第4章 千の夜をこえて

第35話 One more time, One more chance

 お兄ちゃんに、会いたい。


 私の罪を背負ってくれた、お兄ちゃん……。

 今度は、私が助けたい。

 お兄ちゃんは、そんなこと望まないと、思うけど。

 お兄ちゃんが、してくれたことが全部、無駄になっちゃうけど。

 私なんかじゃ、何の役にも立たないかも、しれないけど。

 私なんかじゃ、あっけなく死んじゃうかも、しれないけど。

 ……それでも、ずっとそばにいて、最後まで守るんだ。 


 お兄ちゃんが残した手紙を読んで、私はそう決心した。

 心のままに……。

 お兄ちゃんみたいな、かっこいい勇者になろうって。


 ダンジョンに行くと決めた、その日の夜。

 私は、おじいちゃんとおばあちゃんに、気持ちを伝えた。

 当たり前だけど、すごく反対された。

 とても優しい二人の説得は、本当に嬉しかった。

 それでも、私は折れなかった。

 一晩中続いた話し合いの末、おじいちゃんとおばあちゃんは、私の意思を尊重してくれた。

 すごく悲しそうだったけど。

 すごく心配そうだったけど。

 がんばれって、応援してくれた。

 必ず二人とも帰ってくるんだよって、言ってくれた。

 ありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん。


 ……待っててね、お兄ちゃん。

 遅くなったけど、私……決めたから。

 すぐ、会いに行くから――――。




「……それで、『本当の犯人は私です』と、そういうことかい? 日比野陽芽君」

「…………はい」


 昨日まで過ごした、広大な田園地帯を望むことができる、ぽかぽかとした縁側とは対照的な……肌寒く、狭く、薄暗い、取調室。

 お兄ちゃんと二人、連れて来られた時以来の、この部屋で……私は、一人の刑事さんと、向かい合って座っていた。


「君は……自分が何をしているのか分かっているのかな? 今ならまだ、子供の悪ふざけということで聞かなかったことにしてあげるよ」


 きっちりとスーツを着こなした、三十代くらいの、几帳面そうな刑事さん。

 眼鏡を人差し指で上げながら、真剣な眼差しで私を見つめて諭す……あの時の、刑事さん。

 私は、あの時みたいに、黙って俯かず、はっきりと答えた。


「私は、本気です。お兄ちゃんは無実です。お父さんとお母さんを、こ……殺したのは、私です。だから、私をダンジョンに、行かせてください」

「……………………」


 何も言わずに、私の目を見ていた刑事さんは、しばらくして、肩を落とし、大きく、大きく息をついた。


「ふぅーー…………本気、か。……君の行動はお兄さん、天地君の気持ちを裏切ることになる……そうは考えなかったのかい?」

「……何と言われようと、私はお兄ちゃんに、会いに行きたいんです」


 この口ぶり、態度……。

 この人は、きっと気づいてたんだ。

 本当は、お兄ちゃんが犯人なんかじゃ、ない。

 私を、かばってるだけなんだって。

 分かってて、何で……。


「何で……私を、見逃したんですか? 何で、お兄ちゃんを……」


 悪いのは、勇気がなかった私。

 責任を、この人になすりつけるつもりは、ない。

 ただ、どうしてなのか、気になった。

 刑事さんは、目を逸らして、吐き捨てるように、答えた。


「……私と天地君の希望が合致したから、合理的に判断したまでさ。君が犯人だと断定する証拠を見つけるのは骨が折れると思ってね。私にとっては、事件解決という成果があれば真実なんてどうでもよかったんだよ」

「そう……ですか…………」


 そんな人には、見えないけど……でも、私なんかには、分からない。

 ずっと一緒にいた、お兄ちゃんが考えてることさえ、分からなかったのだから。

 たしかなのは……私だけが、何も分かってなかったということ。

 私だけが、蚊帳の外だったんだ。


「……いいかい、よく聞くんだ。君は今、自責の念に駆られて自暴自棄になっている。そして、何より……ダンジョンを甘く見ている。いかに危険な場所なのか、全く理解していない」

「そんな……そんな、ことは…………」


 ない、とは言えない。

 今まで、ダンジョンのことなんて、少しも興味がなかったから。

 そんなニュースなんか見ないで、ゲームのレベル上げばっかり、してたから。


「……今から君に真実を話そう。一部の人間しか知らない、国家機密を。……二度とダンジョンに行きたいなどと言えなくなるようにね」


 刑事さんは、一瞬だけ入口に目を向けた後、声を落として、ゆっくり口を開いた。



「凶悪な魔物が次々と現れる地下ダンジョン。十分な訓練と安全確保を行った上、平和のために囚人達を兵士として送り込む。それらは全て……………………嘘だ」



「……………………え……?」


 嘘…………って、どういう……。


「五年前、世界中で突如として現れた謎の穴はたしかに存在する……。だが、そこから魔物が出てきた事実は一切なく、その正体はダンジョンなどでは決してない」


 ダンジョンじゃ、ない……?

 魔物なんて、いない……?


「そ、そんな……。だって……じゃあ、その穴は一体…………」


 もしかして、今話してることの方が、嘘なんじゃ……。

 でも、刑事さんの顔は、どこまでも真剣だ。


「解明されていることはほんのわずかだ。まず、現在までに約五万二千人もの囚人、および調査隊が穴に入ったが…………誰一人として、戻って来た者はいない」


 五万……二千人……。

 戻ってきて、ない……?


「加えて、穴の中では発信機やカメラ、ドローンといった電子機器は全て機能を停止する。よって、中の様子は未だに何一つ分かっていない」

「………………」

「さらに、超音波による地中探査の結果、あの穴の下に空間はなかった。……以上を踏まえて、荒唐無稽な話だが、世界中の調査機関の見解として……あの穴は異世界に通じている、という推論に至った」

「い…………異世界……?」


 唐突に明かされる、SF……いや、ゲームみたいな、突拍子のない話。

 頭が、ついていかない。

 とても、信じられない。

 でも……。


「お、お兄ちゃんは……い、生きてるんですよね?」


 ダンジョンなのか、そうじゃないのか……それは、この際、どうでもいい。

 私にとって大事なのは、お兄ちゃんが無事かどうか、それだけだ。


「天地君が生きているかは、残念ながら不明だ。この世界とは違うどこかで元気に生活しているかもしれないし、もしかしたら……」

「そ、そんな…………! なら、どうして、そんな場所に人を、行かせるんですか!? 意味がないじゃ、ないですかっ!」


 声を荒げる私を避けるように、刑事さんは目を伏せる。


「……原因は分からないが、あの穴は定期的に人間が入らないと崩壊を始めて急激に広がっていくんだ。埋め立てて塞ぐこともできなかった。だから、各国で密かに話し合い……苦肉の策として、こんな非人道的な対策が決まってしまった。犯罪者だからといって許されることではないが、それしか……方法がないんだ……」

「っ…………!」

「何も知らず犠牲になる人々には本当に申し訳ないが……これが、真実だよ」


 ……危険があることは、覚悟してた。

 でも、希望はあると、思ってた。

 最低限の保護はあると、思ってた。

 いつか罪が許された時には、釈放されると……魔物を全部倒せば、帰れると……怪我をしたり、病気になったら、ちゃんと病院で治療を受けられると……そんな風に、思ってた。

 まさか、何があっても戻って来れない……それどころか、どこへ行ってるかも、分からないなんて……。

 そんなことって…………。


「これで分かっただろう、いかに無謀なことをしようとしているのか……。悪いことは言わない、諦めて天地君の分まで幸せになるんだ。……それが彼の望みだと、私は思うよ」

「……………………」


 たしかに、私は自分から、死にに行くようなものだと思う。

 たしかに、私だけでも平和に暮らすことが、お兄ちゃんの願いだと思う。

 こんなことをしても、お兄ちゃんは褒めてくれないし、怒ると思う。

 それでも。

 それでも、私は――――――。


「……たとえ、あっけなく死んじゃっても……お兄ちゃんに、怒られても……会えなくても……やっぱり、私は行きます。このまま、一人でのんきに生きることなんて、できませんっ」

「………………そうか…………。残念だよ、とても……」


 手を強く握り締め、力いっぱい答える私に、刑事さんは、目を細めて、無念そうに、天井を見上げた。

 本当に、心配してくれてる……それが、はっきりと分かった。


「刑事さんは、何で……私にそこまで、話してくれたんですか?」

「…………それは……」


 私の問いに、言葉を詰まらせる、刑事さん。

 少し迷う素振りを見せた後、バツが悪そうに、ぽつぽつと話し始めた。


「……個人的で、他愛のない理由さ。私には妹がいてね……大手出版社で記者をしていたんだが、四年前にどうしてもダンジョンに行きたいと言い出したんだ。今の君のようにね。まあ、妹の場合は単なる愚かな知的好奇心だったんだが……」

「…………」

「私は何とか妹を止めようとした。だけど、あいつは私が何を言っても聞き入れようとせず、結局……。私は、君を妹と重ね合わせて、今度こそ行かせないようにしたのかもしれないな。……ふふ、そんなこと、何の意味もないと頭では理解しているんだけどね……」

「刑事さん…………」


 この人も、自分から進んで、人を犠牲にしてるわけじゃ、ないんだ。

 仕事だから……そうする他に、どうすることもできないから。

 妹さんもいなくなって……この人も、苦しんでるんだ。


「……私なんかに、色々教えてくれて、ありがとうございました。私……がんばって、絶対に戻ってきます」

「ああ……君と天地君の無事を願っているよ」


 私は、立ち上がり、深々と頭を下げた。

 刑事さんは、眉をひそめて、苦しそうに笑った。


「最後に……お名前、聞かせてもらっても、いいですか……?」


 取調室のドアノブに手をかける、刑事さんの後ろ姿を見て、私は思い切って、問いかけた。

 特に、理由はない。

 何となく、知っておきたかった。


「…………雨柳あまやぎわたるだ。もし、妹と会ったら……よろしく伝えてくれないか……?」

「はい…………。伝えます、絶対……」




 ――――それから、わずか六日後――――――。


 貧相で、ちゃっちくて、弱そうで、とても重い剣を、手渡され――。

 私は、ダンジョン……いや、お兄ちゃんのいる、どこかへ、旅立った。

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