皮を剥がされた猫の死体があった。丸出しになった肉は変色し、さらにはその肉すらも切り開かれ、白い骨が丸見えになっていた。

 目玉を抉られた犬の頭が転がっていた。頭のない身体がそばにあって、その身体はアジの開きのように切り裂かれていた。内臓はその隣に無造作に積まれていた。

 お腹から腸が飛び出した犬の死体があった。切り開かれたお腹の中にキラリと光るものがあった。よく見てみるとそれは猫の目だった。犬のお腹の中に猫の頭が丸ごと入っていたのだ。

 口内と尻から角材を飛び出させた猫の死体があった。

 頭のない犬の身体。首にあたる部分に無理やり猫の頭を突っ込ませた死体があった。

 ……いくつもの悲惨な死体が転がっていた。


「……ご、ごめん。むり」


 小岩井が部屋から離れていった。そして何かを吐き出す音がした。それが何なのか、見なくてもわかった。小岩井は胃の中のものを吐き出してしまったのだ。


「……先輩。小岩井のこと頼みます」


 そう言って、俺は部屋へと足を踏み入れた。部屋の床をよく見るために死体のそばでしゃがみ込む。


「遠山君。それに触らないほうがいいわよ。厄介な病原菌があるかもしれないから」


 背後から先輩に声をかけられる。俺に対する忠告の言葉だった。


「わかってますよ」


 そう答えながら目的の物が転がっていないか目線だけで探す。これがもしもペット連続失踪事件に関係があるのだとしたら、あれがどこかにあるはずだ。ペットであれば必ずと言っていいほど身につけているあれだ。

 探す。残酷な死体の海の中を端から端まで探す。鼻を塞いでいても強烈な死臭が鼻を刺した。

 やがて、目的の物。赤黒く染まった首輪はをいくつか見つけることができた。


「……間違いないみたいですね」


 俺はそこで立ち上がり背後へと振り返る。窓の外によりかかる小岩井の背をさすりながら、先輩が俺を見ていた。

 どうやら小岩井は窓の外に向かって胃の中の物を吐き出しているようだった。


「ここにある死体はおそらく全部がペット連続失踪事件に関係あると思います。原型を留めていない死体もいくつかあるんで正確な数はわからないですけど、首輪が七つほど見つかりました。被害数と一致しています」

「もしかしたらそれ以上にあるかもしれないわね。私が見る感じでは七体よりも多いような気がするわ。ペットだけじゃなくて野良猫や野良犬も混じっているかもしれないわ」


 先輩は冷静な口調で俺の言葉に反応した。俺ですら顔をしかめるほどに強烈な死臭が漂っているはずなのに、先輩の顔は不快感をあらわにしたようなものではなかった。いつも通りの真面目そうな表情がそこに張り付いていた。


「野良……そうなると可能性として考えていた被害数よりも多かったみたいですね」


 そう言いながら俺は扉を後ろ手で閉めた。ほんの少しだけ臭いが和らいだ気がした。

 そして今度は隣の部屋の扉を開けた。

 部屋の中は赤黒い色に染まっていた。床も壁も一面が血の跡で覆われていたのだ。

 部屋の中心には大きな金属の台があり、金属の台の上にはいくつかの固定具が付いていた。そして奥の壁には色んな道具が並べて置かれていた。

 包丁。ククリナイフ。ハンマー。ノコギリ……色々な種類の道具。それらはきっと動物たちを悲惨な目に合わせた物たちだろう。そしてこの部屋は動物たちを殺した場所なのだ。

 この部屋で殺した動物たちの死体を隣の部屋に投げ捨てたのだろう。床にあった引きずったような血の跡はその時にできたもの。

 俺は部屋へと入ろうとした。その時、何かが足にぶつかった。からりと何かが転がる音がした。

 足元を見てみると、扉の近くにバッチが落ちていた。拾い上げてみるとそれは学年章だった。見覚えのある学年章。俺が通う高校の物だった。形はⅠ。つまり俺の学校の一年生の物だ。

 今ここにいるのは三年生と二年生。ようするに俺たち三人の誰かの持ち物ではない。ここにはいない別の誰かの物だ。


「……先輩。落し物を見つけました」


 部屋の外にいる先輩を振り返る。

 小岩井は少し落ち着いたようで。ハンカチで口元を抑えてはいたものの、先輩と一緒にこちらを見ていた。


「もう大丈夫なのか?」


 小岩井に声をかけると、彼女は静かに頷いた。相変わらず青白い顔をしていた。


「な、なんとか。……まさか、あんな酷い死体があるとは思ってなかったから。……臭いとあれでやられちゃったみたい」


 小岩井の言う通りだった。あんなおぞましいことを実行したのが同じ人間だとは思いたくない。あんなものは人間の行いじゃない。


「……それ、何?」


 小さな声で小岩井が聞いてきた。


「ん、ああ。学年章だよ。俺たちの学校のやつだ。一年生のやつ」


 俺は先輩と小岩井のそばに行くと、拾い上げた学年章を見せた。それを見た小岩井は不思議そうに首を傾げ、けれど先輩は表情を変えなかった。


「なんでこんなところに……。届けてあげないとだね」

「そうだな」


 小岩井にそう言った後で、今度は先輩の方へと視線を向ける。


「とりあえず警察を呼びましょうか、先輩」


 確認するように語りかけた言葉に、けれど先輩は首を横に振って拒否を示した。警察を呼ぶ必要はないとでも言うのだろうか。


「……ちょっと待って」

「待つって、どうしてですか?」

「少し気になることがあるの」


 先輩は考えるように顎に手をやる。何か考え事をしているようだった。それが何なのか、俺にはわからなかった。わかろうとする気もなかった。だって考える必要なんて俺たちにはないのだから。俺たちが考えることなく、警察に任せれば自ずと答えがわかるはずだった。


「おかしいと思わない?」


 それでも先輩は考えることをやめるつもりはないようだった。それどころか俺にまで考えさせるようなことを言ってきた。


「……おかしいのはこんな悲惨な事件を起こした犯人と、警察に報せるのを待てと言う先輩です。それ以外におかしいことなんてーー」

「どうして警察はここに辿り着けなかったのかしら」

「それは誘拐事件として捜査してるからで」

「だからって理由にはならないわ。……私は勘違いしていた。被害に遭った動物たちは小型のものだと思っていたの。警察はどんな動物たちが失踪したのかは言っていなかったから」

「それがどうかしたんですか?」

「誘拐事件にしても殺害事件にしても、誰にも見つからずに連れ去るには小型の動物でなければ難しいのよ。それなのにここにあった死体の中には大型犬のものもあった」


 ……先輩の言う通り、だと思った。

 確かに小型の動物であれば、先輩が当初言っていた鞄か何かに詰めて運ぶことができるだろう。けれど大型犬はその方法では無理だ。

 そうなると犯人はどうやってここまで動物たちを運んできたのか。しかも誰にも見つからずに、だ。

 大型犬であれば目撃情報などがあるはずだ。それなのに目撃情報はなく、警察もここに辿り着けていない。

 確かに先輩言う通り、何かがおかしい。


「たまたま手掛かりが掴めなかっただけじゃないですか? それか犯人が相当に頭の良い奴だったとか。頭の良い犯人なら誰にも見つからないで行動する方法も思いつけるんじゃないですかね」

「確かにそうかもしれないわ。けれどおかしいのはそこだけじゃない気がするの。こんな曖昧なことを言うのは本当は嫌なのだけれど、何かが引っかかるの。何かを見落としているような……」


 何かが引っかかる?

 どこかに違和感があるのか? どこに?

 俺には何も引っかかる部分がない。だから先輩の言うことがわからない。

 それから先輩はしばらく黙り込んで何かを思い出すかのように、腕を組んで目を閉じ考えを巡らせている様子を見せた。その顔は真剣そのものだ。

 先輩にとっては見過ごせない何かがあるのだろう。


「……遠山君」


 不意に先輩が目を開ける。その視線は俺の手元に向けられていた。


「なんですか? ……この学年章が何か?」

「……それはどこに落ちていたのかしら」

「え? この部屋の扉の前ですけど」


 そう言って。俺は死体があった部屋の隣の部屋を指差す。殺害に使われたと思われる道具がいくつもあった部屋だ。


「俺たち以外にも誰かここに来て、落としていったんだと思います」

「その誰かはどうしてこんな所に来たのかしら」

「さあ? そんなに汚れていないんで、最近だとは思いますけど」

「ならどうしてその誰かは通報しなかったのかしら。だって最近落としたのならあの死体を見ているはずよ」


 む。確かにそうだ。

 あの死体を見てしまったのなら、通報しようと思うはずだ。それなのに通報があったというニュースは見ていない。


「……部屋の扉を開けなかったんじゃないですか?」

「血の跡があるのに? 気になって開けるのではないかしら。そうでなくてもこんな血の跡を見つけたら通報しようと思わないかしら」

「……」

「通報しないとすればそれは学年章を落とした人物が……。」


 突然、先輩が言葉の途中で黙ってしまった。それどころか身体の動きも止めてしまった。


「……そうよ。それだわ。どうして気がつかなかったのかしら」


 やがて先輩は思い出したかのように言葉を発し始めた。誰かに向けられたものではない。独り言だ。


「先輩? どうしたんですか?」

「遠山君は気がつかない?」

「な、何をですか」

「遠山君はおかしいと思わないのかしら」


 何だ。何の話をしているんだ。

 俺が何に気がついていないと言うんだ。

 考える。けれど何もわからない。何も思い浮かばない。


「それのことよ!」


 先輩が珍しく大きな声を出して、俺の手元を指差す。

 学年章? 学年章が何だと言うのだ。学年章におかしな点なんてどこにも見当たらない。


「それを落とした人物は警察に通報しなかった。この場所の状況を見てもよ。通報しないとしたらそれはなぜ?」


 通報しないとしたら? そんなことわかるわけない。さっきから先輩は何が言いたいんだ?


「……小岩井は何か気がついたか?」


 俺は座り込んでいる小岩井に聞くが、彼女もわからないらしく、首を横に振った。


「遠山君も小岩井さんも本当に気がつかないのかしら。こんな簡単なことなのに。やっぱりこの事件は何かがおかしいわ」

「一人で納得してないで教えてくださいよ」

「学年章を落とした人物は通報しなかった。通報しない理由として一つだけ確実に挙げられるものがあるわ。その人物が犯人だった、とかね」

「……あ」

「そもそもおかしかったのよ。どうして私たちはその学年章をただの落し物だと思ったのかしら。だってそうでしょう? この場所に落ちていたのなら犯人が落とした可能性も考えるはずよね? それなのに私たちはすぐに落し物だと断定した。それっておかしくないかしら」


 おかしい。確かにおかしい。

 どうして俺はこれを落し物だと決めつけた? 普通なら犯人の手掛かりになるかもしれないと思うはずなのに。

 どういうことだ? なぜ俺は気がつかなかったんだ。


「……【殺人集団月下香の会、皆殺し事件】」


 ポツリと。今まで黙っていた小岩井がそんな言葉を口にした。

 俺は小岩井に視線を向ける。すると彼女はゆっくりと俺と視線を合わせた。


「あの事件もそうだった」


 小岩井は呆然としたような表情で語る。なにかを思い出すようにゆっくりと言葉にしていく。


「十年前に起きたあの事件。正確に言うとあの事件の被害者たちが起こした事件もそうだったよね。どう考えても犯人への手掛かりになる物が見つかっていたのに、警察はそれを証拠品じゃないって判断してたんだよね? 似てる。似てるよ、この事件」



 ☆



【殺人集団月下香の会、皆殺し事件】。それは十年前に起きた衝撃的な事件だった。当時小学生だった俺でも憶えているくらいの事件だ。

 山奥に建てられた山荘。そこで七人の男女の殺された死体が見つかった。

 それだけでも十分に衝撃的な要素を含んでいるが、それだけではなかった。

 殺された人間たちはみんな凶悪事件の犯人だったのだ。

 その事実がわかったのは死体が見つかってから数日後のこと。

 凶悪事件の一つ。その現場に落ちていた物。当初犯人への手掛かりにはならないとされた物が実は証拠品であることがわかった。

 そしてその証拠品の持ち主はなんと山荘で発見された遺体の中の一人だったのだ。そしてその人物こそが凶悪事件の犯人だったと判明された。

 その一人だけではない。見つかった遺体の七人はそれぞれが別の凶悪事件の犯人だとわかったのだ。

 それがわかったきっかけはすべて同じ。それぞれの凶悪事件の証拠品だと思われていた物が証拠品だったとわかり、そしてその持ち主は全員が山荘の遺体。

 後にとある警察関係者は。


『証拠品であるとわかった物は、今までなぜ証拠品だと思わなかったのか不思議な物だった。どう考えても犯人への手掛かりであるはずなのに』


 と語った。


 そのニュースはたちどころに日本中に広がり、報道番組では連日連夜その謎についてコメンテーターが意見を交わし続けた。

 なぜどう考えても証拠品であるはずの物を証拠品ではない判断してしまったのか。どうして犯人たちの遺体が見つかった途端に、証拠品だと判明したのか。結局、真実にたどり着けた者は誰一人としていなかった。

 まあ月下香の会のメンバーを皆殺しにした犯人の正体もまた衝撃的だったのだが。

 とにかくそんなこんなで日本中をざわめかせた衝撃的な事件だった。



 ☆



 月下香の会の事件を頭の中で振り返った俺は、小岩井の言う通りだと思った。確かにこの事件はかつての事件に似ている。

 月下香の会のメンバー。彼らが起こした事件が解決したのは、証拠じゃないと思われていたものが証拠だとわかったからだ。

 そこからしておかしいのだ。それらの証拠品は現場に残っていた物のはずだ。多少なりとも手掛かりになるはずなのだ。けれど警察は最初、それを事件の証拠じゃないと思った。犯人が遺体で見つかるまで、証拠ではないと判断したのだ。

 なぜだ?

 ……同じだ。今回の事件も同じだ。

 どう考えても事件の証拠になるはずの物をただの落し物だと思った。

 おかしい。月下香の会のメンバーたちが起こした事件も、今回の事件も。何かがおかしい。


「……じゃあ今回の事件も犯人が死なない限り、誰にも解決できないってことですか?」


 俺は先輩に問いかける。

 難しい顔をしていた先輩は、考えるように顎へ手をやりながら口を開く。


「そうとも限らないかもしれないわ」

「というと?」

「私たちで調べるのよ。その学年章が犯人の持ち物ではない可能性もまだ消えていないわ。けれど現状、その学年章がもっとも有力な証拠だと言える。ならその持ち主を私たちで探せば」

「待ってください。警察にこれが証拠だと気づかせれば俺たちが調べる必要はないですよね?」

「私たちは気がつけたけれど、警察が気がつくとは限らないわ。そもそも私たちの話を聞いてくれるかどうかもわからない。それでこの洋館に近づけなくなったらそれこそ迷宮入りかもしれない」

「でも」


 事件は警察に任せるものという常識が俺を躊躇させる。そもそも俺たちに調べることができるのかという不安がある。

 だって俺たちはただの高校生だ。小岩井は探偵活動が趣味だと言っていたが、それだってどこまでが本気なのかわからないからあてにしていいのかも判断できない。

 俺たちにできるのか?


「遠山君の気持ちはわかるわ。普通なら警察に通報するのが当然だし、事件は警察が調査するものだと考えてしまうのも当然のことだものね。わかっているけれど、警察に任せるのが不安なの。だからせめて学年章の持ち主が犯人かどうかだけでも調べさせてくれないかしら。……小岩井さんにもお願いするわ」


 俺と小岩井は顔を見合わせる。小岩井の顔は困惑しているように見えた。俺と同じでどうしたらいいのかわからないのかもしれない。


「私が言っているのは最悪の我が儘だと思うわ。私を非難してくれても構わないし、手伝ってくれなくてもいい。ただ少しの間たげ警察に通報するのは待って欲しいの。お願い」

「……椎名先輩は。どうしてそこまでして調べたいの?」


 頭を下げる先輩に、小岩井が問いを投げかける。そこには侮蔑のようなものは込められていなくて、ただ純粋に疑問に思っているように感じられた。


「許せないのよ」


 先輩が静かに口にした。


「私はこの事件が解決しないことが許せないのよ。警察に任せて解決しなかったら、犯人は別の場所で犯行を続けていくかもしれない。それだけは許したくない。だから少しでも解決する可能性がある方にかけたいの」


 先輩の表情はいつもと変わらずだったが、それでもどこか必死さを感じる声色だった。


「……解決できる可能性が高いってことは、先輩には解決できるかもしれない方法が思いつけているってことですよね?」


 だから俺はそう言った。

 正直に言って、俺はこの選択が正しいことなのかわからない。間違っているような気もした。けれど俺は先輩を信じることにした。

 先輩がここまで言うからにはそれだけの可能性があるということなのだろう。俺だってこの事件が解決しないのは悔しい。だから先輩が解決できると言うのならそれに乗りたいと思ったのだ。


「遠山君……。もちろん思いついてはいるわ」


 先輩が静かに答えた。どこか安心したような表情をみせたような気がしたのは気のせいだろうか。


「わたしも……協力するよ」


 小岩井もそう言ってくれた。


「ありがとう、小岩井さん。遠山君も」


 先輩は彼女らしくもなく、感謝の言葉を口にした。初めて聞いた先輩の感謝の言葉に、何故だか胸が騒ついた。俺はそれを気のせいだと断じた。


 こうして俺たちの調査は始まった。



 ☆



 洋館を後にした俺たちは、坂道をゆっくりと下っていた。

 小岩井はロードバイクを手で押しながら歩いていて、先輩もその隣で一緒に歩いていた。俺はそのすぐ後ろからついて歩いていた。

 空はまだ青く。その色を見ていると、さっき見た無惨な動物たちの死体が夢のように思えた。本当は死体なんてどこにもなくて、あの部屋には静寂だけが横たわっているんじゃないか。そんな風に感じてしまった。

 そんなはずないのに。

 だってあの死臭は本物だった。しばらくの間忘れることのできない臭いだった。自分の服にまで臭いが染みついているような不安に駆られるほどに刺激の強い臭だった。

 まあ服の臭いを嗅いでみても特に残ってはいなかったけれど。


「小岩井さんは探偵活動が趣味だと言っていたけれど。そう言うからには調べるのは得意なのよね?」


 ロードバイクの車輪が回る音に混じって口を開いたのは、長い黒髪を風になびかせて歩く先輩だった。


「内容にもよるけど、まあ調べるだけなら得意かも」


 小岩井は確かめるように腰の手帳に手をやって、それから呟くように先輩の言葉に答えた。その視線は車輪に向けられていた。どこか呆然としているように見受けられるのは、俺と同じように死体のことを考えていたのかもしれない。現実味が薄れているのかもしれない。


「ならうちの学校の購買部で、一年生の学年章を買った人がいないか調べてくれないかしら」

「購買部?」


 そこで小岩井は顔を上げる。視線を先輩に向けて首を傾げてみせた。


「そう。ほらうちの学校だと、失くした時のために購買部で学年章が購入できるでしょう? もしかしたら洋館に落ちていた学年章の持ち主は探すことを諦めて、購買部で購入したかもしれない。だから調べてほしいの」

「そういうことね。うん、わかったよ。任せておいて。ついでにあの洋館についても調べておく。何か手がかりが掴めるかもしれないし」

「そうね。お願いするわ。……それと遠山君」


 先輩は振り向いて今度は俺に話を振ってきた。


「何ですか」

「遠山君は小岩井さんが購買部で学年章を購入した人物を調べたら、その人に接触してくれないかしら。もちろん事件のことは言わないでね」

「いいですけど、何でですか?」

「どういう人なのか知りたいの」

「まあ、わかりました」

「私は月下香の会の事件について調べてみるわ。関係はありそうでしょう?」

「そう、ですね」


 これで役割分担は終わったようだった。けれどその後にどうするのかはまだ聞いていない。たとえば犯人がわかったとしたら、とか。


「その後はどうするんですか?」

「それはその時に説明するわ」

「わかりました」

「じゃあ情報が集まったらまた話しましょう」


 その日はそれで解散となった。



 ☆



 自宅に帰ってリビングへと続く扉を開けると、今年で十歳になる双子の弟と妹がテレビゲームをやっていた。弟の名前は奈央、妹の名前は未央だ。


「ただいま」

「「おかえりー」」


 俺が声をかけると、奈央と未央は揃って振り返りもせずに返事をした。感情に乏しい声だったが、いつも通りのことなので気にしない。二人は揃って感情を表に出すのが苦手なのだ。

 俺は二人が座るソファの空いてるスペースに座る。


「つかぬ事をお聞きしますがお二人さん」

「なんだい兄ちゃん」

「どうした兄ちゃん」


 俺の言葉に適当な感じで交互に答える奈央と未央。


「兄ちゃん、変な匂いするか?」

「「におい?」」


 ゲームを中断した二人は俺の身体の匂いを嗅ぐ。俺を左右から挟む感じでだ。


「いろんな女の子のにおいがする」

「イカくさい」

「奈央はまあいいとして、未央。その発言はやめといた方がいいぞ。女の子が言うとどきりとする」


 しかし、どうやら死体の匂いは残っていないらしい。

 実は自分では気がつかないだけで、本当は匂いが残っているかもしれないと、帰宅途中で不安になったのだ。その心配はないようで安心する。


「どうしてそんなこと聞くの兄ちゃん」

「そうだよ。何かやらしいことでもしたの?」


 ……やらしいことって。未央は俺のことを何だと思っているのか。こんな妹に育てた覚えはないぞ。いや育てたのは親だけども。


「未央、兄ちゃんにそういうこと言ったらダメだよ」


 奈央はいい子に育ったようだ。兄としては嬉しい限りだ。育て方は間違っていなかったようだ。いや育てたのは親だけども。


「どうして、奈央」

「兄ちゃんにそんなことする勇気あるわけないんだからかわいそうでしょ?」

「あ、そっかぁ。兄ちゃんDTだもんね」


 ……前言撤回。二人とも兄ちゃんに酷いことを言うなんて悪い子だ。

 というか妹にDTとか言われると悲しい気持ちになるのはなんでだろうか。というかどこで覚えてきたんだ。意味知ってるのか?

 そんなことを考えていると、不意にポンと肩に手を置かれた。見ると未央の手だった。


「どうした?」

「……兄ちゃん、ごめんね。兄ちゃんが女の子に対してチキンなの忘れてたよ。ごめんね、どうてい兄ちゃん」

「誰が童貞兄ちゃんだ! やめてくれよ!」

「え? ちがうの?」

「いや違わないけどさ! 妹に言われると悲しいんだよ!」

「兄ちゃん……。わたしのほうがはずかしいんだよ。高校生の兄ちゃんがどうていとかはずかしすぎるよ」

「悪かったな!」


 何なんだ、兄を敬う気持ちはないのかこいつ。


「兄ちゃん」


 今度は反対の肩を奈央に叩かれる。


「今度はお前か。何だよ」

「先に彼女作ってごめんね」

「いるのかよ! てか何で謝るんだよ! まるで俺に彼女いないみたいじゃないか!」

「え? いるの?」

「いないよ! 悪かったな!」


 本当に何なんだよ、こいつら。寄ってたかって兄をいじめて楽しいか!

 ……楽しいとか言いそうだな、こいつらなら。兄はつらいよ。


「……もういいよ。兄ちゃん部屋に行く」

「「いってらー」」


 特に興味もなさそうに二人は返事をした。そしてさっさとゲームを再開した。悲しい。



 ☆



 部屋に戻った俺はベッドの上に寝転がった。そして小さく溜息を吐き出す。


 ……。

 …………。

 今日はいろいろなことがあった。先輩と洋館まで行き、小岩井と出くわし、動物たちの死体を見つけた。そして事件を三人で調査することを決めた。

 本当に俺たちで調査できるのか、未だにわからないでいる。それにもし犯人がわかったらそれでどうする。警察に通報したって信じてもらえるかは正直わからない。かといって俺たちで捕まえたとしてもそこからどうすればいいのやら。そもそも捕まえられるのか。

 相手がどんな奴かまだわからないのだ。下手をしたら返り討ちにあう可能性だってある。

 先輩はいったいどうするつもりなのだろうか。教えてくれない以上、それを知ることはまだできない。


「……どうなるんだろうな」


 小さく呟く。先輩と俺と小岩井が選んだ選択肢は本当にこれでよかったのだろうか。別の選択肢もあったのではないか。そんな風に思ったりもするけれど、決めてしまったものはどうしようもない。俺はただ小岩井の報告を待つだけだ。

 それにしても。この事件は不気味だ。

 動物たちの死体を見るに、犯人はまるで玩具のように動物たちを扱っていたのだろう。子どもが遊ぶのに飽きて玩具を適当に放り投げたように、あの死体たちは部屋に転がされていた。

 そこからわかる犯人像は先輩の言うようなサイコパスと呼ばれる人種なのだろう。だとしたら、あの無惨な死体にも得心がいく。


 俺たちの常識では捉えることのできない人種。動物たちをあんな風にした理由だって理解できるものではないのだろう。

 小岩井が学年章を落とした人間を絞れたら俺が接触することになっている。もしもその相手が本当に犯人だったとしたら、それは物凄く嫌だった。できれは違っていてほしいものだ。

 俺はもう一度溜息を吐き出す。部屋の中は静かすぎて、その溜息の音がやけに大きく聞こえた。



 ☆



 それから俺は風呂に入り、夕飯を食べた後、眠りについた。

 夜中、嫌な夢を見た。気味の悪い夢だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る