第4話

変だ。

 教室に入った途端、ざわついていた空気が凍りついた。にこやかな表情だったみんなが、顔を強張らせて、ドアに立ったままの私へ振り返った。男子は単に見てるだけだが、女子はお互いに顔を合わせては、何か話していた。教室が静かになった分、他のクラスのざわめきがよく聞こえる。

「……藤堂さんの家が紙者使いって本当?」

 ドアの一番近くにいたショートカットの女子が小さな声で訊く。隣にいた髪の長い女子の方を見て、私の方をもう一度、俯き加減に見た。

 辺りを見回すと、みんなが私とこの子のやりとりが気になるようで、それまであった女子のささやき声もなくなっていた。

「そうだよ」

 訊いてきた女子に向かって答えたあとに、教室を見渡すと、みんなふいと目をそらして、再び、何か小声で話し始めた。前の方に座っている中野さんは座ってこっちを見ていたが、私が口を開いた瞬間、体ごとそむけて鞄から教科書やノートをとり出し始めた。

「近寄らない方がいいよ」

 どこかで誰かの声が聞こえた。すぐに探したが誰かはわからない。

 気がつけば肩にかけていた鞄の紐をきつく握り締めていて、少し伸びかけた爪が食い込んでいた。


『近寄らない方がいいよ』


 小さい頃に言われたことと同じだった。

 教室をあとにして廊下を歩く。他のクラスの生徒はまだ知らないようで、私が歩いていても、目を丸くすることも、私の方をみて何かを話すこともなかった。ざわついた廊下でうるさいはずなのに、嫌なことばかりが私の中を支配していく。

『近寄らない方がいいよ』

『美月ちゃん家、紙者使いなんだって』

『やだやだ、私、襲われたくないもん』

 小学校に入ったばかりのことだった。

世間では、コンビニなんてものができて、工場なんかでも、夜勤で働くなんてことが増えて、日本全国にいる紙者使いがあらゆるところで目撃されるようになった。

大きくなって人を襲うようになれば別だが、通常、魔は紙者使いや紙者にしか見えない。それなのに、紙者は具現化してしまうので、普通の人間にも見えてしまう。そのせいで、銃を持った人間が、剣を持った人間がって、騒ぎになった。なかには虎なんか呼び出す紙者使いもいるので、紙者使いは恐ろしいと認知されてしまった。いくら説明しようにも実際に魔が見えるわけではないから、誰も理解してくれない。

 ただ、紙を使って何かを呼び出している。物理的におかしくとも、何人もの人がそれを目にしてきた。だから、紙者使いは危ないモン使ってるって変に世間へ広まっていった。

気が付けば私は走り出していた。肩にかけていた鞄が揺れて体に何度も当たったが、そんなことはどうでも良かった。

必死に走る私を誰も気にする様子はなく、楽しそうに笑いながら会話している。特別塔へと繋がる廊下を通り抜けると、先ほどまで耳障りだった騒ぎ声が静かになった。特別塔は誰もおらず、私の足音がよく響いた。

わかってた。

小学校も中学もこうだったんだ。高校だってこうなることはわかってた。

……だから、他人なんていらないんだ。すぐに掌をかえされるんだから。

階段をかけあがる。一段飛ばしであがっていく。

 息が随分苦しくて、一段飛ばしであがるのにも疲れて立ち止まる。ちょうど、3階へあがったところだ。廊下を見ると、先のほうまで誰もいない。ここにいるのは私だけ。それに比べて向かいの教室塔は、たくさんの生徒で賑わっていた。みんな笑って、会話して、ドアの隙間から見える教室の中だって、会話は聞こえないのに、明るい雰囲気だっていうのがわかる。

ゆっくりまるで地面を確かめるように一段一段階段を上っていく。廊下も寂しいと思ったが、小さな窓からしか明かりの入らない踊り場はもっと静かで暗くて閉鎖的な感じがした。また階段を上って4階へ着く。今度は教室塔の方を見ずに階段をまた上がっていくと屋上へとたどり着いた。

「鍵かかってるし」

ドアノブをひねってみたが、錆びれた音がするだけで開きはしない。半分だけガラス窓で屋上の様子がわかった。汚いコンクリートがただあるだけだ。仕方なくそのまま座った。

『近寄らないで』

小学校のときに家が紙者使いだってわかった途端、誰も一緒に遊んでくれなくなった。特に女の子は酷く、忌み嫌われ、そして、私はそこにいないように目を合わさず、近寄らなくなっていった。存在すら認められなかった。ケンはそんな頃に呼び出した紙者だ。

「一緒に遊んで」

ぬいぐるみやカラフルなおもちゃが散らかった自分の部屋で呼び出したのは、自分と同い年くらいの男の子だった。

寝癖のように広がる髪、服はそのときよく見ていたアニメの主人公が着ているもので、原色を使ったシャツにズボンだった。ただ、シャツもズボンも少し短い。

「あんたに言ってんの」

部屋をくるくる見回していた顔が私と視線が絡んでとまった。

「そっか、名前がないんだ」

 私が首を傾げると真似して私と同じ方向へ男の子も首を傾げる。辺りを見回しても、くまのぬいぐるみだとか、人形くらいしかない。

「男の子だから強いのがいい」

 呟いて目をつむる。

「そうだ、ケン。ケンだよ。剣は強いから」

 ケンの手を取ってゆっくり口を開く。

「ケン」

 口をわざと大きく開いてみせると、ケンも真似して「ケン」とゆっくり口を開いた。よほど気に入ったのか、立ち上がって足場の少ない散らばった部屋で器用に走りながら、ケンは何度も「ケン」と叫んでいた。

「考えたら生意気」

 ふと、ケンを呼び出した頃のことを思い出して、思わず下唇をかんだ。

 そもそも、ケンを呼び出したのは遊び相手が欲しかったから。それなのに、この間、ケンはまだ役目を終えてない、なんてふざけたこと言うし。

「もう遊ばないのに」

 ドアに背を預けていたが、なんとなく、体育座りをする。階段の下の廊下を見ると、誰もいないせいもあってやけに殺風景に思えた。壁も廊下もざっと見た感じではきれいなのに、よく見たらくすんでいて傷がついてたりしていた。

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