第9話 バーサーカーソウル

 意外や意外、ダンジョン初の食事は大満足という結果となった。

 さて、それからのことだ。

 俺は、あることに気づいた。

 どうもおかしい。

 どこか変だ。

 何かが違う。

 いや、回りくどい言い方はよそう。

 単刀直入に言うと、凩の態度が一変した。


 凩にとって、これまでの俺は空気みたいな存在だったと思う。

 視界には入ってるんだけど、意識には入ってない存在。

 しゃーないから連れてきたけど、すごくどうでもいい存在。

 例えるなら、お子様ランチに立ってる旗みたいな?

 ……うーん、いや……最近のは旗ってあんまりない気がするし、そもそも凩なら両手を天に突き上げて喜びそうだから、この例えはちょっと違うか。

 ともあれ、凩がこれっぽっちも俺に興味を持っていなかったのは間違いない。

 『触るな危険』的なキチ女にどう思われようと一向に構わないのだが、それでも俺は心のどこかでちょっぴり凹んでいた。

 無関心は立派ないじめです。

 イジメ、ダメ、ゼッタイ。


 しかし、そんな俺が料理をしただけ(というか焼いただけ)で、あら不思議。

 プリンにおけるカラメルソースくらい大事な存在へと昇格を遂げましたとさ。

 待て、それは言いすぎか。

 せいぜい、カレーにおける福神漬けくらいか。

 アレレ? それは、あってもなくてもよくね?

 ……って、どうでもいいか。

 具体的にどう変わったかというと、俺の傍をうろちょろするようになった。

 チラチラと俺の方へ視線を向けてくるようになった。

 凩は食事を終えて小一時間ほどゴロゴロした後、俺の手を引っ張ってダンジョン探索を開始したのだが、以降ずっとそんな感じなのだ。

 校内で見かけたら「こいつ俺のこと好きなんじゃね?」と勘違いしそうだ。

 餌付けで懐くとか、存外チョロすぎてかえって心配になるんですけど。

 もっとも、肉は凩からもらったので、正確には俺が餌付けられたと言えるかもしれないが。

 そう考えると、俺だっさ!



「ぁーっ……ぁぁあぁぁぁあ~~……」

「?」


 な、何だ……?

 それまで無言で歩いていた凩が、急に痴呆症の老人のように口をだらしなく開けて呻きながら、左右の目を別々にグルグル回転させている。

 うわっ、気持ち悪いな。

 『黙ってれば美人』というタイプは割といるが、コイツは『口を閉じて目をつぶって動きを止めて表情筋を殺せば可愛い』という稀有なタイプだ。


「マユわマユわぁぁあぁあ……マユなぁぁぁのデッスぅぅ」

「……うん?」

「それでぇぇそぉれでぇぇえ、なんなんなぁぁんでぇぇぇすかぁあ?」

「………………」


 ……。

 ……あ、もしかして名前を聞かれているのだろうか。

 そうか、よくよく考えてみれば、俺はまだ名乗ってなかった。

 腕の肉を噛みちぎられたり、問答無用で連れ去られたりしたせいで忘れてた。


「すまん、言われてみれば自己紹介してなかったな。あー、俺は日比野天地、高校二年生……だった。現在は無職。いや、囚人? 囚人って職業か? まあ、そんなことはどうでもよくて……ええっと、ここに来たのは昨日で……って、一日経ったのか時間が分かんねーんだけどさ……」


 何だ、このぐだぐだな自己紹介。

 我ながらひでえ。

 普段それほど喋らねえ奴が無理した結果がこのザマだ。


「んっと……ところで、凩って歳はいくつ?」


 俺が半ば誤魔化すように年齢を聞くと、凩は右手で指を一本、左手で指を四本立てて突きつける。


「じゅぅぅうううぅよぉぉぉぉんんっっ」

「へぇ~、凩って中学生だったのかぁ」


 そうか、十四歳だったのか……。

 もう少し幼く見えるのは体格と言動のせいだろう。

 まさか、二歳年下の女の子がオルトロスをズタボロのメッタメタのグッチャグチャのフルボッコにするなんて思わないからな。

 ――――ん?

 そういえば、凩がダンジョンにぶち込まれたのって確か五年前とか言ってたな。

 つまり……当時は九歳!?

 一体、どんな悪いことしたってんだよ。

 親の方は何をやらかしてても不思議じゃない感じだけど。


 つーか、九歳なら少年法で刑罰を受けないんじゃなかったっけ?

 あ、いや……。

 そういえば、ダンジョンができた時に刑法と一緒に改正されたってテレビで言ってた気がする。

 『凶悪な魔物の巣窟から日本を救おう』という目的を免罪符にして、騒動のどさくさに紛れる形だ。

 たしか、未成年者の保護や更生といった配慮がかなり薄っぺらになって、小学生でも重罪の場合はダンジョン送り……だったような。

 興味がなかったからうろ覚えだけど、きっと保護観察の人件費削減やら少年院のコスト削減やら、大人の汚い裏事情が絡んでるんだろうなぁ。

 あーやだやだ、どう考えても改正じゃなくて改悪の間違いだろ。

 などと、日本の腐敗について嘆いていると、いつの間にか凩が不機嫌そうに目を細めて、唇を尖らせていることに気づいた。


「えーっと……ど、どうかした?」

「むぅぅう……コガラシわぁぁかぁいくなぁぁいっのでのでのでのでぇぇえぇマユがいいぃぃんだぁぁもンッ」

「…………あー……」


 …………。

 えーーっと、苗字は好きじゃないから名前で呼んでくれ、ってこと……かな?

 凩との会話は、どうにもテンポよくいかないな。

 口調には慣れてきたんだけど、まだまだ俺には難解な言語を使いやがるぜ。

 はいはい、名前ね、名前。

 うんオッケー、相手は年下だしな。


「分かった。これからよろしくな、マユ。……俺としては何でこんなことになったのか謎だけど……」

「にゃっハハハぁぁあ! よぉぉぉろしくネぇえ、てぇぇんちゃぁぁあん」

「て、てんちゃん?」


 てんちゃんっすかぁ……。

 ちょっと初めてのパターンっすわぁ。

 うん、何て呼んでくれても別にいいんだけどね。

 でも、てんちゃんかぁ……。


「てぇんちゃん♪ てぇぇぇんちゃん♪ てんてんてぇぇぇえんんちゃあ~ん♪」


 それにしても……。

 短い間で馴染んできたなぁ。

 理解するのに若干苦労するけど、割と気軽に話はできるし。

 めちゃくちゃ腕が立つから、魔物にビクビクさせられることもなさそうだし。

 表情は残念だけど、後ろ姿だけ見ると普通の女の子だし。

 何より、一緒にいて意外と気が楽だ。

 出会った時にあんな目に遭わされておいて実におかしなことだが、妹の陽芽と歳が近いからだろうか。

 田辺さん達と一緒にいるのも楽しかったが、何ていうかジェネレーションギャップがあったからなぁ。

 ……まあ、マユの場合、世代は近くても埋められない大きな溝が掃いて捨てるほどありそうだけど。


 とはいえ、田辺さん達は優しくて気さくだったものの、みんな歴戦の男、いや漢だったから、どうしても神経を使ってしまった。

 こんな状況で贅沢なことを言うようだが、あまり気疲れはしたくない。

 本当にそんなこと言ってる場合じゃないが、それでも俺にとって大事なことだ。

 給料や会社の規模よりも職場環境を重視するってことさ。

 なので、例えば調味料スキルを生かしてベースで料理人をするという選択肢もあるが、大勢の知らない大人と共同生活ってのは、ハッキリ言って相当イヤだからパスだ。

 そう思えば、マユのお目付け役ってのは意外とラッキーなポジションなのかもしれない。



 ――――と、そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。

 そのふざけた幻想がぶち殺されるのは、わずか数分後のことだった。

 微笑ましく談笑している俺たちの前に、ついに魔物が現れたのだ。

 身長は俺よりも低く、力は平均的な成人男性と同程度という下級な魔物。

 ゴブリン。

 数は、たったの一匹。

 そのゴブリンを見た瞬間、マユは飛び上がらんばかりに狂喜した。


「にゃっっハぁぁアアアア! きたキタきたキタきたキタぁぁあああああっ!!」


 弾けるような笑顔で甲高い叫びを上げながら、マユはリュックサックをまさぐりだした。

 サンタさんからのクリスマスプレゼントの包みを開ける子供のように喜々として取り出したのは……。

 柳刃包丁だった。

 ……もしかして、あのリュックサックって包丁がいっぱい入ってんの? 

 その後、唖然とする俺の目の前で繰り広げられたのは、一方的な殺戮だった。

 まず、ゴブリンは手にした鉈のような物を振り上げる暇もなく、あっという間に距離を詰められると、両腕を豆腐みたいにあっさり切断された。


「グギィィィィイイ――ぶぼっ!」


 次に、苦痛の声を絞り出すゴブリンを、目にも止まらぬ顔面パンチで殴り倒して強制的に黙らせると、筋張って皺だらけの首を容赦なく踏みつけた。

 ズドンッという地響きとベキボギィッという骨が折れる生々しい音が重なった。


 あ、死んだ。


 それきり、ゴブリンはぴくりとも動かなくなった。

 しかし、マユの動きは止まらなかった。

 カッと見開いた目を爛々と輝かせ、口元を大きく歪めて、激しいダンスを踊るように、マユはゴブリンの体を滅茶滅茶に切り刻んだ。


「にゃハハハハ! にゃっはははハハハっ! にゃああっはははははハハハぁぁぁアアアアっ!!」


 ダンジョンの奥の奥まで響き渡る奇声が、俺の体を震わせる。

 固唾を飲む音も、奥歯がガタガタ鳴る音もかき消される。

 ひ、ひィィ……!

 やべえ……やっぱコイツ、やべえよ……。

 俺の焼いた肉をうまそうに食べる無邪気な笑顔は、目前に浮かぶ全く別種の邪悪な笑顔で無慈悲にも上書きセーブされてしまった。

 頼むから、あの笑顔に戻ってくれぇぇ……。

 あぁ、もう思い出せない。

 バックアップを取ってなかった、ちくしょおおお……。

 最初に出くわした時には恐怖しか感じなかったゴブリンに対して、今は憐れみしか感じない。

 もうやめてマユ! とっくにゴブリンのライフはゼロよ!

 と、制止することなどできるわけがなかった。

 俺は純粋にビビっていた。

 これじゃあ、どっちが魔物か分かったもんじゃねえ。

 っていうか、この状況だと、どう見てもマユの方が魔物にしか見えない。


 やがて、「はぁあぁぁああぁぁぁ……♡」という、長い長~い吐息とともに。

 やりきった感を漂わせて脱力するマユが、ようやくオーバーキルをやめた。

 一体、どれだけ経っただろうか。

 かなり長い時間だった気がする。

 もはや、ゴブリンは原型をとどめていなかった。

 マユは、細かい肉片となったゴブリンの一部を片手でぞんざいに持ち上げて、意思のない人形のように首をぐるりと回転させると、すっかり全身が血だらけになった状態で言った。

 まるで、幼い女の子が野山で木苺でも摘んできたかのように、あどけない顔で嬉しそうに言った。


「きょーぉぉおぉおおのゴぉハぁぁンだぁぁぁあぁヨぉぉお✩」

「っ……え……あ……うっ…………」


 俺は、何も言葉にできなかった。

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