第3話
『あいつなんかいなくなればいい』
「大丈夫ですか?」
魔を封じ終えた魔絵巻が私の手元に戻ると、隣にいたケンは突然顔を覗き込んだ。この間のパジャマ姿ではなく今日はジャージを着ていたが、私のものと比べれば、裾が擦り切れていて、全体的にどこか色がくすんでいる。夜中だが、ちょうど、街灯の下だからそれがよく目立った。
「大丈夫に決まってんだろ」
ポケットへ無造作に突っ込み歩き始めると、あわててケンが小走りをして駆け寄る。
「そうではなくて。最近、魔が多い気がするので、美月様のお体を心配してるんです」
私が大またで歩くのとは違い、小幅でひよこのようにケンはあとをついてくる。いつもは私の顔を見て目を細めて喋ったり、手を使って喋るくせに、今日は声も小さければ、私の方も見ずに足元を見て手をもんでいた。
「私がそんなに軟弱に見える?」
立ち止まって、ケンを見た。それでも、ケンは私と視線を絡めようとはせずに、自分の足元に目をやる。一瞬、止まりかけた手をもむ動作が急に小刻みになり始めた。
「そうじゃありません。でも、ここのところ数が多すぎます」
確かにケンがそう言いたいのもわかる。田舎なこの土地でもコンビニがだいぶと普及したせいか、年々、魔が増えているのも事実。もっと言えば、携帯やインターネットができてからの急増ぶりはすごいものだったって聞いてる。
「確かにここ数年増えてるけど、体力だって技だって磨いてるから問題ない」
再び歩き出すと、ケンは急に走り出して私の前に立ちふさがった。夜で何も音がしない分、よく音が響く。ケンが手を広げたその音さえ響いた気がした。
「数年じゃなくて、ここ数週間の話です。以前よりも魔の数も多ければ、力も強い気がします。いくら美月様が強くても、増えすぎては美月様が倒れてしまいます」
喋る間、ずっとケンは強く目を瞑っていた。顔中がしわだらけだ。
「確かに多いと言えば多いけど、時期的なものだって」
「時期的なものって例えば何ですか?」
ケンをすり抜けて歩こうとしても、すかさず、ケンが通せんぼうする。まるで私を見下ろすようだ。それまで虫の鳴き声のような小さな声だったが、次第に声を荒げていく。肩で息をゆっくりすると、口を強く結んだ。
「いろいろあるだろ、いろいろ。新生活への不安とかさ」
「去年はそんなに多くありませんでしたよ」
ため息ついて視線を外すと、今度はケンがため息をついた。
「美月様気づいてますか? 最近の魔はどれも、特定の誰かを消したいという思いばかりです。さっきのだって、あいつなんかいなくなればいい、この間のも、あんな奴消えればいいのに、ですよ」
話の途中から何だか説教でもされてるような気分になって、ケンを放っておいて歩いてく。でも、ケンも負けじと私の一歩前を歩いては、私の眼を見、両手を動かしながら語る。
「どけ」
私の前にまた立ちはだかろうとしたケンを右手で思い切り払った。よろめいたケンが眼を丸くして私を見たあと、私の視線の先に目をやる。薄暗い中で、真っ黒な魔がかたつむりのようにゆっくりこちらに向かっていた。まだ、子犬くらいの大きさでぼんやりとした魔だ。
ポケットに手を突っ込んで紙を取り出す。何枚か束になった紙の中から一枚取り出して、空へ投げる。
「出ておいで」
蝶のように空を舞って、自ら紙くずのようになると、泡のように膨らんでいく。
銃に形を変えると、私の手元へ流れるようにやってくる。小さな体の割りに重く、銃口からは赤いレーザーが出ていた。暗い闇に赤い一筋の光だけが目につく。ゆっくりと魔へ向けると、まるで吸い込まれるようにレーザーはそこで止まった。
私がゆっくりと引き金に指の腹を添えて、軽くひっぱると、音も立てずにまるで小さな刃のような光の塊が魔へと瞬時に練りこまれていく。ふるふると小刻みに魔が揺れ出した。
「散っていいよ」
途端に手が軽くなりふわりと宙へ浮くと、紙くずへ戻り、そして小さくなって散っていく。
ジャージのポケットから魔絵巻を取り出して、空へ投げる。ゆったりと広がった魔絵巻には形も大きさも様々なものが記されていた。
「早く入りな」
穏やかな波にように揺れる魔絵巻と魔を見比べた。魔絵巻だけが淡く水色に光って、魔を吸いとっていく。
『あいつなんかいなくなればいい』
魔絵巻が丸くなって私の手元へ戻ってくると、ケンが私の前に立った。
「ほら、やっぱり、さっきと全く同じじゃないですか」
魔絵巻を広げてざっと目を通す。ケンも反対側から顔を右から左へ動かして目で追った。どの魔もさほど大きくはない。絵にすれば消しゴムほどの大きさだった。
「このまま放っておいたら大きな魔になって、一般人を襲ってしまいます」
確かにそれはケンの言う通りだ。
通常であれば、一般人には見えない魔も、大きくなって力を持つようになると、一般人にも見えるようになるどころか、だれかれ構わず、奴らは人を襲って、力を蓄えようとする。
魔絵巻に封じ込められた魔をひとつずつ、まるで撫でるようにケンが目を追う。途中だったが、魔絵巻を丸めてポケットに入れると、視線はポケットの方だった。
「わかってる。でも、原因がわからないものを悩んでも仕方ないだろ」
ケンが言いたいのは、もう一つある。こんなにも同じような魔が続いて存在してるってことは、誰かが毎日毎日同じことを思って言葉にしてるってことだ。これでは、魔狩りで封じ込めていくだけでは間に合わなくなるかもしれない。
「確かにそうですけど」
ようやく、視線を絡めたケンは段々と声を小さくしていく。
私ができるのは、魔を封じ込めること。原因がわかってるならともかく、原因が何なのか、元は何なのかなんてそんなことまではわからい。だから、対処しようにもできない。そもそも、原因がわかったところで、魔を封じることはできても、その言葉自体は封じれないからどうにもならい。
「ほらほら、わかったらさっさと巡回するぞ」
ケンの肩を叩いて歩きだすと、唇を尖らせながらケンが数歩後ろをついてきた。いつもは元気が良すぎて足音が煩いのに、今は足音なんてほとんど聞こえない。振り返ると暗いせいでケンの姿がほとんど見えない。いつもよりも小幅で随分と遅いペースで歩いている。子犬の散歩よりも遅いくらいだ。
「あっ」
俯きながら歩いていたケンは急に立ち止まると、顔を上げて途端に走り出す。
「美月様!」
両肩をキツく握られると、先ほどまでの顔とは打って変わって、目が大きく見開いていて息も荒い。生暖かい息が頬をかすめて思わず眉間にしわを寄せる。
「
「は?」
一段と息の荒くなったケンは手に力を込める。ケンの私とは少し違う骨ばった手が全体的に肩に食い込んでいく。思わず身を縮こまらせてしまった。
「
「それはありがたいけどさ、調べようがないだろ」
軽く右手でケンの腕を払いのけると、ケンがそっと手を離した。離れたはずの手がまだ肩にあるような気がする。
「でも、もしかしたら、何かわかるかもしれません。美月様が学校に行っている間、
「勝手にしろ」
私の手をつかもうとしたケンをよそに住宅街を再び歩き始めた。
「勝手にさせて頂きます」
今度は私が少し唇を尖らせていると、ケンは嬉しそうに独り言をつぶやき始めた。
「何から始めよう。とりあえずは、近所を歩いてまわろうか」
「うるさい」
まるで誰かに話すようにケンは首をかしげたり、手を組んだりする。
「あっ、美月様。心配なさらなくて大丈夫ですよ。調査をしてもちゃんとお迎えにはあがりますから」
携帯をズボンのポケットから取り出して開く。眩しい光に思わず、目を細めた。3時32分だ。あと、もうちょっとで今日も終わる。
「あと、朝もきちんと起こしますから」
歩きながら時間を確認していた横で、ケンも時間を確認すると、意気揚々と声を高めて答える。
「美月様は朝が苦手ですもんね。
拳を作って力強く私の前でそれを見せ付ける。横目でそれを見ながら携帯を閉まった。
「うるさいっ」
拳を思いっきり叩きつけると、乾いた音がしてケンの拳は崩れた。叩いた場所を手でさすりながらケンがまた笑う。さすったあとも、息をそっと吹きかけているのに、それでも、ケンは笑って、最近よく耳にするどこかの歌手の歌を鼻歌で歌った。
「近所迷惑だ」
頬を思い切りつねってやると、音がずれて元がどんな歌かわからなくなってしまった。
「痛いですよ」
唇を尖らせ、頬をまるで水をすくうような形にして手で覆う。
「夜なんだから静かにしろ」
私が声をあげた途端、ケンが黙る。途端に、辺りの風の音が耳に届いた。
「美月様だって、今の声、大きいですよ」
頬から手を離したケンが語尾をのばす。ケンの方を一瞬目だけで追う。視線がぶつかって、ケンは前を見るとまた頬を手で覆った。
「そんなことない」
今声に出したのはケンを静かにするために声をあげただけだ。別にうるさくなんかない。
「美月様って、ツンデレですよね」
小さな子が悪巧みするように小さくケンは笑って、口元を手で隠す。
「ツンデレじゃないっ」
精一杯力を込めてケンの背中を叩いてやると、低い音共に私の掌にも鈍い痛みが痺れるように広がっていった。
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