第5話 ドン引きっていうレベルじゃねぇぞ!

「ぅわぁああぁあぁぁチカぃともぉぉっとおっきいいいなああぁあ。どおしよぉぉう……むぅむぅデッスねぇぇえぇえ、むぅむうぅぅぅうぅ……」


 ついにオルトロスの目前まで来ると、キチ女は俺より小さい体で見上げながら呑気にぶつぶつと呟いていた。

 当然ながら、必死の形相で懸命に攻撃をいなしていた田辺さんはビックリ仰天だ。

 後ろ姿からは分からないが、声から驚愕と動揺がまざまざと感じられた。


「なっ……!? お、お前は………!」

「ハイハぁぁあぁイ、おぎょぉぉおぎワルくてぇごめぇぇんネぇえ✩ ばいばぁいドォォォオォん!」


 キチ女は田辺さんの方に向き直ってパンパンと雑に手を叩き、頭をカクンと下げると……。

 何と。

 信じられないことに。

 突然、田辺さんに回し蹴りを食らわせた。


「ぐっっ!!?」


 思いもよらぬ乱入者に思いもよらぬ痛撃を受けた田辺さんは、装備の重量を感じさせない凄まじい勢いで吹き飛ばされて、通路の側面に激しく叩きつけられた。


 な……な…………。

 何やってんだ、この女ああああああああっ!?

 何で化物ほったらかして田辺さんをぶっ飛ばしてんだよ!

 どう考えてもおかしいだろーーが!

 何しでかすか分かんねーとは思ってたけど、それはねえだろおおおお!


 田辺さんは気絶したのか、ドサリと音を立てて倒れると、そのままピクリともしなくなってしまった。

 そんな田辺さんにはもはや目もくれず、キチ女はオルトロスに立ち向かって……。

 ……立ち向かって……ない。

 座っている。

 背負っていた水色のリュックサックを地面に置いて、何やらゴソゴソと中身を漁っている。


「んーんとぉぉおぉ……このコにはどぉぉれがい・い・か・なぁぁああぁ??」


 ……いやいやいやいやいや。

 危ない危ない危ない!

 ヤバい!

 コイツ、マジでいろんな意味でヤバいよ!


 オルトロスはあまりの出来事に混乱しているのか警戒しているのか、はたまた田辺さんに止めを刺そうか迷っているのか、低く唸るだけで今のところ攻撃はしてこない。

 しかし、それもほんのわずかの幸運だった。

 気を取り直したように、オルトロスは前足を高々と振り上げてキチ女に狙いを定めた。


「よぉぉぉおぉおしぃ! こぉぉおぉれにキぃぃぃいぃメたぁぁあっ!」


 そこでようやく、キチ女は何かを取り出した。

 あれは…………ナイフ?

 いや……見慣れた木製の柄、その下まで伸びた切っ先のない四角い刃。

 間違いない、家にはなかったけどテレビで見たことがある。

 あれは…………あれは、麺切包丁だ。


 …………ハ??

 全身が痛くて目をこすることもできないので、何度も目を瞬かせる。

 ……が、やはり何度見ても包丁だ。

 おいおいおいおいおい、何で包丁なんだよ!?

 剣とか斧とか槍とかじゃねえのかよ!

 しかも麺切包丁って! 

 もう、どっからツッコンでいいのか分かんねえ。

 とりあえず死ぬぞっ!?

 上上、上見ろおおおおおおおお!


「タべキレぇるっかっなァアぁぁぁぁあぁぁあ??」


 キチ女はふらりと立ち上がると、頭上に迫るオルトロスの巨大な前足に……。

 前足に……。

 ……何をしたんだ……?

 今、起こったことをそのまま説明すると……オルトロスの前足は、キチ女に直撃する、まさに直前に……。

 バラバラになった。

 無数の肉片がボトボトと降り注ぎ、キチ女の周囲に散乱した。

 当たるはずだった攻撃が当たらず、あるはずの足を失ったオルトロスはバランスを崩し、地響きを立てて横向きに倒れた。


「グォォオオオオオオオオッッ!」


 え…………?

 斬った……のか……?

 あの一瞬で?

 あの凶悪な化物を?

 あの武器(というか調理器具)で?

 嘘、だろ…………。


「さぁぁてさてぇぇえぇえ、たべやすぅいよぉぉおぅにぃぃぃいチョキチョキしちゃぁぁいましょぉぉおぉネェェェエエ♪」


 キチ女は、極小の動きで二メートル以上もあるオルトロスの頭の上へひらりと飛び乗ると、手にした包丁をブンブンと振り回しながら愉快そうに言った。


「まぁずぅわぁああぁぁ……おメメ! クサりやすぅいからぁぁホンジツのめいぃいんでぃぃぃっしゅ!」


 包丁がオルトロスの目に深々と突き刺さる。

 そのまま、缶切りで蓋を開けるようにぐりぐりと目玉をえぐり取っていく。

 相変わらず、顔は満面の笑みだ。


「ぎっこギッコぎぃぃっこぉ~♪ くぅりクリくりクリりぃぃいんっとぉぉお♪」

「グルルルルォォオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 壮絶な痛みでオルトロスが身をよじり、咆哮をあげる。

 当然、上にいるキチ女は前後左右上下へロデオのように揺れ動く。

 それでもキチ女の動きは止まらない。

 むしろ加速する。


「お・つ・ぎ・わぁぁあぁ……おジャマぁなおアシをポぉイしちゃおぉおぅぅ♪」


 ぴょんと頭から胴体に飛び移る。

 そこから包丁を一振り、二振り、三振り。

 たったそれだけだった。

 それだけで、オルトロスの四肢は残さず綺麗に切断された。

 切断面からドス黒い血液が大量に噴き出す。

 想像を絶する速さではあったが、あの刃渡り、あの武器(というか調理器具)では到底あり得ない。

 何かのスキルを使ったのだろうか。

 この時点でもう、オルトロスはかろうじて生きてはいたものの、ぐったりとして息も絶え絶えだった。

 だが、キチ女の凶行はなおも続く。


「にゃハハぁぁ! オトナしぃくなったのでぇぇぇおつぎわぁぁあ……おナカぁのナカぁぁをみてみよぉぉおぉうぅっ」


 ストンと地面に降り立ち、オルトロスの腹部に一閃。

 死んだ。

 オルトロスは一瞬、ビクンと痙攣し、絶命した。

 だが、やはりキチ女の凶行はなおも続く。


「うにゅぅぅうぅ……ナイゾウわぁドォォコがたべられぇぇるぅのかぁなぁぁ? ……あっ! はーとがとぉぉってもキレぇぇえぇぃい♡ ココわたべちゃおぉぉぅうにゃっハハハハぁぁあぁ!」


 キチ女はオルトロスの内臓をぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃとかき回し、そんなことをオモチャで遊ぶ子どものように言ってのけた。

 頭のてっぺんから足のつま先まで、赤黒い血に染まりながら。

 実に楽しそうに。

 年相応に、無垢に、無邪気に、はしゃぎながら。

 はっきり言って引いた。

 ドン引きである。

 当たり前だけれど、言うまでもないことだけれど、ただただ引いた。

 そして、同時に恐怖した。

 コイツは、やっぱりヤバイ。

 組長は人間だって言ってたけど、新手の魔物としか思えない。

 結果として助けてもらった今でもそう思う。

 いや、オルトロスをいじり終えたら、今度は俺達に狂気が向けられる可能性は十分にある。

 むしろ、そうなる予感しかしない。

 逃げないと……。

 田辺さんを連れて、早く……!


「きょーぉわおメメぇぇでアーシタぁわおナカぁぁでさぁぁいごにおぉニクぅをたぁぁぁべよっかにゃァアアァア♪」


 ――――でも…………。

 でも……何でだろう。

 俺は、このキチ女から、目を離せない。

 何でだ……。

 凶器を持って、血にまみれて、笑みを浮かべる、小さな女の子……。

 かぶる……。

 そうだ、かぶるんだ。

 あの時の、アイツと……。

 俺の中の記憶が……俺の目を釘付けにしている…………。



「――おいっ! そこにいるのぁ日比野か!? 無事かオメェら!!」


 不意に、背後から凄みのある太い声が聞こえてきた。

 猟奇的現場からようやく目を離すことに成功した俺は、痛みをこらえて後方に首を曲げる。

 そこには組長、もとい凩剛健と五人の男の姿があった。

 俺達の様子に気づくと急いで駆け寄ってきた。


「大丈夫かっ!? すげえ地響きだったじゃねえか。一体何があった!?」


 俺は伝えたかった。

 オルトロスが現れたこと。

 俺と田辺さんを残して、みんな死んでしまったこと。

 正体不明の猟奇的なキチ女が現れたこと。

 そのキチ女がオルトロスを瞬殺したこと。

 しかし、あばらが折れて全身を打撲して息をするのも苦しくて、とてもじゃないがヒューヒューと浅い呼吸を繰り返すことしかできない。


「こいつぁひでえ……。おい、ヒーリングだ! 急げっ!」


 切迫した凩さんの言葉に一人の男が返事をし、俺の傍で膝をつき手をかざした。

 そして、男は「ヒーリング」と唱えると淡い光が俺を包み、痛みが急速に遠ざかっていった。

 おおっ……!

 回復魔法まであるのか。

 いいなぁそれ、欲しい。

 こんな状況ながら、俺はそんなことを思った。


「う、うわあああっっ!?」

「これ、は……し、死体……!」

「なん……ってこった……。一体、こりゃ、どういう……」


 男達が床に散らばる死体に気付く。

 どうにか喋れるようになった俺は、起こったことを端的に説明する。



「そう……か……。すまねえ、俺の失態だ。この頃、魔物の動向がおかしいたぁ思ってたが、まさかこんなとこにオルトロスが出るとは……」

「ンもぉぉおぉぅう、イィィィイトコなぁのにウルっさぁぁあぃナァァ……。このコがオきちゃぁぁうデッスよぉぉお? ぷんぷんだぁヨぉおぉぉ??」


 ここで、キチ女がついに手を止めて口を出す。

 凩さん達はオルトロスの巨体に隠れるキチ女に初めて気づいてギョッとする。

 驚いている理由は、全身が返り血で染まっているからだろうか。

 それとも、こんな少女が一人でオルトロスを倒したからだろうか。

 それとも、口に細長い内臓を咥えながらニタニタと笑っているからだろうか。

 ……多分、全部だな。

 キチ女は内臓をぺっと吐き出し、口を尖らせながらオルトロスの頭部の横までふらふら歩み出る。

 そして、片目を無残にえぐられたオルトロスの恐ろしい顔を軽々と持ち上げると、両手で口をパカパカと開けながら、わざとらしい低音を作って子どもっぽい演技を始めた。


「わんわんっ! ウルさぁぁいぞぉぉぉお! オレのネムりぃをぉジャぁぁマするなぁぁあ! おマエらみぃぃぃんなカムカムしちゃぁうぞぉぉおぉお! ……っぷ、にゃハハハハハハハハハハハぁぁぁあぁあ!」


 うーーーーわ…………。

 凩さん以外の男が、一瞬で苦虫を噛み潰したような顔になると、ウッと声を詰まらせて後ずさる。

 物理的には半歩だが、心理的には地球を何周かしちゃうくらい離れたはずだ。

 気持ちは大変よく分かる。

 そんな俺達の心情を百パーセント察していないキチ女は、何がおかしいのかさっぱりだが、お腹を抱えて大変愉快に笑っていらっしゃる。


「にゃはハハハハハハハ! わんちゃぁぁんほぉぉおんとカァぁぁわイぃいなあああ♡ ニャあっハハハハハあぁあぁぁアアッ!」


 キチ女の甲高い笑い声だけが、けたたましく響き渡る。

 そんな中、凩さんは毅然とした態度でズカズカと前へ進み出る。

 その表情から、どんな気持ちを抱いているかは推測できない。

 凩さんは、大きな大きなため息をつき……ゆっくりと口を開いた。


「お前は……本当に相変わらずだな、マユ。元気そうで、まあ……何よりだ」

「ぅんんんん? あるぇれぇええ、よぉぉくミたらぁぁ……パパだぁあああ!」


 ……。

 …………。

 ………………。

 …………………………え?

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