第51話 ぱぱとまま

 広瀬組の組長である興将さんの自宅は、俺の家とは真逆と言ってもいい純和風の作りになっている。

 松やら梅やらといった庭木に、わびさびのある枯山水、茅葺きの東屋まで備えた、広々とした雅やかで美しい日本庭園。

 普段であれば、プライベートで何度も訪れたことのある俺と栞那にも変わらぬ感動を与えただろう。

 昔、愛する娘達を連れてきた時のはしゃぎようと言ったら、うちも和風にすればよかったと本気で後悔したほどだ。

 あの時、家族みんなで興将さんにご馳走になった懐石料理はマジでうまかったなぁ……。 


 そんな古き良き思い出と比べて、今回は――――。


「おらあぁあああああああっ!」

「ぐぁぁっ!」


 吹き荒ぶ嵐のように猛々しく打ち下ろした日本刀の峰が右肩を痛打し、男は手にしたドスを落として膝から崩れ落ちた。


「ったく、人の電話をシカトした挙句、顔を見るやいきなり挨拶もなしに襲いかかってくるたぁ随分な対応じゃねえか。広瀬組のやつはどいつも礼儀正しい野郎だと思ってたがなぁ」


 凩組襲撃に関与していた広瀬組のトップ、興将さんを問い詰めるべく自宅へと乗り込んだ俺と栞那は、敷地に足を踏み入れる否や、見知った組員に突然襲われた。

 黒幕をぶち殺すため……いや、護身用のため持ってきた日本刀がなけりゃ少しばかり危なかった。

 だが、おかげではっきりしたぜ……俺の勘違いであって欲しかったがな。


「てめえらぁ……なんでだ、なんでうちを襲いやがった? 俺らが何かしたってのか? あ゛あんっ!?」

「……それは…………すみません、俺は……俺からは、何も…………」

「……なるほどな……。まあいい、興将さんにじっくり聞かせてもらうからよお」


 ツラを見て分かった。

 迷い、葛藤、罪悪感、無力感、そして恐怖。

 こいつ……脅されてやがる。

 興将さん……あんたなのか?

 ちくしょう、何だってこんなことを……!


「行くぞ、栞那。……俺のそばを離れるなよ」



 玄関に入り、やはり出会うなり攻撃してきた組員をさらに二人片付けて奥へと踏み込む。

 凩家並に広い建物をしらみ潰しに探すとなると無駄に怪我人が増えちまう……と思ったが――――。


「――ッ! お、興将さんっ!!?」


 一階の大広間。


 俺と興将さんの家族みんなで談笑したことも、広瀬組と凩組のみんなで宴会したことだってある、その思い出の場所に。


 興将さんはいた。



 …………血だらけで、首を吊った状態で。



「き、きゃあああぁああっ!」


 悲鳴を上げる栞那を抱き寄せ、目を伏せようとした時……。

 部屋の隅からゆらりと現れた男に気がついた。


「にゃハハははぁああぁあ……思ったより遅かったですねぇええ、ラスボスさああぁあぁん♪」


 色白でひょろひょろの優男。

 歳は二十代後半……いや、もっと若い。

 一見すると、たかが虫けらにすらビビリそうなくらい軟弱な、いけ好かねえキザったらしい軽薄なホストだ。

 広瀬組とは長い付き合いだが……見たことねえ野郎だ。


「てめえ…………誰だ?」


 上体をふらふらと左右に揺らす不気味な男に、刀を突きつける。

 こいつ…………。

 何の根拠もねえ、俺の直感だが……こいつは……やべえ。


「お初にお目にかかりますぅぅ、青天目ルカと申しまぁあぁす。広瀬組の一員……でしたぁあ! 過去形ですけどねええぇ。今はフリー……いやいやぁぁ、凩組の組員になったんでしたっけぇぇえ」

「何ふざけたこと言ってやがる。……興将さんを殺ったのは……てめえか?」


 自慢じゃねえが、俺はつええ。

 ヤクザになってからというものの、柔道の黒帯だとか空手の上段者だとか剣道の達人だとか抜かす奴を数え切れねえくらいボコってきた。

 どいつもこいつも、目の前の貧弱野郎なんかとは比べものにならねえくらいガタイのいい屈強な男だった。


「ピーンポーーン♪ ラスボス前のぉぉウォーミングアーーップくらいにはなるかと思ったんですがぁあぁぁ……いやはやぁガッカリでしたぁぁぁ。つまんなすぎてぇ吊っちゃいましたよぉおお、まぁあぁ特に意味はないんですけどおおぉおぉwww にゃははぁああ♪」

「この……クソ野郎が……ッ!」


 だが…………なぜかは分からねえが、俺の本能が告げてやがる。

 こいつは、もっと段違いにつええってな。


「あんたが、うちの組員を……サユとアユを殺して……マユに……マユに、あんなことをさせたのっ!?」


 今にも飛びかかりそうな栞那が問い詰めると、野郎は薄気味のわりぃ笑みをさらに胸糞悪く歪めてあっさりと答えた。


「ですですぅうう。やぁ~、マユちゃんはほんっとぉぉぉおおに優しくってイイぃぃい子ですねええぇえ。さながら純粋で真っ白で穢れのないキャンバス……くらぁああい色が醜く滲んでぐっちゃぐちゃに混ざる過程がああぁ狂おしぃいまでに可愛らしいぃいぃいいいっ!」

「ッ……!!」

「落ち着け、栞那!」


 念のために持たせた拳銃を躊躇なく野郎に向ける栞那を慌てて制止する。

 気持ちは痛いほど分かるが、こんな腐れ外道でも殺せば犯罪。

 いざという時の自衛なら仕方ねえが、愛する妻を殺人者にはしたくねえ。


「早くもてめえのクソさ加減に反吐が出そうだが……最後に一つだけ聞かせろ。……なんでこんなことをした? てめえに一体どんな得があるってんだ?」


 銃を突きつけられてもまるで動じることなく、野郎は俺の言葉を聞くと吹き出してケタケタと笑った。


「得?? ぷはっ! くっだらなぁぁいなあぁあ、そぉんなのあるわけないじゃぁあないですかあぁああ。僕はただ! ニンゲンの最も尊くて面白いサマ……感情の移ろいが見たいだけですよぉおぉおお。それわそれわぁ愉しくって可笑しくって心地良くって気持ちイイいいぃいいからですよおおぉおおおっ♡」


 なるほど……こいつぁとんだキチサイコ野郎だ。

 ほんの少しでもマトモな動機を期待した俺が馬鹿だった。

 こんな奴に俺の大事な組員が……娘達が理不尽な目に遭わされたかと思うと腸が煮えくり返りそうだ。

 へへっ…………決まりだな。


 ぶち殺す!


「もういい……もう黙れ。てめえは刑務所送りにするなんざ生温い。今ここで俺がぶった斬るっ!」

「にゃっははぁあぁぁ……その意気ですよおぉおぉぉ、頑張ってくださぁぁい。ムショでぼーーっと過ごすなんてぇええ退屈すぎますからぁぁあぁっ♪」

「死ねっっっ!!」


 相変わらず緊張感なくふざけ続けるクソ野郎に、俺はもう完全にブチ切れた。

 じわじわといたぶってやろうという気すら起きず、一刻も早く首をはね飛ばそうと刀を振るった。

 しかし――――。


「なっ――――!?」


 野郎の首元から十数センチのところで、刀の切っ先は甲高い硬質な音を響かせて停止した。

 ナイフで防ぎやがった。

 信じられねえのは……野郎の腕力。

 踏ん張っても気張ってもねえのに、余裕の表情を少しも崩さず片手だけで……しかも、ちっちぇーナイフ一本で受け止めてやがる。

 本気で押し込もうとしても、一ミリたりとも動かねえ。

 こんなもやしみてえな体してやがるのに、一体どうなってんだ……!


「ああぁあぁぁあぁ……感じますよぉおおぉぉぉシビれるくらい刺激的な殺意をぉおおお! もっともっと憎んで恨んで嘆いて憤って嫌悪して見下して忌み嫌ってぜひぜひぜひぜひ殺してくださぁぁいねえええぇええぇええええっ♪」


 野郎は軽々と刀を弾き返し、とんでもねえ速さで瞬時に間合いを詰めると、一切の無駄も隙も躊躇もない洗練された動きで喉笛めがけて刺突してきた。

 死の恐怖を感じる暇もなく、俺は無我夢中でナイフの先端に刀を滑り込ませる。

 鈍器を叩きつけられたような重い衝撃がビリビリと手に伝わってくる。


「くっ……!」

「あなたっ!」


 栞那が拳銃で牽制しようとするも、野郎は俺が壁になる角度を常に保ちながら絶え間なく突きと斬撃を繰り出す。

 あまりのスピードに、俺は反射神経と戦闘経験と勘と運を頼りにギリギリ捌くことしかできない。

 この俺が、凌ぐだけで精一杯だと……!?

 いや、凌ぐことすらできてねえ。

 防ぎきれなかった攻撃が何度も皮膚をかすめ、その度に血が噴き出す。


「う~~~ん、まぁあぁぁだバフが足りませぇんかねええぇええ? 三人のお子様とぉぉ十二人の組員さん程度じゃぁあああ僕を殺すこともできないんでえすかぁあああぁあ??」

「こ…………んの、クソが……!」

「しょぉおおぉがないですねぇぇえええ……それじゃああぁ…………」


 ふっと、雨のように降り注ぐ斬撃が止んだ。

 と思った次の瞬間には、竜巻のように旋回して放たれた野郎の回し蹴りが俺のこめかみを捉えた。

 ナイフに気を取られてなかったとしても避けられたか分からない、人間離れした動きだ。

 俺は三メートル近く吹っ飛ばされて障子を突き破った。


「リクエストにお応えいたしまぁしてぇぇえ、お次はあなたに死んでもらいまショーぉおぉおかああ……お・く・さ・まぁぁぁ☆」

「!? なんっ……だと……!!」


 脳震盪でぐわんぐわんと回転する脳みそに、野郎の不快な声がずしりと響く。


「ふ……っざけんな! 栞那に指一本でも触れてみやがれ、細切れにしてやるっ!!」


 今すぐに栞那を守るべく立ち上がろうとするも――足に力が入らない。

 ガクガクと小刻みに震えるばかりで、まるで言うことを聞かない。

 それだけじゃねえ。

 キンキンとうるせえ耳鳴り。

 天井がぐにゃぐにゃと歪む目眩。

 ろくに食べてなくて空っぽの腹ん中を全部ぶちまけそうな吐き気。


 だが、それがなんだ。

 今ここで立たねえと……動かねえと……栞那が……。


「……大丈夫よ、あなた。このゲス野郎は私が殺すわ!」

「にゃはぁぁ、ステキな奥様ですねぇえええぇぇ、こぉぉおれはスペシャルパワーアーーップ! 期待できそおおぉおでぇええぇぇっすぅう♪」


 くそっ……動け……!

 動け動け動け動け動けえええええっ!

 くそ…………くそがああああああああああっ……!


「マユ、サユ、アユ……あなた……お母さん、人殺しになっちゃうけど許してね…………うぁぁああああぁああああああっ!!」



 乾いた発砲音――――と耳障りな金属音が、ほぼ同時に鳴り響いた。


 銃口には硝煙が揺らぎ、照準は間違いなく野郎の心臓を捉えている。

 だが、野郎は――――無傷。

 何事もなかったかのように、ゆっくりとふらふらと栞那に近づいていく。


 し……信じられねえ…………。

 だが、間違いねえ。

 ナイフの側面に当てて、銃弾を逸らしやがった……!


「う…………そ…………………………」


 信じられないといった表情で口を開けて固まる栞那と、


「にゃハハぁあああ……ズドォオン! ってぇぇ重たああぁい衝撃がキましたよぉぉおぉ。タマは残念ながらでしたけどおぉぉ、あなたのおキモチはしぃぃっかりと受け取りましたああぁあぁあああっ!」


 愉快そうにナイフを指で回す野郎との距離が徐々に縮まり、


「逃げ……ろ…………栞那ーーーーーーーーーっ!!」


 刀に身を預けてやっと立ち上がった、情けない俺の前で、


「それじゃぁあぁぁあ……お疲れ様でしたあぁぁあああ。さよーーならでえぇぇえええっすぅう♪」


 あまりにも呆気なく、


 あまりにも無慈悲に、


 栞那は……胸を貫かれた――――――。


「か、はっ……! あ……な…………た…………」

「あ…………あ……あぁあ…………」


 俺は……誓ったのに……。

 残された栞那とマユだけは命に代えても守ってやると。

 それなのに……俺は…………。


「にゃっハハあぁああ、いかがですかぁああぁぁ? まだ不足でしたらあぁあ、もおおぉっと穴ボコのズッタズタにぃぃいたしますケドぉぉおぉおお??」

「ッ……こん……の野郎がぁぁああああぁああぁああああっ!!」


 俺は死に物狂いで走った。

 刀を杖代わりに、ふらついてゲロを吐きながら。

 この野郎を必ずぶっ殺す……その一心で。


 我ながら隙だらけだった。

 野郎は、すぐにでも俺を殺せるはずだ。

 だが、頭をカクカク左右に振りながら不愉快な笑いをずっと浮かべて、ただ俺を待ち受けている。

 完全に舐めてやがる。


「あららあぁぁ、ちょぉぉっと強く蹴りすぎちゃいましたかねぇええ? でもでもおおぉ分かりますよぉおぉお、あなたの感情の昂ぶりが! さあぁぁあ早く! ください! 僕にそのキモチをおおぉおおおっ!」


 すまねえ……栞那、マユ、サユ、アユ…………俺が不甲斐ねえばっかりに、お前らをこんな目に遭わせちまった。

 だが、最後にせめて……仇は討つ!


 刺し違える覚悟で、俺は他に何も考えず刀に力を込めた。

 野郎が余裕たっぷりにナイフを構える。

 その時――――――。


 パアァァアンッ!


 再び響く発砲音と同時に、野郎の体がぐらりと傾く。

 脇腹からじわじわと血が滲む。


「かん……な…………?」


 揺らぐ視界の端に、血だらけで倒れながらも震える手で野郎に銃口を向ける栞那が映った。

 栞那は最後に、俺の目をまっすぐ見つめて微笑みかけ――。

 ふっと糸が切れたように、静かに畳へと沈んだ。


 俺は悟ってしまった。

 今、この瞬間、栞那は息を引き取ったのだと。

 すぐに駆け寄って抱きしめてやりたい。

 だが、今は……。

 栞那が作ってくれた最後のチャンスを、逃すわけにはいかねえっ!


「う……おおぉおおおおぉぉおおおおおおおっっ!!」


 体の隅々から残った力をかき集めて、俺は刀を振り切り――


 一瞬の虚を突かれて動きが鈍った野郎の、ナイフを持った右手を――


 手首から先を、高々と切り飛ばした。


「にゃっ……ハハハはハハあぁあぁぁあぁあぁああああっ♡」


 これで野郎は丸腰。

 後はその首を……斬る!


「死ねやあぁああぁあああああっ!!」


 俺は野郎の首をめがけて、すぐさま刃を返した。

 コンマ一秒に満たない時間……野郎には為す術もない。

 ――はずだった。

 しかし――――野郎は残った左手で宙に舞ったナイフを掴み取り、俺の渾身の一撃を容易く弾いた。

 そして、鮮血が噴き出す右手で俺の腹をぶん殴り、再び俺を吹っ飛ばした。


「ぐっ……!」

「イイ! イイ! イイぃぃいいいぃいいですよおおぉおぉおお、サイッッコーーーーですよおぉおぉぉお凩剛健さああぁあああんっ!!」


 くっそがぁ……!

 相変わらず化物じみてやがる……っ!


「初めてですよぉぉおおおお、こおおぉんな痛み! こぉおおぉんな快感! 初めてですよおおぉお、相手の心が僕に! 届いたのはっ! ああぁあぁぁあぁ……気持ちイイぃいいぃぃぃいいいっ♪」


 そうほざくと、野郎は血がドバドバ流れる右手の切断面をナイフでぐりぐりと抉って高らかに笑った。

 完全に狂ってやがる。

 いや、もう野郎がどんだけイカれてようが驚かねえし、もうどうだっていい。

 俺は、ただ、こいつを殺す。

 殺す。

 殺す。

 殺すっ――!!


 俺はすぐに立ち上がって、斬りかかった。

 防がれるのは明白だった。

 それでも、野郎を殺すまでは無意味でも無茶でも無謀でも上等だ。

 何度でも刀を振るうつもりだった。

 だが、予想通り刀を阻んだナイフは、儚い破砕音を残して飛び散り――――俺の一閃は浅いながらも野郎の胸を切り裂いた。


「にゃははぁあぁあああぁあああああっ♡」


 今度こそ、野郎は武器を失った。

 今度こそ……殺せる!


 ――――と淡い期待を抱いた俺の反撃は、しかしそこまでだった。

 直後、野郎の振り上げた右足が俺の顎を砕き……俺の意識は膨れ上がる怒りに反して無情にも遠ざかっていった。


 薄れゆく視界。

 次第に訪れる静寂。

 その最後の最後。

 野郎は至福に満ちた表情で俺の顔を間近から覗き込んで、そっと囁いた。


「にゃはぁぁ…………ありがとうございました、本当に……楽しかったです。最後のお相手が、あなたでよかったです。いつかまた……地獄でお会いしましょう――」

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