第6話

「おはよう」

 下駄箱で偶然にも中野さんと目が合った。驚いたことに中野さんの方から声をかけてきてくれた。

「おはようございます」

 ケンが後ろで元気な声を出す。

「ほら、美月様も」

 耳元で囁かれてはっとした。

「お、おはよう」

 私が挨拶をした後も、中野さんは前みたいに優しく笑ってくれる。

「教室まで一緒に行かないかしら」

 両手でスクールバッグを持って中野さんが言う。すかさず、ケンが返事をして、二人であわててスリッパへ履き替えた。

 真ん中にケンで両脇に私と中野さんが歩く。教室までのわずかな距離の間、みんなこちらを見て、すぐに視線を外すなんてことはなしなかった。しばらく、そのままで、はっとしたように、みんなして壁へ吸い込まれるように道が開いていく。

 教室に入ってからもその反応は変わらなかった。

 重い空気とはまた違う。まどろんだような何とも言えない独特の空気感だ。

「じゃあ」

 中野さんが席について、私たちも席につく。

「中野さんのところへ行きますか?」

 一度、席について鞄を机に掛けると、ケンが口を開く。

「いいよ、だってほら」

 そう言うと、ケンが黒板の方に目をやる。私たちと違って、中野さんは一番前の席に座ってる。そこへ、例の、茶髪女子が彼女の元へ駆け寄っていた。

「どうして、あんな奴と一緒に教室に来たの?」

「どうしてって、下駄箱で偶然会ったからよ」

 ただ、教室まで一緒に来ただけでも、これだけの騒ぎなのに、これ以上、一緒にいて、中野さんに迷惑をかけるわけにもいかない。私のせいで、中野さんまでが孤立してしまうのは、嫌だ。

「でも、あいつ、紙者使いだって知ってるでしょ」

「だから?」

「関わらない方がいいに決まってるでしょ」

 隣でケンが立ち上がる。微かに震えるケンの手をとっさに握ると、静かに席についた。

「美月様」

「いいの、放っておいて。それに、今、ケンが行くとややこしくなる」

 クラスのみんなが中野さんと茶髪女子、そして、ときどき、私たちに視線を移す。教室へ入ってこうようとしていた人も、入り口で覗き込んでいた。

「藤堂さんがあなたに何かしたの?」

 中野さんは鞄から教科書や筆記用具を出し終えて顔を上げた。

「何かしたの? してないでしょ」

 段々と、茶髪女子の顔色が変わっていく。下唇を噛んで、顔を真っ赤にしていた。取り巻き女子は、横からそんな彼女の様子を心配そうに覗き込んでいる。

「随分と、能天気ね。今はなくても、これからあるかもしれないじゃない。何て言ったって、虎だって呼び出せるっていう紙者使いなんだから。そのうち、あなた痛い目見てもしらないから」

「そんなこと言ってたら誰とも喋れなくなるんじゃない? 今はなくたって、あなたの後ろにいる二人が、あなたを落としいれようとするかもしれないわよ」

 茶髪女子は振り返って二人を睨みつけた。取り巻き二人は慌てて首を振る。

「もう、知らないから」

 そう言って、茶髪女子は自分の席へと着く。取り巻き二人が一生懸命、彼女に何かを話かけていた。

「確かに中野さんの言うように藤堂さんが何かしたわけじゃないもんね」

 しばらくの沈黙のあと、そんな声がどこからか聞こえた。

 いつの間にか、チャイムが鳴り、妙にざわついた教室も静かになっていく。

「朝は、ありがとう」

 お昼休みになり、中野さんに3人でご飯を食べないかと誘われた。昨日、中野さんとケンが食べていた中庭のベンチへと向かう。

「ううん。別に何もしてないよ」

 廊下を通る間は相変わらずみんな壁へへばりつくように避けていく。だけど、教室では昨日までみたいに、悪口を言われたり、突き刺さるような視線を投げかけれることもなくなった。

「そういえば、中野さんの名前って何ですか?」

 ベンチに中野さんを中心に3人で座ると、ケンが声をかけた。

「葵」

「じゃあ、葵ちゃんですね」

 二人してお弁当箱を広げる。

「藤堂さんのこと何て呼んだらいい?」

 私もお弁当箱を広げていると、中野さんは首を傾げる。

「呼び捨てで、美月でいいよ」

「じゃあ、私のことも葵って呼んでね。藤堂君はケン君でいい?」

「もちろんです」

 自分から呼び捨てで、とは言ったものの、他人を呼び捨てにするのは緊張するな。お弁当をつまみながら、何度か、葵って心の中で言ってみたけれど、どこかこそばゆい気がした。

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