第36話 俺の妹がこんなに強いわけがない

「え…………えぇえええッッ!?」


 腰まで伸びた、手入れが疎かなボサボサの長い黒髪。

 物憂げに持ち上げられたまぶたと、感情を読み取りづらい瞳。

 いかにも不健康そうな、俺以上に色素の薄い肌。

 いとも簡単に折れそうな、肉付きの悪い細すぎる体。


 どこからどう見ても、俺の妹だ。


「マジで、陽芽……なのか? な、何で……ここに…………」


 唖然として立ち尽くす俺の目の前で、陽芽はすぅっと大きく息を吸い……。


「お兄ちゃん、の…………バカーーーーッ!!」


 久しぶりに会った妹の、未だかつて聞いたことのない大きな声。

 俺は心底驚いた。

 ゆえに、踏ん張ることも歯を食いしばることも忘れた極めて無防備な状態で、あまりにも唐突に放たれた痛烈なボディブローがみぞおちにクリーンヒットした。


「がっハァッッ!!?」


 誠に遺憾ながらアユにしこたま殴られた俺の、率直な感想。

 このパンチは世界を狙える。


 キングオブ引きこもりだった陽芽に、なぜこれほどのパワーが……。

 しかし、俺も伊達に殴られ慣れていない。

 昔なら「死ぬー!」と喚きながらのたうち回っていただろうが、呼吸もままならないとはいえ、今は二本の足でギリ立っている。

 ……限りなくギリで。


「…………バカ……」


 ひたすら痛みに喘ぐ俺の胸に。

 陽芽はそっと頭を預けて、もたれかかった。


「……ひ、陽芽…………?」

「バカ、バカ、バカ、バカ……。どうして、なんにも言ってくれなかったの……? どうして、私なんかの代わりに……。どうして…………」

「…………」


 かすかに震えながら、か細い消え入るような声で呟く陽芽。

 その様子で、俺はようやく察する。

 全てを知った上で、それでも陽芽は俺を追うことを選んだのだと。

 正直に言うと、それは全くもって俺の本意ではない。

 手紙を残したのは失敗だったかもしれない。

 しかし……。


「……ごめん。バカなのは私、だよね……。全部、無駄にしちゃったよね。全部、私のせいだよね。でも……でも、私……どうしても、このままじゃいやだって、思って……」

「…………そっか……」


 しかし、陽芽にとやかく言う資格は俺にはない。

 何も言わず、陽芽のためだと一人で思い込んで勝手なことをしたのは俺だ。

 全部、無駄にしたのは俺だ。

 全部、俺のせいだ。

 だから、「何で来たんだよ!」などとは言えない。

 だから……。


「……ありがとな、陽芽。助かったよ」

「お兄ちゃん……。ありがとう……よかった、本当に。私……来て、よかった……」


 たったそれだけを伝えて、俺は陽芽の頭を優しく撫でた。


 結果だけを見れば、俺のやったことは身勝手な自爆に終わった。

 我ながら安定の空回り。

 ハハハ、ワロス。


 だけど……まあ、これでいい。

 陽芽は、自分の意思で危険なダンジョンに行くことを選んだ。

 あの、引きこもりで主体性がなくて臆病で自己主張を全くしない引っ込み思案の陽芽が、だ。

 褒められる選択ではないのだが……なぜか、その陽芽の小さな成長だけで、俺がダンジョンにぶち込まれるくらい安い買い物だったと思えてしまう。

 それに、俺自身も二度ほど死にかけはしたものの、ダンジョンだって気をつけてさえいれば基本的にそこまで地獄ってわけじゃない。

 流石に地上と比べれば危ないことは間違いないが、この俺でさえ何とかやっていける程度には安全だ。

 さらには、俺は俺で結果オーライなことにマユという人生のパートナー(予定)と出会うこともできたわけだしな。

 あとは陽芽にお手製のダンジョングルメでも振舞って、マユと一緒にさっさと地上へ凱旋して末永く幸せに暮らすだけだ……とまでポジティブには考えられないが、陽芽が来てしまったことへのショックは意外なほど感じない。


「で……俺が言うのもなんだけど、お前は何でこんな所に一人で…………」

「陽芽ちゃん! 何かあったのかっ!?」


 俺の言葉を遮って、ガチャガチャと忙しなく擦れ合う金属音と、聞き覚えのある声が近づいてきた。

 陽芽は目尻を拭い、気持ちを落ち着かせるように小さく深呼吸をして、ゆっくりと頭を上げる。


「ご、ごめんなさい……。大丈夫、です。何でも、ありません……」


 息を切らせてやって来たのは、武装した四人の集団。

 先頭を走る男が安堵の息をつき、構えていた長剣を下ろして歩を緩め、カラッとした朗らかな笑いを浮かべる。


「そっかそっか、いやー大声が聞こえたからホント心配したよ…………って、あ、あれ? ひ、日比野!?」

「あっ、田辺さん! お久しぶりですっ」


 間近の篝火がようやく鮮明に映し出した人物は、忘れもしない、ダンジョン初日で基礎知識を親切に教えてくれた爽やか好青年、田辺彰人さんだった。


 そうか、陽芽は田辺さんと同じパーティーなのか。

 ひょっとしてダンジョンでもぼっちなのかと思った。

 そりゃそうか。

 そんな自殺行為に走る度胸と勇気と実力があるのはマユくらいだよな。

 さっきまで絶賛ソロ活動中だった俺は不可抗力として……。


「おまっ……二層にいたんじゃなかったのか? ってか……え? 何で一人? マユちゃんは?」

「えーっとですね……ぶっちゃけ俺も信じられないっていうか、うまく説明できないんですけど……」

「……? まあ、とにかく一旦ベースに戻ろう。歩きながら話してくれ、日比野」




 田辺さんと陽芽を含めた五人の護衛は、血走った目をぎょろぎょろ巡らせて息荒く死に物狂いにちっぽけな安全部屋を目指していた俺にとって、心強いことこの上なかった。

 特に、長年一緒に生活してきた身内と、頼もしくてコミュ力が半端ない先輩の存在が俺を安心させ、気持ちはかなり落ち着いてきた。


「――――なるほど、強制転移させる魔物……しかも別階層に飛ばされる可能性もあるなんて……。ったく、厄介な新種が現れたもんだな」


 一層ベースへと向かう道すがら、俺は現在にいたるまでの顛末を話した。


「……え? 疑わないんですか? 俺の言ってること……」


 自分の口から発しておいて何だが、実に信じがたい話だ。

 しかし、隣を歩く田辺さんは微塵も不信感を抱くことなく真顔で頷く。


「当たり前だろ。そもそも日比野……あ~、苗字だとややこしいか……えっと、天地が嘘とか冗談なんて言う意味も理由もないし、ましてや一人でこんなところまで来れるとも思えないしな」

「あ、あの……ダンジョンが現れてから五年、ですよね。新種のモンスターって、そんなの見つかること、あるんですか?」


 思案顔を浮かべる田辺さんに、最後尾の陽芽が遠慮がちに問いかけた。

 ば、馬鹿な……あの陽芽が質問、だと……!?

 これは陽芽の成長の証なのか、はたまた田辺さんの人格が成せる神の御技なのか……。

 密かに衝撃を受ける俺をよそに、田辺さんはこともなげに答える。


「んー、たまにだけどあるよ。年に二、三回くらいかな。単に個体数が少なくて今まで見つからなかったのか、新たに生まれた種類なのかは分からないけど。でも、今回のような反則級の特殊能力持ちは前代未聞だ。近いうちに情報屋から注意喚起されるだろうな……」

「そう、なんですか……。ふふ、お兄ちゃん、そんなモンスターに会って、生きてるなんて、運がいいのか、悪いのか、分かんないね」


 もちろん俺が生きているからだろうが、冗談めかして笑いかける陽芽。


「……まあ……そうだな。あー、やっぱ逃げりゃよかったなぁ……。つーか、お前のことも聞かせてくれよ。いつこっちに来たんだ?」

「えっと、二週間……とちょっと前、かな。田辺さんのパーティーに入れてもらって……最初は、すごく怖かったけど、今はようやく、慣れてきた感じ」


 そう言って少し得意げな視線を送る陽芽に、田辺さんが苦笑しながら口を挟む。


「最初は家事係の予定だったんだけど……探索やら防衛やら、どうしても戦闘する仕事を希望してさ。あのゴウさん相手に一歩も引かずに食い下がったんだよ。あんなに困ってるゴウは久しぶりに見たなぁ、ハハハッ」

「へぇ~~っ!」


 ヤクザが裸足で逃げ出しそうな恐ろしい風貌のマユ父に、陽芽が?

 初見で完全に縮こまっていた俺は、本気で感心しながら改めて陽芽をまじまじと見つめる。

 ベースで調達したのか、要所に金属板をあてがった革服に厚手のスカート。

 ゴツゴツとしているが、どことなくオシャレな雰囲気も残したスタデッドグローブにロングブーツ。

 腰にスラリと伸びる、身長と同程度に長い立派な日本刀。 

 猫背と、元気のないトボトボとした歩き方は相変わらずだが、すでにカッコだけは一人前の冒険者、と言っても差し支えがない。


「だ、だって……お兄ちゃん、どうせベースで震えてるって、思ってたのに、もう二層に行っちゃったって、聞いたから……。しかも、女の人と二人で……。追いつくためには、レベル上げなきゃって、思って……」

「あぁ、初日から色々あって成り行きで、な……。てか、どんだけ俺をチキンだと思ってんだよ、お前……」


 俺のために……というのは素直に感動するが、気弱な妹にここまで心配されるのは何とも複雑な気分だ。

 まるで「私が情けないお兄ちゃんを守らないと!」と言わんばかりだ。

 …………そういえば……。

 よく分からなかったんだが、さっきコブラソルジャーの首を綺麗にスパッと斬り飛ばしたよな……。


「なぁ陽芽……お前、今レベルは?」


 まさか俺より……。

 いやいや、そんなわけないか。

 俺の方が半月も先輩だし。

 けっこう頑張ってるし………………最近は。


「え……? ま、まだ3……だけど……でもね、私のスキルが――――」

「天地、陽芽ちゃん! 魔物だっ! みんな、戦闘準備!!」


 「え? レベル3!? もう!?」と派手にリアクションする直前、温厚な田辺さんの鋭い声が瞬時にピリッと空気を引き締める。

 息を飲んで前方を注視すると、ぼんやりと見える四つの影に、不気味に光る八つの瞳が明滅していた。

 ホブゴブリン三体に、レックスベアが一体。

 一時間前の俺が遭遇していたら、走馬灯が頭をよぎるラインナップだ。

 だが、今の俺には頼もしい仲間がついている。


「数は四か……よし、作戦はいつも通りだ。やるぞっ!」

「「「了解っ!!」」」


 戦闘には参加せず休んでいていい、というありがたい配慮を事前にいただいていた俺が気楽に眺めている間に、流れるように事は進んだ。

 まず、フルプレートの重装備に身を纏った男と田辺さんが揃って前に出て、大きなカイトシールドを掲げて身を守る。

 そうして敵を引きつけている間に、後方に位置したローブを着た女が唱えた攻撃魔法『ウインドカッター』による見えない刃が空を裂き、ホブゴブリンを胴体から真っ二つ。

 続いて、穂先が十字状になった長槍を持った男が隙を見て横から首を一突き。

 田辺さんが繰り出した高速の三連突きによって、さらにもう一体。

 何ということでしょう。

 あれよあれよという間に、レックスベアーを残すのみとなったじゃありませんか。


「やっぱすげえ……パーティーって楽だなぁ。…………って、あれ?」


 惚れ惚れとするチームワークと羨ましすぎる数の利に感嘆していたところ……ふと、あることに気づいて辺りを見回す。


「んんん……? 陽芽……どこ行ったんだ?」


 おかしい……。

 陽芽がいない。

 妹の勇姿が見れるかと思った矢先の、まさかの展開。

 さっき、「作戦はいつも通り」って言ったよな?

 え、何? うちの妹、もしかして日常的にハブられてるのか……?

 いやいや、マジか。

 女子中学生に特攻させろなどと非道なことは言わないけど田辺さん、いくら何でも過保護というか元引きこもりには酷というか――――。


「グォオオオオォオオオオオッ!!」


 などと、戦闘中の田辺さん方とは違う意味で緊張状態に陥る俺に追い打ちをかけるように、とてつもない大音量が鼓膜を刺激する。

 追い詰められたレックスベアが怯むことなく猛々しい雄叫びを上げながら二本の足で立ち上がり、天井すれすれの高さからギロリと睨みつけて威圧してきたのだ。

 田辺さん達がやられるはずはないが……それでも後方でただ突っ立っている俺でさえ冷や汗が流れ、思わず後ずさってしまう。


「オオォオォォオオオオ――――グゴッ!?」


 鈍く光る鋭い爪がならぶ太い前足を高々と振り上げた瞬間。

 レックスベアは突如として咆哮を途絶えさせ、そして………ずるりと滑り落ちた。

 ――――首が。


「え…………? えっ? は??」


 俺は、わけが分からず目を瞬かせる。

 地響きを立てて地に伏すレックスベア。

 呆然と見つめる中、立ち上る土煙の向こうの空間が不自然に揺れ……真っ赤に濡れた刀を手にした小柄な人影が、さながら透明度を百パーセントから徐々に下げていくように、じわりじわりと姿を現した。


「ひ……陽芽…………?」


 さっきの、コブラソルジャーの時と同じだ。

 いなかった。

 間違いなく、誰もいない、何もない空間に、陽芽はいた。

 つまり、姿を消していた……それが陽芽の…………。


「ナイス陽芽ちゃん! みんなも、お疲れー!」

「よっしゃー!」

「いえーーい、楽勝楽勝ーっ!」

「お兄ちゃん……どう、だった? すごいでしょ、私。えへへ……」

「…………お、おう……」


 あまりにも圧倒的な勝利の余韻に浸って盛り上がる一行から少し離れて、石像と化す俺。

 口をぽかんと開けて、半ば無意識に開いたステータスを黙って見つめる。



NAME:Hime Hibino

LV:3

STR:29

AGI:48

INT:56

MP:8/22

SKILL:Assassination



 Assassination……『暗殺』……か……。

 というか、ちょっと待ってくれ。

 どのステータスも……俺より高い…………。

 ははあ、なるほどなるほど。


 …………兄の威厳を見せつけるのは難しそうだ……。

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