第46話 ゆめのはじまり

「――んでよぉ、こないだ愛する娘達が話してんのを聞いたんだがな……サユは将来プロのマジシャンになりたいっつーんだよ」

「あら、本当? とっても素敵じゃない!」


 自宅から会合のあるホテルへと向かう車中。

 後部座席でくつろぐ剛健と栞那は、いつも通り娘の話題に花を咲かせていた。


「サユは人を喜ばせたりビックリさせたりするのが大好きだものね。マユのために始めたことだけど、あの子にぴったりの夢だと思うわっ!」

「だよな! いやぁ~、サユは明るくて素直で人一倍元気があって皆を楽しくする、我が家のムードメーカーだな!」


 家を出るまでは人目もはばからず嘆いていた剛健だが、いざ車に乗せられて腹を括ってからの切り替えは存外早かった。

 目的の場所までは約二時間。

 そろそろ中間地点にたどり着こうという現在に至るまで、夫婦の親バカ話はとどまることを知らない。


「そんでよぉ、アユは何て言ったと思う? 『私は別に……おねえちゃんたちがだらしないから、うちのかせいふとか……あるいは、じむ所のじむ員かな……』だってよ。現実的過ぎるが、まあ俺はいいと思うぜ」

「あはは、あの子らしいわね。娘が同じ仕事をしてくれるのは、私としては嬉しいけど……あなたは単に一緒にいたいだけなんじゃないの?」

「そ、そんなんじゃねえけどよ……と、とにかく、アユは頭が良くてしっかりしてて家族思いで真面目で、安心してマユとサユを任せられる頼りになる子だよな、うんうん」


 仕事時の三倍は饒舌に語る剛健が、自らの言葉に疑問の余地はないとないとばかりに力強く何度も頷く。

 栞那は栞那で、小さく笑いをこぼしつつ全面的に肯定の意を示す。

 この後に控える重要な会合の話など一切聞こえてこない状況だが、運転する組員にとっては予想の範疇、というか想定通りであり、むしろ幸せそうな夫婦の会話によって不安以上に楽しい気持ちにさせられていた。


「それでマユは? あの子は何になりたいって言ってたの?」

「おう、マユは――――って、あぁん? 何だぁ?」


 不意に、細かな振動を感じて億劫そうに懐をまさぐる剛健。

 到着まで続くと思われた至福の時間を遮ったのは一通のメールだった。

 携帯の画面を一瞥した剛健は、息を詰まらせて大きく目を見開いた。


「こ、こいつぁ……! おい、事務所に戻れ! 今すぐだ、早くしろっ!!」

「えっ!? い、いえ、しかし……か、会合は?」


 運転する組員が慌てふためき、視線を前方から剛健へと何度も往復させる。


「……わりぃが俺と栞那抜きで行ってくれ。先方には連絡しとくからよ……。マジですまねぇが、頼む……!」

「ど、どうしたの、あなた? 何かあったの?」


 剛健のただならぬ様子に戸惑いながら、栞那は差し出された携帯を覗き込む。

 そこには、緊急と題して今しがた防犯アラームが作動した旨が記されていた。


「こ、これって……」


 万一に備え、娘達が外出する際には必ず身に付けさせている最新の防犯アラーム。

 本体に付属したストラップを抜き取ることで大音量の警報が鳴ると同時に、作動した時間と場所が予め設定したアドレスにメールで通知されるようになっている。

 しばし青ざめて呆然とした栞那は、縋るように剛健を見つめて乾いた口を必死に開いた。


「ま、間違えて引っ張っちゃったとか……えっと……ゴキブリが出たとか……あと、ほら、機械の誤作動とか……」


 明るい言葉をかけて欲しかった栞那だが、剛健は顎に手を当てて深刻な表情で低く呟く。


「……だといいんだが……そこにアラームの識別番号が出てるだろ? そりゃ確かアユのやつだ。……生半可なことじゃあねえ気がする……」

「……ッ……と、とにかく、事務所に電話してみるわっ!」


 栞那が震える指先で何度も間違えながら電話をかける。

 唇を噛み締め激しく足を揺する剛健は、言い知れぬ不安を押し殺して栞那の手を優しく握った。


「大丈夫だ。すぐに戻れば、きっと……。何があっても俺が何とかしてやる……!」




 ――――時は少し遡り。


 時刻は四時半を過ぎた頃。

 サユとアユが公園で四葉のクローバーを探し、剛健と栞那が車中にて娘の話で盛り上がっていた、その最中。

 凩家の前で、不気味なほどリラックスした状態のルカが大きく伸びをして徐々に東へ沈みゆく太陽をのんびりと見上げていた。


「さ・て・とぉぉおおぉぉおっ、びみょぉおぉに早ぁい感じかもでぇすがぁぁ……つまぁんないので行っちゃいますかあぁぁあああ♪」


 誰に言うでもなく、パーティーの開催を告げるような弾んだ声を上げて、ルカは無警戒に敷地に足を踏み入れ、玄関へと近づく。

 この瞬間。

 正門のセンサーと庭のそこかしこに設置された監視カメラによって、ルカの存在は早くも凩家に滞在する組員に知られていた。

 警報を聞きつけた組員が即座に管理室へと向かい、一分も経たない内にルカを視認する。

 もっとも、現時点では一人でふらふらと近づいてくる丸腰の男が映るのみであり、さしたる騒ぎにはなっていない。

 傍迷惑で馬鹿な酔っぱらいが迷い込んだ程度の認識である。


「こぉんばあぁあんわぁぁあああぁっ。お~~ぉおい、聞こえてまぁすかぁああぁ? 開けてくださぁあぁあいいぃ」


 したがって、ルカが無遠慮かつ無謀に玄関をドンドンと叩いて騒ぎ出したところで、入口近くにいた一人が対応に当たるだけだった。


「うっせえぞゴラァ! ぶっ殺されたくなけりゃ、とっとと失せろボケェッ!!」


 扉を開けて、一喝。

 そして――――。


 組員の男は仰向けに倒れた。

 その首には、小さなナイフが深々と突き立てられている。


「あららぁぁあぁ、こぉれはこれはぁあ失礼しましたああぁあ。でわでわぁぁ末永ぁくおやすみなさぁあああぁぁぃい✩」


 誰にも見えなかった。

 監視カメラの映像を嘲笑しながら眺めていた組員も。

 すぐ目の前から刺された本人でさえも。

 ルカが懐から一瞬で取り出したナイフを嬉々として振りかざす様を、誰も捉えることができなかった。


「改めましてぇぇえ……おっじゃまっしまぁぁぁああぁっすぅぅうっ♪」


 たった今、人を刺し殺したばかりとは到底思えないほど、当たり前に。

 普通に。

 自然に。

 爽やかに。

 清々しいまでの笑顔を浮かべ、ルカは血溜まりに沈む男をひょいと飛び越えてエントランスをゆっくりと通り過ぎていく。

 そこでようやく、唖然としていた管理室の組員が我に返り、非常用の館内放送を響かせた。


『き、緊急事態! 正面玄関より素性不明の侵入者! 一人殺られた! 全員、至急対処に迎えっ!!』

「おぉぉぉおぉっ、さぁぁあっすが豪邸、すごおぉい設備ですねぇえぇええ」


 緊迫した声が建物中に反響する中、ルカは素知らぬ顔で鼻歌交じりにスキップする。

 逃げようとも隠れようともする気配がない。

 すぐさま二人の組員が険しい表情で駆けつけ、ルカにナイフを突き付けた。


「てめえ、同業者か!? どこの組の野郎だっ!?」


 二人に刃物を向けられても、ルカは怯むどころか不気味な笑みをさらに深めて、からかうように上体を左右に揺らす。


「お早いですねえぇえぇぇ。いあいあぁぁあ職務熱心で素晴らしいぃぃい……ってぇぇ、おやぁあぁぁあ? オソロイですねぇぇ奇遇ですねえぇえぇぇええ」


 両の手で二本のナイフを淀みなく滑らかに回転させながら、まるで親しい知人に出会ったかのように遠慮なく近寄るルカ。

 その不自然なまでに自然な振る舞いに、得体の知れない恐怖を感じた組員が息を飲んでじりじりと後ずさる。


「あっちゃぁあぁあぁぁ、腰が引けちゃってますよおぉぉお? そぉんなんじゃぁダメダメでぇっすねぇぇえ。レッスン! してあげまぁぁっすよぉぉお♪」

「この……っ! 舐めやがって! 死ねやああああっっ!!」


 怒りに任せて振り回されるナイフを、ルカは舞い散る花びらのような、あるいは流れる水のような捉えどころのない緩やかな動きでかわし続ける。

 一見すると、いつ心臓を貫かれてもおかしくない、危うく緩慢な身のこなし。

 むしろ、鋭い切っ先が自らの皮膚を切り裂く瞬間を待ち望んでいるようにすら感じられる、まさに紙一重の回避。

 しかし、ルカにはかすりもしない。


「うぅ~~ん、イマイチですねえぇぇえ……。どぉぉおぉも思い切りがないってゆーかぁあぁ……迷いがあるってゆーかあぁぁあぁ……」


 ルカは芝居じみた思案顔を浮かべて首をカクカクと傾げながらも、絶え間なく繰り出される激しい攻撃を難なく受け流し続ける。


「もぉぉおっと、こう……んん~、なんって言ぅうかぁあぁあ………………」

「くっ……コイツ……ッ!」


 苛立ちが募る組員をよそに、ルカはナイフを持った両手をだらりと下げたまま、なおも十数秒も軽くあしらい――不意に、声を張り上げた。


「そぉおぉおおだぁあ! はっちゃけちゃいまっしょぉおお! 爆ぜるように! 羽ばたくように! 歌うように! 踊るよぉぉおぉおぉぅにぃいいっっ!!」


 狂気に満ちた歓声。

 爛々と輝く瞳。

 虚無的な笑顔を形作っていた口角が、裂けるように釣り上がる。

 突然の豹変に、組員は揃って目を剥いた。


「そうですそうですぅうぅそれがイイですよぉぉおぉおお! だぁぁってだってぇ、こおおおおおぉんなに楽しいぃいいぃいいいぃィイじゃなぁいですかアアアアァアッッ♪」


 驚愕による、ほんの一瞬の硬直。

 その隙にルカは二人の間をぬるりとすり抜ける。


「ぐぁあああああああっ!」

「いっ……てえええええええぇぇっ!!」


 直後、苦痛に顔を歪ませる組員二人の手からナイフと…………根元から鮮やかに切断された親指が、浅黒い血液と共にボトリと落ちた。


「はぁあぁぁ~~~~……イイぃぃいデスねぇえええっ♪ もぉおぉおぉおおっと聞かせてくださいっ! 魅せてくださいっ! 僕にっ! その声を! その顔を! もっとっっ! もっともっともっともっともっともっともぉぉおぉっとおおぉおおおおぉぉお♪♪」


 痛みに耐えながら必死にナイフを拾おうとする組員に、ルカは愛しく抱きしめるように迫る。

 血に濡れた刃は目にも止まらぬ速さで赤い軌跡を描き――――二人の左手を容易く斬り飛ばした。


「~~~~~~~~~~っっ!!」


 もはや誰の目にも形勢は明らか。

 しかし、ルカの凶行はさらに加熱する。

 声にならない叫びを上げて膝をつく二人を、愉しそうに見下ろしながら――。


「にゃははははははっ! にゃぁっはははははぁあぁぁああああぁあっっ♪」


 斬り刻む。

 ただひたすらに。

 玩具に夢中になる子供のように。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 耳。

 手首。

 横腹。

 肘。

 頬。

 足首。

 鼻。

 背中。

 太腿。

 目。 

 腰。

 二の腕。

 肩。

 腹。

 首。

 心臓。



 新たに三人の増援が到着するまでの間。

 正確には一分足らずの微々たる時間で、ルカは二人の人間から夥しい肉片の山を築き上げていた。



「――――こ……れは……!?」

「い……い、一体…………何、が…………」


 所詮、どこの馬の骨とも知れない命知らずの馬鹿。

 自分達が来た頃には袋叩きにして事務所から放り出していると信じて疑わなかった三人は、目の前の光景に愕然とした。

 通路に広がる大量の血溜まり。

 その中心で、面影のなくなった元同僚に今なお妄執してナイフを振り下ろし続ける狂った男。

 こちらに気づき、彷徨う亡霊のように振り向いた男の陶然とした表情を見て、思考が停止するほどの戦慄に支配される。


「おぉぉっとぉおおぉ、ちょぉおぉどイイぃぃタイミングで次がぁああ! さぁっそく殺しましょぉぉお! 殺してくださぁあぁい! さあさあさあさあさあぁぁあぁあああっ♪」

「ッ…………この……イカレ野郎がっ!!」


 この状況では、一切の躊躇も逡巡も不要……いや、命取り。

 そう感じた組員達は懐から一斉に拳銃を取り出し、銃口を向けた。

 その刹那――――。


「ぐぅっ!?」

「ぁが――っ!?」


 反応できない速度で投擲されたナイフが、吸い込まれるように組員二人の胸に突き刺さった。


「おそいおそぉぉぉおおおおいぃぃ! まぁったくもーーぉ、マジメにやってくださぁいよぉおおぉおぉぉぉ」

「なっ……!? ち……ちっくしょうがああ!!」」


 残された組員は瞬きすら忘れ、崩れ落ちる二人を気遣う余裕もないと判断して絶叫とともに引き金を引き絞った。

 しかし、銃声が轟く直前。

 ルカは笑みを浮かべたまま、よろけるように小さく体を傾けて銃弾を躱した。

 幸運でも偶然でもない。

 ほんのわずかな、無駄のない、未来が見えているような極小の動き。

 確実に弾道を予測した上での回避だった。


「――――――!!?」


 あり得ない。

 常識的に考えて不可能な動きだった。

 あまりの衝撃に組員は言葉を発することもできず、強く歯ぎしりしながら焦る気持ちを抑えて二発、三発と続けて撃つ。

 だが、ルカには当たらない。


「ダメですよぉぉおぉバレバレですよぉぉおぉお~。ほぉらほらぁぁ、早く殺さないとぉぉ死んじゃいますよおおぉぉおぉお???」

「くっ……そがぁ……!」


 ゆらゆらと歩を進めるルカ。

 拳銃に全くたじろぐことのない、ゆっくりと落ち着いた歩み。

 混乱した組員は、ひたすら無我夢中に撃ち――撃ち――撃ち――――。

 弾倉の中身を全て吐き出し、撃鉄が乾いた音を虚しく響かせる。


 ルカには傷一つない。


 すぐ目の前――手の届く距離まで迫るルカ。


 恐怖で微動だにできず、ただ立ち尽くし呼吸だけが荒くなる組員。


 愉悦に浸るルカは、薄気味悪く頬を緩ませると……手にしたナイフを高々と振りかぶった。


「ゲーーーームオーーバ~~~~~~☆ にゃっっははははぁぁあぁあぁああぁあああっ♡」

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