第59話 蛍火の杜へ

 突如復活したファフニールに入口を塞がれて絶体絶命の窮地に陥った俺と陽芽とサユだったが、入口と真逆の場所にどこかへ繋がる(と信じたい)穴を発見し、無我夢中に走った。

 意外にも慈悲深いファフニールは、挨拶もなく背を向けて立ち去るちっぽけな人間共を容赦なくファイアーすることなく見逃してくれたため、俺達は何事もなく謎の穴へ飛び込むことができた。

 ――まではよかったのだが…………。


「……なあ……何か……長くね…………?」

「うん……もう、けっこう降りてる……よね……」


 人が一人ようやく通れる程度の幅しかない暗ーーくて狭ーーい階段を降りること、およそ五分。

 未だ眼前に光が差し込むことはなく、足元すら覚束ない真っ暗闇が続いていた。

 ………………おかしくね?

 すでに、一層から二層に続く階段の三倍くらい歩いてる気がするんだけど……。

 行き止まりじゃないのは大変結構なことだが、違う意味で不安になってきた。


「くっそ、攻略本にも載ってねえだろうしなぁ……。あっ、サユはここ通ったことねえの?」


 いかに立ち入り禁止区域と言えど、あのマユならばひょっとしたら……と背中におぶったサユに尋ねるが、


「いやー、あの泉にはマユねぇ何度か来たことあるけど……穴には気付かなかったなぁー」


 と、淡い期待は呆気なく打ち砕かれてしまった。

 つまり、正真正銘の前人未到ってことか……。

 大丈夫かよおい、どこに繋がってんだよ。

 上り階段だったら「もしかして地上に出られるんじゃね?」という希望も生まれるが、非常に残念ながら下りだ。

 ……っていうか…………。


「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……はぁ……」

「……てんちにぃ大丈夫? ごめんねー、重いでしょ?」

「い、いや、大丈夫大丈夫……よゆーよゆー……」


 これでもレベル4なだけあって、小柄なサユ一人なら羽のように軽い……けど……けど……。

 サユが背負ってるリュックサックがくっっそ重いっ!

 そういやこれ、包丁コレクションとか俺の作った保存食とかマユが殺した魔物の生肉とかが、ごっちゃごちゃ入ってるんだった。

 包丁とかいくらでも作れるんだから捨ててよくね? と思うが……前に聞いたところ、特に出来がよかったり手に馴染んだやつはキープする主義らしい。

 っく……正直、体力の限界だが……マユのお気に入りを勝手に捨てるわけには……いや、だが…………。


「お兄ちゃん……代わろうか? 私の方が、STRも高いし……」

「そりゃ……ステータスじゃあ、負けてる……が……妹に、任せちまったら……兄としての面目が、丸潰れ……だろ……げほっげほっ!」

「……いや、カッコつけてる、つもりかも、しれないけど……その状態になった時点で、すでにかなり、潰れちゃってるから……」


 心配と呆れをミックスさせた陽芽のツラを見なかったことにして、俺は息を切らせながらガクガク震える足を懸命に動かす。

 これが単なるクソだりぃ力仕事だったら、ありがたい交代の申し出に食い気味で了承したところだが……おんぶだよ? 愛する人と合法的(?)に密着できるんだよ? 代わってたまるかよ!

 背中に伝わる好ましい感触によって疲労も吹っ飛びニヤける俺に、気のせいか陽芽が液体窒素より冷たい目を向けているような気がしないでもないが……それも見なかったことにしよう。


「あっ! なーんか明かりが見えてきたよー!」


 弾むサユの声に反応して、沈んでいた目線を上げると……たしかに、闇の向こうにぼんやりと光が射していた。

 ついに訪れた終わり。

 嬉しいような残念なような……。

 とにもかくにも、俺達は胸を撫で下ろして自然と軽やかになった足で人類未踏の地へと降り立った。


「うわぁーーっ! すっごーーーーい!」

「な……何、ここ……本当に、ダンジョンなの……!?」


 そこに広がっていた景色は……当然ながら見たことがなく、当然とは言い難いほど想像を絶する別世界。

 視界いっぱいに数えるのもうんざりするほど屹立する「樹齢数千年はあるんじゃね?」と思しき伝説の世界樹みたいな荘厳な樹木。

 どれだけ見上げても目視できない木のてっぺんのさらに奥の奥、かすかに認識できる天の果てを、複雑に絡み合って隙間なく覆い尽くしている太いツタ。

 土壌の豊かさを象徴するかのごとく青々と生い茂るフレッシュな草花。

 とりわけ美しい、ふわふわの綿毛を纏ったタンポポに似た可憐な花が仄かに発光し、さながら宵闇の中で戯れる無数の蛍のように儚げに揺れている。

 辺り一面に咲き誇るタンポポの温かみのある淡い光は、鬱蒼とした樹海を神秘的に照らすだけじゃなく、俺達の緊張と不安を優しく溶かしてくれた。


「はぁ~~……すっげえなぁ……」


 一瞬、マジで「え? 天国? それとも異世界?」と思った。

 いや、今もその可能性は捨てきれない。

 それほどダンジョン離れした場所であり、かつ現実離れした場所だった。


「えー……っと……サユ、もしかしてここが……三層……なのか?」

「ううん、こんなとこ三層には……ってゆーか、四層にも五層にもないよー!」

「………………マジ?」

「マジマジ! 五層までならマユねぇが端っこから端っこまで行ったことあるもん、間違いないよー」


 えぇ……?

 ここが三層でも四層でも五層でもない?

 でも、俺達めちゃくちゃ階段降りたじゃん。

 んん……?

 ……ってことはだよ?

 導き出される結論は……。

 ここは少なくとも六層……ひょっとしたら、それより下……ってこと?


「い、いやいや、そんな……昔のゲームの、裏ワザみたいなこと、あるわけ……」

「だ……だよなー! まさかそんな、二層から一気になんて……興ざめっつーか、どんなクソゲーだよっつーか、大炎上っつーか、低評価レビューの嵐っつーか……サユの気のせいなんじゃねーか? な、なあ?」

「……………………あはは……はは…………」


 俺と陽芽が同意を求めて縋るような思いを込めてサユを見るが……「いや、やっぱり見覚えはないよー」と言いたげな困ったような半笑いを返される。


 ………………………………やばくね?


 幻想的な風景に魅せられて危うく観光客気分に浸りそうになっちゃったけど……よくよく考えれば、こいつぁやばいですよ。

 だって、攻略本頼みのレベル4ザコ料理人とレベル3アサシンとMP0魔法使いが未知の下層にいるんだぜ?

 RPGで例えると、最初の町の周辺でちまちまレベル上げしてたら、いきなりラストダンジョンに飛ばされた……みたいなもんじゃね?

 万が一の時は、この狭い階段を避難所として使えないだろうか……。


「……うぉっ!」


 と思ってチラッと後ろを振り向くと、そこには今来た所だけちょこっと穴が開いた一際ぶっといツタが螺旋状になって遥か天まで続いていた。


「…………俺達、こんなとこ下りてきたのか……」

「うっわー……すっごい高さだねーー」


 なるほど……こりゃもう二度と戻りたくねえな、しんどすぎて。

 どのみち、上にはファフニールが待ち構えてるわけだから余計モチベが上がんねえ……てか、わざわざ死にに行くようなもんだ。


「……ん? あれは…………」


 ふと、嫌でも目を奪われる大樹と蛍タンポポ(仮称)に隠れて、見慣れた光がひっそりと輝いているのが見えた。

 そろ~っと念のため用心して近づくと……。

 そこにあったのはやはり、想像通り、あるいはそうだったらいいなぁという願望通り、ダンジョンに住まう誰もがお世話になっている、魔物を寄せ付けないセーブクリスタルだった。


「おおおっ! 見ろよ陽芽、サユ。ここがどこなのかはサッパリだが、とりあえず一息つけそうだぞっ!」

「ホントだー! いやぁよかったよかったー」

「うん……この広さだと、どこからどこまで大丈夫なのか、分かんないけど……一応、危険はなさそう……かな……」


 今度こそ一安心した俺達は、包み込むような暖かさのクリスタルの下、ふんわりと柔らかい草の上で倒れ込むように腰を下ろし、深く息を吸って長ーく吐いた。


「ふぃ~、ちょっと休憩して今後のことを考えようぜ」

「さんせーーっ!」


 俺の提案に元気よく手を挙げて賛同するサユとは対照的に、陽芽があからさまに不満たらたらなジト目を向ける。


「……それはいいけど……その前に、教えてよ。どういうことなの?」

「へ? 何が? ……って、あーそっか、忘れてた」


 まさかのファフニールさんのせいですっかり頭から消えていたが、そういえば陽芽にサユとアユのことを説明しなきゃいけないんだった。

 正直、俺だって分からないことだらけではあるのだが……とにかく身の安全が保証された今、休息がてらに俺は知っている限りのことを思い出に浸りながら陽芽に話した。




「…………え? 多重……人格?? え、スキルで……??」

「うん、そうそう。いやー何でもアリって感じだよなースキルって。すげーよなぁ」

「いやいやいや、え? え……ええぇ……?」


 再び「え?」症候群を発症させて、サユをじろじろと穴が開くほど見つめる陽芽。

 対するサユは、流石の対人能力でニカッと笑って手を差し出した。


「えーっと、遅くなっちゃったけど……はじめまして、ひめねぇ! ……って、マユねぇの一つ下だから、あたしと同い年なんだっけ? じゃー……ひめちゃん! でいい?」

「え? あ、うん……それは、いいけど……あっ、はじめまして……いや、そうじゃなくて……」


 まだ混乱しているのか、激しくテンパっている陽芽がおずおずと握手に応じる。

 まあ、自分より小さい女の子にちゃん付けで呼ばれたら戸惑うのも無理はない……って、理由は百パー違うだろうけど。


「え……っと…………このこと、お父さんは、知ってるの……?」

「あー、おとーさんは知らない……ってゆーか、知ってるのはてんちにぃだけかなぁー」

「えっ、そうなのか!?」


 嘘だろ……てっきり知ってると思ってた。

 だって父親だし。

 うっわ……知らなかったとはいえ、こんな大事なことを今まで黙ってたなんて知られたら……。

 うん、大変恐ろしい結末しか想像できない。


「いやー、最初はてんちにぃにもヒミツにするはずだったんだけど……あ、この人ならだいじょーぶそーだなーって思ったから。まー、でも、まさかてんちにぃがマユねぇを……とまでは思わなかったんだけどねー、むふふふふ」

「…………ふーん……」


 にまにまとするサユの言葉を受けて、気のせいか陽芽が本日何度目かの負の感情を帯びた視線を俺に突き刺してくるが……やはり見なかったことにしよう。

 と、それから思い出話を交えた大変和やか(?)な歓談タイムが続くかと思いきや……サユが突然、表情を曇らせる。


「……それでね、それまではマユねぇってずーーっと一人ぼっちだったんだけど……てんちにぃが一緒にいてくれるようになって、これでマユねぇも、きっと……って……そう思ってたんだぁ……。でも…………」

「あっ! そうだサユ、違うんだよ! 俺も大変だったっつーか、決して――――」


 そうだ、サユ達からしたら、俺は何も告げずに突然姿を消しているんだ。

 慌てて釈明しようとする俺の唇に、サユは人差し指をそっと当てて悲しそうに微笑む。


「だいじょーぶ、てんちにぃがマユねぇを見捨てるわけないって、あたしは分かってるから。でも……ううん……えーっと……とにかく、これからはずーっと一緒にいてよね、てんちにぃ」

「…………おう、当然だ」


 サユは俺の言葉を聞いて満足そうに少しだけ口角を上げる。

 そして、今度は陽芽の方を見た。


「それと……ひめちゃんも……一緒にいて、くれるの……?」

「……それは………………」


 真っ直ぐに目を見つめて真剣に問うサユに、言い淀む陽芽。

 その答えを待たず、サユは続ける。


「そーだよね、まずはちゃんと会って、それからだよね……。ただ、これだけは分かってほしいんだけど……マユねぇはホントに優しくて、だから……だから……嫌いにならないでね」


 そう言い残して――――。

 サユはふっと糸が切れたようにパタンと倒れた。

 ……って、これじゃまるで息を引き取ったかのような表現だが、何も心配することはない。

 陽芽はマジで慌てふためいたが、慣れている俺はすぐに分かった。

 交代の時間が来たのだと――――。


「陽芽……ようやく会えるぞ……マユに」


 そして、わずか十数秒後。

 ようやく……本当にようやく、その時はやって来た。


「ん……うにゅぅぅうううぅうぅぅ……よおぉおおぉぉおくねたぁああぁあっ♪」

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