オワリをアイするヒト

水無月ナツキ

月下香の香り

第一章「洋館の悪魔」

 新聞部の部室の扉を開けると、先輩で新聞部部長の椎名琴美がいた。先輩は白いレースカーテンがゆらりと揺れる窓にもたれかかり静かに目を閉じていた。

 雪のように白い肌、真っ黒な腰まで伸びた艶のある髪。スラリとした足と、端正な顔立ち。男子たちの間では女神とまで呼ばれるほどに、先輩は美人だった。


「こんにちは、先輩」


 俺がそう声をかけると、先輩はゆっくりと瞼を開いた。黒真珠のような綺麗な黒い瞳が俺を見た。


「遅かったわね、遠山君」


 静かで落ち着いた、けれど不思議とよく通る声で先輩は言った。


「日直の仕事が長引いてしまって」

「そう、まあいいわ。それより今日は貴方に提案したいことがあるの」

「提案、ですか」

「ええ。この新聞部、廃部が近づいているのは知っているわよね?」


 そう。この新聞部はもうじき廃部となる。

 原因は部員の減少である。今の部員数は先輩と俺の二人。これでは部活などやっていけないということで、先輩が引退する秋をもって廃部になるのだ。


「そうですね、残念ながら」


 俺は長机からパイプ椅子を引きずり出して、鞄を長机に置きながら座った。先輩は窓辺から動くことなく、その場で話を続ける。


「そこで、最後に思い出作りをしようと思うの」

「……先輩がそういうこと言うなんて、明日は雪でも降るんですかね」

「あら、夏に雪が降るわけないじゃない。知らなかった?」


 俺のからかう言葉に、けれど先輩は真面目な顔でからかい返してきた。

 先輩は冗談も皮肉もからかいの言葉も真面目な顔で言うものだから、最初の頃はよくわからない人というのが印象だった。慣れてしまった今では冗談か本気か、ある程度はわかるようになった。

 でもやっぱりいろんな意味で、先輩はよくわからない人だった。


「それで思い出作りって、いったい何をしようって言うんですか」

「新聞記者らしいことよ。仮にもここは新聞部。けれど扱ってきたのは些細なことばかり。学校に伝わる七不思議の検証だの、校長のカツラ疑惑についてだの、ハンドボール部が全国大会進出しただの。本当に些細なこと」


 前半二つは確かにどうでもいい些細なことだが、ハンドボール部の全国大会進出は大きなことだと思う。思うのだが、先輩からしたら些細なことだろうなとも思ったので黙っておいた。

 何せ先輩は自殺事件の真相だとか、高校の新聞部が立ち入っていい話ではないものを取り扱いたがる傾向にある。毎回全部俺が却下しているにもかかわらず、いざ印刷しようとするとなぜかその手の記事が載っていたりする。その度に拗ねる先輩の傍らで手直しするという、本当に面倒なことをずっとやらされてきた。勘弁してほしいものである。


「今までは教師や遠山君の横暴によって書くことのできなかった記事を載せた新聞を作りましょう」

「横暴って……。先輩が節度を守らないから」

「どうかしら? 遠山君」


 聞けよ。


「どうって、例えばどんな記事ですか?」

「そうね。最近この街で起きている連続ペット失踪事件、とか?」

「……先輩にしては普通だ」

「どういう意味かしら」

「いや、もっと危険なネタに手を出すのかと」

「私はね、この事件が怪しいと思っているのよ」

「怪しい、ですか?」

「警察はペットを誘拐して売りさばこうとしている連中の仕業じゃないかと睨んで、いろいろ捜査しているようだけれど。たぶん違う。何かもっとおぞましい臭いがするのよ」


 おぞましい臭い……。

 俺にはそう思うことができない。警察の言うように金銭目当ての窃盗事件だと思う。それ以外に何かあるとでも言うのだろうか。

 まさか神隠しとか言うつもりじゃないよな。


「おぞましい事件かどうかはわからないですけど、どっちにしろ新聞には載せられないです。俺らは校内新聞を発行しているんですよ? 先輩が言う、些細なことしか取り上げられないんですよ、残念ながら」


 俺たちは本物の新聞記者じゃない。所詮は高校の部活動だ。事件だの事故だのの真相を調べることは求められていない。

 俺たち新聞部に求められているのは校内掲示板にあるような、お知らせ的な新聞。そしてたまに生徒たちがフッと笑えるような新聞。

 決して本物の記者たちが作るような新聞は求められていないのだ。


「別に誰かに見せようとか、そういう思いはないわ」

「……え」

「ただ新聞を作るだけでいいのよ。記者らしい新聞をね」

「それだけでいいんですか?」

「言ったでしょう? これは思い出作り。作ることに意味があるのよ」


 今日の先輩はどこかいつもと違っていた。物騒な事件に興味があるのはいつも通りなのに、所々に感じられる違いがある。それが俺にはとても不思議に思えた。

 もしかしたら先輩といえども、引退や廃部ということに何かしら感じるところでもあるのかもしれない。なら俺は先輩の提案に乗るべきなのだろうか。


「……先輩はそれで、満足して引退できるんですか? 後悔しないで卒業できるんですか?」

「ええ。そうすれば私はきっと後悔なく終えることができる」


 そうか。それなら答えは決まっている。


「わかりました。思い出作り、しましょう。先輩の最後の我が儘として聞き入れてあげます」

「ずいぶんと上から目線なのね」

「顧問の先生は俺のこと編集長って呼んでくるんです。知ってましたか?」


 先輩の記事を添削して、手直ししている。その様子を見て顧問はそう呼ぶのだ。まるで先輩が世話の焼ける記者で、俺が編集者みたいだから。らしい。


「部長は私なのだけれど、顧問はそこのところわかっているのかしら」


 先輩はぶつぶつと文句を言う。

 その様子を見て俺は思った。確かに先輩は編集者には向いていないな、と。

 だからと言って俺が編集者に向いているかといえば、全くそんなことはないのだけれど。

 こうして、俺と椎名先輩の思い出作りが始まった。





 連続ペット失踪事件。

 それは最近この街、くすのき町で起きている事件だ。文字通りペットが相次いで失踪しているのだ。

 最初の失踪が起きたのは一ヶ月ほど前。ペットの主人がいつも通りに朝の餌を与えに行った際、ペットがいないことに気がついた。

 それから一週間後、第二の失踪が起きた。

 第三の失踪はその五日後。第四の失踪はその三日後。第五の失踪はその次の日。第六の失踪はその六日後。そして第七の失踪は第六の失踪から一週間後、一昨日に起きた。

 合計で七匹ものペットたちが行方不明となっている。

 初めは些細な事件であった。だが一ヶ月で七件も起きたことで、この街ではちょっとした騒ぎになっていた。

 いったい何故ペットたちがたて続けに失踪しているのか。その謎が未だ解けずにいた。

 警察は誘拐事件の可能性が強いと発表しているが、あまりにも頻発しているために神隠しではないかと噂する人たちもいる。





「私は考えたのよ」


 一通り事件についてまとめた後で、先輩はそう口にした。


「もしかしたら神隠しとか誘拐なんていう生易しいものではないのかもしれない、とね」

「……なら、何だって言いたいんですか?」

「殺害事件」

「え」

「具体的に言うと。ペットたちを殺害し、その死体をどこか人目のつかない場所に埋めた。その可能性は考えられないかしら」


 殺害事件。先輩のその言葉に俺は少しだけ考えを巡らせてみた。

 考えたところでいくつかの疑問が湧いてきた。殺害事件だとするのなら無視できない問題がある。それは。


「もしそうならどうやって誰にも見つからずに死体を運んだって言うんですか」

「何か、袋に入れて運んだとかじゃないかしら」

「そんな単純な方法で本当にバレませんかね。そもそも殺したのならどこかに血痕があるはずです」

「ならこんな方法はどうかしら。眠らせるか気絶させるかしてペットの行動を奪う。そのあとで怪しまれない袋か鞄に入れて死体遺棄現場へ持っていく。そしてそこで殺害する」

「それでもバレませんかね?」

「人間というのは常識に囚われる生き物なの。たとえば通りすがりの人間が鞄を持っていたとして、その鞄の中に動物が入っているなんて思うかしら。意識がある動物ならともかく、意識がないのならわからないと思うのだけれど」

「だとしてもそんな長時間意識を失っている保証はないじゃないですか」

「なら長時間かけなくても行ける場所を選べばいいじゃない」

「この辺に時間をかけなくても行ける人目のつかない場所なんてありますかね?」

「あるわよ。たとえば、そうね……。あの山の頂上にあるお化けハウス、とか」


 そう言って、先輩は窓から見える山を指差した。

 楠山と呼ばれるその山は小さな山で、頂上へは一応道路が引かれている。車でも自転車でも簡単に登って行ける。

 その山の頂上には大きな建物がある。ここからでも微かに青色の屋根が窺えた。

 それは西洋風の建物で、如何にも富豪が住んでいそうな館だった。

 誰が住んでいた館なのか、たぶん知る人は少ないのではないだろうか。少なくとも俺は館の主人についての話を聞いたことがない。

 いつ建てられた物なのかもわからないし、そもそも住宅として使われていたのか。何もわからない。ただ俺が物心つく頃には誰も住んでいなかった。

 山の中にひっそりと建つ、誰も住んでいない古びた洋館。そんな様子から映画に出てくるお化けだらけの建物という印象が強かった。だからなのだろう。いったい誰がそう名付けたのか、気が付けば【お化けハウス】などと呼ばれていた。


「あそこへ行く人間なんてほとんどいないでしょう? 最適な場所だと思うけれど」

「……ありえるかもしれません」


 先輩の言うようにお化けハウスへ行く人間なんていないと言ってもいい。人目にはつかない場所であることに違いはなかった。

 それでもやはり動物を誰にもバレずにお化けハウスへ連れて行く方法に確実なものは見つからない。ただお化けハウスへ連れて行ってしまえば、中で何をしようがバレない気はした。

 つまり可能性としてはあるということだ。


「そうでしょう? 調べてみる価値はありそうよね」

「もしかして先輩、はじめから目星をつけていたんですか?」

「さあ、どうかしらね」


 先輩はそう言って、ようやくパイプ椅子に腰をおろした。椅子の軋む音がした。


「ただ事件とは別として、あの洋館に入ってみたいというのはあるわね」

「まさかそっちが本命で、事件は口実だったとか言わないですよね」

「それはないわ。どちらにも同じくらい興味はあるもの」

「ならいいですけど」

「一つ、提案があるのだけれど」


 不意に先輩が長机に身を乗り出して、声量を落として言った。この時点で嫌な予感はした。けれどここで言葉を止めようとしたところで、きっと押し通されるような気もした。

 だから嫌な予感がしながらも先を促すことにした。


「……何ですか?」

「お化けハウスに潜入してみない?」

「……」


 予感は的中してしまったようだった。


「もし何もなければ洋館についての記事を書けばいいし、何かあればそれこそ最高ではないかしら?」


 最高と言ってしまうあたり、先輩はやっぱり変わった人だ。もしも動物たちの死体を見つけてしまったら、俺なら最悪な気分になりそうな気がする。


「……先輩の我が儘を聞くって言ってしまいましたし、仕方ないですね」


 今になって少し後悔し始めている俺がいた。

 我が儘を聞くなんて言わなければよかった。これは面倒なことになりそうだ。


「決まりね。早速、明日行きましょう」

「明日!?」

「ええ。ちょうど休日だし、それに善は急げというでしょう?」

「どこらへんが善なんですかね」

「明日が楽しみね」


 聞けよ。

 ……ああ。明日はゆっくりしたかったのに。何度も言おう。我が儘を聞くなんて言うんじゃなかった!

 俺は心の中で叫ぶのだった。



 ☆



 明くる日の土曜日。俺は椎名先輩と待ち合わせをしていた。

 昨日は嫌だなー行きたくないなーなんて思っていたのだが、よく考えてみると女の子と出かけられるのである。相手は椎名先輩という面倒な相手ではあるが、それでも一応は女の子である。デートのようなものである。行き場所はお化けハウスだが。

 そんなわけで俺はちょっとだけ期待していた。それはもう待ち合わせ場所に、約束した時間の三十分前くらいに来てしまうほどには期待していた。

 先輩はそうでもないみたいで、五分前になっても来る気配がなかった。いやもしかしたら私服を選ぶのに手間取っている可能性もある。そうだ、そうに違いない。

 先輩の私服。

 俺が見たことのあるのは先輩の制服姿だけだった。だから彼女がどんな服装をしてくるのか、全く予想がつかない。

 先輩も女の子だから可愛らしい服装を着てくるのか、はたまた意外にもボーイッシュファッションで来るかもしれない。それともカジュアルな服装か。

 どれであっても先輩には似合うだろうが、それでも考えずにはいられなかった。


「お待たせ、遠山君」


 先輩の私服についてあれやこれやと考えを巡らせていると、不意に声をかけられた。先輩の声だった。


「いえっ、全然待って……ない、です」


 振り返りながら言葉を紡いでいた俺は、先輩の姿を目にした途端に落胆してしまった。

 椎名先輩が身にまとっていたのは学校の制服だった。


「どうしたの? すごく落ち込んでいるようだけれど」

「……別に、なんでもないです」

「そう? てっきり私が制服で来たのがショックだったのかと思ったわ」

「そ、そそんなわけないですよ! あはは!」

「残念だけれどね。遠山君に私服姿は見せられないわ。すごく卑猥な目で見られそうだし」

「……はぁ」


 この人は俺を何だと思っているのか。


「さっさと行きましょう」


 付き合いきれないという思いもあって、俺は先輩を置いてさっさと歩き出した。


「あら? もう行くの? もしかして怒ったのかしら」

「怒ってないです」

「私も言いすぎたわ。すごく卑猥じゃないわね。かなり卑猥だったわね」

「酷くなってんじゃねえか!」

「あら? そうだったかしら」


 何なんだ、この人は。

 一瞬でもデートみたいだなと思った俺が馬鹿だった。


「いつも私の記事を却下してくる仕返しよ」

「その件に関しては俺に落ち度はないと思うんですが」

「さて。行くわよ」


 聞けよ。



 ☆



「ねえ、先輩」


 目的地である洋館へと続く坂道を上りながら、俺は少し前を同じように歩く先輩に声をかけた。

 坂道の左右には木々が茂っていて、微かに緑の匂いが鼻腔をくすぐる。


「何かしら」


 先輩は立ち止まって俺に振り向いた。長い髪がさらりと揺れた。

 俺は先輩へと追いつくと、歩きながら話しましょうと先輩を促した。頷いた先輩は再び歩き出した。俺もそれに続く。


「先輩はお化けハウスの所有者って知ってます?」

「いえ、知らないわ」

「ですよね。そもそも誰も住んでいないですし、というか個人の所有物なんですかね?」

「市の所有物ということ?」

「はい」

「それはないんじゃないかしら」


 先輩は微かに見える青色の三角屋根を見上げながら、風で靡く髪をかきあげた。


「もし市の所有物なら史料館でもしてそうなものだけれど。でもあの洋館にはその気配すらない」

「確かにそうですよね。明治時代の建物が市役所の近くにありますけど、あれも史料館になってますもんね」


 史料館に行く人なんてあまり見たことはないし、俺も中学の課外授業で行ったきり行ったことはない。確か戦時中の旧日章旗にいろんな人の名前が書き込まれたものがあった気がする。それ以外に印象に残っているのは建物の古さくらいだろうか。

 ともかく、今から行く洋館は何かに使われている形跡はない。そもそも門自体が開いていない。鎖でぐるぐる巻きにされて、南京錠でかたく閉ざされている。

 それを思うと、先輩の言うように市の所有物ではないのだろう。


「個人の所有物か、或いはもう所有者はいない。そんな感じなんじゃないかしら」


 あの建物を個人で持つほどの人物。いったいどんな人なのだろうか。


「……いったいどんな人が住んでいたんですかね」

「さあ。少なくとも私たちより数倍はお金持ちだったのでしょうね」


 確かにそうだ。お金持ちであることには違いはないのだろう。それも俺には想像もできないほどの。

 洋館の所有者について思いを馳せていると、不意に横を何かが通り過ぎた。

 通り過ぎた何かに目を凝らすと、自転車に乗った人物の後ろ姿が見えた。その人物は立ち漕ぎのような格好で、自転車を右へ左へ揺らしながら坂道を上っていく。

 ……あれはロードバイク、かな。タイヤが細いような気がする。

 などと思っている内にその背中はすぐに見えなくなっていた。

 性別はわからなかったが、自転車に乗った人物は背中にリュックを背負っていた。この山の上に何か用でもあるのだろうか。まさか俺たちのように洋館へ潜入するわけではないだろう。


「どうかしたの?」

「いえ。さっきのロードバイクかなって思いまして」

「そう」


 俺はなんとなく自転車が走り去った先を見つめた。



 ☆



「……でかいですね」

「そうね」


 昔一度だけ見に来たことがあったけれど、その洋館を目にしたらそんな言葉が自然と漏れていた。

 南京錠でかためられた門も、当然ながら普通の家より大きい。

 なんとなく鎖に触れてみる。どうにかして壊せるよう感じではなかった。

 門の先には水の枯れた噴水が見えた。その噴水を中心に円形の形で石畳が敷き詰められていて、駅前にあるロータリーのような物になっていた。

 ふと門の前に自転車が停められているのが目に入った。さっき見た自転車のようだ。

 タイヤが細い自転車だった。そしてハンドルが角のような、湾曲したドロップハンドルだ。

 思った通り、ロードバイクだ。

 それであの独特な坂の上り方に納得した。

立ち漕ぎの体勢で、車体を右へ左へ大きく傾けながら進む。ロードバイクはああして坂を上ると速くなるらしい、となにかで聞いた覚えがある。

 近くに人影はない。そのロードバイクの持ち主はどこかへ行ってしまっているらしい。


「……いやいや」


 坂道を上っていくロードバイクを見送った時にありえないと否定したことが、何やら現実めいたものになっている気がした。本当にあの人物も洋館に潜入しに来たのか? 何のために?

 何となく嫌な予感がした。


「さて、潜入しましょうか」


 先輩はロードバイクに気がついているのかいないのか、気にすることなくそう言った。そして柵状の門を登り始めた。

 登れるのかと意外に思いつつ先輩を見上げていると、不意に風が吹いた。先輩のスカートが揺れる。

 見えた。

 黒だ。黒のパンティだ。エロい。すごくエロい。何故だかわからないが黒い女性物下着を見るとエロく感じる。黒には何か男にエロく思わせる何かがあるのだろうか。わからないがとにかく眼福です。


「いてっ」


 門の上まで登った先輩に靴を投げられた。どうもお怒りのようだった。


「いきなり何するんですか」

「自分の胸に聞いてみたらどうかしら。……靴持ってあがってきなさいよ、遠山変態君」

「俺の名前は遠山和樹かずきですよ、先輩。ちなみに先輩の黒いパンツなんか見てないですよ」

「あとで貴方をブラックアウトさせてあげるわ」

「知ってますか、先輩。ブラックアウトってパイロットが過度なGによって発症させるもののことらしいですよ。ちなみに似たようなものでレッドアウトとかグレイアウトなんてものもあるらしいです。俺にどうやってGをかけるつもりですか?」

「あら。貴方こそ知っているかしら。記憶喪失のこともブラックアウトというのよ。つまり貴方の記憶を奪うと言ったのよ」

「流石雑学博士」

「貴方もね」


 俺と先輩は笑い合った。もう一つ、靴を投げつけられた。痛かった。





 先輩の靴を左右のポケットに突っ込んだ状態で門を乗り越えた俺は、先輩に靴を渡した。先輩は当然のようにお礼も言わずに靴を履く。投げつけたのは先輩で、それをわざわざ俺が拾ってきてあげたのに。悲しい。


「さあ行くわよ、変態……。間違えたわ、ド変態」

「先輩。俺、思うんですけど。スカートで門を登った先輩が悪いと思うんです。俺は悪くない。そこにパンツがあったら見てしまうのが男なんです。だから俺は悪くない!」

「貴方の黒光りする拳銃を使い物にならなくしてあげましょうか? あ、ポー○ビッツだったかしら」

「さあ! 潜入しましょう!」


 俺は先輩を置いて歩き始めた。後ろで先輩が「ねえ、どっちなのかしら」とか言っていたが、意味がさっぱりわからなかったため無視をした。

 ……いや、ポー○ビッツって。さすがにそこまでじゃねえよ。俺に、いや伊藤○ムさんに謝れ。


「何処に行くのかしら」


 すると先輩に呼び止められた。


「玄関ですけど」

「玄関? 開いているかしら」

「さあ、どうですかね。鍵が閉められている可能性のが高いでしょうけど、もしかしたらの可能性もありますし。一応確認しようかなと」


 何せ古い家だ。玄関の鍵が馬鹿になっている可能性もある。行ってみるだけ行ってみたほうがいいだろう。そう思って、俺は玄関に向かっていたのだ。

 門から玄関までの間にあるロータリーを歩き始める。長年人が住んでいなかったせいか、所々に雑草が生えていた。

 正面玄関にたどり着く。両開きの扉に触れる。鉄ではない、木製の感触がした。扉を押してみる。鍵がかかっていた。


「駄目みたいですね」

「一周してみましょうか。開いている窓があるかもしれないわ」

「そうですね」


 白い外壁を見ながら、俺と先輩は建物の周りを歩き始めた。壁は所々色が剥げていたり、朽ちかけている部分があった。石畳の周りよりも背の高い草木が生い茂っていて、歩くたびに草の根を踏む音がした。

 しばらく歩いたところで、ガラスが割れた窓が見つかった。そこから洋館内部へ侵入することにした。

 レディーファーストで先輩を先に行かせようとしたが、彼女は首を振って指の動きだけで俺に先に行けと指示を出した。何だか犬のような扱いの気がしたが、先輩は俺にパンツを見られることを警戒したのだと思うと、先輩にも可愛らしいところがあるなと気にならなくなった。

 ほんわかした気持ちで先輩に笑顔を向けると、尻に蹴りを食らわせられた。何だか今日の先輩は過激だなと思ったが、そういえば元から思想が過激なのだった。

 洋館内部は当然の如く静かなものであった。音があるとすれば歩くたびに聞こえる木製の床板が軋む音くらいなものだ。人が住んでいないのだからあたりまえだった。

 先輩が窓から入ってきた。床板に足をつけると、先輩は乱れた髪を整える。微かにシャンプーの香りがした。フローラル系の匂いだった。


「それで。潜入したはいいですけど、これからどうするんですか?」

「一通り見て回ろうと思うわ」

「一通りって、こんな広い家なんですよ? 日が暮れそうじゃないですか」

「仕方ないじゃない。何処に何があるかなんてわからないのだもの」

「いやまあそうですけど」

「じゃあ行くわよ、遠山ド変態君」

「まだ根に持ってるんですか」

「別にそういうわけじゃないわ。ただ、その……」

「その?」

「……遠山君の視線があまりにも変態だったから、つい」

「おい」

「もしかして遠山君。最近、黒光りする拳銃をぶっ放す夢でも見ていたりする?」

「そんな夢見てないです」

「フロイトの夢判断では黒光りする拳銃をぶっ放す夢を見る人は性的な欲求不満があるそうよ。発情期なのね、遠山君」

「見てないって言ってんだろ」

「あら、そうなの。残念」


 何が残念なんだ、何が。俺が発情期でないと残念な理由はなんだ。

 ……あれ? もしかして。


「先輩の方が欲求不満なんじゃないですか?」


 股間を蹴られた。俺は目の前が真っ暗になった。これがブラックアウトってやつか。いや気絶はしてないけど。むしろ気絶する余裕がないというかなんというか。いや人間って痛い思いをするといろんなことが頭をよぎっていくんだなと俺は思うわけです。

 ……痛くて死にそう。


「何を倒れているの? さっさと行くわよ」

「ま、待って……ホント、待って……ください。あの、動けないんです……。死にそうなくらい痛い」

「大袈裟ね。股間を蹴っただけじゃない」

「女には男の苦しみなんてわからないんだ!」

「いいから行くわよ」


 いいからって……。

 悲しみに暮れながらあれをあれするためにぴょんぴょん跳ねる。この行為の意味も先輩は知らないのだろう。決してハートがぴょんぴょんしてるわけではないのだ。こんなんで心が飛び跳ねるのはマゾヒストだけだ。

 全世界の女性諸君に伝えたい。無闇に男の股間を蹴るのはやめるのだ。男が感じるこの痛みを舐めてはいけない。


「まだそんなところにいるの? 早く来なさい」


 俺を置いて先へ進んだ先輩が振り返ってそう言った。俺は変な歩き方になりながら先輩を追いかけた。

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