第47話 だれもいないじかん

「組長! 犯人が見つかったってのは本当ですか!?」


 荒々しく襖を開けて畳張りの広々とした部屋へと入ったヒロキは、そこにいた三人の男を順に見る。

 後ろ手に縛られ、血と痣で顔が真っ赤に腫れた見知らぬ男。

 その男の髪を乱暴に掴み、拳を強く握り締めて額に青筋を浮かべる組長。

 部屋の隅で腰を下ろし、虫酸が走るにやけ面をしながら一人だけ別世界にいるように気楽にくつろぐルカ。


「ヒロキか、遅かったじゃねえか。おうよ、このクソボケが俺の…………俺の大事な孫を殺しやがった下衆野郎だ……!」


 苦痛に歪む男の顔をこちらに向け、組長は忌々しそうに歯ぎしりする。


「こ……こいつが…………」


 一週間前。

 組長の孫が小学校からの帰宅途中、何者かによって殺害された。

 死因は、刃物で腹部を刺されたことによる出血性ショック死。

 まだ八歳の小さな女の子を無慈悲に殺した犯人を、組員総出で血眼になって探していた。


「おめぇらや警察がちんたらしてる間にルカがとっ捕まえてくれてよぉ。優秀な奴がいてくれて本当に助かったぜ。……これで俺は……こいつを直接ぶっ殺すことができるってもんだっっ!」

「ッぐぅっ!!」


 今年で還暦を迎えるとは思えない鋭い拳が鈍い音を立てて頬を直撃し、犯人の男が短い呻き声を上げる。

 普段の組長は、ヤクザの頭など似合わないほど温厚で家族思いな男だ。

 親馬鹿の腑抜けに成り下がったと揶揄される凩組の組長とプライベートで頻繁に酒を飲み交わすほどに。

 そんな組長のかつてない激昂に、ヒロキは緊張して息を呑む。


「そ、それで組長……こいつは一体どこのどいつなんですか? 何で、こんなことを……?」


 横向きに倒れ込んだ男の腹に何度も蹴りを入れながら、組長は徐々に語気を強める。


「ああ、楽しく痛めつけたら白状したぜ。こいつは凩組の下っ端で、剛健の命令で俺の孫を殺すよう言われたってなぁ!」

「あの凩組の剛健が……!? ……し、失礼ですが組長。剛健と組長が旧知の仲だと知ってて、殺されたくねえから嘘をついてやがるんじゃ……? あの男がそんなことをさせるなんて、とても……。メリットも何もありませんし……」


 ヒロキは広瀬ひろせ 興将おきまさ を長とする広瀬組に所属している。

 凩剛健率いる凩組と広瀬組とは勢力が拮抗しており、どちらも穏健派であることや縄張り地域が隣り合っていることから互いに協力することも多く、半ば同盟に近い関係を築いていた。

 組長のように剛健と知己ではないヒロキだが、興将の補佐として業務的な連絡を取り合う機会は少なくなかったため、剛健という人物に関してはそれなりに理解している。

 だからこそ感じる違和感。

 犯人自身が自白したという決定的な証拠があってなお、拭えない疑問。

 何よりも、ヒロキが納得できない最大の理由が――。


「やぁぁだなあぁあぁぁヒロキさぁあん。ニンゲンってぇぇえイイ人っぽい感じでもおぉ腹の中じゃぁぁぁなぁに考えてるかぁぁわかぁんないじゃあぁないですかぁああぁ、面白いことにぃぃい。ましてやぁ僕らみたいなヤクザなんてぇぇえ基本的に真っ黒でっすよおぉおお?」

「……てめぇの腹ん中は特にドス黒くてクッソ汚ぇだろうなあ、ルカ。俺が言いてえのは、他に証拠もねえのにコイツの言うことを鵜呑みにはできねえってことだ。それに……殺しにしか興味がねえてめぇが捕まえたってのも、どうにも信じられねえな」


 青天目なばためルカ。

 二年前、広瀬組のシマで暴力沙汰を繰り返していたところ、組長の興将に喧嘩の腕を見込まれて加入した、年齢も素性も経歴も一切が不明の男。

 組長の見込み通り、ルカは組の荒事全般に積極的に介入して多大な功績を残し、組織の勢力では下位に属する広瀬組を武力面で大きく向上させた。

 普段の言動はおよそ理解しがたいものの、その鬼神の如き戦闘能力と楽観的で奔放な生き様に惹かれる組員も多く、今では広瀬組の最終兵器、組長の懐刀として広く支持されている。


 だが、ヒロキは違う。

 ヒロキはルカを全く信用していない。

 たとえ組長に認められようと、組に多大な貢献をしようと、ルカへの評価は何一つ変わることはなかった。

 信頼に値しないと断じる根拠はない。

 疑い深い性分による悲観的な憶測、と言ってしまえばそれまでだが、それでもヒロキはどうしてもルカに心を許すことができなかった。


「えぇぇえぇぇぇ~~……マジメに頑張った僕に対してひどくなぁいですかぁぁあぁ? もしかしてぇぇ自分が犯人見つけられなかったからぁって嫉妬してるんでぇすかあぁああ? にゃハハァァア、ちっちゃぁいなぁぁヒロキさぁん♪」

「ッ……! この野郎……!!」


 人を食ったような態度でへらへらと笑うルカに、ヒロキは腹の底から怒りが沸き上がる。

 

「落ち着けヒロキ、お前の言いたいこたぁ分かる。俺だって嘘だと思いてえさ……まさか、剛健が……こんな最低最悪なことを企んでやがったなんてよ……」

「く、組長……」


 愛する孫を失った深い絶望と、信頼していた男に裏切られたかもしれない強い憤りが内在した悲痛な面持ちで沈む組長。

 その複雑な心情を慮ったヒロキは、ルカに掴みかかろうとした手を静かに下ろした。


「だがな……こいつの自白だけじゃあねえんだ。他にも共犯者が三人……いくら血反吐を吐かせようが骨を折ろうが、口を揃えて組長の指示だったと抜かしやがる。どいつもこいつも半端な覚悟で言ってるようには見えねえ……。くそっ……! 俺は一体、何を信じれば…………」

「まぁぁぁあぁわっかんないことはぁあぁ考えるだけむだムダ無駄ってことでぇぇえ、僕にナァァァイスなアイディィアがぁありまぁすよぉおおぉお?」


 組長が続く言葉を飲み込み、しばし流れかけた重い沈黙をルカの軽薄な声があっさりと破る。

 そのトーンからは、組長への配慮は微塵も感じられないが、ルカの性格に理解のある組長は気にする素振りもなく応じる。


「……よし、詳しく聞かせろ。それとヒロキ、お前は組員とサツに伝えとけ。『犯人はもうこの世からいなくなったから探さなくていい』ってな」

「そんな重大なことをルカなんかと……! 俺も……いや…………了解しました、組長……」


 ヒロキは確信していた。

 何を考えているかは不明だが、ルカのナイスアイディアがまともなわけがないと。

 しかし、だからと言ってヒロキには組長を救う妙案が出せる気がしなかった。

 ならば、頭のイカれたクズ野郎だが、犯人確保といい結果は確実に出しているルカの考えを聞くだけ聞いてみてもいいかもしれない。

 クソなアイディアだったら組長が却下するだろう。

 それに、警察への連絡は早急にしなければならないし、他の者には任せられない。

 今回、組長の孫が殺されたなどという不名誉な情報が敵対する組に露呈することを避けるため、警察には裏から手を回して一時的に事件を隠蔽してもらっている。

 警察が先に犯人を捕まえた際、組長が直々に制裁を加えるため身柄を引き渡すよう取引もした。

 本来ならば組長が直々に協力の礼をするのが筋だが、現状ではやむを得ない。


 そういった諸事情を鑑み、ヒロキは苦渋の決断としてルカに一縷の望みを託し、部屋を後にした――――。




「――――ど……どういうこった……こいつぁ…………」


 アユとサユを拘束し、凩組の事務所へとやって来たヒロキは目を疑った。

 床、壁、天井、そこかしこに生々しく飛び散った血痕。

 むせ返る不快な死臭。

 輪切りにされ、指の一本一本まで余さず切断された手足。

 頭蓋は砕かれ、歯は折られ、目は抉られ、鼻は削ぎ落とされ、もはや原型を留めていない頭部。

 無造作に引きちぎられ、スクランブルエッグのようにぐちゃぐちゃに踏み潰された内蔵。


 そこは、地獄だった。

 何度か訪れたことのある綺麗で美しくて絢爛な豪邸は、事務所は、もはや見る影もなくなっていた。


「う゛……っ! お゛えええぇぇぇぇっ!!」


 すぐ傍で嘔吐するリョウに目もくれず、敵地であることも忘れ、ヒロキは口を半開きにして呆然と立ち尽くした。


「う……嘘だ……俺達は、ただ……何で……こんなことに…………」


 三人の愛娘を誘拐し、凩剛健本人に今回の殺害を企てた首謀者なのか直接問いただす。

 つまり、人質を取った上での脅迫。

 それがルカの提案した計画だった。

 ただの報復としか思えない卑劣な犯罪行為だが、そこまでしないと真実は得られないと考えて組長は承認したのだろう。

 だが、もしも剛健が事件と無関係だったら……組同士の信頼関係は完全に崩壊し、どちらかが消滅するまで続く抗争に発展する可能性が高い。

 だからこそ、ヒロキは細心の注意を払っていた。

 出来る限り……いや、何があっても被害を出さない。

 いざとなれば自分がケジメをつけて、命と引き換えにしてでも手打ちにしてもらおうと。

 なのに…………。


「ぁぁあぁれれぇええ? 遅かったですねえぇえ、ヒロキさぁぁんリョウさぁああん。こっちはぁあぁぁ……残念! もぉぉお終わっちゃいまぁしたぁああぁあ☆」

「…………ルカ……!」


 散らばる死体を石ころのように蹴転がし、虫のように踏みにじり、ルカが平然と近づいてくる。

 いつもと変わらない不気味な笑みを浮かべたまま。

 悪びれる様子もなく。


「てめえ、どういうつもりだっ! 絶対に誰も殺さず攫う予定だっただろうが! 話が違うじゃねえかっ!!」


 皮肉にも憎らしい男の出現によって茫然自失から我に返り、ヒロキはルカの胸ぐらを勢いよく掴み上げ、怒りを吐き捨てる。


「ふぇええ……? あ~あ~~そぉぉでしたそおおでしたぁぁあ! そーゆーシナリオでしたねぇええぇうっかりしてましたよぉぉぉぉおぉ、にゃっハハぁぁあああっ」

「この……クソ野郎が……! どうすんだ、この状況……どう落とし前つけてくれんだコラァァッ!!」


 ヒロキは抑えきれない感情を言葉とともにルカにぶつけるも、当の本人は眉一つ動かさず軽々しく受け流す。


「えぇぇぇえっとおぉぉぉ……お二人にはもぉぉぶっちゃけちゃってもいいですかねぇぇ……? ってゆぅぅぅかぁぁその方が都合がよさそぉぉですかねぇええぇぇ……」

「……あぁ? 何言ってやがる……?」


 頭を左右に振りながら何やらブツブツと呟いていたルカは、しばらくしてから両手を大きく広げて高らかに叫んだ。



「あのですねぇぇ……組長のお孫ちゃんを殺っちゃったのってえぇえぇ……なんと! 僕なんですよぉおおぉおおおおっ♪」



「…………な……なん…………だと…………!?」


 衝撃の告白に、ヒロキは凍りついた。

 絞め殺さんばかりに締め上げていた手から力がすぅっと抜けていき、血がべったりと張り付いたルカの服が滑り落ちる。


「いやぁぁぁあぁ……変わり果てたお孫ちゃぁんの姿を見た時の組長の顔……さいっこぉぉおおおおぉおぉおおでしたねええぇえええぇ……ニャハハははにゃっハハハハぁぁああぁあああっ!」

「ル……ルカ……さん……? な、何で…………?」


 跪き、浅い呼吸を繰り返し声を震わせるリョウを見下ろしながら、ルカは愉悦に浸った表情で演劇じみた口調で声を張り上げる。


「何でぇぇえ!?? だぁぁってだってえ面白いじゃぁああないですかぁっ! 大切な人を失った時の絶望! 芽生える憎悪! ぐつぐつと煮詰まって育つ殺意! そして繰り返される悲劇!! ああぁあぁもう、これだからニンゲンってぇぇ素晴らしいぃぃいいっ!!」


 そう言って、ルカは血溜まりの上を子供のように無邪気に跳ね回り、楽しそうに踊り出した。


「で、でも……だって……犯人は、捕まったんじゃ……? 三人いて、自分で、そう言ったって……」

「そぉんなのカンタンなことデスよぉおおっ! ちょこーっと拉致っといてぇ……そー言わないとぉぉぉ家族や恋人や知人友人親戚同僚上司先輩後輩選り取りみどりでバラしちゃいますぅ♡ ってぇぇ囁くだけでイイぃんですからああぁあぁぁっ」

「そ……そんな…………」


 高揚するルカとは逆に、リョウは肩を落として膝をつく。

 ルカの、その声、その顔、その行動に……。

 完全にタガが外れたヒロキは、猛然と殴りかかった。


「ルカぁああああああああっっ!!」

「にゃっはぁ♪」


 しかし、その拳はルカを捉えることなく虚しく空を切り――――。

 ルカが視界から消えたと認識した次の瞬間。

 後頭部に強烈な衝撃が走り――ヒロキの意識は無慈悲に断ち切られた。


「ヒ……ヒロキさんっ!」

「いやぁあぁぁあ便利ですねぇぇぇコレ。殺さないのってぇすっごい難しいんですけどぉぉおぉコレならラクラクのイチコロ! っていうねぇぇぇえ」


 いつの間にかルカが手にしていたのは、ヒロキが懐に忍ばせていたスタンガンだった。

 ルカは鮮やかな手つきでスタンガンを滑らかに回転させながら、真っ赤な血に濡れた床に跪いて動けないリョウに目を向ける。


「あ…………あ………………」

「お二人にはぁ……最後にだぁぁぁいじなオシゴトが残ってますのでぇぇえええ……それまではどーーぞゆぅぅぅっくりお休みくださぁぁぁぁぁあぁあいい♪」



 ――――ルカが凩邸に突入してから、わずか一時間弱。


 これまで聞いたことのない、切迫した緊急放送。

 怒号。

 悲鳴。

 笑声。

 そして、静寂。


 その全てに怯えながら……。

 マユは一人、暗い部屋のベッドの上で膝を抱えてずっと震えていた。

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