②
警察がやってきたのはそれから数十分後のことだった。
小岩井はというと旧校舎一階の教室に隔離されていた。教職員が付いているようだが、それでも隔離された小岩井は良く思っていないだろう。
そもそもなぜ小岩井だけが隔離されているのかというと、小岩井に怯える生徒たちが多数にいたからだった。誰も彼もが小岩井を疑っているのだ。
あれだけ怪しいと思わせる状態を見せられれば疑われるのは仕方のないこととは言え、小岩井の気持ちを考えると何とも言えない複雑な気分になった。
何人もの生徒たちがいるにも関わらず、怖いほどに静かで、どんよりとした雰囲気の中に警察はやってきたのだった。
旧校舎に入ってきた警察は生徒たちを見回した後、事情聴取をすると言った。そして生徒たちを回り始めた。
俺と先輩の所にも当然のことながら警察はやってきて質問をした。
発見当時の状況、現場にいた理由。黒河が殺害されたことに関して何か心当たりはあるか。など。
俺は素直に答えた。
心当たりに関してはお化けハウスの事件が関係しているのではと答えた。事情を聞きにきた警察官はお化けハウスでも会った人で、お化けハウスの事件と口にするだけで理解してもらえた。
「聞きたいことがあるんですけど」
お礼を言って立ち去ろうとする警察官の背中を呼び止めた。
警察官は怪訝そうに振り返った。その瞳が俺と合った。
「その、小岩井はどうなるんですか?」
「……詳しくは言えないが、署に来てもらうことになる。現場の状況が状況だし、あの子の荷物から見つかった物もある。詳しく話を聞かせてもらわないといけないからね」
そう言って、警察官は今度こそ立ち去っていった。
当然と言えば当然の流れだった。
警察もまた小岩井を重要参考人として考えるのだろう。最悪犯人だと断定されてしまうだろう。
それだけは避けたかったが、俺に何かできるとは思えなかった。どうすれば小岩井の役に立てるのか、それが俺にはわからないのだ。
近くにいた先輩に視線を向ける。
先輩は俺の視線に気がついたようで、近寄って来た。
「何か悩んでいるようね」
「……小岩井の無実を証明する方法がないかなって、そう思ってるんです」
「無実の証明、ね。あれだけの状況を見せられて、それでもあなたは小岩井さんを疑わないのね」
「そう言う先輩だって疑ってなんかないでしょ?」
「あら? どうしてわかったのかしら」
「ただの勘ですよ」
「そう」
なんとなく、先輩は小岩井を疑っていないだろうな、という予感がしたのだ。どうやらその予想は当たっていたらしい。
「正確には少し違うのだけれどね」
「と言うと?」
「こんなことを言うと遠山君は怒るかもしれないけれど、小岩井さんが犯人の可能性だって十分にありえるわ。その可能性は残念ながら捨てきれない。……でもね、私は小岩井さんが殺人をしたとは思いたくないの。だからこれは疑っているとか、信じているとかとは違う。ただの願いなのかもしれないわ」
「それを言うなら俺もです。小岩井があんなことをするはずがないと信じたいだけなのかもしれません。でも先輩。俺は思うんですよ。それでも小岩井を助けたいという理由にはなる、と」
「……そうね。ならあなたは小岩井さんのために行動するのね」
「はい。最初からそのつもりです」
「そう、わかったわ。私も手伝う」
「いいんですか?」
「当然よ」
先輩が微笑む。優しい笑顔だった。
それだけで俺の心は落ちついた。
その時になってようやく、自分が焦っていたのだと気がついた。自分のことながら鈍感な奴だと思った。
「さあ、これから忙しくなるわよ。覚悟はいいかしら」
「もちろんです」
こうして俺と先輩は小岩井のために動くことに決めた。
☆
旧校舎の教室から小岩井が出てくる。彼女を挟むように両脇にいるのは女性警察官二人だった。
その警察官に連れられて、小岩井が旧校舎の玄関へとやってくる。
生徒たちが恐ろしいものでも見るような目つきで道を開けていく。中にはあからさまに睨んでいる奴もいた。
小岩井は俯いたまま彼らの前を歩き、そして俺と先輩を見ることもなく通り過ぎて、外へと一歩踏み出した。
「小岩井」
そんな背中に声をかけると、小岩井がピタリと足を止めた。振り返ることはしなかった。
何か言いたいことがあるわけじゃなかった。それなのに呼び止めてしまったことが、自分でも驚きだった。
だって俺はそういう人間じゃない。
それでも呼び止めたのはどうしてだろうか。
俺は言葉を言えずに、押し黙る。
こういう時、何を言うべきなのだろうか。どんな言葉をかければいいのだろう。
「その……。またな」
考えた結果でてきた言葉はあっさりとしたものになってしまった。
俺は不器用な男だった。
けれど。俺の言葉に小岩井は振り返らなかったけれど。
「……うん。またね」
小岩井は確かににそう言ってくれた。
そして小岩井が去っていく。俺はその背中をいつまでも見つめていた。
☆
その日の夜。俺はネットで
小岩井悟が犯人だとされた理由は主に三つある。
まず最後の被害者が殺された現場に小岩井悟の毛髪が残されていた。
同じく現場に小岩井悟の持ち物であるライターが落ちていた。
そして最後に小岩井悟の仕事用鞄から被害者の血液がついたジャージが見つかった。
これらの状況証拠から警察は小岩井悟を犯人と断定したらしい。
今回の事件と似ている。今回の事件も小岩井未知瑠が犯人だと思えるような状況証拠が見つかっている。
このままいけば小岩井が犯人だとされてしまうだろう。
それまでに彼女が無実だと証明しなければならない。厳しいように思えた。
☆
『昨日、〇〇市内の高校で見つかった遺体について、被害者の身元が判明しました』
事件があった翌日の朝。朝食を採っていた俺の耳にそのニュースが聞こえてきた。
持っていたトーストを皿の上におき、テレビ画面へと視線を向けた。画面内では女性キャスターがニュースを読み上げていた。
『被害者は
……目撃者がいたのか。
だとすると当初よりも厄介なことになってしまったようだ。
ただその目撃者が警察にどう話したのかが問題だと思う。小岩井の顔を見ているのか、それとも後ろ姿とかだけなのか。それによって変わってくる気がした。
その目撃者から話を聞きたいところだが、さてどう探せばいいのやら。俺だけでは思いつきそうもない。
先輩に相談してみることにした。
幸いというべきか。学校は死体の目撃者が少ないということから休校にはならず、学校で先輩に相談することができる。
先輩なら目撃者を探す良い方法を思いつけるかもしれない。そうでなくても二人ならなんとかなるかもしれない。
とりあえず学校へ行くことにした。
☆
学校は通常通りの日程で授業を進めていた。
ただし旧校舎とその裏は立ち入り禁止となり、部活はしばらくの間休みとなった。
俺は四時限目の授業までをいつも通りに受け、昼休憩の時間になって教室を出た。昼食を買いに購買に向かうためだ。
「
教室を出てしばらく歩いていると、背後から駆けてくる足音と俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
立ち止まって振り返ると、
「桃花。どうかしたか?」
「今から購買に行くんでしょ? 一緒に行こうよ。ついでにお昼も一緒に食べない?」
「別にいいけど」
「決まりだね。じゃあ行こうか」
他愛もない会話をしながら歩を進め、俺と桃花は購買にたどり着く。
俺はエビマヨおにぎりとチーズカツサンドを一つずつ買い、桃花は四つ入りのサンドイッチを買ったようだった。ついでに俺は自販機で缶ジュースを買った。桃花は水筒を持参していたため買わなかった。
そして購買をあとにして、俺たちは中庭へとやってきた。
中庭のベンチに座ると黒河のことを思い出す。ここで俺と黒河は話をしたのだ。つい最近のことだ。もう遠い過去の出来事に感じられた。
「どうしたの、和樹君。ぼうっとしちゃって」
「ん? ああ。……ちょっと思い出したことがあって」
「なに?」
「いや、食事中に話す内容じゃねえよ」
黒河の話をするにはどうしたって昨日のことを言わないといけない。
俺としては黒河の変わり果てた姿を思い出しても別に食欲が低下したりしない。それはそれで自分でもどうかと思うが、残念ながら空腹には勝てない。冷たい人間なのだろうか。
まあそれはおいといてだ。
俺は平気だが、人によってこの学校で見つかった死体の話というだけで気分を悪くしてしまう奴もいる。
桃花がそういう人間かはわからないが、どちらにせよ食事中にする話ではないだろう。
「……もしかして昨日のこと?」
けれど俺の気遣いは無用だったようで、桃花から話を振ってきた。
「まあ」
「そっか。……和樹君は見た人なの?」
「見た。しかも被害者のことを知ってる」
「それは……」
俺はもう一度中庭を見回す。黒河との会話を思い出す。
「ここで最近、そいつと話をしたんだ。本当にここ最近なんだ。だからここにきたらなんか思い出して」
「……そっか」
「あんな結末は酷いよな」
黒河には罰を受けて、そして罪を償ってほしかった。そうすればやりなおせると思ったのだ。
でも彼女に与えられるべき罰はこんなものじゃないはずだ。あんな風に殺されてしまうのはおかしい。
だってあれはただの殺人だ。法律に則った罰じゃない。
俺が黒河に受けてほしかったのはちゃんとした罰だ。こんなことは望んではいなかった。
それだけは悲しいと思った。
「そっか。和樹君は被害者の子とも知り合いだったんだね」
「も?」
呟くような桃花の言葉に違和感を感じて、俺は聞き返した。
「言い方が悪くなっちゃうけど、容疑者っていうのかな。C組の小岩井さんとも仲が良かったでしょ? ほら最近、部活に行く時にぼくらの教室の前で待ち合わせ的なことしてたよね」
「……そうだけど、なんで知ってるんだ?」
「小岩井さんって一部では有名だったんだよ。探偵の真似事をする変わった人ってね。だから廊下にいる小岩井を見つけて、どうしたんだろうと思って。また何かを調べてるのかなって見てたら、和樹君と話し始めたから仲が良いんだって思ったんだ」
「あいつ、有名人だったのか」
全然知らなかった。
そういえば尾行を何度かやったことがあるとか言っていたな。学内の誰かに依頼でもされて、いろいろと嗅ぎ回ることが多かったのだろうか。
「一部ではね。……小岩井さんが疑われてるみたいだけど、和樹君はどう思う?」
「正直に言ってやってないと思ってる。あいつはそんなことをするような奴じゃないんだ」
「そうなんだね。でもさ、C組の人が一昨日に旧校舎へ向かう小岩井さんを見たんでしょ? なら、和樹君には悪いけど、怪しいと思うのが普通なんじゃないのかな」
「まあな。でも俺は信じ……ちょっと待て」
今、桃花が気になることを口していた。
死体発見前日に小岩井を目撃した奴が、誰なのかわかっているような口ぶりではなかったか?
桃花はどうしてそんなことを……。
「桃花。お前、小岩井を見たって言った奴のこと知ってるのか?」
「え、うん。噂で聞いたんだ」
「そんな噂が流れてるのか?」
「うん。……学校ってさ、狭い世界だからそういうのすぐ広まっちゃうんだよね」
噂。そんなことは考えてもみなかった。本当かどうかは別として、有力な情報だと思った。
「桃花。噂になってる奴の名前はわかるか?」
「そこまでは。ただC組のクラス委員長だって聞いたよ。会ったことはないからそれだけで名前はわからなかったけど、C組の人に聞けばわかるでしょ」
「……そうか」
先輩に相談してみるか?
いやなんでも先輩に頼るのもどうかと思う。
先輩に言うのは後にしよう。先に俺だけでC組のクラス委員長をあたってみよう。
それなら俺だけでもできるはずだ。
「もしかして、話を聞きに行くつもり?」
隣の桃花が何故か心配そうに聞いてくる。その理由はわからなかったが、俺は静かに頷き返した。
「まあ、そうするつもりだ」
「どうして?」
「俺も、小岩井みたいに探偵の真似事でもしようかと思ってさ」
「……小岩井さんのために?」
「どうかな。小岩井のためなのか、俺自身のためなのか。正直、よくわからないんだ。ただ小岩井が犯人であって欲しくない、そう思ってるのは確かだ」
「そっか。頑張ってね」
「ああ」
その後。俺と桃花は昼食を食べ終わり、教室へと戻った。
そこでちょうどチャイムが鳴り、午後の授業へと移っていった。
☆
チャイムが鳴ったのを機に、俺は教室を後にした。C組のクラス委員長とやらに会うためだ。
行き違いになって会えないといけない。そう思って急いで教室を出た。
廊下には教室を飛び出した生徒たちがすでに何人かいて、その間を縫ってC組の教室へとたどりつく。
教室を覗いてみるとまだ多くの生徒がいた。談笑をしているグループがいくつか見受けられた。
ふと黒板の方へ視線を向けると、黒髪を腰上辺りまで伸ばした女子生徒がいた。彼女は一人で黒板を綺麗にしていた。
「あの、そこの黒板のとこにいる人。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
黒板の前にいる彼女が一番近いところにいたので、俺はその子へと声をかける。
彼女は振り返り、俺を見た。
「私?」
「ああ」
彼女は手に持っていた黒板消しを置き、教室の入り口にいる俺のところへと歩いてきた。
「なにかな」
「C組のクラス委員長を探してるんだけど、まだ教室に残ってるか?」
「クラス委員長は私よ。私に用があるの?」
「あんたがクラス委員長か。少し、話をさせてほしいんだが」
「んー」
C組のクラス委員長は少し考えるしぐさをみせ、やがて小さく頷いた。
「いいよ。ただし黒板を綺麗にしてからね」
「わかった」
「じゃあその辺で待ってて」
俺は頷いた。
そして廊下で待つこと十数分。
「お待たせ」
そう言ってC組のクラス委員長が教室から出てきた。
俺と彼女は場所を変えることにして、静かな場所を探して歩きだした。
☆
「私の名前、知らないでしょ? 私も君のこと知らない。だから自己紹介でもしようか」
人気のない場所を探してやってきた体育館裏。体育館の壁に背を預けて、C組のクラス委員長がそう言った。
「あ、ああ。そうだな。俺は
「遠山くんね。私は
谷川水希は俺に手を差し出した。握手をしようということなのだろう。
そういうことに慣れていない俺は、少しドギマギしながらその手を握り返した。
小岩井の手を握った時も感じたが、どうして女の子の手は柔らかいのだろうか。
「……よろしく」
俺は少し気恥ずかしくて、谷川から視線を逸らして言葉を返した。
「なんかさ」
手を放した谷川が言う。彼女は辺りを見回して楽しそうに笑っていた。人懐こい笑顔だった。
「場所が場所だから、告白されるみたいに感じちゃう。もしかして、呼び出した理由って告白するためだったりして」
「いや、それは」
「わかっているよ。告白するためだったら私の顔も名前も知らないのはおかしいよね。冗談だよ、冗談。……何の話をしにきたかはわかっているよ」
そう言って、谷川は体育館の壁から離れ、扉の前にあるちょっとした階段に腰を下ろした。そして、俺を見上げるようにして言葉を続ける。
「噂を聞いたんだよね? 私が一昨日、小岩井ちゃんのことを見たっていうさ。それで話を聞きにきたんでしょ?」
「まあ、そうだが」
「どうして?」
「……小岩井の無実を証明したいからだ」
俺は素直に答えた。
谷川は「へぇ」なんて言いながら俺の目をのぞいてくる。まっすぐに。
口は笑ったままで、その瞳だけは笑っていなかった。まるで俺を試すかのような目つきで、なおかつ全てを見透かしたような目つきでもあった。何を考えているのかわからない。
不思議な奴だと思った。何というかこいつには嘘をつけないと思わせる何かがあった。
「じゃあさ、どうして小岩井ちゃんの無実を証明したいの? 好きだから、とか?」
「そういうことじゃない。俺はただ……友だちだから助けたいと思っただけだ」
「もしも無実の証明なんてできなくて、本当に小岩井ちゃんが犯人だったら? 遠山くんは裏切られたと感じるかもしれない。そんな可能性があっても?」
「その時はその時だ。いま考えるべきことじゃない。だってそれじゃあ動けない。今の俺は小岩井が無実だと信じて、あいつを助けるための行動をするだけだ」
「なるほどね。いいこと言うね、遠山くんは。……うん、いいよ。話してあげる。その代わり、小岩井ちゃんの無実を証明してみせてね。言い方は悪いけれど、私だってできればクラスから犯罪者を出したくないもの。私の証言を否定してみせてよ」
「あ、ああ。約束する」
俺の言葉に谷川が楽しそうに笑った。その顔は邪気のない純粋なものに見えた。さっきの何を考えているのかわからない瞳はなりを潜め、ただ人懐こい笑顔がそこにあった。
そして、谷川水希は語り始めた。
☆
「遺体が発見された前の日。部活を終えた私は教室に忘れ物をしたことに気がついて、取りに行こうと歩いていた。あ、部活はハンドボール部ね。……その途中で階段を登っていたら、駆け下りてきた小岩井ちゃんとすれ違ったの。顔は見えなかったけど胸元の刺繍が小岩井ちゃんの苗字だったから、小岩井ちゃんって判断したんだけどね。でも背丈も小岩井ちゃんくらいだったし、たぶん小岩井ちゃんだと思う。すごく急いでいるみたいだったから何かあったのかなって振り向いたら、階段を下り終えて旧校舎の方へ走る小岩井ちゃんの背中が見えたの」
話し終えた谷川は鞄から取り出したペットボトルの蓋を開けて、中の液体を喉へと流し込んだ。
その様子を見ながら俺は考える。
谷川の口ぶりからして嘘は言っていない気がする。気がするというだけだから確証はないが、嘘を言っていないとして考えることにする。
普通に考えれば小岩井なのだろう。体操着の刺繍がその証拠だ。
けれど顔を見ていないということが気になった。なら小岩井ではない可能性もあるんじゃないだろうか。誰かが小岩井の体操着を着て、小岩井になりすましたとか。
小岩井は体操着を教室に忘れていったと言っていたし、可能性は高いような気がする。
そもそもだ。
死体発見現場には小岩井の生徒手帳が落ちていた。生徒手帳を持っていく必要がある。けれど体操着姿で生徒手帳を持っていくだろうか?
小岩井を犯人に仕立て上げようとした奴が小岩井になりすまし、さらにもっと疑わせるために彼女の生徒手帳を置いた。
そう考えられないだろうか。
だとしたらそれは誰だ?
ふと沢渡の顔が浮かぶ。
いま考えると小岩井を責めていた時、固執していたようにも思える。いや。小岩井を犯人にしたいような口ぶりだったというべきか。
それに警察に連れていかれる小岩井を睨んでいたのも気になる。相当に小岩井を嫌っているようだった。
なら小岩井に罪を着せようとしているのは沢渡か?
でも背丈がまったく違うし、そもそも沢渡は男だ。女である小岩井になりきることはできないはずだ。
なら違うのか?
「なにか、質問ある?」
俺が思考の渦に飲み込まれていると、不意に谷川がそう口にした。
谷川に視線を向けると、彼女は俺を興味深そうに見つめていた。何か変な顔でもしていただろうか。
思わず自分の顔に触れてみるが、そんなことをしてもわかるはずないと思いなおす。鏡でも覗きたい気分だったが、潔く諦めることにした。
「……それ、警察に話したこと全部か?」
「うん、もちろん」
「本当に?」
「嘘は言わないよ、私」
嘘はね、と言って谷川は再びペットボトルのお茶に口をつけた。
嘘はね、と言うあたりに何か深い意味があるが、今はどうでもいいことだろう。
これで証言者から話を聞くという、とりあえずの目的は達成した。
このまま別れようかと思って、思いなおして違う質問をすることにした。事件とはあまり関係のない質問だ。
「関係ないことを聞くけど、谷川と小岩井は仲が良いのか?」
「どうして?」
「いや、小岩井ちゃんって呼んでたから」
「んー。仲は良い方かな。同じ中学だったということもあるけど、話が合う相手ではあるしね」
「それなのに、小岩井を疑ってるのか?」
「できれば疑いたくはないけど、これだけ証拠が揃ってたらね、さすがに疑うよ。冷たいと思った? でも私、友情とかで盲目的にはなりたくないの。もし犯人だとしたらそれがその子のためになるし、違ったら後で謝ればいい。それで嫌われたらそこまでの関係だったと思えば問題ない。そう思わない?」
俺は何も言えなかった。
彼女の答えは正しいと思った。谷川はどこまでも正しくて、そしてどこまでも強い人なんだと。
でも正論だけではやっていけないことがある。いや、やれない人もいる。誰もが谷川ほどに強いわけじゃないから。
そして俺もまた強い人間ではなかった。
「ありがとな」
そう言って、俺は谷川水希と別れた。
☆
帰りのこと。俺は谷川の証言について考えながら家路を歩いていた。
空はオレンジ色で、カラスの鳴き声が遠くから聞こえていた。
正直に言ってあまり周りが見えていなかった。だから目の前に誰かがいるのにも気がつかず、俺は誰にぶつかってしまった。
「あ、すみません」
そう言って顔を上げると、自販機の前に立つ沢渡が目に入った。
沢渡は俺を見下ろす。
「君は小岩井と一緒にいた……遠山くんと言ったか」
そう言いながら沢渡は缶ジュースの蓋を開ける。プシュッという炭酸の抜ける音が聞こえた。
嫌な相手に出会ってしまった。
そう思う反面、都合が良いとも思った。
俺は沢渡に聞きたいことがあったのだ。
「殺人犯の友だちになった気分はどうだい?」
けれど、俺が口を開く前に沢渡が言った。嫌味のこもった声色だった。
「……まだ、小岩井が犯人だと決まったわけじゃない」
「まだ言っているのか。懲りない奴だな、君は。証拠も証言もある。彼女が犯人で決まりだろう。それになにより彼女は殺人犯の娘だ。擁護しようもない」
「少し、黙れよ」
「あ? なんだって?」
「だから」
言葉を吐き出そうとした時だった。
スッと。沢渡の横から誰かが顔をのぞかせた。背の低い女の子だった。
俺と沢渡。二人と同じ学校の女子制服を身にまとった彼女は、ポニーテールの髪を風に揺らす。
「どうしたの、けんちゃん。知り合い?」
背の低い女の子は俺を一瞥したあと、沢渡を見上げて言った。
「……、」
沢渡は女の子に視線を向ける。けれど何も言わない。どう言ったものか悩んでいるのかもしれない。
そんな沢渡の様子を気にすることもなく、女の子は言葉を続ける。
「見たところ
「……まさか」
女の子の質問にようやく沢渡が答えた。心外だとばかりの顔をしていた。
「友だちになんてなりたくない。なんたって小岩井悟の娘と友だちなんだからな」
「小岩井悟ってそれ」
「……そうだよ」
「けんちゃん、行こっ」
沢渡の腕を掴んで引っ張ろうとする女の子を脇に追いやり、沢渡は俺に視線を向けた。
「もういいかな。できれば顔を合わせておきたくないんだけどな」
「こっちもだ、と言いたいとこだが、一つだけ聞きたいことがある。それを聞いたら立ち去ってやるよ」
「わかった。さっさと質問してくれよ」
俺はイラっとした心を鎮めるように深呼吸を一つする。こういう時こそ冷静にならないといけない。
「お前、どうして小岩井をあんなに毛嫌いするんだ? 犯人だと思ってるからだけじゃないんだろ?」
「……君にいう義理はないはずだけど?」
沢渡はそう言った。
でも俺は諦めなかった。
沢渡の小岩井に対する嫌悪は酷かった。だからこそその理由を知っておきたいのだ。
俺は答えるまで動かないぞと言うように沢渡を見上げる。沢渡もまた俺を睨むように見下ろす。
視線をぶつけ合うこと数分。根をあげたのは沢渡だった。
「仕方ないな。それを言ったらどっか行くんだよな?」
俺は小さく頷く。
沢渡の後ろで、俺と沢渡を見比べる美奈と名乗った女の子の姿が目に入った。
「なら答えてあげるよ」
そうして、沢渡は語り始める。
「小岩井悟は僕の幼馴染を殺した。だから小岩井悟とその家族を恨んでる。それが理由だ」
沢渡は怒りを込めた瞳で俺を見下ろした。
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