第61.5話 Sincerely

 ――兄さんへ。


 不思議と懐かしくすら感じるが……最後の手紙はいつだったかな。

 私の記憶が正しければ、マユ君を助けに二層へ向かった時だから……そうか、もう一ヶ月以上も経つのか。

 近頃は慣れない仕事を繰り返す煩雑な日が続いていたからとはいえ、随分と間が空いてしまってすまないね、兄さん。

 さて、話題に窮して退屈な文章の羅列になる時も往々にしてある手紙だが、今回に関しては報告する内容に事欠かないよ。

 ただし、相応の文量になりそうだけれど……まあ、たまには妹の長話に付き合うのも一興だとは思わないかい?


 おっと、無駄な前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に入ろうか。

 あれは遡ること、今から三十五日前。

 マユ君の救出に当たって凩剛健氏の助力を得るために、私とローニンは一層のベースへと向かっていた。

 東雲氏の公表によると処刑までには十分な猶予期間があったが、彼の性格を考えると事を急ぐ必要があると思ってね。

 幸いにも、剛健氏が意外な勘の良さを発揮して東雲氏の奸計を早々に察知し、すでに二層へと到達してくれていたため話は実にスムーズだったよ。

 予想外だったのは、マユ君の元から忽然と姿を消した日比野天地君――と、その妹君を連れていたことだ。

 あれほどマユ君に傾倒していた天地君のことだから、何か止むに止まれぬ事情があったことは想像に難くないが……まあ、それはそれとして彼の妹、陽芽君もまた非常に興味深い子だったよ。


 そうそう、年端もいかない彼女ら兄妹を逮捕してダンジョン送りにしたのは兄さんなんだってね。

 珍しい名字だからもしやと思った陽芽君から一部始終を聞いた時は、流石の私も驚きを隠せなかったよ。

 愚妹のことなど最早記憶から抹消しているものと推測していたのだが……まさか、彼ら兄妹に自分を重ねて柄にもなく感傷的にでもなってしまったのかな。

 どうやら昇進もしたようだし、とりあえずはおめでとうと言っておくが、今後は私のことなど顧みずに仕事に邁進することを切に願うよ。


 少し話が逸れてしまったね。

 それから私達はすぐにマユ君のいるファフニールの泉へと急いだのだけれど、予想通り東雲氏は早くも大隊を率いて彼の地を包囲していたよ。

 いや、あの短期間で五十名もの精鋭を揃える手腕と、私達の接近に対して自ら阻止に向かう判断の迅速さは予想以上と言うべきだろう。

 このままではマユ君の身が危険だと判断した私とローニンと剛健氏は、天地君と陽芽君だけを先に行かせて三人で東雲氏を含む十一名と相対することにした。

 先に結果を言っておくと……当然ながら惨敗だったよ。

 私とローニンは、ダンジョンの奥深くを探索する勇敢な者達の弱みを握って脅し奪った――いや、訂正しよう――快く譲り受けた魔法道具を駆使して、四人を無力化することに成功した。

 剛健氏も、かつての戦友を含めた六人を相手に善戦して三人の意識を刈り取った上、東雲氏に手傷を負わせるまで追い詰めたのだが、人数の差は如何ともし難く、残念ながら今一歩及ばなかったよ。

 敗戦を長々と語る趣味はないから詳細は割愛させてもらうとして、最終的には東雲氏の電撃魔法に倒れた私達だが、しかしながら時間稼ぎとしては一定の戦果を挙げたと言えるだろう。


 後は、一縷の望みを託した天地君と陽芽君が処刑を止めるとまではいかなくとも、わずかでもマユ君の手助けになれば……と思っていた。

 だが、東雲氏に拘束されて引きずられた私達が見たものは……腕に覚えのある精鋭達の全滅。

 時を経た今でも瞼を閉じれば鮮明に思い浮かべることができてしまう、まさに死屍累々の地獄絵図……。

 荒れ狂う邪竜を前にして同胞達の死を近くで偲ぶこともできず、私達は言葉を失って二層ベースへと静かに帰還した。

 その日、残った幹部クラスの者達を交えて行われた緊急会議は、さながらお通夜のような雰囲気だったよ。




「……あり得ない……あの竜は間違いなく死んでいた……。あの短時間で復活するなんて、そんなこと……絶対に……」


 常に冷静沈着で険しい表情を崩すことのない東雲氏が露にする落胆と狼狽。

 誰に対しても厳格で冷徹だった東雲氏といえど、長く苦楽を共にしてきた大勢の仲間の死は、自らの死以上に耐え難い苦痛であることが容易に察せられた。


「天地も、あいつの妹も…………マユも……ファフニールに、やられちまった……のか……?」


 先の戦闘では巨大な戦斧を豪快に振り回していた剛健氏だが、こちらも見るからに意気消沈している。

 己の判断によって前途多望な少年少女が命を落としたのみならず、唯一の愛娘まで失ったとなれば無理もないことか……。


「……遠目で確認した限りだが……遺体の状態から、あれらはファフニールの仕業である可能性が高いだろう。攻撃を受けたためか、かなり気性が荒くなっていたから、しばらく詳しい検証は困難だけどね。まあ、普通に考えれば……生き残りはいないだろう。マユ君達も含めて……」

「あのマユガ……シンじられまセーン……」


 今に至るまで、そんなはずはないと自分に言い聞かせていたのだろう……明るさだけが取り柄のローニンでさえ、私の言葉によって逃避していた現実を再認識して頭を垂れた。

 そう……生き延びた人間がいるとは到底思えない。

 ファフニールの泉は二層の端の端。

 ベースに行くにも三層に行くにも、私達が交戦していた場所を必ず通る必要があるのだから、淡い希望など抱く余地がない。

 だが――――。


「傷心中のところ悪いが聞いてくれないかな。剛健氏とローニンにとっては朗報……そして東雲氏には悲報と言えるが……実はマユ君、天地君、陽芽君は生きている。正直、私自身にわかに信じ難いが……これは確実だ」

「な……!? 馬鹿なっ! 何を根拠にそんなことをっ!!」


 予想通り声を荒らげて激昂する東雲氏を含めた一同に向けて、私は自身のステータスを呼び出す。


「やれやれ、あまり手の内を晒したくはないんだが……今回は仕方ないね。ほら、これが証拠さ」


 私はスキル欄の下、通常であれば何もないはずの余白に並ぶ膨大な文字列の一つを指差した。



Name:Mayu Kogarashi,Location:Unknown,State:Alive



「…………何だ? こいつぁ……?」


 私の言葉で一時的に生気を取り戻した剛健氏が怪訝な表情で呟く。

 端的に説明しようとした私より先に、東雲氏が眼鏡の奥の切れ長な目を大きく見開いて反応した。


「これは……他者の状態と現在地が分かるのか……! そういったスキルの存在を聞いたことはあるが、実際に見るのは初めてだ……!」

「ふふ、ご明察。状態は生死のみだが、場所は階層から座標までかなり詳細に把握できるんだよ。私が直接ステータスを見たことがある人物限定だけどね」


 希少な『Book markブックマーク』のスキルを場の全員が興味深げに眺める中、ローニンが不満そうに口を尖らせる。


「メグルー……こんなスキル、ボクもキいてないデスヨー。フーフなのにオカシイじゃないデスカー」

「まあ、聞かれなかったからね。ことさら秘密にしようと思ったわけではないから気にしないでくれ、ふふふ……」


 ローニンを軽くあしらってから、私は補足を付け加える。


「ご覧の通りマユ君、そして天地君に陽芽君は全員アライブ、つまり生存している。問題は……居場所だ。不明というのは、私が今まで足を踏み入れたことのない場所にいることを示している。だが、自慢じゃないが私は現在攻略中である五層の隅々まで把握している。一部の特別危険区域を除いてね」

「…………あの泉に……我々の知らない場所へ通じる道がある……ということか…………」




 ――――とまあ、ひとまず三人の生死が判明したところで剛健氏がファフニールの泉へ向かおうと飛び出すひと悶着はあったが、あえなく東雲氏の魔法によって拘束され、会議は次の主たる議題――私達の処遇と二層の復興計画へと移行し、一晩かけてようやく終了した。


 それから一ヶ月。

 私達は愚直に魔物を狩り続けている。

 その理由は、私達が二層での半年間の魔物駆除を課せられたからだ。

 マユ君の処刑は各層のリーダーによる総意ではないため、私達の邪魔自体はダンジョンで定められた規則上、何の罪にも問われない。

 しかし、こちらから積極的に仕掛けて傷を負わせたのは事実であり、重罪だ。

 今回の事件において二層が被った被害は甚大であり、復興のために一人でも多くの人材が必要であることから、まあ妥当な処罰と言えるだろうね。

 期間こそ長いものの、剛健氏もローニンも数段上の処罰を覚悟していただけあって、この決定に関しては特に反抗することはなかったよ。


 なお、当然ながら私達だけで損失を補完できるはずはなく、各層への協力要請も同時に行われ、戦闘経験の豊富な人員が二十名余り派遣された。

 とはいえ、実力面においては申し分なかったものの所詮は寄せ集めの増援。

 気心の知れた以前のメンバー達と比べるとチームワークに難があったため、最初の頃は色々と苦労したが……それでも、今では事件以前と遜色ないペースでの掃除が可能となった。

 何より、此度の責任を取って東雲氏が二層リーダーの座を辞任し、彼もまた魔物の駆逐に人一倍精を出していることが大きな要因となっている。

 剛健氏は剛健氏で、私とローニン、そして二層の住人達に対して負い目を感じているのか、寝る間も惜しんで戦い続けて、「憂さを晴らすのにちょうどいいから、てめぇらはとっととベースに戻って休んでろ」などと不器用に気を遣ってくるので苦笑を禁じえないよ。

 私とて、珍しく武器を振るって忙しなく魔物の相手に励んでいるわけだが……それでも剛健氏と東雲氏の二人が全体の戦果の半分を占めていると、時折馬鹿馬鹿しくもなってしまうね。


 そういうわけで、最近は柄にもない肉体労働で少々疲労が溜まっているけれど、ようやく手紙を書くだけの余裕ができてきたというわけさ。

 残り五ヶ月の贖罪が終わったら、私とローニンはマユ君達を捜索しようと思う。

 今のところ健在なため多少は安心したが娘の現状をどうしても知りたいと剛健氏に頼まれた、という理由も多少あるが……何より、攻略が滞っている五層を取材するよりも断然面白そうだからね。


 想像を超える長文になってしまったが、私からの現状報告は以上だ。

 月並みな言葉で締めくくるが、兄さんも無理をせず体に気をつけてくれたまえ。

 ふふ……魔物との戦いを繰り返す日々を送っている私が言っても、まるで説得力がないとは思うけれどね。


 ――妹より。




「――まーたテガミデスカ、メグルー。トドけることもデキないのに、よくカクデスネー、マイドマイド……」


 ペンを置いて息をつく私に、ローニンが呆れ顔で肩をすくめる。


「習慣になっているからね、日記のようなものだよ。そうだ、試しに君も書いてみたらどうだい? 地上に残した大切な人に宛てて……ね」

「ハハハ! そんなヒトいないデスヨー、ザンネンながら。ボクはボッチデシタからネ~、ダイジなのはメグル、アイするアナタくらいなもんデース」

「ふふ、急にどうしたんだい? そんなことを言うなんて気持ちが悪いな。まるで天地君みたいじゃないか」


 軽く悪寒が走るのを感じながら言うと、ローニンは珍しく居心地が悪そうに頬を掻いた。


「アー……ナントナク、そんなキブンだったデスヨー。コノゴロ、メグルにチカづくオトコがオオいからデスかネー……」


 予想外の言葉を受けて私は咄嗟に言葉が出ず、唖然としながら数度瞬きを繰り返してローニンを見据える。


「……そうだったかな? ふむ……言われてみれば、些細なことにも手伝いを申し出る鬱陶しい輩がそれなりにいた気もするが……」

「メグルはチンチクリンでヒンソーなタイケーデスケド、カオはビジンなんデスから、モテちゃうんデスヨー! ソレに、ボサボサなカミでサエないオサゲでジミーなローブばっかりキてて、ナカミはハラグロのインケンデスケド、パッとミはヤマトナデシコなもんデスから、オトコにはキをつけてくだサーイ!」

「ほう……随分と余計なことまで饒舌に語るじゃないか。それも天地君の影響かな……とりあえず歯を食いしばりたまえ、ローニン」

「オーマイガー! アイムソーリー、ついショージキになりスギ……――――ンゴッフォッッ!!」


 貫かんばかりの勢いで拳がめり込んだ鳩尾を押さえながら、両膝を地に落として絶え絶えに呻くローニン。

 私は大きく溜め息をついて、うずくまる彼を冷ややかに見下した。


「まったく、君という奴は……。くだらないことを気にする暇があるのなら、ファフニールの泉を探索する方法でも考えてくれないか……」


 事件以降、何度かファフニールの泉を訪れる機会があった。

 表向きは埋葬するための遺体の回収だったが、私の目的はマユ君達の捜索、つまり隠し通路の発見だ。

 しかし、あれ以来ファフニールは入口を跨ぐことすら許可しないとばかりに少しでも近づくと攻撃してくるようになり、いずれも成し得ることは不可能だった。

 歯がゆい話だが……朽ちてゆく遺体に関しては、むしろ不幸中の幸いと言える。

 二層の精鋭達を全滅させたのはファフニール――会議の時は運良くその方向で話をまとめることができたが……実際のところは怪しいものだ。

 ある日、『ブックマーク』のスキルを眺めていた時に気づいた真実と、剛健氏の過去……そこから導き出した一つの仮説…………。

 間近で遺体を入念に調べたところでマユ君の犯行であると確定するには至らないだろうが、全てをファフニールの仕業にして決着できるのであれば、それに越したことはない。


「いつまで悶えているんだ、ローニン。さあ、手早く仕事を片付けようじゃないか」

「オ、オーウ……リョーカイデース…………」


 未だ謎を秘めたダンジョン最強の女子中学生、凩マユ……。

 ふふ……興味深い。

 実に興味深いね…………。

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