第68話 宇宙よりも遠い場所
「おい、湊ー! 今日は節約とかケチくせーこと言うんじゃねーぞ! いっぱい肉出せよ、肉ーっ!」
「もちろん、お詫びなので頑張って作りますが……あなたの分は少なめにします。マユさん達にご迷惑をおかけした罰です。少しは反省してください、花凛」
「ハァァァァ!? んだよそれ! いーじゃねーか別に、死んでねーんだしよぉ。つか、アタシだって剣ブチ折られたっつーの! お互い様だろーが!」
「どうしてそうなるんですか、まったく……」
…………何だか、妙な展開になっちまったなぁ。
たっぷり一ヶ月も樹海で迷子になって、ようやく進展があったかと思ったら問答無用の闇討ちを仕掛けられ、それから三十分も経たない内に名前しか知らないってのに闇討ち相手と仲良く食卓を囲むことになるなんて……。
わけがわからないよ。
つーか、別に断ってもよかったんじゃん。
コミュ障オブザイヤーの陽芽に自動迎撃バーサーカーガールのマユが、事情を知らない初対面の人とわいわい談笑できるとは思えないし、そもそも俺だって普通にめんどくせえ。
じゃあ、どうして俺は愚かにもイエスと即答してしまったのか。
それはひとえに、目の前にいる善良を絵に描いたような男が醸し出す『いい人オーラ』のせいで、まるで断った方が極悪人になりそうだという恐ろしい罠が――
「どうかしましたか、天地さん? もしかして、体調がすぐれないのですか?」
静かに浮遊するセーブクリスタルの下で皆が円形になってくつろぐ中、ついつい心ここにあらずになってしまっていた俺の顔を、紅月さんが干し肉を切り分ける手を止めてそっと覗き込む。
フォトショで職人が加工したような超絶イケメンが目と鼻の先に現れ、俺はしどろもどろになって目を泳がせた。
「あ、いえいえ、そ、そんなことは全然……っていうか、そんな丁寧語はやめてくださいよ。俺より年上じゃないですか」
「そーだぞ、湊。いっつも言ってっけどよぉ、お前のデスマス気持ちワリーんだよ、マジで」
「いや、これは僕の癖というか、この方が話しやすいもので、つい……。すみません、気に障りましたか?」
「あ、いえいえ、紅月さんがよければ俺は全然……あはははは」
つい今しがた出会ったばかりの俺達の前で、平常運転と言わんばかりの自然な態度の二人。
マイペースレベルでは雨柳&ローニン夫婦に引けを取らない。
すでに終えられた簡単な自己紹介を思い出しながら、俺は改めて二人を観察する。
「それにしても、三人ともお若いですよね。その歳でこんな所まで来るなんて、本当にすごいです」
――紅月湊、二十一歳。
俺でも知ってる超有名国立大学に在籍していたという、学力と顔面の両偏差値がアホほど高い秀才美男子。
さらさらとした鮮やかな茶髪。
長い前髪の奥で優しい光を放つ、二重の大きな瞳。
柔和な笑みを浮かべた際に覗かせる、綺麗に並んだ真っ白な歯。
モデルと見紛うスラッとした長身。
魔法使いっぽさを残しながら現代ファションとしても通用するスタイリッシュで知的なローブ。
こんなジメジメとした不衛生なダンジョンにおいても全く乱れることのない整った身だしなみで、隣にいると男としてのレベル差が際立って猛烈に恥ずかしい。
加えて、ちょっと話しただけでも伝わる品行方正さ。
嫌味がひと匙も含まれていない穏やかな口調に、一挙手一投足が優雅な落ち着いた立ち居振る舞い。
きっと、この人は就職活動で苦労することはないだろう。
採用面接なんか、笑顔で「よろしくお願いします」と言って椅子に座った段階で合格が確定しそうな、そんな育ちの良さ、人としての完璧さを感じさせる。
「ちっくしょう、このアタシが年下の女に……。次は油断しねーぞ!」
――八重樫花凛、十六歳。
驚いたことに、俺とタメだ。
前髪を頭頂部でいい加減に結んだ、無造作なセミロングの金髪。
長い睫毛に攻撃的な切れ長の目。
機嫌を端的に示すように深々と刻まれた眉間の皺。
スレンダーで、女性にしては高い身長。
胸、膝、肘にあてがった鉄製のプロテクターにノースリーブのインナー、ショートパンツというアウトドアに最適な動きやすい服装。
好意的に表現するとワイルド、忌憚のない表現をすると粗暴な印象を受けるが、まさしくピンポン大正解。
ガサツで女らしくない――どころか男の中でもガラの悪い人種を想像させる口調に、あぐらをかいて忙しなく体を動かす、落ち着きのない立ち居振る舞い。
先の襲撃に対する侘びの気持ちなど微塵も感じられない。
きっと、コイツは辻斬り的な傷害罪で捕まったのだろう。
いかにも「むしゃくしゃしてやった、誰でもよかった」とか言って何も悪くない通行人をぶん殴りそうな、そんな不条理で手前勝手な横暴さ、ジャイアニズムを感じさせる。
……一見すると、これ以上ないほどミスマッチなコンビである。
どうして一緒に行動しているのか、不思議でしかない。
だが、とある一点に関してだけ、この二人は非常にバランスが取れている。
とある一点……そう、ビジュアルが抜群にいいという点だ。
この天上天下唯我独尊暴力ヤンキー女は、紅月さんと比べても見劣りしない……どころか、これ以上ないくらいお似合いの美人なのである。
身なりと態度で正直かなり減点されているが、それでも素のレベルがめちゃくちゃ高い。
それっぽい服を着てそれっぽい化粧をしてそれっぽい礼儀作法をわきまえれば、世界トップモデルでもアイドルでも十二分に通用しそうだ。
何というか……驚くほど絵になる。
並んで座っていると、完全にファンタジー世界の主人公とヒロインにしか見えない。
「陽芽さんとマユさんなんて、まだ中学生の女の子なのに……モンスターは怖くないんですか? 戦わなくても、誰も責めたりはしないと思いますが……どうして、こんな危険なことを?」
あらかた調理は終わったのか、蓋をした大きめの鍋を焚き火の上にセットした紅月さんが陽芽に目を向ける。
仕方ないんです、人を殺して追われてるんで(笑)。
と言ったら、どんな顔をするだろうか。
陽芽とマユが露骨に消極的だったため、俺が代表して三人分の自己紹介をしたのだが、その一節は省略……いや、脚色した。
今の俺達は、ただただ仲良しな三人組の探索チームだ。
ゆえに、紅月さんの問いは至極真っ当な疑問なのだが……。
「…………あ……その、えっと……」
今まで一貫して「私は話しませんよ」という意思表示とばかりに刀を手入れするフリをしていた陽芽が、ワンテンポ遅れて紅月さんの問いかけに反応を示す。
あからさまに助けを求めるように俺を見て、マユを見て、再び俺を見る。
俺は質問対象から外れているので口出しはできないし、マユに至ってはここにたどり着いたと同時に丸まって爆睡するというフリーダムっぷりだ。
仕方なく覚悟を決めた陽芽は、久しぶりにクールな刀使いを演じているような背伸びした口調で答えた。
「……怖いだなんて、思ったことは、ありません。むしろ、モンスターを倒して、強くなるのは、楽しいです」
「ハッハ! いいねいいねー、言うじゃねえか! 無愛想で陰気なガキかと思ったけど、意外とイイ性格してんなあ! お前みてえな奴ぁ、大好きだぜっ!」
なぜかその一言が琴線に触れたらしく、一気に好感度が高まった八重樫さんが陽芽の頭をわしゃわしゃとかき乱した。
言うまでもなく、陽芽は相当に嫌そうだ。
「そういやあ、お前らレベルってどんだけだよ? 三人でここまで来たってこたぁ、かなりつええんだろ? 実際マユはハンパなかったしよぉ、ちょっとステータス見せてくれよ」
…………え?
「待ってください、花凛。まだ会ったばかりの人に失礼じゃないですか。マナー違反ですよ」
「ったく、相変わらず堅っ苦しいなあ~。アタシらだって見せんだからいいじゃねえか、減るもんじゃねえしよぉ。大体、こうして一緒にメシ食うってなったんだから、もう知らねえ仲でもねえだろうが。なあ、いいだろ? なっ?」
…………やばい。
少し話した限り、この二人はマユのことは知らないみたいだし、嘘をついているようにも見えないし、嘘をつく理由もない。
つまり、マユが全層で指名手配される最悪の事態にはまだ至っていないということであり、それは大変な朗報だ。
しかし、今ステータスを見て俺がレベル5、陽芽がレベル4だと分かったら、この二人はどう思う?
この一か月で俺も陽芽も一応レベルアップはしたものの、そんなのは笑えるくらい微々たる差だ。
紅月さんはともかく、八重樫さんはどうやってここまで来れたんだとか、どうして他に仲間はいないんだとか、色々うざいほど聞いてくるに違いない。
そして、そうなった時に嘘を貫き通せる自信はないし、正直に言ったらどうなるのか想像もできないが、協力してくれると考えるのは虫が良すぎるし、むしろ敵対する可能性の方が高い気がする。
ならば……。
「あーっと、えーっと……それより! もしかして、お二人って、その……つ、付き合ってるんですか?!」
「「…………は?」」
あまりにも苦しくて唐突な質問に、陽芽は「何言ってんのーーー!?」みたいな顔をしているが、幸いにも話を逸らすことには成功し、八重樫さんは一瞬キョトンとしてから大爆笑した。
「アッハハハハハッ! アタシと湊が? 嘘だろ、ありえねえ! マジで言ってんのかよ、ウケる!」
「うーん、付き合ってるのではなくて、付き合わされてるって感じですかね、僕は。まあ、放っておけないとは思ってますけど」
「おいおい、お前がちったー見所のある使える奴だから連れてってやってんだろーがよ。アタシのおかげですげーレベルも上がってんだし、ウィンウィンじゃねえか。感謝しろよなっ」
「何度も言ってますが、もっとみんなと足並みを揃えた方が安全なんですけどね……」
「ざっけんな! あの腑抜け野郎共、ビビっちまって未だに五階層なんかでモタつきやがってよぉー。あんな奴らほっときゃいいんだよ!」
…………。
えっと……無事に不穏な話題は流れてくれたけど、それより今……何かおかしいことを言わなかったか?
未だに五層なんかで……とか何とか……。
え?
たしか、今の最前線って五層だったような……。
「仕方ありませんよ、五階層は本当に難易度が高かったですから。それに、今は僕達も長いこと足踏みしてるじゃないですか」
「チッ、まあな。もう半月になるか……流石のアタシもこの森と霧には参るぜ、ったく。……そういやぁ、お前らはいつからここにいるんだ?」
何か引っかかるものを感じながら、俺は「一ヶ月も迷ってる」と言うべきか一瞬考えて、当たり障りのない答えを適当に口にする。
「え、えーっと……今日で三日、ですかねー……」
「そっかそっか、お前らも苦労してんだなぁ。やっぱ区切りの十階層ともなると、きっちぃなぁ~。まあ、ムズけりゃムズいほど燃えてく――――」
「「じゅっ!?!?」」
想像を遥かに超えたワードが飛び出し、俺と陽芽は揃って叫んだ。
当然ながら、紅月さんと八重樫さんは目を丸くしてポカンとしている。
当たり前だろ、と思っているのだろうが……残念ながら俺たちにとっては全然当たり前じゃない。
「じゅ……十層……なんですか? ここ……」
「はぁ!? お前、何言ってんだ?」
…………もはやこれまでだ。
正直、適当に情報を聞き出してお別れしようと思っていたのだが……まさか、ここが十層だなんて想定外すぎる。
俺の見通しが甘かった。
こうなったら……先の展開は読めないが、全てを話して助力を乞おう。
幸か不幸か、この二人も樹海を抜け出せずに困っている。
いくら俺達が殺人鬼とその一味だとしても、この場を切り抜けるために一時的な協力関係を築ける可能性は決して低くはない……と信じたい。
という結論に達した俺は、戸惑う陽芽に目を向けて「全部話そう」と意思を告げ、二人の熟練冒険者にこれまでの経緯を余さず語った。
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