なんというか、その。なんだかな、という感じだった。
だが時間を稼げていることは確かだ。この隙に旧校舎の裏へと回らせてもらおう。
俺は足音を立てないようにして警察官の後ろを素通りした。心の中で警察官に謝罪をしながら。
☆
焼却炉の周りには立入禁止を示す黄色テープが張り巡らされていた。
そのテープを潜って中に入ることはしない。さすがにそれはしちゃいけない。
だから周りから中の様子を眺める。それだけではなくテープの外側も丹念に見ていく。
たぶんなにもないとは思う。警察が周辺にあった物は持って行ってしまっているだろうからだ。
それでも来たのは黒河が起こした事件の例があったから。
月下香の印なんて物のせいで証拠を証拠だと見せないようにされていた。今回もその可能性があると思ったのだ。
もしそうなら警察に見つかることのなかった証拠を見つけられるかもしれない。
時間はそれほど多くない。十分という短い時間の中で、辺りをくまなく探さなければならない。
黄色テープの周りを歩く。
視線を忙しく動かしながら探索をしていると、何かを踏みつけた感触がした。黄色テープのすぐ外側の茂みの中だった。
足をどけてしゃがみこむ。
落ちていたのは銀色の棒状の物だった。携帯の光を当てて詳しく確認すると、それは細長い金属質のボールペンだった。
「なんでこんなところにあるんだ?」
現場のすぐ側なのに警察は気がつかなかったのか?
……いや、違う。
俺はポケットの上から中にある木板に触れる。
警察は気がつかなかったのではなく、気がつけなかった可能性がある。もしそうなら今回の事件も月下香の印に関係しているということか?
そう言えば黒河は【あの人】がどうとか呟いていた。つまり黒河には仲間のような存在がいた。それは月下香の印に関係している可能性が高い。
今回の事件が月下香の印に関係するものだとしたら、黒河が殺された理由も説明できる。口封じ。そのために黒河は殺された。
つまり犯人は黒河が言っていた【あの人】。あるいはそのほかにも仲間がいて、そいつがやったか。
そしてボールペンはその犯人が落とした物の可能性がある。
犯人は誰か。
沢渡と美奈を思い浮かべる。
理由としては弱いか? だが可能性はある。このボールペンについて探りを入れてみる必要がある。
俺はそのボールペンをポケットにしまい込んだ。
そしてその場から離れた。
☆
戻り道。
先輩と警察官がまだ話をしていた。
警察官の後ろを通った時、先輩と目が合う。先輩にわかるように頷いてみせる。作戦成功の合図だ。
それに対して先輩もまた頷いた。
俺は音を立てずにその場から離れ、先に校門へと走った。
数分後。先輩が校門へと歩いてやってきた。堂々とした姿だった。
「収穫はあったのかしら」
俺を見つけた先輩がそう声をかけてきた。
俺は頷いてから、ポケットから取り出したボールペンを見せた。
「それは?」
「現場周辺に落ちていた物です。本当にすぐ近くだったんで、現場検証してたらわかるはずです。それなのに落ちていたということは今回も何かしらの力が働いてる可能性はないですか?」
「……月下香の印が関係していると言いたいのね?」
「ゴミだと思われたから落ちていたままになっていた。あるいは月下香の印は証拠に触れない限り見つけられず、触れられて見つけられても証拠だと思わせない。そんな二重の力があるのかもしれないと考えたんですけど」
何せ俺たちは月下香の印についてほとんど知らないのだ。いろんな力が込められていても不思議じゃない。
むしろ何でも疑ってかかるべきだ。
「なるほど。そうかもしれないわね」
「それで考えたんですけど」
「なにかしら」
俺は先輩にボールペンを見つけた時に考えたことを話して聞かせた。
聞き終えた先輩はしばらくなにかを考えるような仕草を見せ、やがて静かに頷いた。
「そうね。可能性としては充分にあるとは思うわ」
「なにか含みのありそうな言い方ですね」
「少し気になったことがあるの。ただそっちについてはまだ話したくないわ。私だけで調べてみるわ」
「そう、ですか」
「遠山君はあなたの考えで調べてみて」
「え? 俺一人でですか?」
「大丈夫よ。遠山君にならできるわ」
「そうでしょうか」
正直、不安だった。
前は先輩と小岩井がいたから黒河にたどり着くことができた。でも俺一人だとそう上手くはいかない気がする。
それは一人で探偵の真似事をやったことがないからというのもあるのかもしれない。経験がないから不安なのだ。
「遠山君は今回、ここまでほとんど一人で調べられているじゃない。それにいい考え方もしている。大丈夫よ。自信を持ちなさい」
「は、はあ。……やれるだけやってみます」
まだ不安はあったが、とりあえずやってみることにした。何事も経験だ。
……こんな経験したくはないけれど。
まあこれも小岩井のためだ。頑張ろう。
☆
次の日は雨だった。
昨夜のこともあって眠るのが遅くなってしまったせいで、少しだけ重たい身体を無理やり引きずって、俺は傘を片手に学校への道を歩いていた。
鉛色の空の下。カラフルな傘が通学路を埋めている。
俺と同じ学校の生徒以外にも小学生やらも歩いていて、背の高い傘と背の低い傘が疎らに歩いていた。
俺の学校の道を挟んだすぐ隣には小学校がある。
もともとは同じ敷地内に無理矢理高校と小学校が建っていたらしい。小学校側が間借りしていたような状況だったのだとか。だが隣の敷地が空いたということでそっちに小学校が移った。そして今に至る。
ずいぶんと前の話だから詳しくは知らないが、そういう歴史があるらしい。
そんなこんなで小学校が隣に建っているということで、登校時は小学生たちと歩くことになるのだ。
あんな事件があったにもかかわらず、世界はいつも通りだ。
犯人が捕まったようなものだと報道されているのが原因なのか。それとも近所で起きた事件とはいえどこか他人事に感じているからか。不安なんか感じていないような顔で、学生たちは歩いていた。
とはいってもショックで登校できないでいる人間も確かにいる。そのほとんどが事件を間近に見てしまった人間らしい。
やっぱり見るのと見ないのとではまったく違うのだろうか。
そんなことを思いつつ、俺は歩みを進め続ける。時折、水溜りを踏みつけて、ピシャッという音がした。
やがて校舎が見えてくる。
その灰色の校舎を見上げ、俺は小さくため息を吐き出した。
「やだなぁ」
今日は沢渡に会わなければならない。
なんだか苦手な相手だ。だからあまり会いたいと思えない。
沢渡にしてみても同じだろう。あいつも俺と顔を合わせたくないはずだ。
それでも会わなければならない。真犯人を見つけるために。
だから仕方がないのだけど、やっぱり憂鬱な気分になる。
ただでさえ雨が降っていて嫌な気分なのに、本当になんだかなという感じだ。
そんなことを言っても先には進まない。行くしかないのだった。
☆
「おはよう、和樹君」
教室に入ると桃花が声をかけてきた。
「おはよう」
俺は適当に返事をしながら席へと向かう。その隣を桃花が歩く。
「昨日はどうだった?」
俺が席に着いたところで桃花がそう聞いてきた。
「昨日?」
「ほらC組の委員長さんに会いに行ったんでしょ?」
「あー。会えたよ。話もした。だけど嘘をついてる感じはなかった」
「ふうん。じゃあやっぱり小岩井さんが犯人なのかな」
「……違う、と思う」
「どうして?」
「いや」
桃花に話せることは何もなかった。だから誤魔化すことにする。
「勘だよ、勘」
「そっかぁ」
「勘だから合ってるかはわからないけどな」
「でもさ。だとしたら誰が犯人なのかな」
「……さあな」
「そもそも被害者の子って殺される理由があったのかな。それとも無差別?」
「なんだ? 興味あるのか?」
「昨日、和樹君が調べるって言ったから気になりだしちゃって」
「そうか」
「といっても和樹君みたいに探偵ごっこするのはちょっと怖いけどね」
「怖い?」
「だって犯人は殺人をしたんだよ? 調べていくうちに犯人が小岩井さんじゃないということがわかって、そして真犯人にたどり着けるかもしれない。そのことが犯人にバレたらどうなると思う? 口封じに殺されるかもしれないよ。そう考えると怖くてね」
桃花の意見はもっともなものだと思った。
すべては可能性の話でしかなかったけれど、だからといって飛躍しすぎたものではないだろう。現に殺人が起きている。殺されないと言い切ることはできないのだ。
「和樹君は怖くないの?」
桃花の不安はわかる。けれど、それは俺が調べることをやめてしまう理由にならない。
不安がないということはない。多少なりとも不安はある。
でも俺は探偵の真似事をやめない。やめるわけにはいかない。
それは小岩井のためだけじゃない。
この事件はもうただの殺人ではない。月下香の印が関係している可能性の高い事件となった。警察だけに任せておくわけにはいかないのだ。
「不安はあっても、俺はやめない」
「警察に任せておけばいいのに?」
「ああ」
「……ふうん。まあ、頑張ってよ」
「ああ」
予鈴が鳴って、桃花は自分の席へと戻っていった。
もうじきホームルームが始まる。
☆
昼放課。
俺は廊下を歩いていた。
窓から見える外の景色は相変わらずの雨模様で、灰色の空が一面に広がっていた。
窓の反対側。教室が並ぶ方へと視線を向ける。そして教室へと近づき、教室内にいる女子生徒に声をかける。
さっきからこうして教室を覗き、沢渡を捜していた。
沢渡のクラスなんて知らないからこうして彼の顔を探すしかない。
「このクラスに沢渡ってやついるか?」
「沢渡君? いるよ。……呼ぶ?」
どうやら沢渡の教室にたどり着けたらしい。しかも幸運なことに教室内にいたみたいだ。
「頼む」
「沢渡君!」
女子生徒が教室内を振り返り、そう言った。
すると窓際の席の男がこちらを見た。間違いなく沢渡だった。隣には美奈もいた。
沢渡がこちらを見たのを確認して、女子生徒が手招きをする。
沢渡がこちらに歩いてくる。途中で目が合う。露骨に嫌な顔をされた。
こっちだって嫌なんだよ。我慢しろ。
「なんだい、こんなところまで来て。君と話している暇はないんだけどな」
俺の目の前に立った沢渡は、視線だけで俺を見下ろした。
俺はその視線を見つめ返す。
「お前に確認したいことがある。すぐに終わる」
「……なんだ」
「これ、見覚えあるか?」
俺はボールペンを沢渡に見せた。
沢渡は眉根を寄せて俺の手元を見つめた。
「いや、まったくこれっぽちもないね」
「本当か?」
俺は沢渡の瞳の奥を覗く。黒色の瞳には嫌悪感しか浮かんでいない気がした。
沢渡の物ではないのか?
「なんで嘘をつかないといけないんだ。第一これがどうかしたのか?」
沢渡は本気でわからないようで、誤魔化す素ぶりすらしない。その瞳も泳いでいない。
嘘をついて……いない?
いや、素人の判断だ。嘘をついていないなんてわかるわけもない。
けれど俺の勘は嘘ではないと判断していた。
正直、この勘はあてにしたくなかった。だってそれはこいつを信じることになってしまうから。それは嫌だ。
でも私事を挟むことはダメだ。
ここは引き下がり、他に手がかりがないか模索することにした。
「……わかった。助かった」
「ちょっと待ってくれないか。理由を説明しろ」
「俺と一秒でもいたくないんだろ? 気にするな」
「……勝手にしろ」
沢渡が犯人である可能性がある以上、理由を言うことはできない。だから挑発するような言い方をして誤魔化した。そうすれば俺を嫌う沢渡はこれ以上聞いてくることはない。そう踏んでのことだったが、どうやら上手くいったようだった。
俺は沢渡に背を向け、彼の教室をあとにした。
☆
自分の教室に入ると、女子生徒に囲まれた桃花を見つけた。何か楽しそうに話しているようだ。
桃花だけが男子なのだが、女子にしか見えないため違和感はない。
そう思われる桃花は男としてどう感じているのだろうか。やっぱり嫌だったりするのだろうか。
桃花の表情を盗み見る。
そうして女子に囲まれている分には嫌なことはなさそうだ。
まあ男子だから嫌な気分になることは滅多にないか。
俺はその集団の横を素通りしようとして、少しだけ会話が聞こえてきた。
「桃花ちゃん、今度女装してみようよ」
……なんていう話してるんだ。
確かに女装しても違和感はないだろうが、さすがにちょっとどうかと思う。というか本人だって嫌だろうに。
そう思って桃花の顔に視線を向ける。
「女の子の服着るだけだったら」
……案外嫌ではないようだ。というか乗り気なんじゃないのか、あの顔。すっごい笑顔だ。
まさかそっち系の趣味でもあるのか?
俺は席に向かって歩きながら会話を盗み聞き続ける。
「男のぼくが言うのは変かもしれないけど、可愛い服とか興味があるだよね。あ、そっち系ってわけじゃないからね? ただ単純に興味あるだけというか。好奇心というか。そういう感じで着てみたいとは思っていたんだよね。でもやっぱりそれって一人でやるのは恥ずかしいかなーって」
「じゃあやろうよ!」
「……あ、でもぼく男だから絶対似合わないよね」
「そんなことないよ。似合う似合う! やろやろ!」
「うーん、じゃあ今度」
女子の嬉しそうな声がいくつか重なった。
なんか変なことになってるな。
桃花が女装する日がこようとは。別にそういう趣味はないが、どうなるのかちょっと気になってきたな。
というか桃花って女装に興味はあったんだな。意外というか、当然というか、なんというか。
俺は女子制服を着た桃花を想像してみる。やっぱり違和感はなさそうだった。
☆
「和樹君。一緒に帰ろうよ」
放課後。桃花がそう声をかけてきた。俺は特に何も考えずに承諾した。
部活はないし、昨日みたいに寄るところも特にない。だから承諾したのだ。
俺たち二人は教室を出て下駄箱に向かう。
「桃花。お前、女装するんだってな」
廊下を並んで歩きながら俺は桃花に言った。
桃花は少し驚いたような顔になり、けれどすぐに笑顔になった。
「聞かれてたのか〜。そうだよ」
「興味、あったんだな」
「まあね。ほら女の子の服に興味があるなんて言ったら変な目で見られるかなーなんて思って、和樹君にも黙っていたんだよね」
「まあ、そうなるよな」
「……引いちゃった?」
「ちょっと驚いた。そういうの興味ないと思ってたからな」
「それだけ?」
「ん? ……あとは女装しても違和感はなさそうだなとは思った」
「そう? 女の子たちもそう言ってたけど、自分じゃわからないんだよね」
「そうか。お前の顔なら似合うだろ」
そんな風に話しながら俺たちは下駄箱にたどり着く。
俺の靴箱は下の方にあるため身を屈めて靴を取り出す。その時、胸ポケットに入れていた銀色のボールペンが落ちてしまった。
「何か落としたよ」
そう言って俺の近くにしゃがんだ桃花がボールペンを拾う。
「……あれ? このボールペン」
「見覚えあるのか?」
「あるっていうか」
「っていうか?」
「たぶん、これぼくのだ」
桃花はそう言って、俺の顔を見つめた。
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