第64話 To see the future

 考えても、考えても、私には、分からない。

 大好きだったお父さんと、お母さんを、なんで殺しちゃったのか。


 あの日……。

 二年以上も学校を休み、ずっと家に引きこもる私を心配して、お父さんとお母さんは、忙しいのに仕事を休んで、私と一緒に、今後のことを話し合った。

 向かい合って座る私は、本当に申し訳ない気持ちと、それでも踏み出すことができない、自分の弱さと、もうどうでもいいっていう、自暴自棄な気持ちから、何も言わず、何も聞かず、ただ俯いて、やり込んでたゲームのことばかり、考えてた。

 そんなどうしようもない私に、内容は覚えてないけど、お父さんとお母さんは、とても気を遣った温かい言葉と、私の気持ちを必死に考えてくれた提案と、根気強い説得を、何時間も続けてくれた。

 それなのに…………。

 私には、お父さんとお母さんの優しさが、ただただ辛くて、押しつぶされそうなくらい、重くて、胸が苦しくて、そして、どうしても耐えられなくなって、頭が真っ白になって……。


 気づいたら、お父さんとお母さんは、血を流して倒れてた。

 いつの間にか、真っ赤に濡れた包丁を握り締めてた私は、自分が犯した罪を認めず、目の前の光景から目を背けて、できるはずもないのに、自分を正当化しようと、わけの分からない妄想に浸った。


 本当に馬鹿だ。

 なんで、私が死ななかったんだろう。

 ……分かってる。

 私には、死ぬ勇気なんて、なかったんだ。

 情けないけど。

 もう、手遅れだけど。

 誰でもいいから……誰か…………。

 私を殺して――――。


 そう思ってた私を、お兄ちゃんは、自分を犠牲にして、救ってくれた。

 死んじゃえばいい、だめな妹なのに。

 お父さんとお母さんを殺した、人でなしの妹なのに。

 助けてもらって、実はホッとしちゃった、弱虫な妹なのに。

 無口でも、無愛想でも、引きこもりになっても、人殺しになっても、昔から変わらずに接してくれた、優しいお兄ちゃん。

 口にも、態度にも、出さなかったけど……そんなお兄ちゃんが、私は大好きだった。


 だから……。

 だから、助けられた私の人生は、お兄ちゃんのために使おう。

 ダンジョンでもどこでも行って、モンスターでも何でも倒して、お兄ちゃんを守ろう。

 そうすることが、私の罪滅ぼし。

 それが、私のやるべきこと。

 それが、私のしたいこと……。


 いや――――。

 違う。

 そうじゃない。

 そうじゃなかった。

 ようやく、お兄ちゃんに会えて、一緒にいられるようになって、気づいた。

 私はただ、お兄ちゃんを慕う気持ちを、言い訳にして、罪から逃げてるだけなんだ。

 お父さんとお母さんへの、罪悪感。

 お兄ちゃんへの、負い目。

 自分自身への、嫌悪。

 本当は、ちゃんと向き合わなくちゃいけない、背負わなくちゃいけない、そんな感情から、どうしても、逃げたくて……そんなカッコ悪い理由で、私はダンジョンまで、来てしまった。

 お父さんも、お母さんも、消せない罪も、何もかも考えないようにして。

 そのくせ、私は後悔してる、私は頑張ってる、私は償ってる、だから、私を認めて、私を許して、私を慰めて……そう、お兄ちゃんに、アピールしてる。

 私は本当に、救いようがないくらい、馬鹿で、ズルくて、卑怯で、悪い人間だ。


 優しいお兄ちゃんは、絶対に私を、怒らない。

 気を遣って、お父さんとお母さんのことも、絶対に話さない。

 きっと、これからもそう。

 私のことを、誰も知らない、ダンジョンで。

 望み通り、誰にも責められることなく、咎められることなく。

 お兄ちゃんを守るっていう、自己満足を貫いて。

 そして、勝手に許された気分になって……私は、死ぬんだろうなぁ…………。




「――――ん……ぅう~ん……」


 頭が、重い。

 ぼーっとする。

 起き上がりたくない。

 ……いいや、もうしばらく、このまま……。

 って、あれ?

 私……いつの間に、寝て……?

 それに……頭に何か、柔らかい物が…………。


「あっ……起きたか、陽芽」

「ぅひゃあぅっ?!」


 固く閉じたまぶたを持ち上げ、うっすらと広がる視界――を、埋め尽くすくらい間近に、お兄ちゃんの顔がぼんやりと映り、すごくびっくりして、私は変な声を上げて、飛び上がった。

 私に、膝枕をしてたお兄ちゃんは、ぽかんと目を丸くした。


「お、お、お兄ちゃん……!? な、何してる、の……?」

「は? 何って別に……つーか、大丈夫か? もうちょっと安静にした方がいいぞ、念のため」

「……え…………?」


 いつも以上に、私を心配してくれる様子に、何だか違和感があって、私は首をかしげる。


「えーっと……安静にって…………どうして?」

「はぁ? いやいや、どうしてってお前、そりゃー……え? 覚えてないの?」

「? 覚えて……って……何を?」


 何を言ってるんだろう、お兄ちゃんは。

 まるで、私が大怪我でもした、みたいな……。

 私は、普通に……。

 ……普通に…………。


「ん……と……私、いつ寝ちゃったんだっけ……?」


 たしか、お兄ちゃんと、マユお姉ちゃんと、ご飯食べて……。

 その後……そう、マユお姉ちゃんが、寝ちゃって……。

 それから……。

 何か……何かが……あった、ような…………。


「あ~……その……あれだ! いきなり木の実が落ちてきたんだよ、お前の頭に。そりゃもう見事にぶち当たってスコーン! って盛大な音を立てて、いやー、マジでびびった~!」

「…………そう……なんだ……」


 言われてみれば、そうだった気が……気が…………全然、しない。

 たしかなのは、胸に絡みつく、怖くて不快な感じと、ずしりと全身にのしかかる、疲労と倦怠感。

 それと……お兄ちゃんが、あさっての方向に、目を泳がせてることと、お兄ちゃんは、嘘がすっごくヘタだってこと。

 でも……本当は何があったか、なんて、別にどうでもいい。

 お兄ちゃんは、優しい嘘しか、つかないから。

 きっと、私が知らなくていい、ことなんだ。


「……私、どのくらい、寝てた? お兄ちゃんは、寝てないの……?」

「んー、二時間くらいかな。俺は陽芽が心配だったし、あまり眠くなかったから。……久しぶりにマユに会えて、まだ興奮してるのかもな、うん」

「…………」


 お兄ちゃんは、変わった。

 前は、あんまり自分を、持ってなかった。

 こんなに真っ直ぐ、素直に気持ちを伝えることなんて、なかった。

 最初は、ちょっと引いちゃったけど……でも……私が好きなところは、変わってなかった。


「アユ……じゃない、マユもまだ寝てるし、もうしばらく寝てていいぞ。ってか、あんまり無理するなよ? 調子悪かったり、悩みとかあったらちゃんと言えよ? まあ……俺がヒャッハーしたせいでご覧の状況になってるわけだから、ぶっちゃけ偉そうなことは『お前が言うな』って感じだけどさ……」

「あはは……。うん、分かった……ありがとう」


 私は、すぐそばで寝息を立てて、丸くなってるマユお姉ちゃんに、目を向けて、頷いた。 


「じゃあ……もうちょっとだけ、寝よっかな……」


 少しだけ迷って、私はまた、お兄ちゃんの膝に、頭を乗せる。


「おやすみ……お兄ちゃん…………」

「おう、おやすみ」


 マユお姉ちゃん……。

 あのお兄ちゃんを変えて、あのお兄ちゃんが好きになった、不思議な女の子。

 こんなに小さな体で、私なんかより、ずっと辛いことがあって……それなのに、私なんかより、ずっと強くて……でも、本当は、弱いところもあって……。


 いつか…………。


 マユお姉ちゃんと、一緒にいたら……いつか私も、変われるかな……?

 弱くて、嘘つきで、逃げてばかりの、情けない自分を。

 お兄ちゃんみたいに、自分に正直に。

 マユお姉ちゃんも、守れるくらいに、強く。


 そんな未来を、いつか――――――。

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