第5話

「藤堂さんだ」

 教室へ踏み入れた途端、昨日と同じように空気が凍りつく。

 ありがたいことに私の席は一番後ろだった。席に着くまでの間、みんなが私の動作を一つ一つ確かめるように、見つめていく。まるで、全身に針が刺さるかのような視線だ。ドアから十歩あるかないかのその距離が、マラソンでも走るかのように随分と長く感じた。

「今日は転入生を紹介する」

 チャイムがなり、朝のホームルームが始まった。それまで、重かった空気が息をつく間(ま)もないあいだに、どよめきはじめた。

「今日からお世話になります。藤堂ケンです。宜しくお願いします」

 先生の合図とともに、ケンは教室へ入ると、教壇の上に立って、お辞儀する。いつものヘラヘラ顔をつけて。

「先生、わたくし、美月様の隣が良いです」

 教室を見渡していた先生にケンが声をかけた。

 それまで、どよめいていた教室が、また、静かになってしまう。

「知り合いなのか? だったら、その方が良いな」

 先生の指示で隣に居た野上君は、こちらを一瞥してドア付近の席へ移動した。

 歯を出して笑いながらケンは私の隣へ腰を下ろす。

「何も聞いてない」

 小声でケンの方へ顔を向ける。

「だって、内緒にしていましたから」

「内緒って……第一、原因を調べるって言ってただろ」

「その件についてはもちろん、調べます。でも、美月様のお母様から、ケンちゃんも学校に行った方が良いって勧められまして。それに、こうして、美月様と一日中一緒にいられるなんて、夢のようです」

 あの人は全く何を考えているんだか。

 こいつは紙者なんだから、携帯も学校も必要ない。どれだけ、甘やかせば気が済むのか。だから、こうやって、ケンも調子にのってくるんだ。

「様をつけるのはよしな。誤解されるだろ」

「でも、美月様は美月様です」

「だったら、せめて、ちゃんとか、さんを付ければ良いだろ。あと、なるべく、私に関わるな」

「美月様の迷惑になるようなことはしませんから、そんな寂しいこと言わないでください」

「ダメだ。わかったな」

 いつものように睨んでやると、ケンは声も出さずに小さく頷いた。

 多少のざわつきはあるものの、私とケンの周りだけは妙に距離が保たれている、ということが休み時間になる度、続いた。

「藤堂君と藤堂さんってどういう関係なの? 知り合いみたいだけど」

 遠慮がちに、机一つ分ほど距離を置いて、少し茶髪ぎみの女子が、取り巻き女子2人を連れてケンに声をかけたのは、4限目が始まる前の休み時間のことだった。

「あぁ、美月さ……えっと、いとこです」

「じゃあ、……藤堂君も紙者使いなんだ」

「いえ、わたくしは違いますよ」

 へらへらと笑いながら淡々と答えていくケン。

「そうなんだ。でも、何か、藤堂さんにコキ使われてるって感じだよね。さっき、様とかつけてたし」

 わざとそこだけ声が大きくなった。

 私が顔を上げると、茶髪女子は慌てて目を泳がせる。

 そんなに怖がるくらいなら、言わなきゃいいのに。

「違います。美月様はそんな酷い方ではありません。わたくしが勝手にお慕いしているだけです」

 朝、あれほど言ったのに、様をつけた挙句、誤解されるようなことを口にしていくケンを思わず睨んだ。

「ほら、やっぱり。ずっと、一緒にいるから、藤堂君、感覚がおかしくなっちゃったんだよ。それに見てよ、あの顔」

 その声でみんなが一斉に振りかえる。すぐに視線を外す人もいれば、ずっと、こちらを見てる人もいるし、チラチラと時折見るだけの人もいる。

 つい、何日か前までは、休み時間になる度に賑やかだったのに。

「そんなことないですよ。美月様はちょっとツンデレなだけです。美月様のことを知ればきっと好きになると思います」

「もう、いいかげんにしろ」

 ……しまった。

 そう思った時にはもう遅かった。声は思いの他、大きくて、廊下にいた生徒までが私に視線を投げかける。見覚えのない顔もドアの間から、いくつか見えた。それまで、隣のクラスから漏れていた話し声も、途端に静まり返る。何があったんだ? という男子の声が微かに聞こえ、前後、どちらのドアにもいつの間にか、廊下の壁が見えないほど、人の頭で埋めつくされていた。

「ほらやっぱりね。それが本性なんでしょ」

 少し声をうわずらせながらも、茶髪女子は鼻の穴を大きくした。

「別に、今のはそんなんじゃない」

「そう? ふいに出た言葉ほど、真実味のあるものはないと思うけど」

 そう言って彼女は辺りを見回す。後ろにいた取り巻き女子2人は、お互い見合わせて軽く頷くが、クラスのみんなはただ、黙っているだけだった。

「ほら、何も言い返せないじゃない」

「美月様を悪く言わないでください。これ以上は、わたくしが許しません」

 ヘラヘラ顔をしていたケンの顔つきが変わり、一瞬、周囲がざわついた。魔が現れたときくらいしかしないその顔は、相手を突き刺すような鋭い眼差しだった。

「な、何よ。せっかく、困らないようにサポートしてあげようとしたのに。そんな口のきき方ないんじゃないの?」

「サポートなんてあなたにして頂かなくても結構です。美月様のことをきちんと知りもしないのに、一方的に悪口を言うあなたはどうかしてます」

 瞬き一つもしないで、ケンは彼女をより一層強く睨んでいく。

「紙者使いなのがいけないのよ」

 彼女はそれだけ言って、自分の席へと戻って行ってしまう。取り巻き女子も金魚の糞みたいに彼女の後を追った。

「美月様」

 ため息をついた。

 辺りを見渡すと、みんな急に視線をそらす。廊下にいた生徒も、慌てて自分の教室へ戻って行った。

「何?」

「怒ってます?」

 殺気立つような眼差しから子犬のような顔へ変わっていく。

「別に怒ってない」

 ただ、私と一緒にいると、友達がせっかくできるかもしれないのに、そのチャンスを逃してしまった。だから、関わるなって言ったのに。

「怒ってるじゃないですか。どうしたら許してくれるんですか?」

「じゃあ、とりあえず、あまり、私に関わるな」

 こんな会話をしているだけでも、クラスのみんなは何か囁きながら、思い出したようにこちらを振り返る。

 ケンは机に置いていた手を見つめて、ゆっくりと目をつむった。

「わかりました」

 そう小さくつぶやいて授業の準備を始める。

 今なら、まだ、ケンには友達ができるかもしれない。

 さっきのいざこざも、たぶん、クラスのみんなは私が悪いって思ってる。これ以上、私に関わらなければ、誰か、ケンに声をかけてくれるかもしれない。

 ケンにあんな悲しい思いはして欲しくない。

「美月様」

 声は出さないものの、授業中、ケンがそう言っている気がした。4限目終了のチャイムがなると同時に教科書などを引き出しにしまっていると、ふと、右から視線を感じた。もう、何もない机の上に、紺色のお弁当袋を置いて、じっとこちらを見ていた。

 みんな片付けりお弁当を広げたりする中、私もお弁当箱の入った小さなトートバッグを手にして、急ぎ足で教室をあとにした。

 あんなことを起こしたせいか、廊下に出ただけで空気が変わるのがわかった。振り返っては見るものの何も言わない、言えない。前は誰もよけることがなかったのに、私が一歩足を差し出す度、みんなが壁へよけていく。人だかりで見えなかった廊下が、ずっと、奥の方まで見えた。

学校に私が紙者使いだってことが広まるのは、きっと、あっという間だ。

「わかってたことなのに」

 結局、みんながいる教室棟は居心地が悪くて、特別棟の屋上へ続く階段を上がっていた。

最後の一段を上ってドアノブをひねったけど、やっぱり、鍵がかかっていた。

 ドア前から離れて端っこの方へ座ってお弁当箱を広げる。壁と壁に挟まれて暗いけど、ドアの近くだとすぐそこが階段だから、もし、誰か来たらと思うと、嫌だった。それに、窓から見える教室棟の賑やかなところを見ると、胸の辺りをもがれるような気がした。

 そう、わかってたはずだった。

 それなのに、みんなの態度に傷ついてしまう自分がいる。こんなことじゃ、魔狩りに影響が出てしまうかもしれない。

 もっと、強くならなきゃいけないのに。

 広げた弁当箱はおもちゃ箱を開けたように、色とりどりだ。卵焼きだって、ハートの形をしている。

 卵焼きを掴んだ箸が一向にあがろうとしない。軽いはずなのに、何故か持ち上がらなかった。

「もったいないけど、帰りにどこかで捨てよう」

 高校からは弁当だからと、楽しそうに話していたお母さんの姿を思い出した。お父さんは他の地域で魔が大量に発生しているらしく、2・3年前から援護に行っていて、帰ってきてない。ここで、変に心配はかけたくない。ただでさえ、魔が見えないお母さんは、状況がわからないからか、毎晩、私が家を出る時間、帰ってくる時間には必ず起きているような人だった。

「戻ろう」

 弁当箱を仕舞う手が微かに震えていた。

 今までと何らかわらない。それに、関わりを持つことはなかったとしても、今はケンがいる。

「……お母さん」

 だから、ケンを学校に入れたんだ。

 ぎゅっと目をつむって、強く手を握りしめた。

 相変わらず、教室棟は私を避けるように、みんなが遠のいていく。教室へ入ってもそれは同じだった。

 ケンがいない。

 教室へ足を踏み入れて、首をあちこちへ振った。だけど、ケンの姿は視界に入らなかった。

 もしかして、いじけて帰ってしまったのかもしれない。

「かわいそうね」

 いつの間にか、近くまで茶髪女子がきていた。こんな気配にさえ気づかないなんて、どうかしてる。

「何が?」

「だって、藤堂君、お昼休みみんなに声をかけてたけど、誰も相手にしてなかったわよ」

 教室をぐるりと見渡す。みんな一斉に目をそらした。

「藤堂さんがいなければ、藤堂君だって、こんな思いしなくて良かったかもしれないのに」

 廊下へ一歩足を踏み出すと、彼女はそう言った。置きそびれたトートバッグをきつく握りしめる。振り返った頃には彼女はもう、自分の席へ戻っている頃だった。

 どこへ行ってもみんなの態度は同じだった。決まったように壁へよける。壁にのめりこんでしまうのではないかと思うほど、よける人さえいた。

 下駄箱へ行って自分のクラスのところへ行く。最後の棚に、いつものケンの靴があった。

「まだ、校内にいるんだ」

 1年のいる廊下にはいなかった。さっきのいざこざなんて他のクラスにも見られてるから、どこか別の教室にいるとも考えにくい。2年や3年のクラスなんて行かないだろうし、特別棟なんて人の気配もなかった。

「どこに行ったんだ」

 廊下に戻るのも何だか気まずくて、靴を履きかえてそのまま外へ出た。少し小高いところにある学校なので、遠くの方までよく街が見える。裏手に回って中庭へ行くと、ケンと中野さんが二人でベンチに腰かけていた。

「美月様は悪い人ではありません」

 声をかけようとした瞬間、ケンの声が耳に届いた。勢いよくケンが立ち上がって、中野さんへお箸を持ちながら身振り手振りで、紙者使いとは何なのか、魔狩りとは何なのかを説明していた。

「とにかく、悪い人じゃないんです」

 ベンチに置かれた弁当箱は何一つ手をつけていない状態で、中野さんは頷くわけでも何か言うわけでもなく、お弁当を食べながら、時折、ケンの方を見ていた。

「こんなこと急に言っても信じてもらえないのはわかっています。でも、だからって、美月様を一人にしないであげてください」

 お弁当を食べおえた中野さんは、「そう」とだけ口を開いた。

 ケンはこのことを説明するために、クラスのみんなに声をかけてたんだ。

「私に関わるなって言ったのに」

 呟いて私は軽い足取りで教室へ向かった。

 放課後になっても、ケンは一向に私に対しては口を開くことはなかった。

「帰るよ」

 身支度終えて、ケンに声をかけると、弾んだ声で返事をした。

「はい、美月様」

 茶髪女子だけは私たちを睨んでいたが、他のみんなはこっちを見ないようにしていた。

「あのさ」

「何でしょう?」

 二人並んで坂を下りたところで止まる。

「お弁当」

「お弁当がどうかされました?」

 前かごに突っ込まれたスクールバッグとトートバッグに二人して目が行く。

「いや、その、食べてないだろ」

「何で、そのことご存じなんですか?」

「た、たまたま、見ただけで、別に探してたわけじゃない」

 ふと、ケンと視線が絡んで慌てて視線をそらし、自転車をこぎ始めた。

「そうでしたか。わたくしは美月様に少しでも楽しんでいただきたかったので」

「でも、それじゃあ、お腹が空くだろ」

 また自転車を止めると、ちょうど、公園の前だった。

「ひょっとして、聞こえてました? お腹の音」

「聞こえてないけど……。お母さんにも悪いから、ここで食べてくぞ」

 公園内の端っこに自転車を止めると、ケンも黙ってあとをついてくる。ベンチへ腰かけて私もお弁当箱を広げた。

「美月様もまだだったんですか?」

「悪い?」

「いえ、そんなことありません。一緒に食べられて嬉しいです」

 それから二人して、黙ってお弁当を食べた。実をというと、昼休みはあんなにも食欲がわかなかったが、ケンが一生懸命に説明してくれている姿を見たら急に、お腹が空き始めたのだ。

「私、ちゃんと関わるなって言ったよね」

 お弁当を食べ終えて、ケンの方を見る。ケンも食べ終えて、鞄にしまうところだった。

「はい、聞きました。でも、わたくしは美月様にできる限りのことをしたいと思っています」

 でも、それじゃあ……。

「でも、それじゃあ、ケンに友達ができない」

 トートバッグを握りしめると、爪が掌に強く食い込んでいく。

「美月様がいれば、それで、十分です」

「……でも、ちゃんと、お弁当は食べろよ。お母さんだって心配するんだし」

 先に立ち上がって自転車の籠へ荷物をつっこんだ。

「はい、明日からはきちんと食べます」

「それと、一応、感謝はしてるから。中野さんに説明してくれたこと」

 自転車にまたがって先にこぎ始めると、「やっぱり、ツンデレです」というケンの声が聞こえた。

「うるさい」

 あとを追ってくるケンを置いて、一生懸命にペダルこいで、家へと向かった。

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