第63話 消せない罪

「出会って間もない歳上の他人に対して『お姉ちゃん』だなんて、馴れ馴れしい……非常識にも程があります。レベル3のひよっ子のくせに敬意がなさすぎです」

「うぅ……いや……親しみを込めてる、っていうか……それに、ほら、マユお姉ちゃん、私より小さくって、可愛いから、つい……」

「身長差で相手を見下すなんて最低ですね。その上、マユお姉ちゃんが寝てるのをいいことに汚いだの服がボロボロだの失礼極まりない暴言まで吐いて、本当に不愉快です」

「あうぅ……」


 開幕から情け容赦なく繰り出される、アユのえぐい先制口撃。

 よくもまあ、これだけ饒舌に人を貶すことができるもんだ。

 いっそ感心するね。

 ってか、出会ったばかりの歳上の陽芽を無礼にも見下し、敬意の欠片もない非常識かつキレッキレな暴言を無慈悲に浴びせかけるブーメランっぷりには正直ツッコミどころ満載だが……もちろん口には出さない。

 恐いから。


「お、お兄ちゃん……この子って、ひょっとして……」

「うん、そう。末っ子のアユ。軽く説明した通り、こんな感じでマユが寝てる時に目を覚ますってわけ。性格は、まあ……うん」

「…………いつも、こうなの? 私が、怒らせちゃったから?」

「あー……大体いつもこうだな」

「えぇぇ…………」


 顔を寄せてこそこそと話す俺と陽芽に向けて、アユは不機嫌そうにフンッと鼻を鳴らす。


「言っておきますが、マユお姉ちゃんはあなた達よりよっぽど清潔です。私がちゃんと綺麗にしてるんですから……『クリーニング』、『ソーイング』」


 およそ一ヶ月ぶりの懐かしい魔法を耳にすると同時に、小さな泡がしゅわしゅわと音を立てながらマユの服を包み込み、空中に出現した十本以上の針が色とりどりの糸を引き連れて縦横無尽に駆け巡る。

 初見の陽芽が「ふわぁ~」と感嘆の息を漏らす中、こびりついた血は泡とともに瞬く間に弾けて消え去り、綻んだ箇所は新品同然に修復された。


「…………これは……」


 アユは目を伏せ、服の袖を優しく撫でながら呟く。


「このセーラー服は……昔、マユお姉ちゃんが、可愛いねって……私とサユお姉ちゃんと、いつか三人で着て一緒に学校行きたいねって……そう言ってくれたんです。たしかに、こんなダンジョンでは実用性なんてありませんし、マユお姉ちゃんだって覚えてないと思いますけど……でも、それでも……私には、こんなことしかできませんから……だから……誰にも文句は言わせません!」

「あ、うぅうぅぅ……ご、ごめん、なさい……」


 へぇー、そうだったんだ……。

 マユファンクラブ会長を務める俺としたことが、不覚にも初耳だった。

 いかんな、心のメモ帳にしっかり書き留めておかねば。

 それにしても……。


「おい、どうしたんだよ陽芽、さっきから言われ放題じゃねえか」


 これは、一体どういうこった。

 てっきり盛大な舌戦が繰り広げられるんじゃないかと気が気じゃなかったが……蓋を開けてみれば陽芽が一方的にフルボッコにされてんじゃねえか。

 たぐいまれなる妄想力を駆使した自己暗示によって『クールな刀使い』を見事に演じ、一層最強のヤクザである鬼の剛健相手に一歩も引かなかった、あの陽芽がなぜ……。


「ぅ~……だってだって、悪しきを滅し、弱きを守り、正義を貫くのが、私のキャラだから……」

「……え? そういうもんなの?」


 つまり、性格はアレだけど見た目はか弱い天使そのものであるアユが相手だと、イマイチ調子が出ないと?

 …………めんどくさ!

 けどまあ、気持ちは分からなくもない。

 というか、俺とマユ三姉妹の前でくらい無理して肩の凝る演技なんてせず、素の状態でいて欲しいと思っていた。

 だから、むしろ安心した。

 これほどまでにやられっぱなしなのは、それはそれで問題だが……。


「ね、ねえ、どうすれば、いいかな? お願い、何とかして、お兄ちゃん」

「……うーん、ぶっちゃけ俺も自信はないけど……とりあえず善処してみる。後は任せろ!」


 あうあうと狼狽える陽芽に対して胸を張って言ったものの……ぶっちゃけノープランだ。

 当然だが、アユをなだめる会話術など俺には備わっていない。

 考えてみれば、未だかつてアユの怒りを増幅させることはあっても鎮めた試しは一度もなかった。

 しかし……ちょっと頼もしくなりすぎていた陽芽が、懐かしくすらある気弱な妹に戻って久しぶりに俺を頼ってくれているのだから、無理だとはとても言えない。

 さて、どうしたものか…………。


「まったく、兄の方は軽薄なろくでなしですし、一体どういう教育を受けてきたんですか。親の顔が見てみたいです」

「――――ッ…………!」


 俺が必死に思案している間もアユはチクチクと嫌味を続け、ついには『親の顔が見てみたい』という平成生まれの少女に似つかわしくないワードが飛び出したところで…………不意に、陽芽の顔色が変わった。


 ヤバイ――――。


 直感的に、そう思った。

 普通に考えれば、大したことのないありふれた文句だ。

 だが、それは冗談でも言ってはいけない。

 かつてない危機感に襲われた俺は、とにかくアユを黙らせようと口を開く。


「あーっ! その、えーっと、アユさん、まあまあ、今日はこのぐらいで勘弁してくださいという方向でどうか…………」

「大体、若い兄妹が揃ってこんな所へ来るなんて……ご両親に申し訳ないとは思わないんですか? まったく……」


 ――――その瞬間――。


「……う……ぁ…………」


 想像もしていなかった形で、俺の危惧は現実になった。


「あ……あ…………あぁあ゛あ゛あぁああぁあぁあああ゛あ゛あ゛っ!!」


 突然…………陽芽が叫んだ。

 驚きのあまり言葉を失って目を丸くするアユの前で。

 息を呑む俺の隣で。

 深々とした樹海をつんざく、悲鳴のような金切り声を上げた。


「ひ…………陽芽…………?」


 あまりの衝撃に理解が追いつかない思考状態でどうにか名前を呼ぶが、がたがたと震えてうずくまる陽芽は、青白い顔にびっしょりと汗を浮かべて異常に速く荒い呼吸を繰り返している。


「ハッ……ハッ……ハァッ……! ご、ごめ……か……はッ! ごめん、なさい……! ケホッ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ゛んな゛さいごめ゛んな゛さ……ゲホッ! ゴホッ!」


 陽芽は裏返った声で謝罪の言葉と咳を繰り返す。

 痛々しいまでに、何度も何度も何度も……。

 さらに、痙攣して強張る手で自分の喉元に爪を突き立てると、何かに取り憑かれたようにガリガリガリガリと激しく掻きむしり始めた。


「ちょっ!? 何やってんだ陽芽! やめろっっ!!」


 慌てて陽芽の手を掴んで引き剥がそうとするが、無情なる筋力パラメーターの差によってびくともしない。

 皮膚がめくれて、流れ出した血が爪を真っ赤に染めようとも、陽芽は一向に力を緩めず延々と喉を引っ掻き続ける。

 乱れた呼吸も落ち着く気配がない。

 苦しげに吐き出す咳も頻度を増している。

 医学の知識なんて皆無だが、どう見ても事態は一刻を争う。 


「くっそ……どうすれば……」


 とにかく、何とかして陽芽を落ち着かせたい。

 だが、いかんせん現在地は設備の整った病院ではなく、ダンジョンの奥地。

 鎮静剤も精神安定剤もなければ睡眠薬も…………。


「そうだっ! あれなら――――!」


 天啓のごとき閃きを得た俺は急いでバッグをひっくり返し、ボトボトと盛大に転げ落ちる魔法料理の山を掻き分けて目を凝らす。

 探し物は直径二センチにも満たない小さな球体。

 サイズからして難易度が鬼なのに、一分一秒を争うシチュエーションが相まって精神的なプレッシャーが輪をかけてやばい。

 この年齢、この危機的状況に至ってようやく整理整頓の大切さを実感したが、まさしく後悔は先に立たず。

 今後はこのようなことがないよう十分に留意して管理を徹底してまいりますので、誠に申し訳ございませんが今回だけはご容赦くださいますよう何卒――――。


「あっ! あった! よし、これで……!」


 どうにか目的のブツを見つけ出した俺は、飲むのを促す時間すら惜しく、それをすぐさま陽芽の口の中へ放り込む。

 すると――――あたかも魔法のように陽芽の咳はピタリと止まり、苦痛に歪む顔は波が引くようにスっと安らかになった。

 ……って言うと、まるで超スゴイ薬であっという間に全回復した、みたいな誤解を与えてしまうが……残念ながら違う。

 気を失ったのだ。


「そ、それは…………もしかして……」


 いつもの不機嫌顔とは程遠い、不安と動揺が入り混じった表情で青ざめるアユに向けて軽く頷く。


「ああ……使えそうだと思って俺も持ってたんだけど……まさか陽芽に飲ませることになるとはなぁ…………」


 睡眠効果のある鱗粉を飛ばしまくる魔物、なんちゃらモスをてきとーに調理した末なんやかんや完成したそれっぽい魔法料理。

 いざという時に人格を交代するためだけの目的でアユに頼まれ、『ちょっと恩でも売っておこう』程度のノリで作ったのだが……意外な場面で役に立ってくれた。

 だが、これで安心とはまだ言えない。


「アユ! 回復魔法を頼む! 早くっ!」

「は……はい!」

 

 生々しい引っ掻き傷を覆い尽くす赤黒い血が依然として流れ続ける首元から目を逸らして叫ぶと、我に返ったアユが毅然と答える。

 すぐさま唱えたエクストラヒーリングの眩い光に包まれた傷が、見る見る内に癒えていく。


「ふぅ……これで大丈夫か……びびったぁ~」


 ようやくホッと息をついた俺に、アユはためらいがちに問いかける。


「……あの……どうしたんですか、あなたの妹は……。その……私のせい、なんですか? 私……別に、そんなに酷いことを言ったつもりは……」

「…………あー……」


 唐突な陽芽のパニック……心当たりはある。

 ありまくる。

 しかし、それをアユに説明するには俺達の過去……このダンジョンに放り込まれた原因をどうしても話さなくてはならなくなる。

 今のショッキングな展開の直後だとかなり無理はあるものの、嘘と冗談ではぐらかすこともできなくはないだろうが……。


「あなたは……分かってるんですよね? 教えてください…………お願いします」


 …………いや……話そう。

 普段なら昔話なんざ小っ恥ずかしいから可能な限り御免こうむるところだが……マユパパからマユ達の過去を聞いた時、俺は思ったじゃないか。

 「これでマユが噂で聞くような悪い奴じゃないって陽芽も分かってくれただろう」と。

 相手のことを心から信頼するには、その相手をよく知ることが一番……というか不可欠だ。

 陽芽がマユの『自動反撃』スキルによって攻撃されなかった理由も、本当のマユを事前に知ることができたからだと俺は確信している。


 決して同情してもらおうだなんて考えちゃいない。

 マユパパと同じだ。

 ただ、めんどくさいほど不器用な陽芽のことを少しでも知ってもらうために――――。


「……そうだな、聞いてくれ。ちょっと長くなるけど……」


 治療が終わって安らかな寝息を立て始めた陽芽に毛布をかけ、俺は今まで蓋をしていた記憶を包み隠さず正直に話した。




「…………そうだったんですか……そんなことが…………」


 遠い昔に思えるわずか数ヶ月前の出来事を語り終えて何とも言えない重めの空気が漂う中、それまで一言も口を挟まなかったアユがぽつりと声を発した。


「……まあ、あくまで俺の主観だから……陽芽の心理は推測でしかないけどな……」

「………………」


 最期に補足を付け加えた俺は、身じろぎ一つすることなく俯いて正座するアユの反応を予想する。

 そうだな……六十パーの確率で……怒る。

 アユの性格、母親を殺された境遇を鑑みると、最もあり得るパターンだ。

 で、三十パーの確率で……呆れられる。

 残り十パーは……スルーかな……。


 などと考えていたからだろう。

 続くアユの行動は、俺を大いに驚かせた。


「………………ごめんなさい」

「……え?」


 腰を折り、頭を深々と下げて謝ったのだ。

 あのアユが。

 あのアユがっっ!


「個人的には理解に苦しむ部分もありますが……先ほどの行動から、あなたの妹が自分の犯した罪を本当に後悔して誰よりも苦しんでいることは歴然です……。私の言葉は軽率で配慮に欠けていました。だから……ごめんなさい」

「え……いや………その……」


 まいった、どうしよう。

 このパターンは完全に想定外だったから、どう対処すればいいのか咄嗟に判断できない。

 もっとずっと緊迫した窮地を見事な機転で乗り切った後に言うのもなんだが、誰か助けてください。


「え、えーっと……アユは何も悪くねえよ、知らなかったんだし。俺だって、陽芽がこんなに取り乱すとは思ってなかったしさ。馬鹿だよな俺、能天気すぎるよな。っていうか、そもそも俺が今まで話さなかったことが悪いよな……ごめん」


 内容を吟味する余裕もなく思いつくまま一息にまくし立てる俺に、アユは首を横に振った。


「いえ……どう考えても非は私にあります。いきなり非難ばっかりして……。私……苛々してたんです。あなたが急にいなくなって、口には出しませんが、マユお姉ちゃんもサユお姉ちゃんも寂しそうで……。と思ったら今度は急に戻ってきて、何事もなかったかのようにヘラヘラして、しかも妹まで連れてきて……」

「そ、それは……申し訳ない」

「いいんです、事情は聞きましたから。これは私の醜い言い訳です。……あんなに傷つけてしまって、謝ったくらいで許されるとは思いませんが……本当に……本当に、ごめんなさい」

「………………」


 先刻のマユ――本来の穏やかで気弱なマユ――の時とは違う、マナーのお手本のように誠実で凛とした謝罪を目の当たりにして、俺はハッとする。

 そうだ……アユは精神年齢わずか十二歳とは思えないほど……というか俺なんかより、というかマユパパよりも遥かに大人で真面目で実直なやつなのだ。

 いつも怒られて殴られてるからビビってしまって誤解していたが、思えばそれも原因のほとんどは俺にあり、決して理不尽な暴力も叱責もなかった。

 何だか俺がどうしようもない野郎だったと再認識してしまったが……それはさておき、そう考えると今のアユの行動に何ら不思議はないのだ。


「償いとして私に出来ることはないでしょうか? このままでは私の気が済みません、何でも言ってください」


 今まで勝手に抱いていた苦手意識を改め、俺は申し訳なさそうにこちらを真っ直ぐ見つめるアユの目線を陽芽の方へと促す。


「それなら、こいつと仲良くしてやってくれ。人見知りで、不器用で、口下手なやつだからさ……お前から歩み寄ってくれると助かるよ」

「……ですが……あんなに酷いことを言ってしまった私に、そんな資格は……」


 語気を弱めて目を伏せるアユに、俺はからかうように続けて言った。


「それとも、俺とマユの恋路を好アシストするキューピッドでもやってくれるか? いやぁー、お前の力を借りられたら心強いなぁ~」

「いえ、それは今の話とは全く関係ないです。無理です。気持ち悪いです。死んでください」


 ついつい、いつもの調子で俺にツッコミを入れて罵倒してしまったアユは、まんまと乗せられた気恥ずかしさを咳払いで誤魔化して顔をしかめる。

 が、その直後――――。


「……ふふっ」


 信じられないことに。

 アユは顔をわずかに綻ばせて……かすかな笑みを浮かべた。

 今日はもう何が起きても驚くまいと密かに誓っていたが、『不機嫌』と『怒り』以外の感情を表に出すアユを初めて見た俺は、たっぷり五秒以上も固まってしまった。

 そして、驚き以上に…………。


「ふふ……ふふふっ……まったく、相変わらず変な人ですね…………天地さんは」


 やっぱり姉妹なんだなぁ。

 そう思うくらい、穏やかに微笑むアユは抜群に可愛かった。

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