第29.5話 中間管理録タナベ

「ぐおおおおおおっっ!! がぎぐぐぐぐぐぐ……ッ!!」

「ゴウさん……。昨日から苦情が来てるんで……いい加減やめてください、本当に」


 第一層ベースの中央に建てられた拠点本部。

 ついに近所迷惑にまで発展した激しい歯軋りと低い唸り声を発する男に、何度目ともしれない注意を促す。


「んぎぎぎぎ……だが……だがよぉ、彰人ぉぉ。コイツを読むたびに、俺はマジで気が狂いそうになっちまうんだ……。何もかもブッ壊したくなんだよぉおっ……!」


 そう言って、凩剛健――第一層のリーダーは、丸められた羊皮紙をぐしゃりと握り潰した。

 情報収集班の中でも特に優れた能力を有する夫婦が記し、各層のベースに毎週届けられる最新のダンジョン情報……通称『ダンジョン新聞』。

 その内容は驚くほど正確かつ詳細で、ダンジョンの攻略には欠かせないツールとして多大な影響を与えている。

 一方、意味不明で生産性のないコアな珍情報や低俗なゴシップも扱い、ふざけた独自の主張を展開することも多々あり、破天荒な変人の駄文としても名高い。


 各層との中継を担う連絡班が、問題の記事が掲載された一枚の紙を運んできたのが三日前。

 以来、ゴウさんは終始この調子だ。


「まだ一ヶ月も経ってねえんだぞ! なのに、こんなことになっちまうなんて……。ちっくしょうッ! 考えが甘かった……!」

「そんなに悲観することじゃないと思いますよ。こうして新聞に載るなんて滅多にないですし、近況を知れてよかったじゃないですか」

「よかった!? どこがだっ!? 彰人テメエ、ちゃんと読んでねえだろ! ふざけんじゃねえぞゴラァァァア!!」


 怒りを机にぶつけながら叫ぶゴウさんが、ダンジョン新聞を忌々しげにこちらへ投げつけた。

 これだけ気が立っていると、おそらく何を言っても逆効果だ。

 なるべく刺激しないように、ため息を押し殺して何度も読まされた一際目を引く大きな見出しの記事を眺める。



 『話題の新人高校生、日比野天地が凩マユのファンクラブを設立!』


 第一層拠点部隊長である凩剛健氏の娘にして、皆様ご周知の最強女子中学生、凩マユ嬢に先日、お目付け役として新人のパートナーができたことは先週号にてお伝えした通りである。

 この度、我々は第二層にて幸運にも二人と接触する機会に恵まれ、その詳細を知ることができた。

 件の日比野氏がダンジョンに収容されたのは、執筆現在から約二週間前。

 驚くべきことに、彼はその初日に凩嬢と知り合い、お目付け役に抜擢されて、今日までベースに立ち寄ることなく二人きりで過ごしてきたというのだ。

 その事実だけでも、彼の強靭な精神力と環境の変化に素早く適応する柔軟性を垣間見ることができるだろう。

 さらに、彼はすでに凩嬢とも極めて良好な関係を築いており、一見して恋人同士とも思えるほど堅固な信頼で結ばれていた。

 これまで常に単身でダンジョンの攻略を続けていた凩嬢にとって、彼が非常に大きな存在になっていると我々は確信した。

 さて、異例の生活を送る彼の生い立ちや人物像など、詳しい紹介に関しては次号に譲るとして、今回は彼が満を持して立ち上げたビッグプロジェクトをお伝えしよう。

 

 ズバリ、凩マユファンクラブの設立!


 日比野氏は凩嬢と行動を共にしてからわずか一週間で、彼女の魅力に取り憑かれたという。

 此度の数時間足らずの交流でも、彼女のことを喜々として語る日比野氏からは、今回の計画における並々ならぬ情熱がにじみ出ていた。

 そんな彼が、第二層ベースに所属する職人の英知を結集させて完成したファンクラブ会員証は、地上の現代技術と比べても些かも遜色のない出来であり、情報収集班として様々な魔法道具を見てきた我々も思わず息を呑んだ。

 凩嬢と約三年の親交がある我々は早々に入会を済ませ、現在の会員数は三名。

 会員特典として、ファンクラブの副会長と広報部長である我々が作成した会報が年四回発行される他、オリジナルグッズの優先購入権が得られ、凩嬢が使用した包丁が記念品として年一回贈呈される予定とのことである。

 凩嬢による魔物殺戮ショーやダンジョングルメ階層横断ツアーなどのイベントも鋭意企画中であり、今後の続報を待たれたし。

 なお、会員は常時募集中であり、入会に際しては会長あるいは副会長に申請の上、会員証の授与を受けることとする。

 最後に、入会費、年会費は無料であるが、日頃から凩嬢への敬愛の念を忘れず、反勢力に対する積極的な弾圧と粛清を厭わないことが入会条件となる。



「あのクソガキャァア……俺の娘に手ぇ出すたあ、よっぽど死にてえらしいなぁ。しかも、俺の許可なくファンクラブだあ? 舐めやがって……!」


 血管が浮かぶ拳の圧力により、新調したばかりの机が軋む。

 また壊されては敵わないと思い、半ば無駄とは感じつつも沈静化を試みる。


「それだけ娘さんが魅力的だってことじゃないですか。素敵な写真も載ってますし、会員が増えるかもしれませんね」


 記事の隣に貼り付けられた、紙質とは不釣合いなカラー写真。

 現在のところ数名しか確認されていない貴重なスキルによって、今にも動き出しそうな少女が紙面で無邪気な笑顔を浮かべている。


「ああ……そいつぁマジで最高だ。いい仕事しやがるぜ、あの野郎はよぉ。イカれた変人だと馬鹿にする奴もいるが、俺は前々からこの二人を買ってんだよ」


 しばらく顔を見ていない娘の写真を前に、少し機嫌をよくするゴウさん。

 ダンジョン新聞にはいくつか種類があるが、これは特にゴウさんのお気に入りだ。

 なぜなら、他の新聞は娘さんを腫れ物でも扱うように悪しざまに罵り、まるで台風情報のように目撃証言を掲載している中、この夫婦だけは好意的な記事を書くからである。

 この新聞で娘さんの近況を知ることが、ゴウさんの数少ない楽しみであり癒しだと言っても過言ではない。


「このガキが写ってなきゃ一言も文句ねえんだがなぁ……。つーか近いんだよコラ。あ゛あ゛ぁブッ殺してえええええ、何ニヤついてんだクソがあ……!」


 一安心して力が抜ける直前、ゴウさんは再び表情を険しくする。

 娘さんのすぐ傍で屈託のない顔で笑う少年、日比野天地。

 彼とは、一日という本当に短い付き合いだったが、随分と雰囲気が変わったように感じられる。

 明るくなった、というよりも、どこか吹っ切れたような面持ちだ。


「あんな恐ろしい目に遭ったので、トラウマになっていないか気がかりでしたけど……どうやら心配はいらないようですね」

「……フンッ! それに関しちゃあ、初日から無理させちまった俺に責任があるからよぉ、元気っつーんなら結構なこった。だがなあ、だからっつってマユを誑かすたぁ図に乗りすぎなんだってんだ。ったく……」 


 きまりが悪そうに顔を背けるゴウさんを見て、思わずクスリと声が漏れる。

 こんな態度を取ってはいるものの、日比野が無事であることに内心では安堵しているのは明白だ。

 ぶっきらぼうで豪快だから誤解されやすいが、やはりこの人は仲間想いの頼れるリーダーなのだと改めて実感する。


「……んだぁ彰人。てめえ、何ニヤニヤしてやがんだ。何か文句あんのかオラァッ!」

「いえ、別に何も。俺もファンクラブに入ろうかと思っただけですよ」

「なっ……! まさか、お前までうちのマユを狙ってやがんのかっ、ああん!?」


 弾けるように立ち上がり、一瞬にして距離を詰めて胸ぐらを掴み上げるゴウさんに対して、慌てて補足を加える。


「落ち着いてください。命の恩人として敬っているだけで恋愛感情はありませんので。地上で恋人も待ってますし」

「そうか……よし、なら許可してやろう。今、超特急で会員証を取り寄せてるとこだから、彰人は特別に俺の次の番号にしてやるよ」

「はあ……ありがとうございます」


 すでに会員になったかのような口振りのゴウさん。

 隠しきれないほど浮かれている様子に、苦笑しながら感謝を述べる。

 この猪突猛進でマイペースな性格が娘さんに遺伝したのだろう。


「ファンクラブ……俺に無断でってのはムカつくが、もう作っちまったもんは仕方ねえ。となると、俺は最大限の努力をして会員を増やさなきゃあならねえって話だ。いや、こんな浮ついたもんに入れ込むなんざ本意じゃねえんだぞ? 父親としての義務であり責務であってだなぁ……そこら辺を勘違いすんじゃねえぞ、分かったな?」

「はははっ、大丈夫です、分かってますよ」


 建前と威厳を気にして繰り返し確認するゴウさんに、堪えきれず声を出して笑ってしまう。

 日比野が娘さんと親密になるのは本気で気に食わないようだが、ファンクラブ自体は満更でもないらしい。

 何はともあれ、ようやく機嫌を直してくれて、ほっと息をつく。

 ……と言っても、写真を目にしたら怒りが再燃する可能性が高い。

 こっそり新聞を丸めて背中に隠していると、入口から控えめなノックが響いた。


「すみません、田辺さん……そろそろ、出発の時間、です」

「おっと、ごめんごめん。すぐ行くよ」

「いえ、私達は全然、大丈夫、です。それでは、失礼します……」


 扉を隔ててかすかに届く、たどたどしい小さな声が止み、足音が遠ざかる。


「……新人か。なんっつーか覇気がねえな、覇気が。お前の班に入れるのも、俺は反対だったんだがな……。どうだ、問題なさそうか?」

「正直、すごい子ですよ。ダンジョンに来てから、まだ十日しか経ってないとはとても思えません。……だから心配しなくていいですよ」

「本当だろうな? お前は甘ちゃんだからなぁ……まあ、無茶させろとは言わねえけどよ。きつかったら言えよな」


 例のオルトロスの一件以降、前にも増して慎重になったゴウさんが念を押す。

 当然ながら、前と同じ轍を踏む気はない。

 あんな悲劇は、もう起こさせない。

 例え、またオルトロスが現れても、今度は誰も死なせずに倒してみせる。


「はい、もちろん。――それじゃ、俺はこれで」

「おう、頑張れよっ!」



 ダンジョンが出現して五年。

 オルトロス襲撃事件から二十四日。

 凩剛健率いる第一層駐屯組は、今日もダンジョンの平和を守っている。

 ……そして、凩剛健の苦悩はこれからも続く。

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