第7話 経験値上昇中☆

 俺は、ごくごく平凡な男子高校生だ。

 ごく一般的な家庭で生まれ、父、母、妹と不自由のない生活を送り。

 ごく普通の地元の小学校、中学校を何事もなく卒業し。

 ごく普通の地元の高校に通っていた。

 別に頭は良くもなく悪くもなく。

 別に容姿も良くもなく悪くもなく。

 別に運動神経も良くもなく悪くも……いや、これは悪かった。

 趣味は読書、ゲーム、映画鑑賞、料理。

 部活は帰宅研究部、またの名を自宅警備部、ポピュラーな名称で言うと帰宅部。

 ゆえに、体力だけは平均を大きく下回っていた。

 つまりは、平均を下回るレベルの、どこにでもいるインドア派モブ学生である。


 そんな俺の日常は、実に面白みがない。

 当たり前に学校へ行き、そこそこ親しい友達と他愛のない雑談を交わし、それなりに真面目に授業を受け、みんなが部活で青春を謳歌する中、一人寂しく学校を後にする。

 帰り際、夕飯の献立を考えながらスーパーに行く。

 これも毎日のことだ。

 俺の家は両親共に立派な社畜で、九時近くまで律儀に残業するものだから、父も母も帰りが遅い。

 多分、これがブラック企業ってやつなんだろうな。


 忙しい両親を見て、俺は中学の頃から率先して家事を行うようになった。

 そんなことしなくていい、と父も母も言ってくれたが、疲れきった親を尻目に、部活も勉強もせずにダラダラできるほど強靭な精神力は持ち合わせていない。

 当然ながら、勉強や部活をすればいいだろとツッコミを入れられたが、どうしてもやる気が出ないのだから仕方がない。

 成績トップを目指すつもりもなければ、学友と全国大会目指して熱血するつもりもなかったからな。

 とは言っても、学校生活に不満があったわけではない。

 充実していたわけでもないが、こんなもんだろうと思っていた。

 俺は普通に、何の憂いもない穏やかで安定した日々を過ごせればいいのだ。

 今のご時世では珍しくもない、ただの無気力系の若者ってやつだな。

 

 それに、掃除や洗濯はともかく、料理はそれなりにやりがいがあった。

 最初に作った料理は、文字通り反吐が出るような、食物と呼ぶのもおこがましい凄惨たる物体だった。

 食卓についた両親と妹の顔は、それはまぁ~~ひどいものだった。

 皿に向けられる、ゴミを見るような目。

 俺に向けられる、「どうしてこうなった!?」という困惑と「頼むからもうやめてくれ!」という懇願と「これ食うとか冗談だろ!?」という驚愕が混在した顔。

 俺の被害妄想が多分に含まれているかもしれないが、大体そんな感じだった。

 結局は出前をとることになり、記念すべき初料理は単なる黒歴史となった。


 何はともあれ、それから俺は頑張った。

 食中毒で家族全員を病院送りなんてシャレにならないし、俺自身としてもどうせならうまい物を食べたかったからだ。

 努力の甲斐あって、中学三年になる頃には結構な腕前になった。

 将来は店でも開いたらどうだ、とおだてられるほど家庭内の評価も上々だった。

 特に思い出深いのが、妹のリクエストで作ったオムライスだ。

 俺の妹――日比野陽芽ひめは、寡黙で感情表現の乏しいやつだった。

 仲が悪かったわけではないが、俺も愛想はよくないので言葉を交わすことはあまりなかった。

 そんな陽芽が、ある日ぽつりと言った要望。

 俺は気合を入れて、自画自賛できるハイクオリティのふわとろオムライスを作り上げた。

 その傑作を嬉しそうにパクパクと食べる陽芽。

 呟くような小さな声に精一杯の気持ちがこもった「おいしい」という言葉。

 口の周りにケチャップをつけながら不器用に笑う陽芽の顔を、俺はきっと忘れることはないだろう。

 今にして思えば、あれが俺の生涯における最大の功績だったかもしれない。




 さて。

 走馬灯のように生涯を思い返している場合じゃない。

 俺は今、恐ろしい魔物がウジャウジャと生息するダンジョンにいるのだから。

 しかも、頼りになる熟練の戦士四人はもういない。

 しかも、剣を持たず連れ去られたので手ぶらだ。

 しかも、金属製の防具もオルトロスに破壊された。

 すなわち、初期装備から剣を外した状態、一言で言えば……無、だ。 

 スライムが現れただけで打つ手がない。

 いや、スライムであれば逃げるだけなら可能だろう。

 ともあれ勝てない。

 他の魔物であれば逃げることすらできず殺される。

 そのような絶体絶命の危機にある中、何ゆえに昔のことをのほほんと懐かしんでいたのか。

 その理由は、俺のステータス画面にあった。



NAME:Tenchi Hibino

LV:2

STR:16

AGI:18

INT:23

MP:0/10

SKILL:Seasoning



 なんと、レベルが上がっていたのだ。

 さっきから妙に体が軽い気がしたので、もしやと思って見てみたら驚いた。

 ……といっても、上昇値は微々たるものではあるけれど。

 それでも、数字上は五十%増だ。

 今までの握力が四十キロだったら、六十キロになってるんだぜ?

 百メートル走が十六秒だったら……あれ? どうなるんだろう。

 まあ、それは置いといて。

 レベルも大事だが、最も注目すべき点は別にある。

 一番下のスキル欄だ。


 『Seasoningシーズニング


 確か、英語で『調味料』……だったような気がする。

 ……ハッキリ言おう。

 絶望した。

 もしかしたら、あまりに低いステータスは神ってるスキルを習得する伏線か? とほんのちょっとだけ……いや、ぶっちゃけ大いに期待していたのだから。

 何だよ、調味料って。

 スキルじゃねーじゃん、物じゃん、ざけんな。

 詳細は分からねーけど、戦闘では使えねーってことだけは確かだ。

 アマチュア料理人を自称する俺としては、調味料の大切さを擁護したいところだけど、現状ではどだい無理な話だよ。

 それとも、名前とは裏腹に実は超強力な攻撃魔法なのか?

 唱えただけで魔物が木っ端微塵に消し飛ぶとか、そういうスキルなのか?

 ……いや、ないわー。

 流石に、そこまで妄想できないわー。


 とりあえず、哀れな現実からの逃避はここまでにしよう。

 いい加減しっかりしなければなるまい。

 では、まず現状確認をしよう。

 俺はオルトロスの襲撃から辛くも逃れ、凩親子の話を完全に他人事の気分でテキトーに聞いていた。

 何でも、娘の安全確認のためにお目付け役を選ぶだのなんだの。

 そしたら、いきなりキチ女こと凩マユに連れ去られた。

 五分、いや、十分ほど引っ張られていただろうか。

 唐突に俺は解放され……というか放り投げられた。

 後はもう、知らぬ存ぜぬ、声をかけることも振り返ることもなく、凩はふらふらと歩き出した。

 どこへ向かっているかも分からない。

 そもそも、目的地があるかも分からない。

 俺は一定距離を保って、ただただ凩の後を追っている。

 一人でいたら死ぬからな。

 ……という状況だ。

 うーん、どうしよう……。

 とりあえず、放置はひどくないですか?

 勝手に連れ去っておきながら。


「ふーんふっふふぅぅぅ~ん♪ ふっふふっふふ~~ぅん♪」


 仕舞いには、まるで俺の存在などきれいサッパリ頭から消え去ったかのように、愉快に音痴な鼻歌ときたもんだ。

 いや、待てよ……。

 案外、三歩ほど歩いただけで本当に忘れてしまったのかもしれない。

 そのくらいオツムがやばいことはすでに承知だ。

 しかし、さっきのやり取りを見ていた限り、日本語はギリギリ通じていた。

 本当にギリッギリだけど。

 言葉のキャッチボールができていたかは微妙だけど。

 俺は最初ガン無視されたけど。 

 それでも……。

 それでも一応、親の言葉を聞き、理解し、答えていた。

 ……よし、話しかけてみよう。

 それが正解かどうかは定かではないが、このままじゃダメだ。


「あ、あの――――」

「つぅぅいっっったぁぁぁぁああああああああ!」


 意を決して口を開いた途端、何の前触れもなく凩が大声で叫び出したため、反射的にビクつく。

 び、び……っくりした~~~~!

 つ、ついったー?

 ……Twitter?

 あ、いや、ついた……着いた、か?

 どこに?


 声をかけるタイミングを完全に逸して、口を開けたままポカーンとしていると。

 凩が、ふっと姿を消した。

 否、走ったのだ。

 またしても、またしても唐突に。

 本当、コイツの行動が読めねえ、勘弁してくれマジで。

 誰か取扱説明書をください。

 慌てて追いかけようとした俺の先で、凩は……。


「だぁぁあああああああいぶぅうっ!」


 ホップ、ステップ、ジャーンプッ!

 と……飛んだ…………。

 いつの間にか開けた場所に来ており、高々と五メートル以上も飛び上がった。

 流石としか言い様がない跳躍力だ。

 一体どんだけレベル高いんだコイツ。

 そして、オリンピックの体操選手も驚愕する、見事な三回転ひねりを加えたところで両手両足をガバッと広げ、そのまま無防備に地面へ……。


 どっぽーーーーん!


 激突するかと思いきや、大きな音と水柱を立てて、凩は再び姿を消した。

 キラキラと輝く水しぶきが、俺の頬を叩く。

 気が付けば、そこは泉だった。


「お……おお~~っ……!」


 眼前の光景に驚嘆の声が漏れる。

 学校のグラウンドくらい大きい正方形の部屋。

 その大部分を占める、底までくっきり見通すことができる澄み切った泉。

 天井から無数に突き出た、歴史と自然を感じさせる大小様々な鍾乳石。

 いくつかの鍾乳石は地面まで到達しており、部屋全体を支えるように屹立する石柱となっている。

 ……と、これだけでも十二分に絶景なのだが、この空間をさらに何倍も幻想的かつ美しくしているオブジェクトがある。

 それが位置するのは、まさに中央。

 大型の冷蔵庫くらいの大きさ。

 両端を削った鉛筆のような形。

 限りなく透明に近い薄緑色。

 そんな水晶のような物体が、ゆっくりとゆっくりとコマのように回転しながら、何と……。

 何と、宙に浮いている。

 泉はまるで謎の水晶を避けるように、あるいは包囲するようにドーナツ状になっており、それがまた神秘的な雰囲気を醸し出している。

 水晶が放つ淡い光と、外周を囲む篝火のゆらゆらと揺れるぼんやりした灯。

 それが、波打つ水面や鍾乳石を仄かに照らす。


 俺は、自然にも美術にも芸術にも、一ミリも興味がない。

 はいはい、綺麗だねー、素晴らしいねー。

 ……で? みたいな。

 何それ、おいしいの? みたいな。

 けれど、鬱屈とした狭くて暗~い通路が、うんざりするくらい延々と続くものとばかり思っていた今、ちょっとした感動すら覚えている。

 夢も希望もない陰気な洞穴から、冒険心をくすぐるファンタジーの洞窟へワープした気分だ。


「っぷはあああっ! きぃぃもちいぃぃぃ。ごっくらっくごっくらっくぅぅう♪」


 ザバッと水面から顔を出し、手足をバタバタさせながら歓喜する凩。

 俺がさっきまで不安と困惑でゲロを吐きそうだったってのに、楽しそうに水浴びっすかぁ、流石っすねぇ~。

 と苛立ちを通り越して逆に感心していたら、凩はゴシゴシと衣服を擦り始めた。

 ああ、なるほど、返り血を洗い流してるのか。

 衛生観念とか皆無に見えて意外と潔癖症なのだろうか。

 ……んなわけないか。


 凩から目を離し、俺は謎の水晶を間近で観察してみることにした。

 泉は見るからに深かったが、場所によっては膝下まで浸かる程度の場所があったので、そこを通る。

 俺は血だらけでもキレイ好きでもないからな。

 水晶のすぐ近くまで来ると、かなり暖かかった。

 まるで、水晶から遠赤外線が照射されているようだ。

 通路はジメジメとして若干の肌寒さを感じたが、ここは最高だ。

 体にじんわりと熱が伝わり、湿度も良好のため、素っ裸でも快適に過ごせそうだ。

 仮にも女子のいる前で脱ぎはしないけどね。


 自転する水晶にそっと触れる。

 うわあ、あったかい。

 カイロの代わりに、ちょっと削って持っていったらダメかな。

 というか、どういう原理で浮いてるんだろう。


 ぺた……ぺた……。


「ひぇぇうっ!?」


 不意に、背後から不気味な気配とともに不穏な足音が聞こえてドキリとする。

 ついでに変な声も出てしまう。

 おそるおそる振り向くと、腕をだらりとぶら下げ、背中を丸めて足を引きずるゾンビ……じゃなくて凩が、そこにいた。

 ビビらせやがって……。


「ふわぁぁぁぁあぁ……ねむねむねむぅぅ……。おぉやしゅみなしゃぁぁ……ぃぃぃ……」


 よく分からない言葉をむにゃむにゃと呟いて、凩は前のめりに倒れた。

 そして寝た。

 ほんの数秒で。

 口をだらしなく開けたまま、頭のてっぺんから足の先までびしょびしょのまま。

 小さな寝息を立てて、安らかに。


 マジか……。

 行動が何から何まで不規則すぎる。

 つーか、え? ここ、ダンジョンの真っ只中なんですけど、大丈夫なの?

 いやいや、どう考えても大丈夫じゃないだろ。

 いやいや、でもコイツは、こう見えて長年一人で過酷なダンジョンを生き抜いてきた歴戦の猛者……きっと大丈夫なんだろう……。

 いやいや、でもコイツだよ? 何をしでかすか分かんない凩さんだよ?

 ……結論。

 寝れるわけがない。


「はぁぁぁぁぁぁぁ……」


 俺は大きく長ーいため息をついて、その場に座る。

 一体何なんだコイツは……。

 魔物ではないと分かったが、脳に障害でもあるのだろうか。

 そんな可哀想な年下の少女に振り回され、それでも生きるため血眼になってストーキングするしかない俺って……。


 しっかし、ダンジョンに放り込まれてから色々あったなぁ。

 こんなに驚いたり怖がったり、感情をフル活動したのは生まれて初めてだ。

 まあ、その原因の半分はコイツなんだけど……。

 これでまだ一日目なんて信じられない。

 ドッと疲れた。

 ホント疲れた疲れた……。

 いやー、何か……すげーあったかいし、何か……。

 まぶた重……。

 ねむ…………。


「寝ちゃ……だめ……なん、だ……けど…………」



 そこで、俺の意識は途絶えた。

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