第29話 ダンジョンに恋愛を求めるのは間違っているだろうか
「ふにゅぅぅうぅうぅぅ……おおぉおいしぃぃぃいいぃいぃいい♡」
「ああ、マジでうまい。激レアなだけあるなこりゃ」
六連星の間からほど近い安全部屋にて、俺とマユはインビジブルモスキートが取り込んだ血の結晶を大いに堪能していた。
本当のことを言うと、グロい巨大な蚊のぼっこり膨らんだ腹に入っているとあって、当初の俺は謹んで辞退してマユに全部食べてもらおうと思っていた。
だが、念願のインビジブルモスキートと俺が集めてしまった魔物をマユがものの数分で片づけた直後、試しに腹を裂いてみたところ、あらびっくり。
そこには、普通にうまそうなリンゴ大の、透明感のある真っ赤なグミのような物体が四個も詰まっていたのだ。
味見と称して大口を開けて一個丸々くちゃくちゃと平らげたマユは、奇声を上げて身をよじり、その味を称賛した。
そして、そのうまさで覚醒したのか本気になったのか、はたまたコツを掴んだのか気配が分かるようになったのか。
理由は定かではないが、マユは通常時よりさらに元気いっぱいになって、インビジブルモスキートを驚異の探知能力で次々と発見しては包丁の錆にしていった。
今までの苦労は何だったのかと若干やるせなさを感じる勢いで駆逐し、合計八体に達したところで切り上げて、現在に至る。
「にゃははぁぁ、こぉぉおぉんなオイしぃぃのがあるなぁんてぇえワカぁんなかったぁぁぁああ」
「だなー。いやぁ、最初はどうなることかと思ったけど、よかったよかった」
インビジブルモスキートの血の結晶は、見た目通り弾力のあるムチムチとした食感で、クセになる独特の酸味を持った濃厚なイチゴグミという感じだった。
マユが絶賛するのも頷ける。
……しかし、欲を言うならば、俺が調理する余地が欲しかった。
元からスイーツなぞ、妹の陽芽にたまに作る程度だから、クッキーやらプリンやら簡単な物しかできないのだが、それでもグミは加工難易度が高すぎるだろ。
これじゃ好感度アップに繋がらねえじゃねーか。
俺の手によってインスタ映えするオシャレなスイーツに大変身させて「てんちゃん素敵! 大好き!」「ハハッ、このくらい造作もないさマイハニー」ってのが理想だったのに……。
「はぁぁあぁあぁぁ……ゴチそぉおぅサマでぇしたぁぁあっ。なぁのぉぉでぇぇぇオヤすみぃいいぃいいっ」
「おー、おやすみ~」
ままならない現実を嘆きながら、俺が三個目のイチゴグミを食べ終える頃。
すでにマユは残る数十個をぺろりと胃袋に収めており、律儀に手を合わせてからいつものように早々と眠りについた。
「スゥ…………スゥゥ…………」
……さて。
静寂に包まれた平穏な空間。
傍らには、心安らぐ無垢なエンジェル。
しかしながら、俺の心臓は張り裂けそうなまでにバックンバックンと激動する。
汗は止まらず、手には自然と力が入り、ゴクリと喉が鳴る。
Why?
答えは簡単だ。
俺は心中で願った、祈った、望んだ、求めた、念じた、拝んだ、期待した。
――――アユじゃありませんようにっ!!
――――サユ! サユ!! サユ!!! サユ!!!!
「…………………………」
「…………………………」
やがて、ずっと聞いていたかった小さな寝息がピタッと途絶えた。
緊張して固まる俺の前で、静かに体を起こす少女。
少女はゆるりと髪留めを外し、それをポニーテールに結び……直さなかった。
そのあどけない顔に浮かぶのは、朗らかな笑顔……ではなく、明らかな嫌悪……および殺意。
……アユだった。
「ッ…………!」
オー……マイゴッッド!!
シット! ファッキン! ジーザス! マンマミーア! どちくしょうっ!!
「……何ですか、その露骨にガッカリした顔は。すっごく不愉快です」
「え゛っ!? い、いえいえ、決してそのようなことは……!」
バレた。
くっ、表情には出ないよう努めたはずなのに……。
「どうやら、まだ殴り足りなかったみたいですね。私のムカムカも収まりませんし、もう一度……」
「ご、ご勘弁をーーっ! あれは、その……本当に申し訳ございませんでした! 深く反省しておりますから何卒! 何卒ご容赦をーーーーっ!!」
アユが拳を握るだけで反射的に身がすくみ、謝罪の言葉が滝のように流れる。
おかしい。
どうしてこうなった。
言葉を重ねれば重ねるほど、状況も互いの関係も悪化の一途をたどっているじゃないか。
「あなたのような軽薄な人にどれだけ謝られても無意味です。せっかく私がチャンスを与えようとしたのに、まさか恥を上塗りするだなんて……。やっぱり、あなたは信用できませんっ!」
「そんなっ……! アユ……さんは、俺という人間を誤解してます! よく知れば、俺が立派な好青年だと分かるはずです。どうか今一度、名誉挽回の機会を!」
見下げ果てたゴミクズ野郎を見るような目を向けるアユに、俺は頭を下げて必死で食い下がる。
大抵の相手であれば、ここまでストレートに嫌われてしまったら、もういいやと諦めて極力関わらないようにしていただろう。
しかし、今回ばかりはそういうわけにはいかない。
『将を射んと欲すれば、まず馬を射よ』という格言を盲信するわけではないが、アユと友好的な関係を結ぶことは、マユを射るために重要なファクターである。
それ以前に、アユもサユも自我を備えてはいるが、マユの一部には違いない。
言葉にするのは難しいが……マユとは別人であって同一でもある、というか……。
とにかく、マユを愛する者として、ファンクラブ会長として、サユとアユも蔑ろにするべからず、というのが俺の素直な気持ちだ。
「……これ以上あなたのことなんて知りたくもないですし、そもそも立派な好青年はそんな自信過剰で傲慢なこと言いませんが……そこまで言うなら、今からあなたに質問をします。私が満足する答えであれば、昨日のことは水に流してあげます」
「ありがたき幸せ! …………で、何でしょう?」
ぶっちゃけ、もう何を言ってもダメだとタカをくくっていたが、存外アユは心が広いようだ。
ホッとしていると、アユは急に正座をしてピシッと背筋を伸ばした。
不穏な気配しか感じないが、とりあえず俺も慌てて姿勢を正す。
「では……マユおねえちゃんのことで、知っていることを話してください」
「…………は? それって、どういう……」
「いいから、正直に答えるんです。嘘をついたら…………死んでください」
「ハ、ハイ……ワカリマシタ」
こええよ……。
意味分かんねえし。
とにかく、ここは心のままに答えよう。
「えーっと……キチかわいい」
「……ふざけてるんですか? そんなに死にたいんですか?」
「めめめ、滅相もございませんっ! でも、ほら、質問がアバウトすぎじゃないですか?」
「どこがですか! 知ってることなら何でもいいんですよ! 感想なんて誰も聞いてませんっ!!」
「さ、左様でございますか……」
早くも回答を誤った。
このキレっぷりだと次はない。
慎重に答えなければ……。
「え~~……っと、凩マユ、十四歳。水色のリュックサックを背負って学生服を着たサイドテールの美少女。イビルライガーの血で染めた緋色の髪が抜群に似合ってる。趣味は食べる、寝る、遊ぶ。ダンジョンに来たのが五年前で、現在のレベルは72。武器は包丁、特に麺切包丁がお気に入り。好物は甘いもの全般。剛健っていうヤクザみたいな父親がいる。誰よりも強くて誰からも恐れられる最強の女の子。(最近では日比野天地という人生のパートナーができて、待望のファンクラブも設立される)…………ってとこですか」
口を開いたら、驚くほどスラスラと言葉が出てきた。
これが愛の力だ……とドヤ顔を決めるが、アユは何とも微妙なツラをしてやがる。
「得意げに淀みなく答えるのが気持ち悪いですね……。最後の妙な間も引っかかりますし……。まあ、それはいいでしょう。それで、他には?」
「…………他?」
促されて、答えに窮する。
他……他……と言われても、知ってることは大体これで全部だ。
「はぁ……やっぱりダメですね、あなたは。例えば、この服……どうですか?」
「え? めっちゃ可愛いですけど?」
「チッ! そうですけど、そうじゃありません! 何でマユおねえちゃんが制服を持ってるのかってことです!」
「あ、ああ……そういうことですか」
はて、そう言われてみれば何でだろう?
深く考えたこともないし、ことさら話題にしたこともなかった。
「んー……ベースでもらったんじゃないんですか? 俺みたいに」
「はぁぁぁぁ……違います。これは私が作ったんです。……
裁縫――その言葉に反応して、淡い光とともに一本の針と真っ白な糸が空中に出現した。
「おおっ……!!」
「……大分ほつれてきましたね。直しておきますか」
そう言うと、宙に浮いた針が勝手に制服を高速で縫っていく。
白い糸はスゥッと溶けるように生地と同色へと変化し、あちこちが擦り切れて綻んでいた服が、ものの数十秒で完璧に修復される。
「……汚れも目立ちますね。血の匂いもかなり……。
今度は、服全体に炭酸のような小さな泡がシュワシュワと立ち、わずか数秒で血のシミや土、泥が綺麗サッパリ消えていった。
もはや新品同然だ。
「す…………っげえな! マジ便利じゃん!」
思わず敬語を使うのを忘れて(そもそも使う必要もないのだが)感動すると、アユはぷいっと顔を逸らして、髪の毛をくるくる指で巻き始めた。
「べ、別に……私にはこの程度のことしかできませんから……。というか、今まで気付かなかったんですか? 本当に能天気ですね、あなたは」
「うっ……」
いや、まあ、気になってはいた。
マユっていつも同じ服だけど、夥しい返り血浴びてる割に綺麗だよな~……と。
でも、水源がある部屋で毎日泳いで洗ってるものだから「へぇ、魔物の血って意外と簡単に落ちるんだなー」程度に考えていた。
なわけねーじゃん、本当に能天気でした、俺は。
「私が言いたいのは、あなたのそういうところです。あなたは好きだの愛してるだの軽々しく言う割に、マユおねえちゃんのことを知ろうともしてません」
「な!? そっ、そんなことねーって!」
俺がマユのことを知らない?
ファンクラブ会長にして世界一のマユオタ(凩マユに関して造詣が深い人物を指す言葉)を自称する、この俺が?
何をたわけたことを……。
片腹痛いわ。
「じゃあ、マユおねえちゃんのスキル……全部説明してください」
「…………え?」
……………………。
……………………えー…………っと……。
あっ、アレだ、刃物をパーって出すやつ。
後は……そう、毒耐性。
それから……。
それから……………………。
……知りません。
「ほら! 全然ダメじゃないですか!」
「ちょ、まっ……! だって、スキルって英語だからよく分かんねーし……」
「そんなの言い訳です! だったら、マユおねえちゃんがどんな罪でダンジョンに送られたか知ってますか? 五年間、どんな生活をしていたか知ってますか? 何で、ずっと一人でいたのか知ってますか? どうして、あなたを選んだのか知ってますか?」
「うっ…………」
……何一つ知らない。
くそっ、返す言葉がない。
思えば、マユと出会ってから今に至るまで……マユ自身のこと、マユが考えていること、感じていることを、マユに直接聞いたことはほとんどなかった。
人付き合いが苦手で、他人と距離を取って、関わることを過剰に避けてしまう昔からの悪癖が……結果として陽芽を追い詰めてしまった悪癖が、しつこく俺の中にこびりついていた。
バカはダンジョンに行っても治らないってことか……。
「…………仰る通りだ……。なるほど、たしかに気持ちわりーな。今まで無関心を気取ってたやつが、いきなり愛を語ってんだもんな……。ハハ、笑えるな……」
急にトーンを落とし、ガックリと地面を見つめて自嘲する俺に対し、アユは少し狼狽え、ボリュームを落として不服ながらもゆっくりと諭すように言葉を続ける。
「……ま、まあ、分かってくれればいいんです。本当の本当に最後のチャンスを与えてあげますから、以後は気をつけてくれれば……。きゅ、急にそこまで落ち込まなくても……」
言い過ぎたと思ったのか不器用にフォローするアユに不覚にも萌えながら、俺は決心を固める。
そうか……俺は努力を怠っていたんだ。
マユを知る努力……マユに近づく努力……マユに相応しい男になるための努力……。
それらを蔑ろにして、どうしてダンジョン最強でダンジョン一美少女のマユ様と一緒にいられると思ったのか……。
おこがましいにも程がある。
……よしっ!
決めた……今、ハッキリと決めたぞ……!!
「だ、だからですね……そう、今日の、インビジブルモスキートを捕まえる時みたいな、ああいう態度なら私は別に…………」
「――――アユッ!!」
「みゃっ!??」
突然、毅然とした顔で名を呼ぶ俺に、変な声を出して飛び上がるマユ。
らしくない表情で硬直するアユに、俺は宣言した。
「ありがとう。アユのおかげで目が覚めた!」
「そ、そうですか。それはよか――――」
「誰よりも強く、誰よりもマユを知り、誰よりもマユに相応しく、誰よりもマユを愛する……そんな男になれ! そんな男になった時、マユと付き合うことを許す! ……そういうことだったんだな!」
「………………………………は?」
長い沈黙の後の、たった一言の「は?」。
俺は、それを肯定とみなして続ける。
「そうか……そうだよな。常々、何か足りないと思ってたんだ。気持ちだけじゃなく、マユに釣り合うための努力をする……まずはそこからだったんだな、うん。流石はマユの妹だ、それは真理だよ」
「………………………………はぁぁあぁあぁぁぁあぁあ?」
納得する俺とは裏腹に、アユは素っ頓狂な声を上げて表情を一変させる。
「どうして! そう! なるんですかぁぁぁああ!!」
「ぐぱっっっ!!??」
部屋中に響き渡る叫びに紛れ、何かが風を切る音がしたと思った瞬間。
頭部を襲った強烈な衝撃とともに、俺の意識は途絶えた。
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