第10話

「もう、体験入部は行かないから」

 例のごとく、放課後、迎えにやってきた川上は、表情を変えず、というよりも、動けでないでいるようだった。

「じゃあ、私も行かない」

 葵もこちらへやってきたところで、ようやく、川上は眼鏡を右手でかけ直した。

「そうですか。残念ですね」

「あっ、でも、わたくしはサークルに入ってみようと思います」

 隣にいたケンが声をかけると、表情も変えず「歓迎します」とだけ言って、ケンたちは教室から姿を消した。途中、茶髪女子、井倉さんというらしいが、彼女の「お似合いだったのに」という声が聞こえた。

 あれから、クラスは前ほど空気が重たくはない。だけど、話しかけてくれるのはケンと葵と、ちょっと違うけど、井倉さんぐらいだった。他のクラスメイトは距離を置いたり様子を見たりするわけではないが、たまにこちらを見ることがある、それくらいの変化だった。

「どうして、美月はサークルに参加しないの?」

 下駄箱から自転車置き場までの途中、ふいに葵が足を止めた。数歩進んでから、私も止まる。

「どうしてって、あまり、興味がなかったから」

 興味がないのももちろんだが、サークル活動をしたせいで、魔狩りに集中出来なかったら、たまったもんじゃない。ここのところ、体験入部に参加していたせいで、念をこめてあるストックが底をつきそうだったからだ。ストックがないと、いざというとき困るのだ。

「そうなんだ。私も実は興味なかったんだ。昨日は妖精さんとか言っちゃったけど」

「そう」

 葵が隣に並んで歩き始めた。それからは自転車置き場まで無言だった。今まではそんなに感じたことはなかったが、何故か、空気が重く感じた。

「じゃあ、また明日ね」

 校門の前で葵が手を振った。

「うん、また明日」

 私も葵に手を振ると、自転車を漕ぎ始める。つい、この間までは桜が降り注ぐようだったのに、もう青々とした葉が顔を出していた。散った花びらはまだほとんど道路に残っていて、自転車でさいていくと、ふわふわと花びらが舞って、とてもキレイだった。

「やっぱり、反対するべきだったのかな」

 家へついて、ケンの部屋を通り越して自分の部屋へ入った。高校へ一緒に行くようになってからは「着替えたらお部屋にすぐに行きますから」なんて言いながら、ドアを思いっきりケンは閉めていた。それが、今日はない。当たり前になりつつあった習慣だけに、胸のあたりがざわつく。

 そもそも、ケンがサークルに入るのは反対だった。ただ、反対だと言えば、ケンにからかわれそうな気がしたから……。ケンはおっちょこちょいなんだから、調べるなんて探偵みたいな真似事ができるはずがない。それに何かやらかして、サークルのメンバーに何かされてしまったりしそうな気がしてならない。

「とりあえず、ストックを作っておくか」

 考えてもどうにもならない。ストックが少ないのは事実だし、着替えて、念を込めるために準備をした。

 それから、かなりの時間を割いた。いつもなら、20分もあればかなりの量ができるのだが、1時間経ってもできあがったのは、たったの2枚。うまく、集中できずに念が込められない。私の周りには失敗してやぶいた紙であふれていた。それこそ、雪を思い起こすようなほどだ。

 念を込めている途中でも、ふとした瞬間にケンの姿が頭を過った。今頃、どうしているだろうか、何かやらかしてしまったんじゃないだろうか、とか。

 何とか、念を込められた2枚だって、ナイフとか銃じゃない。竹刀とエアソフトガンだ。これじゃあ、正直使えないが、ないよりはマシだから、紙に小さくそれぞれ竹刀、エアソフトガンとシャーペンで書いておいた。

 それからも念を込め続けたが結局できず、魔狩りに備えてベッドに横になった。

「寝れない」

 いつもなら、魔狩りのためというのと、多少の眠気のおかげで、仮眠をとっているのに、外から聞こえる子供の遊び声や、時計の秒針の音がやけに頭の中に響いて、眠るどころか、目がかえって覚めてしまったくらいだ。

「やっぱり、行こう」

 時間は5時だから、まだ、サークルは、やっている可能性がある。もし、終わっていたとしても、ケンとはすれ違うし……。

 制服にも着替えずにそのまま、自転車に乗って学校へ向かう。途中、小学生たちが遊んでいる姿が目に入ったくらいで、ケンとはすれ違うことなく、学校へ到着した。開け放たれた門はよく見ると所々錆びていて、私立だというのに守衛がいるわけでもない。校門をくぐってすぐの校舎も、脇に広がるグラウンドもそこで練習をする陸上部や野球部もここからよく見えた。

「まだ、終わってないみたい」

 クラスの自転車置き場に辿り着いて、点々とまった自転車すべてに目を通すと、その中にケンの名前の書かれた自転車があった。

 私服で来たのはちょっと間違いだったかもしれない。そう思いながら、下駄箱に向かいスリッパに履き替える。廊下には誰もいなくて、ずっと、奥まではっきりと見えた。教室からも特に話し声も聞こえない。急ぎ足で理科室へ向かった。

「鍵かかってる」

 体験入部のときに使っていた理科室へ行き、ドアに手をかけたがビクともしなかった。ドアの小窓から中を確認したが、声も聞こえないし、誰もいないようだった。

「どこに行ったんだろう」

 理科室へ向かうまでの間、ケンやサークルメンバーはおろか、誰ともすれ違わなかったのに。

「じゃあ、ここ?」

 しばらく、周辺を捜して、図書室へ向かった。調べ物は図書室でやったのを思い出したのが、あれこれと探しているうちに閉館時間の5時半をとっくに回っていたらしく、閉館しましたというプレートがドアノブにかけられていた。

 最後にもう一度理科室へ向かったが、やっぱり、誰もいない。

「帰ろう」

 携帯で時間を確認すると6時を少し回ったところだった。

 下駄箱の最後に目をやる。まだ、ケンの靴は変わらずそこにあった。

「何してるんだか」

 何もなければいいけど。

 下駄箱から一歩外へ踏み出して、足がふと止まった。

 遠くで聞こえる野球部の掛け声や笛の音に混じって、聞いたことのない言葉が耳に届いたからだ。低い声、日本語ではないけれど、お経のような、ゆったりとしたものだった。

「屋上?」

 グラウンドの方から聞こえる運動部の声とは違って、少し遠くで聞こえるような気がした。

「誰かいる」

 特別棟の方を見上げると、屋上で何人かが横一列に並んでいた。そこから、変な言葉が聞こえる。

 スリッパにまた履き替えて屋上へ向かった。以前は開かなかったはずの扉。日もほとんど落ちたせいと、小窓しかないせいでドア前は薄暗かった。

「英語……じゃないな」

 ドアにそっと耳を寄せて目を閉じる。ゆったりとした言葉は日本語でも英語でもない。聞きなれない言葉だった。

 小窓からそっと屋上の様子をうかがう。不思議研究サークルのみんなが、奥へ続くように一列に並んでいた。一番手前にいるケンの横顔を見て、少し、ほっとする。みんな何かメモを見ながら、謎の言葉を繰り返ししているようだ。

 やっぱり、何かの呪文なんだろうか。

 この間は、あっさりと、呪いに関しては引き下がった川上だが、ひょっとしたら、サークルに勧誘するために、理解を示したフリをして、本当は、呪いの研究が調べたかっただけなのかもしれない。

 何を意味するかはわからないが、聞いていて気分が暗くなるような感じがする。

 一番奥にいる川上だけがメモなしで声を張り上げて呪文を唱えているようだ。他のメンバーはメモなしでは唱えられないようだし、今までみんなが川上に対して何も言えないところをみると、逆らえない何かがあるのかもしれない。

「弱みを握られてるとか?」

 せっかく、ケンが頑張って調査してくれてるんだから、帰ろう。

 自転車に乗って、校舎を見上げたが、まだ、みんなで呪文を唱えているところだった。

 何か失敗でもしたら、と心配はしたが、何事もないようで、嬉しいような気も、どこか寂しいような気もした。

「でも、とにかく、川上も怪しいけど、他のメンバーも気になる」

 あそこまで川上主導なのもおかしいし、誰か一人くらい、川上に対して何か言ってもおかしくはないと思う。

「でも、一番問題なのは、川上が誰をそんなに憎んでいるかってことだよな」

 家に向かいなら呟いたが、すっかり、闇に飲み込まれた街へ言葉も吸い込まれて行った。

 ケンが帰ってきたのは夕飯を食べ始めた7時過ぎのことだった。

「失礼します」

 ノックもなしにケンは私の部屋の扉が開く。

「何?」

 たくさん食べたのか、満足そうにお腹さすりがなら、ケンは床へ適当に座った。

「報告ですよ」

 ベッドに座ったまま、ケンの報告を聞くことにした。

 どうも、ケンがいうにはあの呪文は何の呪文かは教えてもらえなかったらしく、効果があるまでは時間がかかるから長いこと唱えなければならない、ということらしかった。

「ますます、怪しいですよね」

「確かに」

 どういう効果があるか教えないとか、効果があるまで時間がかかるとか、これが例えば、呪いだとしたら、前にもうやめるって言ったんだからみんなには教えたくないだろうし、効果に時間がかかるというのも、長期戦に持ち込んで呪うつもりかもしれない。

「明日は何をするんだ?」

「明日も同じことするって言っていました。当分は呪文が続きそうですね」

「呪いができるまでは続けるつもりかもしれないな」

 あんなに長い時間、呪文を唱えていたんだ。相当な恨みがあるに違いない。だったら、呪いの効果がでるまでは続けるかもしれない。

「で、メモは持って帰ってきたのか?」

「メモ?」

「そう、呪文メモ見ながら唱えたんだろ」

 そこで、ケンは何度か瞬きをした。

わたくし、メモを見ながら唱えたって言いました?」

「あっ、いや、その、メモ見ないと呪文なんて唱えられないだろ」

「美月様、こっそり、見ていたんでしょう?」

 小さい子がいたずらをしたときに笑うようにケンは笑った。

「とにかく、メモは持って帰ってきたのか?」

「それが……回収されちゃいました」

「回収?」

「無くすとまた書き写すのが大変だからって言ってましたよ」

 ますます怪しい。

 呪文から何かヒントがでるんじゃないかと思ったが、肝心のメモがないのではどうしようもない。

「呪文、覚えてない?」

「……すみません」

「いや、仕方ない」

 聞いた限りではかなり呪文が長いようだったし、ケンだって紙者使いとはいえ、体力や記憶力には限界がある。無理をして、何かあった方が心配だ。

「どうしたんですか? 美月様が怒らないなんて気持ち悪いです」

 眉間にしわを寄せて覗き込むケン。

「そう思うなら、明日はちゃんと覚えてこい」

「やっぱり、そうでないと」

 ケンはそう言って、また、目を細めた。

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