小岩井から学年章の持ち主がわかったという連絡がきたのは、動物たちの死体を発見した日から三日後のこと。

 詳しい話を聞くために俺と先輩は小岩井を新聞部の部室に呼んだ。


「それで、小岩井さん。調べた結果はどうだったのかしら」


 最初に本題について口を開いたのは先輩だった。

 そして先輩は小岩井へと視線を向ける。俺もそれに倣って小岩井を見た。

 開け放った窓から運動部の掛け声が聞こえていた。

 小岩井は静かに頷くと口を開いた。


「事件が始まった一月前から調べてみた。そしたら三人の生徒が学年章を買っていることがわかったわ」

「意外に少ないんだな」


 俺は思わず呟いた。


「そうそう失くすものじゃないからね。こんなものだと思うよ」

「そういうものか」


 小岩井の返事に俺は小さく答えた。けっこう小さいし失くす奴は多そうだと思ったのだが、そうでもないらしい。


「それでその三人のうち、一年生は一人だった。一年A組女子、黒河凪沙。帰宅部。彼女は二週間ほど前に学年章を購入しているわ。幼い頃に両親が他界。頼れる親戚もいなかったみたいで、児童養護施設【ひまわり】に入所。今もそこでお世話になってるみたい」

「そこまで調べたのか」

「わたし、調べるなら徹底的に調べないと気が済まないタチだから」


 何か意外だった。探偵を自称するほどのことはあるようだ。


「それから面白いことがわかったの。もう気がついているかもしれないけど、この子苗字が黒河でしょ? そしてあの洋館に飾ってあった肖像画の人物も黒河という苗字だった。もしかしたら関係があるかもしれないと思って調べてみたら……ビンゴだった。あの洋館の持ち主、黒河源蔵は黒河凪沙の曾祖父だったのよ」


 確かに同じ苗字だとは思ったが、まさか血縁関係にあったとは。


「黒河源蔵は相当な資産家だったみたいで、杉の丘小学校を建てるお金を工面してくれたりしていたみたい。ちなみに杉の丘小学校はわたしの母校。そう言えば小学校の頃、そんな話を聞いたなって思い出したよ。名前なんか覚えてなかったから気がつかなかった。……とにかく黒河凪沙はお化けハウスと少なからず関係があるってことね」


 黒河凪沙という人物はあのお化けハウスにあった肖像画の人物と血縁関係にあった。そしてそのお化けハウスで黒河凪沙が落としたとみられる学年章が見つかった。これを偶然と片付けられるだろうか。

 俺には黒河凪沙という人物がどうも怪しく思えた。

 もちろん、ただの予感でしかない。実際は本当にただの偶然でしかないのかもしれない。というよりもその方がいいのだ。あんな虐殺犯が俺たちと同じ学校にいるなんて、そんなの嫌なんてレベルじゃない。最悪だ。

 できれは偶然であってほしいと思うのは俺だけじゃないはずだ。


「……黒河凪沙。怪しいわね」


 そう呟いた先輩が俺を見る。その視線の意味はすぐにわかった。だから先輩の視線に、俺は頷きを返した。


「接触すればいいんですね」


 正直、不安もあった。けれど接触する役割を承諾した以上、やるしかない。


「頼むわね」

「はい」


 黒河凪沙は帰宅部ということらしい。なら今の時間に学校に残っている可能性は低いだろう。

 なら黒河凪沙に接触するのは明日でいいだろう。


「椎名先輩はどう?」


 小岩井が言った。先輩が調べると言っていた十年前の事件のことを聞いたのだろう。

 対する先輩は小さく首を振った。どうもあまり情報は掴めていないようだ。


「調べることができたのは私たちが知っていることだけだったわ。もう少し調べてみるつもりだけれど、あまり期待はしない方がいいと思うわ」

「そっか。まあ警察ですらわからないことだらけなのに、わたしたちじゃわかるわけないか。……もしかしたら、とは思ってたけど。やっぱり難しいみたいだね」


 小岩井は特に気にすることなく、そんな風に言った。もしかしたら最初からあまり期待はしていなかったのかもしれない。


「まあそういうことだから、私から言えることは特に何もないわ。……遠山君。彼女に接触して違和感を感じたら教えてちょうだい」

「わかりました」


 その日はそれで解散となった。



 ☆



 翌日の昼放課。俺は一年A組の教室を訪れていた。黒河凪沙に会うためだ。

 教室を覗く。当然のことながら誰が黒河凪沙なのかはわからない。

 そこで入り口近くの席に座っていた男子生徒に声をかけることにした。


「そこの君」

「……僕ですか?」


 男子生徒は不思議そうな顔をしながら答える。俺は小さく頷いてみせた。


「そうそう。ちょっと聞きたいことがある」

「何ですか?」

「黒河凪沙って女子、いるだろ? 呼んでくれないか」

「黒河さんですか? わかりました。……えっと、先輩の名前は?」

「いや、たぶん俺のこと知らないと思う。会ったことないから」

「はあ。わかりました。待っててください」


 男子生徒は席から立ち上がると窓際の一番後ろの席へと歩いて行った。

 その席には髪をツインテールにした女子が座っていた。可愛らしい顔をしている。その顔だけを見た感じ、動物たちを虐殺した犯人とは思えない。どうなんだろうか。

 ツインテールの少女、黒河凪沙らしき人物はこちらに視線を向けたあと、不思議そうに首を傾げた。

 席を立ち、俺の方へと近づいてくる。身長は小岩井よりも高いか同じくらい。けれど小岩井とは違い、胸の膨らみは年相応といった感じに見えた。つまり貧乳ではない。

 一年生にまで負けている小岩井を哀れに思いつつ黒河凪沙を待つ。

 やがて黒河凪沙は俺の前に立った。


「あ、あのあたしに何か?」


 黒河凪沙は緊張気味にそう言った。先輩である男子、それも知らない奴に呼ばれたのだ。緊張するなと言う方が酷かもしれない。


「二年の遠山和樹だ。……あんたが黒河凪沙、でいいのか?」

「は、はい」

「ちょっと話が聞きたくて来たんだ。今から時間、いいか?」

「話、ですか……。だ、大丈夫ですけど」

「助かる。……場所を変えるな」


 そうして俺と黒河は一年A組の教室を後にした。



 ☆



 俺は黒河を中庭に連れ出した。

 普段から中庭には人はあまりおらず、話をするには最適だと思ったのだ。

 中庭には小さな花壇があり、その前にベンチが一脚だけ設置されている。そこに黒河を座らせ、俺自身はその隣に間を開けて座った。


「そ、それでお話というのは……」


 黒河はそわそわしながら俺に聞いてきた。緊張と怯えが混じったような声に、俺が悪いことをしているような錯覚を覚える。何も悪いことはしていないはずなのに……。


「そんな怖がらなくてもいいぞ。俺は話が聞きたいだけなんだ」

「い、いえ……怖がっているわけでは」


 それにしても瞳が潤んでいる気がする。絶対怖がっているだろ、これ。

 まあいいか。仕方ないことだしな。


「俺、新聞部なんだ。それで今度お化けハウスについて記事にすることになったんだ」


 事前に考えておいた嘘を並べ立てる。後輩に嘘をつくという行為に少しばかりの罪悪感を感じなくもないが、まさか動物たちの死体について話すわけにもいかない。ここは嘘をつくしかないのだ。


「それでお化けハウスについて調べてたんだ。そしたらあの洋館は黒河源蔵という人が建てたことがわかって、その人の血縁にあたる人物がこの学校にいることもわかった。……それはあんただよな?」

「……そう、聞いてます。物心つく前に両親が亡くなったので、詳しくは知らないですけど。ただいろいろと知る機会がありまして、そこでそういう話を聞きました」

「そうか。なら洋館についての詳しいことはわからないんだな」

「ええ……。お役に立てそうになくてすみません」

「いや、いいよ。ありがとうな」


 話をしてわかったことは、黒河凪沙が礼儀正しい子だということだった。第一印象と同じく、この子があんな事件を起こすように思えない。

 だがたとえば黒河が犯人ではないとしたら、洋館に落ちていた学年章はどういうことなのか。あそこに落ちていた以上、洋館に立ち入ったことは明らかだ。血の跡も見ているはずだ。ならどうして通報をしなかった。

 黒河凪沙が見た目通りの人物なのだとしたら通報をしないことは考えられない。

 それに血の跡や死体を見たとしたら、お化けハウスという言葉にちょっとした反応も示さなかったことも気になる。少なからず後ろめたさのようなもの感じているはずで、視線が泳いだり身体が強張ったりするはずなのだ。

 それとも洋館にあった学年章の持ち主は別にいて、その人物は購買で学年章を買っていないということなのか。そうなれば黒河凪沙が死体を見ることはないし、通報をすることもない。お化けハウスという言葉にビクつかないのも納得できる。

 ただ黒河が演技をしている可能性もある。こう見えて実は冷静で、演技も上手い。そういう可能性も否定できないと思うのだ。


「なぁ、黒河」

「何ですか?」

「最近お化けハウス……いやこの呼び方は嫌か」

「いえ、気にしませんよ。あたしの物というわけではないですし」

「そうか……。最近お化けハウスに行ったりしてないか?」

「あたしが、ですか?」


 黒河は俺を見上げながら聞き返して来た。そんな彼女に俺は頷いてみせる。


「……どうして、そんなことを聞くんですか?」


 しばらくの間を開けて、黒河がそう聞いてきた。訝しげな視線を俺に向ける。俺はその目を見つめ返した。


「いや何となく気になって。行ってないならいいんだ」

「はい、行ってないです」

「なら一度でも洋館に行ったことはあるか?」

「……ありますけど」

「敷地内に入ったことは?」

「あります。一応敷地内の行けるところは全部見て回りました」

「そうなのか。俺は門の外からしか見たことないんだけどな、でかいなって驚いた。……建物は門から見えるあれだけなのか?」

「そう、ですね。あの建物、けっこう大きいんですよ。建物以外は大きな池とかも森みたいなところにあって、小さいボートがありました」

「そうか。池に森ね。そいつはすごい。……話を聞かせてくれてありがとう」

「いえ。お役に立てなくてすみません」

「そうでもない」

「え?」

「いや、気にするな」


 そう言って俺は中庭をあとにした。

 収穫はあった。先輩は満足してくれるだろう。



 ☆



 その日の夕方近く。俺と先輩と小岩井は新聞部の部室にいた。

 そして今、黒河凪沙に対して感じたことを話し終えたところだった。


「なるほど……。やっぱり怪しいわね」

「犯人かどうかはわからないですけど、少なくとも黒河は嘘をついた。何かしら離れを隠す理由があるんじゃないかと思います」

「そうね。けれどこれで後ろめたさは半減するわね」

「後ろめたさ、ですか?」


 俺は先輩の言葉に首をかしげる。

 何か後ろめたさを感じる行為などしただろうか。


「これから起こす行動はそういう行為なのよ。ストーカーみたいなことをするのだもの」

「ストーカー?」

「そう。これからしばらくの間黒河凪沙を監視するのよ」

「監視って……。そんなことできるんですか?」

「監視と言ってもそんなに難しいことはしないわ。ただ下校時に彼女を尾行するのよ」

「尾行する、ですか?」


 ただ黒河凪沙を尾行する。と口で言うのは簡単だが、意外と難しいものだと聞いたことがある。対象にバレずに追跡するのは難しいのだろう。それこそプロの探偵だとか警察官でなければバレる確率は高いと思う。

 一介の高校生である俺にはできる気がしない。

 ふと、自称探偵の小岩井に視線を向ける。

 調べるのは得意だと言っていたが、尾行するのはどうなのだろうか。

 実際の探偵はミステリー小説のように殺害事件などを解決することはないという。じゃあ彼らが何をするかと言えば、浮気調査や身辺調査、人探しなどが主な仕事であるらしい。そんな仕事柄だからか、尾行などは得意なのだろうと思う。

 なら探偵を自称する小岩井もできるんじゃないかと思ったのだ。もちろん自称だからどこまで信用できるかはわからないが、あの調べる腕があるのならばできてもおかしくはなさそうだ。


「小岩井は尾行とか得意か?」


 だからそう聞いてみる。

 小岩井は少し考えるような仕草をしたあと、やがて口を開く。


「得意かどうかはわからないけど、何度かやったことはある。失敗はあるにはあるけど少ない。やれるとは思うよ」

「そうか」


 なら任せてもいいのではないだらうか。

 今度は先輩へと視線を向ける。

 先輩は俺の言いたいことを察したのか、小さく頷いた。


「なら尾行は小岩井さんにお願いするわ。もし怪しい動きを見たら連絡して」


 先輩の言葉に小岩井が頷く。


「わかった。やれるだけやってみるよ」


 今日はそれで解散となった。



 ☆



「遠山君」


 小岩井が新聞部の部室から出ていったところで、先輩が俺の名前を呼んだ。


「何ですか?」

「小岩井さんに任せっぱなしはやっぱりいけないと思うのよ」

「まあ、そうですね」

「だから私たちは私たちでやれることをやろうと思うの」

「やれることですか?」

「そう。……このあと時間、いいかしら?」

「かまわないですけど、何ですか?」

「手伝ってほしいことがあるの」

「はあ、まあいいですけど」


 先輩が俺に手伝ってほしいこと。それがどんなことなのかは想像もできなかった。

 だからというわけではないが、とりあえず素直についていくことにした。



 ☆



「で、どうしてここに?」


 ほんの数日前にも見た門の前で俺は先輩に聞いた。

 俺と先輩がいるのはお化けハウスの門の前。

 先輩に手伝ってほしいことがあると言われた後。学校をあとにした俺たちは先輩の家に寄り、先輩が何やら荷物を持ってくるのを玄関で待った後、ここへやってきた。

 空は紫色に染まっていて夜が近いことを知らせていた。


「それはね、遠山君」


 そう言って先輩は肩にかけた鞄から何かを取り出した。それはどこの家庭にもあるようなビデオカメラだった。


「これを設置するためよ」

「ビデオカメラ、ですか?」

「そうよ。ただビデオ録画ではなくて微速度撮影を使うわ。そちらの方が長時間撮影できるから」

「微速度撮影?」

「テレビ番組で太陽が昇って沈むまでも早回しで流すようなものを見たことはない? あれは一定時間毎に写真を撮る機能を使っているの。それが微速度撮影というのよ」

「なるほど」


 ビデオカメラを設置すると聞いただけで、その理由は何となくわかった。

 要するにこの門の前にビデオカメラを置いて、ここに黒河凪沙が来るかどうかを調べるつもりなのだ。


「人目が少ない夜の犯行だと予測して、夜だけ撮影するわ。だいたい八時間はバッテリーは保つからちょうどいいかもしれないわ。これから一週間ほど撮影して、その間は私と遠山君で交互にバッテリーを変えにきましょう」

「……わかりました。どこに設置するんですか?」

「そうね……」


 その後、先輩の指示通りに門近くの草むらと、門の上近くの蔓が伸びている部分に隠すようにガムテープで設置した。そう、先輩はビデオカメラを二台も持ってきていたのだ。しかも同じものだ。

 何故同じビデオカメラを持っているのかはわからない。何となく怖くて先輩には聞かなかった。


「さて、帰りましょうか」

「はい」



 ☆



 その日の夜。俺はベッドに横たわりながら考え事をしていた。黒河凪沙についてだ。

 もし黒河凪沙が今回の事件の犯人だとして、いったい何故あんなことをしたのだろうか。先輩の言うように楽しんでいるのか。

 あの見た目からはそんな風には思えない。

 だが彼女は嘘をついた。何かやましいことがあるからだと思う。

 もしそうなら隠したいことはあの死体たちのこと。だから離れのことを隠した。そう考えればしっくりとくる。

 疑うのは普通のことに思えた。


「……写真が撮れればいいが」


 どちらにせよ証拠写真が撮れなければ判断のしようがない。もちろんそれだけで犯人だと断定はできない。けれど確実に一歩は進むはずだ。

 今は設置したビデオカメラが証拠を撮るのを祈るばかりだ。



 ☆



 ビデオカメラを設置してから一週間が経った。証拠となるような写真は見つからず、半ば諦めかけていた頃に小岩井から俺の携帯に着信があった。下校途中のことだった。

 夕暮れ色の空が街を照らしていた。


「もしもし」

『遠山、目標が動いた』


 小岩井は慌てたように言った。声を潜ませているのか耳に聞こえてくる音は小さい。


「動いたって?」

『野良猫をスタンガンで気絶させて運んでる。たぶん洋館に向かってる」

「わかった。すぐに先輩に連絡する」

『お願い』


 そして電話が切れた。

 俺は急いで先輩に電話をする。

 先輩はすぐに電話に出た。


『どうしたの、遠山君』

「黒河凪沙が動いたみたいです。小岩井から連絡があって野良猫を洋館に運ぼうとしているようです」

『……そう。なら私たちも小岩井さんに合流しましょう。小岩井さんに今どこにいるのか聞いてくれるかしら』

「わかりました」


 俺はすぐに小岩井に電話をして、彼女がいる場所を聞き出した。

 その後、先輩に電話をかけながら走り出す。電話に出た先輩に合流場所を言うと、俺は走るスピードをあげた。



 ☆



 俺たちが合流した場所は洋館へと続く坂道の入り口だった。すでに小岩井と先輩がそこにいた。


「きたね、遠山。黒河凪沙はもうこの坂を登ってる。今頃は洋館にいるかもしれない」

「わかった」


 俺たちは急いで坂を登った。

 数分後。洋館へと辿り着く。

 洋館に着くまでの間に黒河凪沙の姿は見つからなかった。

 急いで門を登って洋館の敷地内へ。そのまま一直線に離れの建物へと向かった。

 離れの扉は開いた状態だった。この先に誰かがいることは確かのようだ。

 そこからは物音を立てないよう、慎重に歩を進めた。木製の床を軋ませないようにゆっくりと進み、階段を登る。

 つんざくような鳴き声が聞こえたのはその時だった。思わず息を飲む俺の耳に続けて聞こえてきたのは愉しげな笑い声。不快になるような下卑た笑い声だった。

 声を押し殺しながら俺は二階へと足を踏み入れた。そのまま死体があった部屋に向けて歩を進めた。

 部屋の扉が開いていた。動物たちを殺したと思われる凶器が並んでいた部屋だ。

 その先に真っ赤な液体を被った少女が立っていた。彼女は俺を見ていた。

 いつの間にか猫の鳴き声は止んでいた。その事実が否応なしに告げてくる。黒河凪沙は猫を殺したのだと。


「黒河。お前が犯人だったんだな」


 迷わず部屋に足を踏み入れ、俺は黒河に言った。

 黒河は呆然としたように俺を見つめていたが、やがてその口がグニャリと歪んだ。それは狂者が浮かべる笑顔そのものだった。


「あらあら遠山先輩。見ちゃいましたか」


 黒河は手に持っていた大振りのナイフを猫の死体に突き刺して、血だらけのままでゆっくりと俺の方へと歩いてくる。その途中で大きなハンマーを掴む。ハンマーで俺を殺そうとでも考えたのだろう。口封じとして。


「というよりも、その言い方だと最初からあたしを疑っていたんですね」


 歩きながら黒河は言葉を口にする。その顔は相変わらず気味の悪い笑みを浮かべていた。


「そうだな。この隣の部屋にある死体を見てから犯人を探してた。そしてお前が怪しいと思ったんだ」

「へぇ。でもおかしいな。普通じゃ辿り着けないんだけどな……。そうか。遠山先輩も【月下香の印】を持っているんですね。あれがあれば証拠を見つけることだって可能だから」

「生憎、そんなものは持っていない。存在すら知らない」

「……じゃあどうしてーー」


 不意に黒河が言葉を途中で止めた。そして俺から視線を外した。俺の背後を見ているようだった。

 振り返るとそこには先輩と小岩井が歩いてくる姿があった。どうやら俺は二人を置いてこの部屋に来てしまったらしい。気がつかなかった。


「遠山君。先に一人で行くなんて危機感が足りないのではなくて?」


 先輩の言葉に俺は後ろ頭をかいて誤魔化す。なにも言い返せなかった。


「そういうこと言わないでください。それより下がってた方がいいですよ。武器を持ってます」


 俺はそう言って視線を黒河に戻す。黒河はなぜか立ち止まり、呆然としていた。背後から襲われずに済んでよかったと安心するとともに、振り向いてしまった自分の危機感の無さに呆れてしまった。


「……なるほど。そういうことか」


 黒河は呆然としたまま呟いた。


「なるほど、なるほど。そういうことですかー」


 黒河は何が楽しいのかケタケタと笑い出す。そうしながら手に持ったハンマーを放り投げる。ハンマーは猫の死体が載った台に当たり、大きな音を立てた。

 そして黒河が俺に視線を向ける。


「遠山先輩がそうなんですね。そうかそうか。それでわかったわけですね。納得しました」

「……何を言ってるんだ?」


 俺が何だと言うんだ。何も関係はないはずだ。


「そのうちわかりますよ、遠山先輩」


 黒河は真っ赤に染まった台に腰をかけると、後ろに手をついて俺たちを見回した。そして口を開く。


「さてと。あたしに何か聞きたいことはあったりします?」


 身体に浴びた返り血を気にする風もなく、黒河は質問を投げかけてきた。

 どうするべきかと俺は先輩を見る。先輩は腕を組んだまま黒河を見つめるばかりで、俺の視線には気がついていないようだった。

 仕方がないので俺が質問することにした。


「何でこんなことをしたんだ?」

「楽しいから」


 黒河は悪びれることもなく即答した。


「こんなことの何が楽しい」

「え? わからないんですか? 遠山先輩ならわかるんじゃないの?」


 わかるわけなんてないし、わかりたくもない。こんなことが楽しいだなんて異常だ。楽しいわけなんてないのだ。こんな惨状のどこに楽しさなんてある?

 俺は猫の惨殺死体へと目を向ける。臓器が腹から飛び出していた。粘着質の液体が一緒に流れ出していてとても見れたものじゃない。


「うーん。遠山先輩の感性はあたしとは違うのかな?」

「当たり前だろ。こんなこと楽しいと思うなんて普通じゃない」

「そうですよ? あたしたちは普通じゃない。だから遠山先輩ならわかると思ったのに……。どうも違う方面みたいですね」

「お前が何を言ってるのかさっぱりわからない。普通じゃないと知ってるのにやったのか?」

「はい」

「何で」

「だから言ってるじゃないですかー。楽しいからだって」


 黒河はそう言った。


「生き物を殺すのは楽しい。ナイフを突き刺すと音を奏でるんですよ。それを聞いているともうさいっこうに気分がいい。生きた肉にナイフを突き立てる感触ってわかります? 気持ちいいんですよ。腹を裂くのなんて特にそう。なんというかゾクゾクしてきて、ムラムラするんです。気持ちいい。××××なんかよりもずっとずっと気持ちがいい」


 恍惚とした表情で黒河は言う。

 殺害の様を思い出しているのか、本当に気持ちの良さそうな顔だった。指を咥え、反対の手で股を弄りだす。甘い吐息が漏れる。

 さすがに見ていられなくて目をそらす。彼女の行為が性的なものだったからじゃない。自らが犯した殺戮を性的な行為に昇華させる彼女が純粋に気持ち悪いと思ったからだ。

 気持ちが悪い。それこそ鳥肌がたつほどに不快だ。


「……お前、おかしいよ」

「だからわかってますって。でもね、遠山先輩。やめられないんですよ」

「何でだ」


 俺は思わず顔を上げていた。

 黒河はいつの間にか俺の目の前にいて、俺のことを見つめていた。その顔には不気味な笑顔も恍惚とした表情も浮かべてはいなかった。ただそこにあるのは無表情。


「わかっているならやめられるはずだ。それが人間って生き物だ」


 黒河は首を振る。そして彼女は静かに口を開いた。


「ダメなんですよ。あたしは生き物を殺す快感を覚えてしまった。人肉の味を知ってしまったソニー・ビーン一家のように、一度触れてしまった悪逆からは離れられないんですよ。何度も何度も繰り返し、そしてそれなしでは生きられなくなる。……もうあたしたちは人間じゃないんですよ。悪魔だの怪物だとのと呼ばれる存在になってしまった。人間には戻れない」

「……お前」

「後悔してるとか思いました? でも残念。あたしは何の後悔もしていない。だってこんなにも楽しいことに出会えたんだから」

「……そうか。なら俺はお前を憐れんだりしない。思いっきり軽蔑してやる」

「え?」

「当たり前だろ」

「ん? さっきから何かおかしいなとは思っていたけど、遠山先輩はまだ触れてないんですね。だから話が噛み合わないわけだ。でも確かに可能性があるとしか言ってなかったもんね、あの人は」

「あの人?」

「いつかわかりますよ。……さて、遠山先輩たちはあたしの犯行を突き止めた。で、これからどうするんですか?」


 話は終わったとばかりに、黒河は次の話へと話の路線を変えた。そしてまるで他人事のような質問をした。


「警察に通報する」

「ふむふむ、現実的な意見ですねー。普通なら、だけど」

「どういう意味だ」

「そのままの意味ですよ。もう気がついてるでしょ? この事件は普通じゃない。警察に言ったところで信じてもらえるのかな? あたしの起こしたこの事件はあたしが死ぬか口を割らない限り証拠は見つからない。どうするつもりですか?」


 その問題を、俺はすっかりと忘れてしまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る