第3話  おこりん坊さん病院に行くの巻

 今日はおこりん坊さんの二週間に一度の免疫治療の日だ。

おこりん坊さん(小町)は大きい人が目に入れても痛くない程可愛がっている僕のきょいだい。そのおこりん坊さんは病院に行くのが嫌で、朝からご飯も食べずに隠れ場所を探して行ったり来たりしている。病院に行くと、前足に管を入れられ、点滴が終わるまでゲージの中でじっとしていなければならない。その上、今日は土砂降りの雨で(ネコは雨の日は眠いのだ。)誰だってこんな日は行きたくない。

おこりん坊さんがやっと三階のエリさんの部屋のクローゼットの中に隠れようと決めた頃、ここのがキャリーを持って探しにやって来た。エリさんは家の前に止めた車の中で待っている。

「小町。コマちゃん、どこですか?」

『おこりん坊さんは呼んでもお答えしませんよ。』

「かなには聞いてませんから。」

『そうですか、そうですね。ごもっともです。』

二階のキッチンで、僕は出掛ける前の腹ごしらえをしながら答えた。

ここのは僕たちの隠れ場所を見つけるのが得意でいつも捕まってしまう。でも、今回はおこりん坊さんの勝ちかも。あんな所に隠れるなんて、僕には思いもつかない。

ここのは慌てることもなく、確実にポイントを決めて探し始めた。一階のトイレ、二階の本棚の下、テレビの裏側、三階のここのの部屋。そして、残るはエリさんの部屋。ベットの上のタオルケットのこんもりとした山をここぞとばかりに勢いよく捲った。が、いない。ここのはいつもと違う所がないかと部屋中を見回した。クローゼットのドアが少し開いている。その時、二階にいる僕とここのの頭の中がシンクロした。僕は慌てておこりん坊さんの隠れ場所を頭から追い払ったが間に合わなかった。ここのは勝ち誇った様ににやりと笑って静かにドアを開けた。おこりん坊さんは収納ダンスの上の麦わら帽子の中に隠れている。網目から覗く二つの大きな目。その怯えた目と、ここのと僕の目が合う。反射的に、おこりん坊さんはくるりと背を向けたが遅かった。ここのは帽子をそおっと持ち上げ、縮こまって小さくなったおこりん坊さんの体を素早く掴んだ。

「小町、みっけ!」

ここのは床に置いたキャリ―の中におこりん坊さんを入れ、鼻歌を歌いながら階段を下りて来る。

僕は食べるのを止めてここのの顔を見上げた。

「かな、かなも一緒に行くよ。小町の付き添いね。昨夜、くしゃみしてたから。つ いでに診てもらおう。」

『えっ!』

幽体の僕はついて行きますけど、実体の僕はお留守番ですよ。それに、ごはんもまだ途中ですし。

ここのは僕の返事も待たずに、おこりん坊さんが凶暴さんになったキャリーの中に僕を押し込める。

『おこりん坊さんがあっちに行けと言っています。それに、僕はどこも悪くありま せん。もしもしっ?!聞こえますか!』

『心配かけて、しょうがない奴だ。』

そう言いながら大きい人はキャリーの外で笑いを堪えてる。

僕は叫んだ。

『僕の体はどこも悪くありませ~ん。僕は無実ですよ~。おいおいおいおい!』



 日曜日の朝の道路は空いていて、十一時の予約時間より早く着き、いつ来ても混んでいる病院は、雨が降っているので思っていたより患者さんが少なかった。エリさんは駐車場に車を停めに行き、ここのは一足先に僕とおこりん坊さんの入ったキャリーを抱え、待合室のソファに座った。

窓際に座っていた患者さんが名前を呼ばれて診察室に入る。入れ替わりに、香水の匂いプンプンで長い髪をかき上げたお化粧の派手なおばさんが、わんこを連れて入り口のドアからやって来た。

『ここの、聞こえますか?どうぞ、どうぞ。』

僕はキャリーの中からここのを呼んだ。

「何よ。かな。帰りたいと言っても無理だからね。」

ここのは心の声で答えた。

『わかっています。僕は連れてこられた人質ですから。それよりもあそこのわんこを見て下さい。』

「あそこってまさか、いつもの悪い癖が出て、大きいわんこにここでウンチッチさ せるつもりじゃないよね。」

『大きなわんこはお知合いですか、どうですか。大きなわんこはウンコですよ。勝つの顔と同じ大きさのウンコが出て来る楽しさをここのは知りませんねぇ。って違います。今は隣のわんこのことですよ。』

「よかったぁ。で、あの白いマルチーズのこと?」

『はい、その白いわんこの飼い主は、毎朝六時に起きてわんこを抱っこしながら、鏡の前で汚いものを顔に塗り、汚いものを髪にスプレーするそうです。それで、わんこの鼻の中にスプレーの匂いが残り、味覚障害と嗅覚障害で食欲減退、ガンになっちゃいましたよ。おいおいおい!』

それを聞いて、(人の役に立ちたい精神)がムクムクと頭を持ち上げて来たここのは、おばさんを睨んでいる。やっぱりジイジの孫。血は争えない。ここのは思わず立ち上がり、ソファにキャリーを置いておばさんの方に一歩足を踏み出した。と、そのとき、エリさんがハンカチで濡れた洋服を拭きながら待合室に入って来た。

「待ってる患者さんてこれだけ?」

エリさんはここのを見つけると隣に座り周りを見回した。

「病院の駐車場が停められなくって、仕方ないから隣の有料に入れたけど、誰か関係ない人が利用してるんじゃないの?」

ブツブツ小声で怒るエリさんに勢いを削がれたのか、ここのはソファに座り直す。

わんこは気の毒だけどこれで良かったのかもしれない。僕がそう思うと大きい人はエリさんの足元で頷いた。雨が降っても地は固まらず、結果は流れて変わりません。反省して泣きそうな僕をキャリーの中でおこりん坊さんが慰めてくれた。

余計なおしゃべりはバカものですよ・・・。

 次に現れたのは、何でもない普通のブラウスにスカートの、何処にでも居そうなおばさん。膝に抱えたわんこはベージュ色のマルチーズ。先程の派手なおばさんを見るなり走りより、隣に座って親しげに話し始めた。またまたぁ~。マルチーズですか?マルチーズですよ!どうでしょう。泣いたネコが笑った。。懲りない僕。

『今やって来たのは今年で十五歳になるわんこ。飼い主のおばさんは、皆に自分のわんこは臭いと言っていますが、そのわんこは自分よりご主人のパンツが臭いと言っています。パンツを履き替えるのが面倒なご主人ですよ。おいおい!』

「かな。もういいから・・・。」

ここのはキャリーに顔を突っ伏して笑いを堪えている。隣にいるエリさんは、何も知らずにおこりん坊さんの体の状態を看護師さんに説明している。そんなにおかしいことですか?僕はわんこから素直に聞いた事を言ったまでですけど・・・。家では旦那さんとほとんど話をしませんが、病院に来ると、お互い初めて会った相手でもよく話をします。病気の動物を抱えた飼い主さん同士ストレス発散。みんな大変だの背比べ。不幸なのは自分だけじゃないと思いたい。

『恐るべし!マルチーズ軍団。』



「願井さま」

診察室のドアが開いて森川先生が呼んでいる。

エリさんとここのが信頼してる森川譲二先生ことじょうじの人は、口の周りに毛が生えているので毛むくじゃらですよ。僕も小さい頃、皆より少し毛が長いのでエリさんに毛むくじゃらと言われました。同じですね。

僕とおこりん坊さんはキャリーの中でじょうじの人を見上げた。今日のじょうじの人は昨夜緊急オペが入って呼び出され、それが朝まで掛かりお疲れです。取りあえず、大人しくしといた方が身のためかも!?ですね。

「こんにちは。よろしくお願いします。この間の治療の後、小町ちゃんの様子はいかがでした?」

「一日目は吐いたんですが、次の日にはだいぶ落ち着いて。普段通りに食べて動いています。」

エリさんはそう言いながら嫌がるおこりん坊さんをキャリーから出した。

「わかりました。それでしたら体にあまり負担が掛からなかったようなので安心しました。今日は治療の前に触診します。心臓、呼吸音、OK。大丈夫です。他に気になることはありませんか?」

「そうですねぇ・・・。これと言っては・・・。」

エリさんはしばらく考えていたが思い当たる事がなかった。

「そういえば、コマちゃん。ちょっと便秘気味かも。」

突然、言わなくてもいい事をここのが言い出した。

僕が生まれるずっと前、おこりん坊さんが急に倒れたことがある。そこに運悪く居合わせたのが柱さん。倒れた傍には大きな球状のウンチッチが。どう見ても、おこりん坊さんの中から出て来たとは思えない大きさで、念のため病院に行くと、お医者さん曰く、それを出すのに力を使い果たし気絶したんじゃないかと。そういう前科はあるが、触らぬ神に祟りなし。僕は診察台の上のおこりん坊さんを横目でチラッと見た。おこりん坊さんは何も言わず俯いたまま。プライド高いことご存知ですか?ご存知ですよ。知りませんよ。僕は。

「そうですか。ではお尻を診てみますね。これは・・・。肛門腺に溜まっています。ちょっと押さえてもらってもいいですか。」

ここのとエリさんに押さえつけられたおこりん坊さんは、凄い顔でキャリーの中の僕を睨んでいる。誤解しないでください。言ったのは僕ではありませんから!じょうじの人お手柔らかにお願いします。では・・。肛門絞りいきま~す。

僕はおこりん坊さんの痛がる声を聞きたくなくて耳を塞いだ。僕だって前に似たようなことをされましたよ。その時は違う先生でしたけど。お尻に体温計を入れられ熱を測ったんです。すごく痛くて、動いたらもっと痛くなって。我慢できずに泣いちゃいました。そして、家に帰りトイレに入ってウンチッチをしたら血が出たんです。ここのはそれを見て可哀想にって、一応言葉では慰めてくれましたけど、心の中では笑ってました。動物のお医者さんと言われる方全てにお願いします。僕たちは痛いと言えないので優しくですよ。そんな事を思い出していたら、おこりん坊さんの処置は終わっていました。次は僕の番。診察台の上の僕は俎板のネコ。

「かなう君。久しぶりですね。鼻炎だということでまずは熱を測りますね。」

ほらほらー。きたきた!じょうじの人が優しく言ってくれても状況は変わらない。

「かな、大人しくじっとして動かない方がいいから。」

ここのは今度も半分笑いながら心の中で言った。

『脅かさないでください。やめてくださ~い。結構ですよ!もしもしっ?!』

じょうじの人は体温計を僕のお尻に入れた。

いち、にい、さあん・・・。がまんがまん、がまーん。

「はい、終わりました。熱はないです。頑張った。えらい。」

そうですよ。当たり前じゃあないですか。もう、血は見たくありません。僕は少しだけホッとした。

「先生。そういえば、かなうの首の所におできみたいなものがあるんですが。」

今度はエリさんが余計な事を言い出した。

おこりん坊さんの時は何も思い出さなかったのに!大きい人は診察台の下で僕を見上げて瞬きを二度した。そうです。わかっています。これで終わりだから我慢します。

「小町ちゃんのこともあるので念のため調べてみます。終わりましたらお呼びしますので、待合室でお待ちください。」

じょうじの人は僕の首回りを手で触りながら言った。その後、僕とおこりん坊さんはキャリーに入れられ、エリさんとここのは診察室を出た。



「願井様。お待たせしました。」

えりさんとここのが待つ診察室に戻って来たのは僕だけで、おこりん坊さんは奥の部屋のゲージの中で点滴をしている。じょうじの人は僕を見ながら言った。

「かなう君のは、ニキビみたいに皮脂が毛穴に詰まり固くなったものですので心配ありません。今以上大きくなるようでしたら切りましょう。それと、小町ちゃんなのですが、体重が少し落ち、免疫力が下がっていますので栄養補給の点滴をしたいと思います。一晩お預かりして明日お迎えという事でもよろしいでしょうか。」

「わかりました。宜しくお願い致します。」

エリさんは取り敢えず僕が何でもなかったので安心したみたいだ。あとはおこりん坊さんのことだけ。ここのも心配そうな顔で頷いている。

『僕は垢のかたまりですよー。お尻のかたまり♪垢のかたまり♪』

僕は皆に元気になってもらいたくって鼻歌を歌った。ここのには聞こえているはず。

『お尻、ツールツル♪垢、ツールツル♪』

僕はどんどん調子に乗って歌う。だから、声もどんどん大きくなる。家族は励まし合うものですよ。

『バカ!うるさいっ!』

恥ずかしさのあまり、おこりん坊さんが診察室の奥の部屋から大声で怒鳴った。こうして僕はいつでも怒られる。頑張ってるのに・・・。

『お調子者ですよー。』



 雨は上がり、帰り道は行き道よりも混んでいた。

エリさんの車の前にマイクロバスが二台も繋がり、信号待ちで追い越そうとしても、追い越し禁止の黄色い車線が続き、どうしても追い越せない。やっと三車線になり並んで横を見ると、マイクロバスの中は黒い人だらけ。

『焼き場帰りの人ですよ。』

僕は見た儘を言った。運転しているエリさんは、

「この所、急に熱くなったから、お年寄りは体がついていけなくなって亡くなる人が多いのよね。」

と言い、一人納得した顔で頷いている。エリさんの車が先頭のマイクロバスを追い越すと、その前には黒い霊柩車が走っていた。僕たちを乗せたエリさんの車はそのまま並んで走り、しばらく行くと前方に大きな斎場が見えて、黒の霊柩車一行は入り口付近で道を曲がり中に消えて行った。

『焼かれる人ですよ。』

僕は霊柩車を見送り、

『焼かれた人ですよ。』

後ろを振り返って大きい人を見た。大きい人は一番後ろで苦笑いしている。

『ギャ!怒られました。大きい人に噛まれましたよ。噛まれた人は誰ですか?僕ですか。おいおいおい!』

僕が前を向いた瞬間、後ろから首筋をカブッと。冗談のつもりで言ったのに、大きい人にはやっぱり通じなかったみたいです。エリさんが僕の悲鳴を聞きつけ、バックミラーから心配そうに後ろを覗き込む。エリさんには大きい人が見えないから、僕がキャリーの中で独り相撲をして騒いでいるとしか思わない。

「ここの。かなは大丈夫?ちょっと見てあげて。」

「大丈夫だって。ほっといたほうがいいよ。いつものことだから。」

助手席のここのはいつもの親子喧嘩だとわかっているから聞こえない振りをして、アイポットから流れて来る大好きなキャリーぱみゅぱみゅの曲のボリュームを上げた。



 家に帰ると、さっそく、エリさんが頑張ったご褒美に缶詰のごはんを出してくれた。

『今日の僕は泣いたり笑ったり、(普通、ネコは泣いたり笑ったりしません。僕だけです。)いろいろあり過ぎてお腹がペコペコですよ。噛まれた事なんて忘れちゃいました。大きい人も遠慮なく、僕の口を貸してあげますから。ごはんをいっぱい食べて下さい。』

僕と弟の勝つ、シマシマさんにわるものさんはテーブルの前に並んでごはんを食べ、誰かが周りにいると唸ってばかりで、ごはんを食べない神経質なババァ(黄色)は、皆と離れたネコタワーの上で独り食べている。

大きい人が浄水器に前足を掛けて体を伸ばし、上から水を飲んだ。

『体が無いのに食べたごはんや飲んだ水は何処へいくのでしょう。気になりますか。気になりませんか。どうでしょう?!僕の目には、皆と変わらず実体で見えているので、気にしたことはないですが、今度、大きい人の機嫌が良い時にきいてみますね。』

ここのとエリさんは、僕のお手並み拝見料理、クラゲ入りの特製冷やし中華を食べ終わるとソファに座った。僕は待ってましたとばかりに、エリさんの膝の上に乗り、のんびりと毛繕いを始めた。ここのはテレビのスイッチを入れクイズ番組を見る。本物はどれかを当てるコーナーで、二人はどっちが勝つか競い始めた。

「サーモンの切り身?食品サンプルの中からどれが本物かなんてわかんないよ。」

ここのはよく見ようと立ち上がり、テレビ画面に近づく。

「お母さんはこれだと思う。」

僕を膝に乗せたエリさんは迷いもなく選んで当たり、続く二問目も当てる。

「ちょっと待ってよ。お母さんだけずるーい。なんで?!いいもん。今度は当ててやる!」

ここのは口を尖らせて真剣に画面を見つめる。僕はエリさんの膝からここのの膝へ移る。

『本物の手羽先はBです。』

僕はここのに意識を送る。

「本物はB。今度は絶対当たるから。」

ここのは僕の言う通りに答える。当然ながら当たって大喜び。で、僕はエリさんの膝の上に戻る。そして、クイズも突然終わる。

「ええっ!これで終わり?ずる~い。結局、私が負け?」

と言いながらここのは僕をじっと見ている。

『かな、何で助けてくれなかったの?』

『助けましたよ。』

ここのが聞いてきたので僕は答えた。一問だけ助けてもらった人は誰でしょう?ここのですよ。二問助けてもらった人は誰でしょう?エリさんですよ。結果、負けた人はここのですよ。勝たせてとはお願いされてません。一問だけでも助けたことに変わりはありませんから。おいおいおい!

『そう?じゃいいけど・・・。』

テレビを消して立ち上がるここの。静かな部屋に浄水器の水の流れる音と耳障りなモーター音が響き渡る。

『ブゥーンって、まったく!!うるさいんだから。』

負けて機嫌の悪いここのは浄水器を手で叩いて八つ当たり。その瞬間、ピタリと音が止んだ。ここのは驚きその場で固まっている。僕はエリさんの膝の上でゆっくりと寝返りを打ち、これから寝る体勢を整える。これでご満足頂けたでしょうか。他にご用はございませんか?今夜の僕はご機嫌なんです。何故かと言えば、僕が膝の上に乗ると、いつも決まっておこりん坊さんが来て追い出されます。先着順を守って下さいと言いたいところですが、そのおこりん坊さんも今夜だけは病院にお泊り。僕だけがエリさんの膝を独り占めです。

『今夜はどけと言われない生活ですよ。おいおいおいおい!!』

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