第7章 迷子って、それはないでしょう!

第62話 兄に付ける薬はない!

 謎の樹海に下り立ってから一ヶ月が経過した。

 気持ち的には何ヶ月も経っているような気がしてならないが、信じられないことにキッカリぴったりジャストちょうど寸分たがわず一ヶ月だ。

 少し前なら「時計がないから分かんね」と適当なことをほざいていたが、職人が量産した懐中時計をベースにて入手した今では間違えようがない。


 さて、その一ヶ月……。

 俺達が何をしていたかと言うと……。


 ――――ひたすら迷っていた。


「あれ……? え~っと……なあ陽芽、ここ三日前にも通ったよな? ……いや、一週間前だっけ? ほら、この印……たしか……うーん……」


 ゲシュタルト崩壊しそうなくらい脳に焼き付けられた無限の巨樹の一つを通り過ぎる間際、幹にくっきりと刻まれた特徴的なバツ印に何となく見覚えがあったような気がしないでもなく、俺はおぼろげな記憶を辿って隣を歩く陽芽に問いかけた。

 が、げんなりとした様子でうなだれる陽芽は、生きるのもしんどそうなローテンションで億劫そうに答える。


「あー……どうでも、いいんじゃない? いつどこを通ったかなんて、ぜんっぜん覚えてないし、意味ないよ……。印だって、そこら中の木につけたから、もうわけ分かんないし……」

「……だよな………………」


 力なく呟き、俺と陽芽は揃って息と生気を大きく吐き出す。

 鬱蒼とした樹海に悔しいほどマッチした暗い気分の俺達とは対照的に、十メートル先でアクロバティックに飛び跳ねながら生き生きと突き進むマユは、華麗なトリプルアクセルを決めてこちらを見ると、


「にゃっははははぁあぁああ♪ ずぅぅぅうっとおんなじでえぇえぇぇすっごぉおおぉいねええぇえええっ♪」


 ――と言って、温かみのある幻想的な明かりを灯す蛍タンポポが一瞬で色褪せるレベルの、最高にキチかわいい笑顔を咲かせた。

 おそらく、マユは自分達が絶賛遭難中で同じ場所をぐるぐる彷徨っているなどとは微塵も思っていない。

 せいぜい「広い森だなー、どこまで続いてるのかなー」程度の認識だろう。

 そんな楽天的で無邪気なマユの姿が砂漠のオアシスさながらの癒やしとなり、パニくって精神崩壊しそうな俺と陽芽をギリのところで救ってくれている。

 ……けど、それも流石に限界間近と言わざるを得ない。

 それくらい、俺と陽芽は現状に危機感を抱いていた。


「あー…………つーか……何でこんなことになったんだっけ……?」


 元気いっぱいに前進するマユの背中をぼんやりと眺めながら、俺は一か月前のことを思い浮かべた――――。




 ――――ファフニールの泉から長い長い階段を下りてこの地へと降り立った俺達は、疲れ果てた体を休めるため、そしてこれからのことを考えるために休憩がてら食事を取った。

 その時、予想だにしないサプライズイベントがあったのが……後になって思えば、それを機に完全に浮ついた俺の思考回路と危機管理能力は我ながらちょっとおかしなことになっていたような気がする。


「よーーっし、じゃあ…………探検するかっ!!」


 すぐ近くを流れる泉で食器を洗い終えた俺は、満腹になってくつろぐマユと陽芽を交互に見てから拳を高々と突き上げて叫んだ。


「ふぉおおぉおぉおおっ! イイぃいぃぃいいねえぇええ、いこぉぉおぉいこおぉおおおっ♪」

「……………え? え? えええっ?!」


 猫のように体を丸めてうとうとしていたマユは途端にパァッと目を輝かせ、膝を抱えてぼんやり景色を眺めていた陽芽は顎をがくんと落として戸惑いをあらわにする。

 いい……実にいいリアクションだ。

 パーフェクトだよ。


「い……いやいや、戻るんじゃないの? 雨柳さん達、心配でしょ?」

「あ~~……たしかにそうだけど……まあ大丈夫だろ、殺されることはないだろうしさ。このくっそだりぃ道のりを何の収穫もなく戻るのも馬鹿らしいし、せっかくだから少し調査しておこうぜ」


 俺が指差した遥か高みまで続く蔦を見上げると、陽芽は語気を弱めて逡巡した様子で眉をひそめる。


「……うーん、それは……そうかも、しれないけど……でも……」

「どんな魔物が出てこようとも、マユがいれば絶対楽勝だろ? それに、この人類未踏の地でダンジョン史に残る大発見をしてマユの評判が一気に改善! ファンクラブ会員も急増! なーんて可能性だってゼロじゃないだろ?」

「……いや、流石にそれは、楽観的すぎるけど……まあ、そうだよね……ちょっとだけなら、いい……のかなぁ……?」

「ハイ決まりーーーーっ!」


 パンッと手を叩いて半ば強引に今後の方針を決定した俺は、先陣を切って意気揚々と樹海という名の大海原にダイブした。

 ――――で、あっという間に迷った。

 わずか二時間足らずで訪れた悲劇だった。


「お兄ちゃん……もしかして、私達……いや、もしかしなくても、道に迷――」

「あ、あーそーゆーことね! 完全に理解した! ハイハイ、こっちだな、うん、間違いない。大丈夫、何の心配もない。もうすぐ戻れる、うん!」

「…………だと、いいんだけど………………」


 言い訳をさせていただきたい。

 俺は決して何の考えもなく歩き回っていたわけじゃあない。

 そんなことはマヌケのすることだ。

 俺達には最高に分かりやすい目印があった。

 そう、俺達が必死こいて下りてきた階段……もとい、天井まで伸びる一際ぶっとい蔦だ。

 どれだけ離れようとも天を仰げば目に入るであろう、あの蔦。

 あれを辿りさえすれば、いとも容易く戻ることができる。

 ……はずだった。


「ねえ……なんか……ますます霧が、濃くなって、きてない……?」

「すっごおぉぉおいねぇぇえぇえっ! まっしろまぁぁっしろぉおぉおおっ♪」

「………………」


 迂闊だった。

 まさか出発して間もなく、さながら暗雲のごとく真っ白い霧が立ち込めて呆気なく目印をロストしてしまうだなんて誰が予測できただろうか。

 いや、誰にも予測できまい。

 これは不幸な事故だ。

 完全に不運ハードラックダンスっちまった。

 ただ、まあ、第三者的目線で状況を冷静に見つめると、言い出しっぺである俺のせいと言えなくもない。

 仕方ない、認めよう……。

 こうなったのは俺の責任だ。

 だが俺は謝らない!


「キシュルルルルルルルッ!!」

「おわああああっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」


 霧によって今では数メートル先さえも白く埋め尽くされた視界の端から不意に現れた緑褐色の塊と擦過音に似た耳障りな鳴き声に、俺は全身全霊を込めた悲鳴とともに神がかったスピードで飛び退いて陽芽にぶつかった。

 枝に巻き付いた蔓から垂れ下がる、ウツボカズラを禍々しくカスタマイズした感じの魔物――レイドネペンテスは、なおも俺を飲み込もうと巨大な口を向けながらキモイ図体をぐねぐねと揺らしている。

 しかし、所詮は自力移動のできない植物。

 攻撃範囲はせいぜい半径五十センチ程度なので、距離を取ってしまえば恐るるに足らず。

 安全圏に脱してホッと息をつく俺に、陽芽が呆れ顔を向ける。


「お兄ちゃん……これでもう、三回目だよ? 危ないから、あんまり先に行かないで、そばにいて」

「…………はい」


 頭上からの奇襲しか能のない出オチモンスターとは言え、この霧では気をつけようがないから普通にヤバイ。

 さりとて、調子こいて二人を先導していた俺が、危なくなるやマユの背中に隠れて縮こまるのではあまりに情けなさ過ぎると思って前を歩いていたわけだが……。

 うん、これ以上の強がりは無意味だな。

 つーか、マジで死ぬ。


「にゃっっっっっっハハハははあぁあぁあああっ♡」


 初撃を回避した今となっては、ただぶら下がっている植物。

 こんな俺でも危なげなく倒せる……のだが、マユは汚名をすすぐ機会を与えてくれることなく包丁を投げつけて根元の蔓を切断し、ボトッと落下したレイドネペンテスにブラジル代表選手も舌を巻く鮮やかなシュートを決めて彼方へと蹴り飛ばした。

 鈍い音とともに透明な体液を撒き散らして消え去る哀れな植物を見送った後、俺はトボトボとマユの後ろを歩きながら落ち着いて状況を整理してみた。


 とりあえず、可及的速やかに解決しなければならないような危険はない。

 全く知らない魔物がわんさか出てくるが、どいつも最強無敵のマユが瞬殺できるレベルだ。

 というか、今のところ内訳は植物系が七割、小動物系が二割、大型獣系が一割といったところで、大半は俺と陽芽でもまあまあ倒せる程度の恐るるに足らない雑魚だ………霧がなければ。

 幸いなことにセーブクリスタルもぽつぽつと点在しているので、休息場所にも事欠かない。

 食料も、そこそこ食べられそうな魔物やキノコ、木の実がちらほら……ってか結構ある。


 あれ……?

 冷静に考えれば考えるほど、さして悲観的にならなくても大丈夫な気がしてきたぞ?

 そもそも、今すぐにでも霧が晴れて速攻で戻れる可能性すら十分にある。

 ふっ……なーんだ、ちょっと焦ったけど杞憂だったな。

 よし……。

 そうと分かれば、当初の目的通り優雅に探索とシャレこもうじゃないか。


「……ど、どうしたの? こんな時に、にやにやして……」

「いや、何でもない。さーーて、気を取り直して頑張ろーーーーっ!!」



 こうして俺は心機一転、限りなく前向きな気持ちで再び力強く進行を開始した――――。


 のだ――――が………………。


 この時の俺は、不覚にも失念していた。


 危ういところで保たれた安寧を脅かす、一人の少女の存在を………………。



「――ねぇ、お兄ちゃん……マユお姉ちゃんって、着替えとか、ないの?」

「え?」


 結局、さらに数時間近く無駄にうろついた俺達は、残念ながら歴史に名を刻む大発見はおろか元の場所に戻ることすら叶わず、住所不明のセーブクリスタルの下で一眠りすることにした。

 早々と寝息を立て始めたマユが着ている、魔物の返り血やら粘液やらがべっとり付着した学生服を摘んで、陽芽は眉間にシワを寄せながら俺に尋ねた。


「えーっと…………ないな」

「えええぇぇっ!? じゃ、じゃあ、これ、ずっと着てるの? なんで? モンスターの血って、なかなか取れないんだよ? っていうか、汚いし。洗濯とか、ちゃんとしてるの? だいたい、なんでセーラー服なの? 防御力、なさすぎじゃない? いつからなの? 誰が作ったの?」

「お、落ち着けって陽芽。そんないっぺんに聞くなよ……」


 ったく……どうしたってんだよ。

 あー、何だって? セーラー服を着てる理由?

 可愛いからに決まってんだろ、知らんけど。

 洗濯? 誰が作った?

 そんなもん決まって―――――。


 ………………あ……。


「もぉー、マユお姉ちゃんも、お兄ちゃんも、だらしなさすぎるよ! とにかく、マユお姉ちゃんの服、もう所々ほつれてるし、すっごく汚れちゃってるから、新しいのに替えないと……。私のに着替えさせるから、お兄ちゃんは後ろ向い―――――」


 バシッ!


「………………え……?」


 ぐちぐちと不平を垂れながらマユの服を脱がそうとした陽芽の手が、突如として払いのけられる。

 ……マユの手によって。

 目を丸くして硬直する陽芽の目前で、今の今までいびきをかいて眠りこけていたマユはむくりと体を起こし、こちらに顔を向けることなく無言で髪留めをはらりと解いた。


「マ……マユお姉ちゃん……? お、起こしちゃった? ごめん、勝手なことして……。で、でも……」


 マユのただならぬ様子を感じ取ったのか、陽芽はあわあわと動揺しながら一気に弱々しくなった声を震わせる。


「………………言いたいことは山ほどありますが……どうしても許せないことを、まず最初に注意しておきます」


 マユ…………いや、アユは獲物を狙う蛇のように陽芽を鋭く睨みつけ、強い口調で言い放った。


「マユお姉ちゃんと呼んでいいのは…………私だけですっ!!」


 ――――予感がした。

 ファフニールが復活した時以上の、かつてない波乱の予感が……。


 あぁ……。

 めんどくせぇことになりそうだ…………。

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