第2章 君の知らない物語
第16話 とある妹への追憶
昔の夢を見た。
いや、昔ってのは言い過ぎか。
ダンジョンに来る少し前だから……よく考えれば、まだ一ヶ月も経ってない。
もう何年も前のような、つい昨日のような……。
とにかく、とある日のことだ。
妹が両親を殺した。
場所は自宅の居間。
死因は大量出血による失血死。
凶器は台所にあった包丁。
動機は不明。
俺がいつも通り学校から帰宅した時に妹、陽芽は事切れる両親を見下ろしていた。
数十の刺し傷が残された遺体の状況を物語るように、血にまみれた部屋と陽芽。
振り返る陽芽の、標準が定まらない虚ろな瞳と、口元が引きつった歪んだ笑み。
兆候がなかったかと聞かれると、あったと言わざるを得ない。
陽芽は二年前からずっと家に引きこもっていた。
理由は分からない。
学校で何かあったのだろうが、陽芽の学校生活なんてほとんど知らなかった。
当然、父さんと母さんはあの手この手で説得を試み、メンタルケアを行った。
朝は早く夜は遅い多忙な両親が、寝る間を惜しんで話し合っているのを見た。
俺は「こういうのは人に言われてどうこうなるもんじゃないって」と無責任なことを言って全く関知していなかったので、詳しいことは分からない。
確かなのは、献身的な努力の甲斐なく、効果が全くなかったということだけだ。
そんな状況でも、俺は陽芽と多少のコミュニケーションは取っていた。
と言っても、普段は部屋から一歩も出なかったから、顔を合わせて話をしたわけじゃない。
俺はネットゲームで陽芽と話をしていた。
内容こそ「イベントクエスト行かねえ?」とか「レアアイテムドロップしたぜヒーハー!」とか、そんなくだらないゲーム内での出来事ばかりだったけど、それが功を奏したのか陽芽とは毎日一緒にゲームをしていたので、関係は良好だったと思う。
そうしたやり取りもあったからか、食事を部屋の前に置いて行く時にはドア越しで会話をしていた。
それでも、相変わらず俺は「何があったんだ?」とも「学校へは行った方がいいぞ」とも言わない。
言ったらウザがられて逆効果だと思った。
しかし、俺は自分でも呆れるほど能天気なことに、あまり心配はしていなかった。
廃プレイヤーにはなっていたものの、会話した限り陽芽はどこも変わっていなかったからだ。
だから、近い内に何事もなかったように学校へ通うようになるだろうと楽観的に考えていた。
そんな時に、事件は起こった。
その日、父さんと母さんは陽芽とじっくり腰を据えて今後のことを本気で話し合うということで、忙しい身で無理をして休暇を取っていた。
俺は普通に学校へ行き、授業を終え、友達とだべり、買い物をして帰宅。
重い荷物から解放されるべく、一刻も早く台所へ向かおうとしたところ……。
「ひ……陽芽……? これは……一体、どういう……」
「……あ、お兄ちゃん……おかえり……」
目の前に広がる衝撃的な光景に飲み込まれて、体の感覚がなくなる。
手にした鞄とスーパーの袋を落として中身を派手にぶちまけたことにすら気づかないほど、頭が真っ白になっていた。
「父さん……母さん……? 誰が、これ、を……お前……その……」
「これ……? これは、私が、やったの」
「な……っ!?」
おかしい。
ここにいるのは、本当に俺の妹なのかという疑問。
いつもと変わらない、たどたどしく端的な喋り方。
今まで見たことのない、寒気がするような不気味な笑み。
今まで見たことのない、生気を失った暗く沈んだ瞳。
「お、お前がやった……って……な、何で? 何があったんだよ?」
当然の問いかけに、陽芽は天井を見上げて独り言みたいにポツリと答えた。
「私ね……気づいたの」
「……気付いた……? 何に?」
「これはね…………お父さんと、お母さんじゃ……なかったの」
「…………………………は?」
「悪魔、だったの。地球を、滅亡させるために、魔界から来た……。お父さんと、お母さんに、化けて……私と、お兄ちゃんを、食べようとしてたの」
「…………………………いや…………え? あ、あく…………え?」
「でも、もう大丈夫……。私は、実は、悪魔から人間界を、守るために、天界の大天使に、退魔の能力を、与えられた……選ばれし勇者、だから」
「………………………………」
やばい、俺の妹が壊れた。
昔から、何を考えてるのか分からないところはあったが、それはただ無愛想だっただけだ。
ちょっと無口で根暗で人付き合いが苦手で自己主張しないだけの、普通の女の子だった。
決して、こんな電波な妄想を延々と垂れ流すイタいヤツじゃなかった。
どうしてこうなった。
本当にわけが分からないから、あえてもう一度言う。
どうしてこうなった!?
「この……浄化の力を宿した、伝説の聖剣で、世界中の悪魔を、滅するのが、私の宿命……」
いやいやいや、どこのご家庭にもある極々一般的な包丁なんですけど。
もっと詳しく言えば、二ヶ月前の休日に近所のホームセンターにて、お買い得価格の二千九百八十円(税抜)で購入した、錆びにくいステンレス製の便利で万能な三徳包丁だよ。
って、そんなことにツッコんでる場合じゃねえ!
「と、とにかく救急車……は、もう遅い……か……くそっ!」
「……」
「ええっと、じゃあ警察……? でも、この状況……陽芽が――――って、ちょっ! おま……!?」
両親の無残な死を目の当たりにして放心状態になりながらも、これからすべきことを真剣に考えている俺を完全にスルーして、陽芽はフラフラと部屋を出ていこうとしている。
「どっ、どこ行く気だ!? つか、お前……父さんと母さんが……自分が何したか分かって……」
「行かなきゃ……。私には、使命が……悪しき者を、裁かないと」
っていうか、そんな格好で外に出たら確実にお前が法の下で裁かれるっつーの。
駄目だこいつ……早く何とかしないと……。
「落ち着けよ陽芽。一体どうしたんだ、お前……こんな……」
「…………」
「本気で言ってるわけじゃねーんだろ……? ちゃんと話してくれよ」
「…………」
「なあ……別にお前を責めるつもりはねーんだよ。そりゃ……キツイけど、やっちまったもんは、もうどうしようもねーんだからさ。でも、せめて納得のいく説明くらいしてくれよ」
「…………」
しばらくの間、時計が時を刻む音だけが流れ続ける。
俺に背を向ける陽芽は何の反応も見せない。
諦めて警察を呼ぼうと携帯を握りしめたところで、陽芽はゆっくり横顔を見せた。
「……分かんないよ……私だって。私だって、納得なんて、できないよ。無責任だけど、全部私が、悪いんだけど、どうしていいか、分かんなかったんだもん……」
「陽芽……」
陽芽の手から血まみれの包丁が滑り落ち、冷たいフローリングに浅く突き刺さる。
肩を震わせて俯く陽芽の目から、ぽたぽたと透明な雫が落ちていることに気づく。
「頭が、ぐちゃぐちゃになって……気づいたら、いつの間にか、私……。苦しいよ、だから、だから……私は、悪魔を祓う、勇者になるんだよ……。その間だけは、ほんのちょっとだけ、心が、楽になるから……」
「…………」
「でも、信じて、お兄ちゃん……。私は……こんなこと、望んでなかった。これは、勇者にしかできないことで……こうなるのが、神様のお告げで……私は、何で、こうなっちゃったんだろ……?」
「………………陽芽…………」
陽芽が泣いているのを最後に見たのはいつだっただろうか。
幼い頃から感情を表に出さない陽芽が見せる涙に、戸惑いを隠せない。
やっぱり、陽芽は中二病に目覚めて凶行に走ったわけじゃなかった。
引きこもりになってから今まで、ずっと苦しんでいたんだ。
俺が何とかなると軽く考えて呑気に暮らしてる間も、ずっと悩んでいたんだ。
抱えきれないほど積もり積もったストレスから逃げるため、架空の設定を作って。
それでも、とうとう精神が耐え切れなくなって、今回の事件は起こってしまった。
浅はかだった俺の罪は重い。
もう遅いってのは百も承知だが、せめて今、ほんのわずかでも陽芽を救う責任が俺にはある。
……あるのだが……まずい、どうしよう。
陽芽ほどではないにせよ、コミュニケーション能力が絶望的に低い俺には、こういう状況でベストアンサーなど導き出せるはずがない。
かろうじて分かるのは、何も言わずこの場を立ち去り警察を呼ぶのが最悪の選択ってことだけだ。
「…………ねえ、私は、どうすれば、よかったのかな……? どうすれば、いいのかな……? 教えてよ……助けてよ……お兄ちゃん…………」
「………………」
すがるように俺の瞳を捉え続ける陽芽に対して、何か言わなければと口を開くが、声にならないまま再び口を閉じ、歯を噛み締める。
どうすればいいかって……逆に俺が教えて欲しい。
俺は今どうすればいい?
いや、泣き言を言うのは止めろ。
考えるんだ、陽芽を深い闇から救い出す言葉を、行動を。
「俺は……」
「…………」
「俺は、こうするのが最善だ、なんて偉そうなことは言えねえ。お前が今日まで悩んできたんだ、アホな俺に分かるわけがねえ。っていうか、どうすればいいかなんて誰にも分からねえよ。だけど……」
「…………」
「だけど……アレだ、一緒に考えることはできるからさ。ほら、二人ならアイディアは二倍になるし、責任は半分ずつになるだろ? 非常に合理的じゃねえか、うん。それに……」
「…………」
「それに……その、俺はどんな時もお前の味方だからな。何でも相談してくれていいし、いつでも頼ってくれていいんだからな。お前一人で抱え込む必要はねえってことだ。まあ……こうなるまで全然何もしてこなかった俺が言うのも何なんだけど、さ……」
「……お兄ちゃん……」
「とりあえず、風呂でも入ってこいよ。血だらけだぞ、お前。ちょっとリフレッシュして、それから一緒にどうするか考えようぜ」
「……うん…………分かった」
俺がつらつらと並べた薄っぺらい綺麗事に、陽芽は小さく頷いて部屋を出た。
「……ふぅ~~~~……………」
……よし、俺にしては頑張った、合格点。
少なくとも、噛むこともなく「知るかバカ」と突き放して逃げることもなかった。
我ながら背中が寒くなるような上辺だけの美辞麗句だった気もするが、この状況じゃブッダやキリストが言っても胡散臭く聞こえるだろう、多分。
しかし、問題はここからだ。
このままでは、陽芽が殺人罪で逮捕……そして、間違いなくダンジョン送りだ。
コミュ障気味で虚弱な引きこもりの十三歳の少女にとって、それは死刑に等しい。
もちろん、それが日本の法律だし、実際に人を殺しているのだから仕方ないとも言える。
けど…………。
けど、俺は陽芽を助けたい。
こいつは精神的に追い詰められて、どうしようもないくらい追い詰められて、それによって無意識の状態で衝動的に誤って殺してしまったんだ。
全く罪がないとは言わないが、それでダンジョンの恐ろしい魔物に生きながらボリボリ食われるなんて、いくらなんでも酷すぎる。
父さんや母さんも、そんな結末は望んでいないはずだ。
それに、今や唯一の家族である妹が泣いて頼ってくれたんだ。
適当な言葉で慰めるだけで見殺しにするなんてできるわけがない。
問題は……。
「どう考えても詰んでるだろ、この状況……」
人が死んでいる。
それも二人。
隠し通すことは絶対に確実に間違いなく何をどう努力しようが工夫しようが偽装しようが天地がひっくり返ろうが、物理的に統計的に常識的に百パーセント不可能だ。
待てよ……。
もしかして、今回のケースなら素直に自主しても心身衰弱状態ということで無罪になるんじゃ……。
いや、確かダンジョンが出現した時の法改正で精神鑑定制度も見直されて、かなり簡素化したと同時に判定が辛くなったって聞いた気がする。
そもそも、そんな曖昧で不確実な可能性に賭けて「よし、警察に行け」などとは言えない。
却下だ却下。
となると、もう二人で外国に高飛びするくらいしか思いつかない。
うん、二人仲良く野垂れ死ぬだけだな。
「くっそ! どうするどうする……そうだ! こんな時はネットで調べて……ってバカか俺は! ええい、何かないのか方法は……っ」
まさか、殺人の隠蔽を真面目に考える日が来るとは思わなかった。
世のミステリー作家の方々に助言を賜りたい気分だ。
「お兄ちゃん……」
「陽芽……ちょっとは落ち着いたか?」
「うん……ごめん、私……」
数十分後、風呂から上がった陽芽はわずかながら普段の様子を取り戻していた。
両親の遺体を見るのが辛かった俺たちは、どちらが言うわけでもなく自然に食卓で向かい合った。
「さて……早速で悪いけど、今後のことを考えてみたんだ。……聞いてくれるか?」
「……うん…………」
茫然自失の妹にはヘビーな話だが、時間がない。
何せ、いつ誰かが来てうっかりバレてもおかしくない。
「結論から言うと……俺は、お前を殺人犯にはしたくない。ので……何としてでも誤魔化したいと思う」
「でも……そんなの、ダメだよ。とても、許されることじゃ、ない……」
「そうかもしれない。だけど、俺は……そして多分、父さんと母さんも、お前を罰したいとは思わない。だから……できれば、今から俺が言う通りにして欲しい」
俺の卑怯な言い方に、陽芽はしばらく目を伏せて迷っていた。
しかし、罪の負い目からか、やがて決心したように俺を見つめて言った。
「…………分かった。お兄ちゃんが、そう言うなら……」
「わりぃな、勝手なこと言って……。あっ、もちろん、おかしなところとか改善点とかあったら教えてくれよ。俺、頭悪いからさ。はははっ」
「うん……私も、頭悪いけどね。ふふっ……」
ほんの少しだが陽芽に笑顔が戻り、場の空気が軽くなる。
こんな時に不謹慎だが、ふと俺は陽芽の大好きなオムライスを作った時のことを思い出す。
なぜかは分からない。
後になって思えば、俺はこの時すでに知っていたからだろう。
陽芽に料理を振る舞える機会が、あとわずかであるということを。
こうして、俺と陽芽による無謀な作戦が始まった。
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