第17話 順調……お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな
「父さん、母さん……今まで、ありがとう。……もっと親孝行できればよかったんだけど……それはまあ、俺がそっちに行った時にってことで」
「ごめんなさい……。本当に、本当に……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
計画を実行に移す前に、父さんと母さんに最後のお別れをした。
陽芽は真っ青な顔で二人の手を握り締め、謝罪の言葉をずっと繰り返していた。
一方の俺は、目を瞑って数秒手を合わせただけだ。
我ながらドライなもんだな。
もちろん、親と不仲だったわけじゃないし、悲しくないわけでもない。
間違いなく、俺の人生において空前絶後の超絶怒涛のショックを受けている。
ただ、あまりに唐突の出来事だったせいか、精神的負荷が大きすぎたせいか、これからのことへの不安と重圧が頭をよぎるせいか、何というか……実感が湧かないのだ。
……いや、違うな。
俺は単純に、考えたくないだけだ。
現実を受け入れたくないから、陽芽を助けることを理由に逃げてるだけ……。
だけど、今はそれでいい。
とにかく、今は現状をどうにかしなければならないのだから。
全てが思惑通りに運んだ時、改めて両親の死に向かい合うことにしよう。
「さてと、それじゃあ……やるか」
「……うん」
計画はいたってシンプル。
家を燃やす………………以上!
シナリオはこうだ。
犯人Xは空き巣に入ろうと我が家に侵入するも、両親にバッタリ出くわす。
Xは包丁で両親をメッタ刺しにし、証拠隠滅のため家に火を放ち逃走。
炎上する家から辛くも脱出した妹は警察の聴取に対して、こう語る。
「一階から聞いたことのない男の声と争うような物音が聞こえました。私は引きこもりだし、怖かったから部屋にいて……。それから、すぐに静かになって安心していたんですが、一時間くらい経った頃に、何だか焦げ臭い匂いがしたので、そっとドアを開けたら家中に煙が充満してて……」
警察は殺人と放火で捜査するもXは特定できず、事件は闇へ葬られる……。
めでたしめでたし。
…………って、全然めでたくはねえけど、こんなもんだろ。
あまりにも話が都合よく出来すぎてる気がしてならないが、少なくとも矛盾はないし辻褄は合ってるはずだ……と信じたい。
欲を言うならば、あっと驚く奇想天外で小難しいトリックを弄する偽装工作を絡めることができればなおよかったのだが、すぐに諦めた。
そんな、日本の警察を余裕で手玉に取れる天才的頭脳が欠片ほどでもあったら、今頃もっとマシな人間になれてるって話だ。
それに、単純な分だけミスが少ないし手っ取り早い。
陽芽があまりにも派手にやってくれたから、他の方法だとどうしても時間がかかるし物的証拠が残ってしまう。
思い出深い我が家を焼くことに思うところもあるが、背に腹は代えられない。
陽芽にとっても、親を殺してしまった家に住み続けるのは辛いだろうという配慮でもある。
「でも、お兄ちゃん……本当にそんな、漫画みたいに、うまくいく、かな……」
「……大丈夫だ、心配すんなって」
結局、俺が必死になって考え抜いた計画に対して陽芽はほとんど口を挟まず、終始沈痛な面持ちで微動だにせず俺を見つめていただけだった。
自己主張も口数も少ないのは元々だが、おそらく自分がしでかしたことのショックと罪の負い目がそうさせているのだろう。
……まあ、よくよく考えれば女子中学生の妹に、自分が犯した殺人の隠蔽方法を積極的かつ饒舌に語られても引いてしまうのだが……。
それでも、塵も積もれば山となるとか三人寄れば文殊の知恵――二人しかいないけど――とか言うし、客観的な意見は欲しかった。
正直、なけなしの自信は今も秒単位で目減りして空っぽ間近になっている。
とはいえ、やっぱりやめとこうというわけにはいかない。
死んでしまった両親は生き返らないが、陽芽はまだ生きている。
これ以上家族を失うことのないよう全力を尽くす。
それが、こんな状況になるまで何もしてこなかった俺にできる唯一の贖罪だ。
午後五時二十分、両親の死亡から約一時間後。
殺害現場である居間にて放火。
焼ければ焼けるほど証拠はなくなるし、あわよくば司法解剖にも誤差が出ることを祈って、本やカーテンなどの可燃物を遺体の周りに集め、台所の食用油をぶちまけて火を点けた。
火の勢いとともにみるみる広がる不安と緊張から逃げるように、俺は家を飛び出し、走る。
「うおおおおお! やってやった……やってやったぞっ!」
もう完全に後戻りはできない。
くっそ……! 覚悟は決めていたつもりだったが……気のせいだったとしか言い様がない。
今の俺は、どう贔屓目に見てもテンパっている。
受験の時の十倍は脳をフル回転して練りこんだ計画が、頭から完全に吹っ飛んだ。
アラスカの雪原に素っ裸で寝転んで氷塊を抱きしめたみたいに、全身から血の気が抜ける。
最新鋭のクラスター爆弾を集中砲火されたみたいに、心臓がバクバクバクバクと鳴り響く。
これからやることが、軽い変装を施した不審者っぽい我が身を監視カメラや通行人に見せるべく、フラフラほっつき歩くだけという簡単なお仕事で本当によかった。
思考力や度胸をほんの少しでも要求される行動だったら、確実にヘマをやらかしたに違いない。
「火を点けてから五分……そろそろ居間は大部分燃えた頃、か……? うちは無駄に耐火性あるから、一番離れた陽芽の部屋はしばらく大丈夫だと思うけど……」
全焼するまでどの程度時間がかかるのかはサッパリだが、我が家は人通りが比較的少なく隣家と距離がある立地にあるため、すぐに消火されてしまったり延焼によってご近所さんに迷惑をかけたりすることはないだろう……きっと。
陽芽には後々の証言通り自室に引きこもってもらっている。
つまり、平常通りだ。
そして業火が迫る危機的状況の下、消防隊の手によって無事救出され一命を取り留める……というのが理想だが、そこまで計画通りに進むかは神のみぞ知る。
予想より火の回りが早かったり消防隊が駆けつけるのが遅かったり、たったの数分で手遅れになってしまう危険は大いにあるのだから。
まあ、日本の消防は連絡があってから十分以内に現場へ駆けつけるという超優秀で勤勉な組織だから、まず大丈夫だとは思うが……最悪の場合、二階から飛び降りるように伝えてはいる。
ちょうど部屋の下は柔らかい地面になっているし、布団やぬいぐるみを落として窓の縁に捕まって足から落ちれば絶対に死なない。
そこまですれば間違いなく容疑者から外されるだろう。
だが、骨折は免れないだろうし、自ら飛び降りる恐怖たるや、ただライターをカチカチするだけのどっかの誰かとは比べるまでもない。
なので、それは本当に最後の手段だ。
「後で着信記録を調べられたらヤベーから、俺が消防に電話するわけにもいかねえし……陽芽に直接『よっ、今どうよ? いい感じに燃えてる?』って聞くわけにもいかねえしなぁ……。くっそ~、気になってしょうがねえ」
陽芽の心配をしていたら、緊張も相まっていよいよ俺の心理状態も臨界点を突破しそうになってきた。
ブツブツと呟く独り言もとどまることを知らず、帽子にサングラスにマスクの俺は周りからさぞかし怪しい変人に映っているであろう。
好都合ではあるが、何とも複雑な気分だ。
翌日のニュース。
○○県△△市□□の一軒家にて放火。
午後五時二十九分、現場の前を走行していたバスの乗客から通報。
午後六時四十三分、駆けつけた消防隊によって鎮火。
家はおよそ八割が滅失したが、隣家へ燃え移ることはなかった。
火元とみられる一階の居間にて、この家に住む夫婦と思われる遺体が発見される。
鑑識の結果、遺体には数十箇所の刺し傷が見られ、死因は大量出血による失血死であった。
遺体の損傷が激しかったことから正確ではないが、死亡時刻は午後四時から六時の間と推定。
凶器は刃渡り十五から二十センチ程度の刃物と見られるが、現場にはなく現在捜索中である。
この家には、高校生の長男と中学生の長女も住んでいたが、長男はまだ学校から帰宅しておらず無事だった。
長女は二階の自室におり、消火中に炎から逃れるため窓から飛び降りて右足の骨を折るものの、命に別状はない。
警察は、何者かが住宅に侵入し、夫婦と争った末に殺害し火を点けたとみて捜査している。
「うまく、いったんだよね……。お兄ちゃん」
「まあ……な。でも、わりぃ。俺の見立てが甘かったせいで、お前の足が……」
「平気、だよ。私のせい、なんだし、そんなに痛くも、なかったから」
「……そっか」
俺たちは今、市内にある病院の一室にいる。
救急隊により搬送された陽芽が、頭も軽く打っていたことから精密検査と経過観察のために二、三日入院することになったのだ。
帰る家をなくした傷心状態の俺たちへの粋な計らいか、重体でもないのに個室を用意してくれた上、付き添いという形で俺が寝泊りすることも許可してくれたのだから非常に心温まる話だ。
昨晩、流石に疲れきった俺と陽芽は泥のように眠り、昼近くになってようやくどちらともなく目覚めてから、重たい空気を紛らわすようにテレビをつけてニュースを見ていた。
「――ふぅ~~~~…………」
この場の雰囲気とは裏腹に、頭の中は妙に晴れやかだ。
昨日味わった、緊張で真っ白になる感覚とは違って『やりきった感』がある。
鬼畜難度のゲームを全クリしたような、そんな達成感だろうか。
結果として陽芽に怪我をさせてしまったが、計画は怖いくらい思い描いた通りになった。
後は警察が存在しない犯人を必死こいて探して、俺たちはすっとぼけるだけだ。
終わった……何もかも……。
「これから……どうなるの、かな……?」
不意に、陽芽が独り言のようにポツリとささやいた。
俺は、我が家とともに燃え尽きた思考回路でボーッとしながら答える。
「あー……とりあえず今日、お前は精密検査だろ。んで、何ともなさそうだったら……そうだなー、早ければ明日には警察から事情聴取を受けるんじゃねえかなぁー」
「じ、事情、聴取…………」
ただでさえコミュニケーション能力が壊滅的な引きこもりが、暗い顔を一層グレードアップさせて深く俯くのを見て、慌ててフォローを入れる。
「い、いやー、怪我もあるし、ここで十分くらい簡単なこと聞かれるだけだと思うぞ。現場にはいなかったけど、きっと俺も一緒だろうし大したことないって!」
「そう、なんだ……」
陽芽は消えそうな声でそれだけ言うと、わずかにホッとした様子で再びテレビに見入った。
……あぶねえあぶねえ、気を引き締めないとな。
今後、俺たちが自分からアクションを起こすことはないが、だからといって安心できるかと言えば答えは否だ。
例えば警察の聴取に対して、ほんの少しでも挙動不審になって事実と異なる証言をして怪しまれてしまったら、家も親も失った悲劇の被害者から一転、犯罪史上に残る凶悪兄妹犯人に早変わりしてしまう。
実際に罪を犯した陽芽がこれから感じるプレッシャーは計り知れない。
俺は陽芽の精神状態に気をつけて支えながら、自分自身もトチ狂っておかしなことを口走らないよう細心の注意を払わなければならないのだ。
「よし! 聞かれることは大体想像つくし、ちょっと練習しとくか」
「……うん」
その日、精密検査の結果は特に異常がなかった。
俺と陽芽は日がな一日、普段は見ることのない番組を見たり、「病院食って結構うまそうだなー」とか他愛のないことをポツポツと話したり、模擬面接めいた想定問答をしたり……。
昨日のことが夢だったのかと疑いそうになる、いたって平穏な時間を過ごした。
別に俺は病室にいる必要もなかったのだが、下手に動き回ると変に思われるかもしれないし、外にマスコミらしき連中がスタンバっているのが見えたので、何か聞かれても鬱陶しいので昼間は病院から一歩も出なかった。
幸い、最低限必要の物は院内の売店で買えるので数日過ごすくらいなら特に支障はない。
なるほど、これが引きこもり生活というやつか。
意外と悪くないかもしれない。
気持ちを切り替えて警戒レベルを最大まで引き上げたものの、それから十日間、逆に心配になるほど平和な日が続いた。
いつもなら漫然と聞き流すニュースの捜査状況を、一言一句間違うことなく暗記する勢いで頭に叩き込んだのだが、いっそ笑えるくらい想定通りの内容だった。
家屋内、特に殺害場所と推測される居間は燃え方が激しく、犯人に繋がる手がかりは残されていないこと。
事件現場周辺にて聞き込みを行ったところ、マスクにサングラス、帽子を身につけた不審な男の目撃情報が得られたこと。
複数の監視カメラにも男の姿が映っており、その足取りを辿っていること。
現場から約二キロ離れた河川敷にて、男が身につけていた衣服や、殺害に使われたと思われる包丁を発見したこと。
……実は全て見抜いてるのに、俺たちを油断させるために嘘の報道を流してるんじゃなかろうか。
そんな邪推――というか被害妄想に駆られるほど順調だ。
うまくいかない予感しかしなかった事情聴取も、二人揃って片言の棒読みになりながらも訓練の甲斐があって、つつがなく……とは言えないが無事に終えることができた。
陽芽の精神状態も随分安定したようで、日に日に笑顔も口数も増え……てはいないが、塞ぎ込む様子はなく食欲もあり、思ったよりも元気そうだ。
そんな中、俺達が予想外に苦しめられたのは事件とは全く別の、家なき子となった今後の身元引受先の問題だった。
父さんと母さんの葬式の後、急遽行われた親族会議によって俺と陽芽の引き取り手はすぐに決まった。
決まったのだが……次の日には保留になった。
理由は、俺達兄妹が問題児だったからに他ならない。
俺と陽芽は、引き取ってくれた親戚(名前はもう覚えていない)の家へすぐに連れて行かれ、家族に紹介され、一日を過ごした。
それだけだ。
驚くべきことに、それだけなのだ。
それだけの間に見抜かれてしまったのだ。
俺と陽芽の、人間としての未熟さを。
俺達は持ち前の愛想のなさを遺憾無く発揮し、あっという間に家族の団欒をぶち壊す、重くて気まずい雰囲気を魔法のように作り出した。
具体的には、二人ともどんな話を振られても「ええ」「まあ」「はい」「なるほど」「そうですね」のローテーションを繰り返していた……真顔でね。
凄惨な事件の被害者に対する憐れみを差し引いても許容可能範囲を超えていたらしく、翌日には他の親類に押し付けるようにバトンパスされることになった。
誓って言うが、陽芽はともかく、俺は普段そこまで社交性がないわけじゃない。
ただ、事件のことで頭がいっぱいで余裕がなかったのと、世間体があるから仕方なく受け入れたガキに対して、あからさまに仕方なく気を遣う相手に営業スマイルを向けられるほど大人にはなれなかっただけである。
結局、同じような気が滅入る一日が何度か続き、最終的には血が繋がっているかどうかも怪しい、ド田舎にいる遠縁のおじいちゃんおばあちゃんに引き取られることになった。
俺は別に施設に入ってもよかったのだが、陽芽には田舎の閑静でのどかな環境が合ってるかもと思ったし、いかにも昔話に出てきそうな感じの優しくて穏やかな老人だったので不満はない。
むしろ大変ラッキーでありがたかった。
そんな経緯で俺達は明日、ここ数日の間ねぐらとしていた格安のビジネスホテルを離れ、おじいちゃんおばあちゃんのいる遠い僻地へと赴く。
――あ、そういえば……。
学校には休むとしか連絡してなかったけど……まあいいか。
涙ながらのお別れをする親友や恋人なんて残念ながらいなかったし、学校でやるべきことはすでにやっておいたので問題はない。
「明日は朝早いから今のうちに用意しとけよー。……つっても、ほとんど荷物なんてねえか」
俺の言葉に陽芽は無言で頷く。
今回の事件は俺にとって確実に不幸なことだったし、陽芽にとって一生消えないトラウマだろう。
だが、それでもポジティブに考えると、陽芽の引きこもりを治すきっかけにはなった。
これで、俺が心配してもしなくても、俺がいようがいなかろうが、陽芽はきっと大丈夫だろう。
コンコンコン……。
黙々と旅立ちの準備を整えながら思いに耽っている中、入り口のドアをノックする音が静かに響いた。
「何だ何だ。どこのどいつだよ、こんな時間に……」
ここがマイホームであれば百パーセント居留守を決め込んでいただろう。
どうせホテルの従業員が大したことない用事で来たものと思い、俺は死ぬほど面倒くさがりながらもドアを開けた。
しかし、目の前に立っていたのは、最近何度も世間話をしたことで記憶に新しい制服を着ている、険しい表情をした二人の男だった。
「……これはこれは、夜分遅くまでお疲れ様です。……今日はどういったご用件でしょうか?」
「日比野天地、日比野陽芽………………放火および殺人の容疑で逮捕する」
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