洋館内部は埃まみれだった。

 窓から差し込む光によって細かな埃の舞う姿が見え、天井や柱などにいくつもの蜘蛛の巣が見て取れた。床に人が落ちてしまうほどの大きな穴があいていたりすることはなかったが、虫にでも食われたのか指先程度の穴はいくつかあいていた。

 相変わらず床板はギシギシと音を立てていて、踏み抜いてしまわないかと不安な気分になる。それは木製の床を歩き慣れていないというのも理由なのかもしれない。

 洋館内に潜入してからいくつかの部屋を回った。時たま立て付けでも悪くなっているのか、扉が開かない部屋も見受けられた。だから全ての部屋を見ることができたわけではないが、一階の部屋はだいたい見て回ることができた。

 そして一階の最後の部屋にたどり着く。その部屋には両開き扉がついていた。その木製の扉を開けて、俺と先輩は中へと足を踏み入れた。

 そこはどうやら大広間のようだった。この部屋だけは床が大理石でできているようで、映画でしか見たことのない横長の大きな机が部屋の真ん中にポツンとあった。壁には鹿の剥製が飾ってあり、埃まみれの煉瓦で作られた暖炉もあった。天井にはもちろん光ってこそいないがシャンデリアがあった。


「……よく残ってますね。剥製とかシャンデリアとか」


 もう明かりが灯ることのないであろうシャンデリアを見上げながら、俺は呟くように口を開いていた。

 長い間放置されていた建物だ。盗まれたり壊れていたりしそうなものだった。それなのにこれだけは残っているのが少し不思議だった。


「そうね。相当良いものだったのかもしれないわね。だとしたら盗まれていないのが奇跡かもしれないけれど」


 先輩は埃まみれの暖炉に近づきながら言った。

 暖炉のそばには火かき棒や薪を入れておく鉄製の籠が転がっている。先輩はそれには触れず、暖炉の前に立った。


「今の日本じゃあんまり見られないわよね、こんな暖炉」

「そうですよね」


 俺にとっての暖炉のイメージとしては鉄製で扉が付いている物という感じだ。煉瓦作りの暖炉などそれこそ映画でしか見たことがなかった。


「俺としては日本にもこういう暖炉があったんだなということに驚きました。なんかヨーロッパとかのイメージですもん」

「それはあったでしょうね。明治の頃の建物や文化は西洋の物を真似ていたんだもの」

「あー、煉瓦作りの建物がいっぱいあったんですよね。俺、煉瓦作りの建物なんて北海道の函館とか横浜でしか見たことないです。赤レンガ倉庫でしたっけ?」

「そうね。小樽にもあるわね」

「小樽って北海道の? あるんですね。てっきり北海道の赤レンガ倉庫って函館にしかないと思っていました」


 大広間も一通り見て回ると、俺と先輩はその部屋をあとにした。

 これで一階の部屋は一通り見て回った。さてどうするかと考えた結果、俺と先輩は玄関にやってきて、二階へと続く階段を登ることにした。

 階段はこれまた映画でしか見たことのない、中央の階段を登ってすぐの踊り場で左右に分かれているタイプの物だった。

 階段の手前には陶器の破片が巻き散っていた。花瓶か何かが割れた残骸だろう。それに気をつけながら中央の階段を登っていくと、正面に埃をかぶった大きな絵画があった。額縁の下に貼られた、何故か埃まみれではないプレートを読んでみると、『黒河家当主黒河源蔵』と書かれていた。


「……黒河源蔵。先輩は聞いたことありますか?」

「いいえ、ないわ」

「そんなに有名な人じゃないんですかね」


 埃をかぶった絵画を見上げてみる。伊藤博文のような髭を生やした厳つい顔の老人の肖像画だった。


「俺、前から思ってたんですけど。どうして明治とかの男の人ってあんな髭を生やした人が多いんですかね。みんながみんなそうだったわけじゃないでしょうけど、教科書に載るような人はだいたいそうですよね」

「威厳を見せるためでしょう。偉い人ほど威厳を見せないと格好がつかないもの」

「威厳、ですか」


 威厳ってそんなに大事なものなのだろうか。少なくとも高校生の俺にはよくわからなかった。


「で、先輩。どっちに行きます?」

「そうね」


 先輩は何故か床に視線を向けていたが、やがて顔を上げて言った。


「右に行きましょうか。誰かいるようだし」

「え?」


 俺は気になって先輩が視線を向けていた床を見た。埃だらけの階段。その埃のせいで足跡が浮かんで見えていた。それは俺と先輩のものではなさそうだった。何故なら足跡は俺と先輩が歩いてきた場所以外にもあったからだ。右側に続いている階段にも足跡があったのだ。俺と先輩がまだ行っていないはずなのに、何故か足跡がある。

 その足跡は一人分。俺と先輩以外にもう一人、この洋館にいる人物がいるようだった。

 そこで、門の前に置いてあったロードバイクを思い出した。どうやら俺の嫌な予感というのは当たっていたらしい。

 あの人物は何が目的なのだろうか。この洋館にいったい何の用があるのだろうか。俺たちと同じようにここに動物の遺体があると思ったのだろうか? それともあれが犯人とでもいうのだろうか。正直、先輩が言ったようなことはないと思うのだが。

 とにかくまあ、考えたところでわかるはずもない。行けば自ずと答えが出るはずだ。だから俺は先輩とともに右の階段を上り始めた。願わくは、もう一人の潜入者が俺たちに危害を加えるような人でないといい。そんな風に思いながら。



 ☆



 階段を上りきり、二階の床へと足を踏み出す。やっぱりというべきか、床板がギシギシと音を立てた。

 周りを見回してみるが、誰かがいる気配は感じられない。けれど耳を澄ませてみると、ギィという扉を開ける音が微かに聞こえた。この洋館にもう一人いることは確実のようだった。

 そこからはなるべく足音を立てないように注意しながら進んだ。ゆっくりと奥へ奥へと進んでいく。

 一つ目の部屋の前にたどり着くと、視線だけを中へ向けた。誰もいない。

 二つ目の部屋の前でも同じようにした。誰もいない。

 部屋の前にたどり着くたびに、そうして部屋の中を覗き込む。

 いくつの部屋を通り過ぎただろうか。もしかしたら気のせいだったのかもしれないと思い始めた頃だった。何番目かの部屋を覗いた時、人間と目があった。

 それは女の子の目だった。

 白い半袖シャツに黒の細いネクタイ、黒のハーフパンツという服装。ハーフパンツのベルトの部分には手帳ホルダーをつけていて、その両手には指ぬきグローブがはめられていた。そして頭には穴の空いたヘルメットを被っていた。なんだかヘンテコな格好の気がした。

 身長は先輩よりも低く、身体つきもどこか幼く見える。顔は美人というよりも可愛い系という感じ。その発育の乏しい胸と同じく、子どもっぽい顔つきだった。

 背中にはリュックを背負っていた。俺がここにくる前、洋館へと続く坂道で見たものと同じリュックだった。

 俺はその人物に見覚えがあった。ただし名前が思い出せない。


「……遠山?」


 俺が女の子を観察していると、その女の子が声をかけてきた。鈴の音のような声だった。


「お前、誰だっけ?」

「誰だっけとは酷い言い草だね。去年、同じクラスだったでしょ? え、もしかして憶えてない?」


 俺は小さく頷いた。

 顔は見覚えがある。確かに去年同じクラスだったのだ。けれど接点はそれだけで、話したことも一度か二度あるかないかというくらいの仲だった。

 だからなのか。名前がまったく思い出せない。彼女の言う通り、自分でも酷い男だと思うが、憶えていないものは仕方がない。


「酷いなぁ。確かにわたしと遠山は別に仲良くなかったし、というか話したこともあんまりないし。でも一応同じクラスだったわけでしょ? 自己紹介だってしたよね? 名前くらい憶えておいてほしいよ」

「悪い」

「別にいいけどさ。……じゃあ改めて自己紹介するね。わたしの名前は小岩井未知瑠。17歳。二年C組に在籍。趣味はミステリー小説を読むことと探偵活動をすること。尊敬している人は……特に誰もいないや。シャーロック・ホームズは実在してないしね。ちなみに彼氏募集中、というのは冗談。恋人なんていらねーよ、くそ! なんでわたしの好きになった男はみんなビッチな彼女を持ってんだよ! なんだよ! 男はビッチが好きなのかよ!」


 ……よく喋る奴だな。しかもいきなりキレ出すし。なんか関わりたくない感じだ。あ、俺がこいつの名前を覚えていなかったのは関わりたくないと思ったからなのかもしれない。

 去年の俺。それで正解だ。いやまあ今日関わってしまったけれど。


「遠山もビッチが好きなの? なんで男はみんなビッチ好きなの?」

「知らねえよ。俺は別にビッチ好きじゃないし」


 エッチな女の子は好きだったりするかもしれないけども。


「あ、そう。ところで後ろにいる人は誰? 遠山の彼女?」


 あ、そう。ってお前。自分で聞いておいて興味なさすぎかよ。


「彼女とかじゃねえよ。俺の部活の先輩だ」


 俺がそう言うと先輩が小岩井に手を差し出した。小岩井は特に逡巡することもなく、その手を握り返した。


「私は椎名琴美。三年生よ。……貴女、小岩井さんと言ったかしら。言っておくけど、私は遠山君みたいな変態と恋人になんかなりたくないわ。彼女とか言わないでくれる? 遠山君がその気になって私を押し倒してきたらどうするつもりかしら」

「そういう場合は遠山を警察に引き渡せばいいと思うよ、椎名先輩。女の敵だからね」

「そうね。今すぐ警察に連れて行きましょうか」

「何かされたんですか?」

「舐めるような目で私の下着を見てきたわ。いいえ、舐めるようではないは。あれは完全に目で舐められていたわ」

「あー、それは糞だね。遠山糞変態と改名させてから警察に引き渡そう。わたし、ちょうど縄を持ってるんだよね。それで遠山……間違えた。糞変態馬鹿を縛りましょう」


 なんだこいつら。俺を何だと思っているんだ。というか糞変態馬鹿ってなんだよ。遠山であってるよ、言い換えんな。あとなんで縄なんか持っているんだよ。


「あの、二人で盛り上がってるところ申し訳ないんですけど。……俺の悪口はそこまでだ」

「「悪口?」」


 小岩井と先輩に「何言ってんだこいつ」みたいな感じで見つめられた。

 いや普通のこと言っているだけだからね?


「悪口なんて酷いなぁ。ね、椎名先輩」

「その通りよ、小岩井さん。私たちは事実しか口にしていないもの」

 完全に悪口だと思うんですよね、うん。先輩の下着を見たことは事実だけども。だけどあれってさ。どう考えてもさ。


「あれは不可効力だったと思うんですけど。だいたい先輩だって――」

「ところで小岩井さん。貴方はどうしてここにいるのかしら」


 最後まで聞いてほしいなーなんて思ったりするわけなんですが。……まあいいや。疲れた。

 それに先輩の質問は俺も気になっていた。小岩井は何が目的でここにいるのだろうか。俺と先輩の目的と同じということはないだろう。何もない状況からあんな発想をするのは先輩だけだ。


「この洋館について調べようと思ったんだよね」


 小岩井は迷うこともなく口にした。


「この洋館について?」


 俺が聞き返すと、小岩井は静かに頷いた。


「この洋館って誰が住んでいたとか、その人がどんな人だったのかとか。そういうの知っている人って少ないじゃない? だから調べてみようと思ったんだ。それでまずは洋館の中を探索してみようかなって。その結果、誰が住んでいたのかはわかった」

「なるほど。それで肖像画の下にあったプレートに埃がついていなかったわけだ。小岩井が埃を払ってプレートを読んだんだな」

「そう。黒河源蔵という人らしいね」

「らしいということは、小岩井も黒河源蔵って人のこと知らないのか」


 小岩井は小さく頷く。

 やっぱり黒河源蔵という人はあまり有名な人ではないのかもしれない。


「遠山と椎名先輩はなんで?」


 今度は逆に小岩井が俺たちに聞いてきた。

 俺はどう答えようか悩み、先輩に意見を求めるように視線を向けた。先輩は俺の視線に静かに頷くと、口を開いた。


「小岩井さんはペット連続失踪事件のことを知っているかしら」


 どうやら先輩は正直に話すようだった。だけど、正直に話して大丈夫なのだろうか。ありえないと馬鹿にされる気がしたが、俺は何も言わずに成り行きを見守っていた。



 ☆



「なるほどね」


 先輩が俺たちの目的や経緯について話し終えると、小岩井は腕を組んで小さく唸った。


「面白い考え方だとは思うけど、それってどうなのかな。ちょっと現実的じゃないような気がする。そもそもなんでバレるかもしれない危険を冒してまでペットたちを殺すの? 普通はバレたくないと思うはずで、そうなると野良猫たちを殺した方が安心のような気がする。それなのにわざわざいなくなったらすぐにわかってしまうペットを選ぶって、普通じゃないと思うな。まあ殺す時点で普通じゃないのかもしれないけどさ、それにしたって変わった殺害犯だと思うよ」


 もし殺害事件ならね、と小岩井は締めくくった。彼女の意見はもっともだった。

 確かにいなくなったことがわかってしまうペットを標的にするのは危険な行為のような気がする。野良猫やら野良犬やらなら気付かれる心配は少ないはずだった。


「ですって、先輩。きっとこの洋館に死体なんてないですよ」

「そうかしら」


 けれど先輩は諦めようとはしなかった。どうしてもこの洋館にペットたちの死体があると思いたいのだろうか。疑問に思ったけれど、先輩は変わった人なので考えるだけ無駄だと結論付けることにした。


「世の中には常識を考えない輩もいるの。というよりも考え方が他とは逸しているというべきかしら。……サイコパスという人種を知っているかしら。彼らに私たちの発想は通じない。たとえばバレるかもしれないという危険を冒しながら残虐的な行為をするのが好きな人とか、ね」


 先輩は薄っすらと笑みを浮かべながらそう言った。その姿に、どうしてか俺は見惚れてしまっていた。普通なら鳥肌が立ちそうな顔なのに、何故か綺麗だと思ってしまったのだ。俺は先輩の危険な一面に惚れているとでもいうのだろうか。


「サイコパス……サイコパスねぇ。なくはないかもしれないけれど、そういう人たちって滅多にいないと思うけど。まあ可能性としては考えてもいいかもね」


 それにしても、と。小岩井は腕を組んだまま続けた。その視線は先輩へと向けられていた。


「よくこの洋館に動物の死体があるなんて発想できたよね、椎名先輩」

「単純な話よ。殺害事件だとして、死体が見つからないのはおかしい。だからどこか人目のつかない場所に隠している。人目のつかない場所といえばここ。そう考えただけ」

「なるほどね」


 小岩井はそれからしばらくの間考えるような素振りを見せた。

 その様子に俺は面倒なことになる予感がした。というよりも面倒な奴が増えるような予感だった。できれば外れてほしい予感だ。

 面倒な相手は先輩だけで間に合っている。これ以上増えても困る。だから間違っても一緒に調査するとか言いだすなよ。

 視線だけで小岩井に伝えるも、どうも俺にはテレパシーの能力はなかったようだ。小岩井は俺に見向きもしなかった。その代わり、彼女は先輩へと目を向けると、静かに口を開いた。


「あのさ、椎名先輩。わたしにもその思い出作りってやつ、手伝わせてくれない?」


 ……どうも今日は嫌な予感というものがよく当たるようだった。


「いいわよ。私もお願いしようかと思っていたもの」


 先輩は俺の意見を聞くこともなく即答した。何か一言確認の言葉を俺に向けてくれてもよかったんじゃないだろうか。いやまあ部長は先輩なので、確認されたところで頷く他にないのだけれど。


「……一応聞くけど、なんで手伝うなんて言うんだ?」


 俺は不機嫌な気分を隠すこともせず、小岩井に質問をした。


「そんなの決まってるよ。面白そうだから」


 ニッと、小岩井は少年のように笑った。俺はため息を吐き出した。

 本当に面倒なことになってしまった。疲れてしまいそうだった。

 ……それにしても先輩も小岩井も変わった人間だ。面白そうだという理由だけで、可能性としてはあるものの、どこか現実感のない事柄を調査するなんて。やっぱり変わっている。

 普通は調べようとなんて思わないはずだ。だってもし本当に動物の死体なんか見つけてしまったら、絶対に気分が悪くなると考えるはずだからだ。この二人はそのことについてどう思っているのだろうか。

 死体を見つけても気分が悪くならない自信でもあるのか。あるいは可能性としてはあるけれど、やっぱり心の中ではありえないと考えているからだろうか。

 それを言うなら先輩についてきた俺も俺だが。本当に何で俺はここにいるのか。最後くらい先輩の我が儘を聞いてあげようという一時の感情に流されてほいほい来てしまったが、今になってみれば俺の考えも甘かったと思うしかない。

 もし本当にペットたちの死体が見つかってしまったら、先輩と小岩井はどうするつもりなのだろうか。

 俺はそんなことを考えながら、洋館の調査を続けようと歩く先輩と小岩井の後を追った。



 ☆



 その後、俺たちは二階の右側を全て見て回った。そこで俺の腕時計が十二時半を過ぎていることに気がつき、一旦昼食を摂った。こんなこともあろうと俺と先輩は洋館に来る途中のコンビニで昼食を買っていた。それは小岩井も同じだったようで、彼女もリュックから昼食の弁当を取り出した。

 そうして昼食を摂った後、二階のもう片方を調べることにした。

 階段を下りて、肖像画を通り過ぎ、反対の階段を上る。当然ながらその階段に足跡は見つからなかった。これ以上人がいないようで、俺としては少しだけ安心したりした。

 二階のこちら側も右側とほぼ同じ作りだった。ざっと見たところ部屋の数も同じくらいだろうか。

 俺たち三人は順々に部屋を覗いて行く。

 最後の部屋まで見て回ったが、特に何かが見つかることはなかった。


「……何も見つからないですね」


 最後の部屋で俺は小さく呟いた。

 本当にこれっぽっちも見つからなかった。気になるものも、動物の死体も。何もなかった。

 やっぱり先輩の危惧していたことはなかったようだ。


「やっぱりあの事件はただの誘拐事件だったみたいですね」

「全部見終わった気でいるところごめんだけど。まだだよ、遠山」


 俺が先輩に向けて言った言葉に、けれど先輩が反応するよりも早く小岩井がそう言った。


「まだって、どういうことだよ? もう全部の部屋は見ただろ?」

「それがね、この敷地内には離れがあるんだよね」

「離れ?」

「そう。というか気がつかなかった?」


 小岩井はそう言うと窓の近くに行って、外に見える景色を指さした。その先には木々が生い茂っていて森のように見えるが、よく目を凝らしてみれば微かに建物の影が木々の間に見えた。俺たちがいる建物と同じ、白色の壁面が覗いていたのだ。


「窓の外なんて見てなかったな」

「ダメだなー遠山は。観察眼を磨かないと探偵にはなれないよ」

「いやなる気ないし」

「じゃあそういうことで椎名先輩、遠山君。もう少しだけ調査は続くよ」


 聞けよ。

 先輩も小岩井も俺の話、所々聞いてくれないのはなんでだ。都合が悪いからか? それとも俺のことなんか無視していいとでも思っているのだろうか。何それ、酷い。

 まあ抗議したところで彼女たちが話を聞いてくれるとは思えなかった。


「さあ行くよ」


 そう言って小岩井は部屋から出て行く。


「どうして小岩井さんが仕切っているのかしら」


 不満そうに言いながら、先輩も小岩井を追って部屋から出て行ってしまう。

 残された俺は何度目かになるかもわからないため息を吐き出しつつ、二人の後を追った。

 俺たちはおそらく本館であろう建物から出て、裏へと回る。そこからしばらく森の方へと歩くと、窓から微かに見えていた離れらしい建物の全貌が見えてきた。

 大きさは本館よりも小さかった。たぶん本館の半分もない。外装は本館と同じく屋根は青く、壁面は真っ白に塗られていた。これまた本館同様に、所々の色が剥げていた。

 入り口に行ってみる。鍵の有無を確認すると、何故か解錠されていた。

 開いてみると木製の床が広がっていた。見回してみると片手で数えられるほどの部屋と二階へと続く階段があった。

 中へ入りながら床を確認してみると埃に上に何度も行き来したような跡が浮かんでいた。それもごく最近の物のように見えた。その跡はどうやら二階へと続いているようだった。


「どうします?」


 いつの間にか俺の隣に立っていた先輩に話しかける。先輩は二階へと続く階段の先に目を向けたまま、静かに口を開いた。


「どうしようかしらね。二階は怪しいけれど、一階も見て回った方がいいかしら。どう思う、小岩井さん」


 先輩が背後を振り返ったので、俺もなんとなくそれに続く。振り返った先にいた小岩井は何故か顔をしかめていた。


「どうしたのかしら?」


 先輩も小岩井の表情を疑問に思ったらしく、そう言った。


「いや、何か嫌な臭いがするなぁと思って」

「嫌な臭い?」


 俺の言葉に小岩井は小さく頷く。


「遠山は感じない?」


 小岩井の言葉に俺は辺りの臭いを嗅いでみる。それでようやく気がついた。確かに小岩井の言う通り、変な臭いがしたのだ。

 何かを腐らせたような、そんな臭い。嗅いだことのあるような、けれど嗅いだことのない臭い。


「……何だ? この臭い」

「嫌な臭いなんてするかしら?」


 俺の言葉にけれど先輩だけは臭いに気がついていないようで首を傾げていた。もしかしたら先輩は臭いに鈍感なのかもしれない。


「私は特に何も気にならないけれど、とりあえず二階に行ってみましょうか」


 臭いを気にする俺と小岩井を他所に、先輩は涼しい顔で二階へと続く階段を上り始めた。木製の床板が鳴る音が俺の耳に届いた。


「俺たちも行くか」


 鼻を指で塞いでいる小岩井に語りかけると、彼女は顔をしかめたまま頷いた。

 そこで俺と小岩井は先輩の後に続いて階段を上り始める。

 そうやって階段を上って行くと、さっきから漂っていた妙な臭いがだんだんと強くなっているのを感じた。

 それは腐らせた肉のような臭いだった。いやそれよりもずっと不快な臭いだ。腐卵臭よりも酷い。それなのに前を歩く先輩は相変わらず涼しそうにしていた。

 少し後ろを歩く小岩井を振り返ってみると、彼女の顔は青ざめていた。


「大丈夫か?」


 声をかけると、小岩井は不調そうな表情ながらも小さい頷いた。


「大丈夫……。わたしって人よりちょっと匂いに敏感で、嫌な臭いだと気持ち悪くなりやすくて……」

「気分が悪いなら外に行っててもいいんだぞ?」

「いや、大丈夫……。こんなのでダウンしてたら探偵なんてなれないからね……」

「我慢できなくなったら言えよ」

「……うん、ありがと」


 二階にたどり着くと、臭いはさらにきつくなった。俺もさすがに鼻を塞がなくてはいけないほどに酷くなっていた。

 二階には一階と同じくらいの数の部屋が並んでいた。そして床一面の埃の上に何度も行き来した跡が浮かんでいた。それは二つの部屋へと続いている。隣同士の部屋だ。

 その二つの部屋の前には赤色の何かを引きずったような跡があった。それはどこか不気味な雰囲気を漂わせていた。


「……あれって、まさか」


 嫌な予感を強く感じた。それは俺がありえないと思っていたことがその部屋の奥にあるという予感。先輩が示した一つの可能性。残酷な予想。床に残る赤色が嫌な現実を突きつけてきているよつな気がした。

 そしてその予感を裏付けるように、あの鼻を刺す異臭がその二つの部屋から漂ってきている。


「……」


 何か会話をすることもなく、俺たち三人は二つの部屋の前へと行く。

 異臭はその二つの部屋からしているが、特に片方の部屋から漂ってきているのがわかった。

 俺は扉に手をかける。臭いがきつい方の部屋を選んだのは先に酷い方を見ておけば、後々楽だろうと思ったのだ。どっちを先に見るにせよ嫌な気分になるのは避けらないのだけれど。


「……開けますよ」


 俺は誰に言うでもなく、呟くように言った。

 ゆっくりと扉を開いた。臭いが直接鼻に飛び込んできた。そしてその扉の先に広がる景色を目にした。

 端的に言えば死体が転がっていた。

 猫や犬の死体がいくつも転がっていたのだ。それはもう無造作に。まるでゴミのような扱いだった。失われた命に対する尊厳がまったく感じられないくらいに無造作。

 まさに地獄絵図と呼ばれるであろう光景が、そこには広がっていた。

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