3 - 5 「モフモフにぎにぎ」

 暖かい何かが身体に流れ込んでくる。


 非常に心地いい。


 このままずっとこうしていたい。


 そう思いつつも、徐々に覚醒していく意識。


 目を開けると、相変わらず視界に映るのは歪んだ三日月型に切り取られた世界だ。


 だが、唯一違かったのは、その先に見える狐耳だった。


 ぴくぴくと動くその可愛らしい耳を、無意識に掴んでしまう。



「き、きゃぁ!? だ、だめだよ!? にぎっちゃ、だ、きゃぁ、だめ!?」


「黙ってもっとモフらせろ(えっ?)」



 寝起きのせいで気が回らず、つい言葉を発してしまう。


 誤変換されたその発言に、きっと膝枕してくれているであろうその娘が弱々しく答えた。



「う、うん……」



 恥ずかしそうに全力で目を瞑って耐えるその表情が見えて、いたたまれない気持ちになるハルト。



(す、すげぇ罪悪感と忌避感で頭がズガンズガンするぅうう!)



 自分の愚かな行為に、再び意識を飛ばしかけるも、必死で堪える。


 だが、身体がいうことを聞かなかった。


 ハルトの意思とは無関係に、幼気な娘の狐耳をパフパフモミモミと堪能し続ける両手。



「……んん……んっ……」



 モジモジと身悶える娘っ子。



(馬鹿野郎かぁあああ!? 相手の年齢を考えやがれぇえええ!?)



 全身の意思系統を叩き起こし、文字通り全身全霊で、勝手に動く両手の意思を奪い返そうと戦うハルト。


 ハルトの意識の力が勝り、少しずつ手が耳から離れる。


 耳を解放された娘っ子は、ハルトの魔の手から大切なものを隠すように、素早く両耳を手でおさえた。


 顔は茹で蛸のように真っ赤っかだ。


 耳を解放されて少し安心したのか、狐耳の娘は、身体を丸めながらホッと溜息のような吐息のようなものを吐いた。


 だが、ハルトは膝枕されている状態だ。


 娘がその体勢から背を丸めるとなると、当然、膝に頭を乗せられているハルトの顔へと身体が覆い被さる形になる訳で……


 首元にその子の生温かい吐息がかかり、全身をゾクゾクっという感覚が駆け巡る。


 駆け巡る。


 駆け巡る。


 まだ駆け巡る。


 その甘美な刺激は、身体のあらゆるものを総立ちさせた。



(ぐはぁあああ!? 何この感覚ぅうう!? ヤメてぇえええ!?)



 異常に、いや異常過ぎるくらいに敏感な首元に、心は冷や汗をかき、身体は急激に熱を帯びていく。


 そして荒くなった呼吸によって仮面から漏れ出る白い靄は、火照った身体とは真逆に、とても冷んやりしていた。


 もはや暑いのか冷たいのか分からない状況だったが、これ以上、身体の暴走を許してなるものかと、狐耳娘の膝枕から逃れるように横に転がるハルト。


 狐耳娘が「あっ」と言って少し残念そうな表情をしたように見えたが、これもきっと錯覚だろうと自分を律した。


 誰?と聞こうとして、すんでのところで踏み止まる。



(あ、危ねぇ…… また喋るところだった…… でも、どうやってコミュ二ケーション取ればいいんだ? 確かこの子、盲目って言われてた子…… だよな?)



 話せない男と、見えない女。


 絶望的な状況に、その場に暫し立ち尽くす。


 周りを見回すと、所々崩れた石壁と、継ぎ接ぎされた布と木で応急処置された廃墟のような部屋の中にいるようだった。


 周囲を見回すハルトの動きが分かったのか、狐耳娘がハルトに語りかけた。



「ここは、悪いひとの、お家、だよ?」



 だが、ハルトは返事をしたくても返事ができない。



「何で、黙って、るの?」



 不安そうな表情になる狐耳娘。



(だぁー! どうすりゃいい!? と、取り敢えず握手しておこう!)



 突然手を握られた娘は、ビクッと身体を縮めたが、それが握手だと分かると、警戒を緩めたのだった。



「う、うん。わたし、シロ、だよ。あなたの、お名前、は?」



(ぐぐ…… 素直に名前言えると思えないしなぁ…… 名前を書いて見せても、この子目が見えないし、そもそもこの世界では文字も違うし…… って、この子文字が元々読めないかもしれないのか…… い、いや、ダメ元でやってみる価値はある。取り敢えず、バツ字くらいは共通だよな? 掌のバツ書いて見よう……)



 ハルトがシロの掌にバツ字を書くと、シロは首を傾げた。


 ダメかと思ったが、次の言葉で活路が見える。



「バツ? ダメって、こと?」



(おっ! 通じた! これならイケる!!)



 バツが通じるならと、今度はマル字を掌に書く。


 すると、シロは少しくすぐったそうにしながらも、うんと頷いた。



「まる、だね。お名前、話せ、ないの?」



(もちろん、ここはマルっと)



「わかった。お名前は、バツだね。言っちゃ、ダメ」



(ちょっと違うけど、まぁいいか。マル、と)



「うん、お名前、内緒」



 シーと指を口に当てて話すシロが可愛くて、つい抱き締めたい衝動に駆られる。



「きゃぁ!?」



 否、意思とは無関係に、勝手に抱き締めていた。



(糞がぁあああ! 自重しやがれ馬鹿身体がぁああ!?)



 どさくさに紛れて、頭を撫で撫で、耳をモミモミ、尻尾をモフモフし始める。


 そのハルトの手に、シロが堪えるように身体をギュッと縮めた。


 それは恥じらいの反応というより、“怯え” の反応という感じがした。


 当たり前だろう。


 つい先ほどまで、山賊に乱暴されそうになっていたのだから……


 狐耳娘の反応に、ハルトの理性が完全復活する。



(おいハイデルト。いい加減にしろよ。俺の命令聞けないなら腕切り落とすぞ)



 殺気を込めて自身を律すると、身体の意思が完全にハルトへ戻ってきた。


 だが、その殺気がシロにも伝わってしまったらしく、シロは腕の中で小刻みに震え出してしまう。



(ああ、くそ! 失敗した!!)



 謝れず、かといって慰められず、もどかしい気持ちになるハルト。


 少し迷った末に、ハルトがとった行動は、先ほどと同じように抱き締めることだった。


 だが、先ほどのイヤラシイ手付きではなく、泣いた子供をあやすように、背中をポンポンと優しく叩いた。


 少しずつシロの震えがおさまっていく。


 強張った身体も、徐々に力が抜けていっているのを感じた。



「お、お父さん、みたい」



 シロのその言葉に、ハルトの胸が締め付けられる。



(こんな幼い子を…… あいつら…… 許せねぇ……)



 優しくシロを離すと、シロが少しだけ顔を上げた。


 可愛らしい淡い灰色の狐耳がフルフルと動き、ハルトの動きを把握しようとしているようだ。



「どこ、行くの?」



 そう言ったシロの顔は少し寂しそうであり、不安そうだった。



(そんな顔されたら放っておけないだろ…… まぁ目が見えない子を、こんなゴチャゴチャ物が散乱してる場所に、一人残して置けないか。倒れて怪我でもしたら大変だ)



 シロの手を優しく握ると、引っ張り上げて立たせる。


 すると、シロの足が視界に入った。


 素足だった。



(お、おいおい。素足って、危ないだろ。怪我は…… ないみたいだけど。仕方ない。抱き抱えていくか)



「あっ……」



 シロを抱き上げると、シロはハルトが想像した以上に軽かった。


 いや、軽すぎた。



(腕も異常に細いし、単純に栄養失調気味なのかな…… 可哀相に……)



 同情心が湧きあがる。


 だが同時に、何もできない自分に情けなくもなった。



(無力過ぎて情けないな…… いや…… 日本にいた頃と違って、この世界での俺には特別な力がある…… なら、どうにかできるはずだ)



 決意を胸に、シロを抱きかかえて立ち上がるも、いきり立った下半身が邪魔して前傾姿勢になってしまう。


 なんだか今一締まらない感じだ。


 せめて、自分の硬く汚いものがシロが触れないよう、最新の注意を払う。


 部屋から出ようとすると、丁度誰かが走ってくるのが分かった。



「ジョーカー!? も、もう大丈夫なのかニャ?」



(あれは…… 確か牢獄要塞フォートプリズンで助けた猫耳……)



 取り敢えず頷く。


 不用意に近付くと警戒される見た目をしているのは自覚しているので、その場に立ち止まり、何もせず頷くだけに留めた。



「そ、そうかニャ。それは良かったニャ。ジョーカーの目が覚めたなら、もう安心ニャ。皆に紹介するから早く来るニャよ!」



 ミーニャが早口でそうまくし立てると、逃げるようにさっさと去っていくミーニャ。



(やっぱりこの見た目じゃ怖いのか…… 逃げるように去っていったぞ……)



 ハルトがシロを抱きかかえながら暫しアジトの中を迷い、ようやく外へ出ることに成功すると、そこには奴隷だった女達と、その女達を取り囲む山賊達が、突然アジトから姿を現したハルトを、化け物を見るかのような目で――実際に化け物みたいな見た目だが――怯えるようにして、その一挙一動に神経を尖らせていた。



「山賊は殺しておくのが正解だったかニャ…… 失敗したニャ……」



 短剣を構えたミーニャが、周囲の惨状に苦々しい顔をしながら歯を食いしばった。


 地面には、血溜まりの上に転がる男女の死体が複数。


 女達の中には、山賊達に再び捕まり、首に剣を突き付けられた状態の女もいた。


 すると、ハルトに気が付いた山賊達が騒ぎ始める。



「き、来た! 化け物だ!!」


「少しでも変な真似してみろ! お、女どもを皆殺しにするぞ!!」



 腰の引けた山賊達が精一杯の脅しをかけてきた。



(ま、マジか…… ど、どうしよう……)



 少し気分が良くなったとはいえ、まだ足元がふらつき、倦怠感で身体は鉛のように重い。


 一部を除いて絶不調だ。


 さすがにこの状態では勝てる気がしない。


 弱気になるハルトとは対照的に、ミーニャはハルトの登場で強気になり始めた。



「死にたいなら止めはしないニャ。伝説の殺し屋ジョーカー様の地獄の炎で焼き殺されるといいニャ!!」



 ビシッと音が出そうなくらい勢いよく指さされた山賊達は、それだけで「ひぃ」とか細い悲鳴をあげて後退った。


 優勢を悟り、ますます調子付く猫耳。


 その尻尾は、ピンと空を向いて立っている。



「最初に焼き殺されたい奴はどいつニャ!? 武器を捨てれば、命だけは助けてやってもいいニャよ!?」



 一歩前に踏み込む。


 だが、ミーニャの予想に反して、一人の山賊が「ふざけんな!」と反論したのをきっかけに、雲行きが怪しくなった。



「て、てめぇらこそ、言うこと聞きやがれ! 聞かねぇなら、全員こうしてやるぞ!!」



 後に引けなくなった山賊が、組み伏せていた女の首を剣で切り裂いてしまう。


 声にならない悲鳴をあげて絶命する女。


 斬られた首の皮膚からは、真っ赤な血液が、どくどくと脈打ちながら吹き出した。


 その光景に、周りの女達が怯え、口から漏れそうになる悲鳴を手で押さえ込む。


 目立った行動をすれば真っ先に殺される。


 そう感じた故の行動だろう。



「げ、開き直りやがったニャ……」



 今度はミーニャが歯を食いしばる番だった。


 すると、一人の山賊がハルトを見て狼狽し始める。



「お、おい! てめぇ、や、やめろ! その白いの出すの止めやがれ!!」



 そう言われたハルトの仮面の隙間からは、白い靄が再び地面へと垂れ流されていた。



(おわ!? いつの間に…… 駄目だ。緊張すると出る。だけど、躊躇ってても人質が殺されるなら、被害が少ないうちに助けないと…… 頼む! 森の皆! もう一回力を貸してくれ!)



 ハルトが願うと、森が枝葉をぶつけ合い、バサバサと音を立て始めた。



(良かった。寝て起きたらもう使えなくなっていた――なんてことはなかった。これなら魔力枯渇して気を失う心配もなく対処できる)



 森のざわめきを聞いた山賊達は、一斉に顔面蒼白になった。


 そして、その恐怖に耐えられなくなった者が武器を捨てて逃げ出す。



(あれは、見逃したら駄目な悪人だよな…… 甘さは命取りになる。そうだな…… うん。殺そう。殺して土の養分にした方が森の役に立つだろうし)



 もはや目の前の山賊達を人と認識しなくなったハルトは、森の新たな養分にしてくれと、森に山賊達の殺害を命令した。



 そこからは、森による、山賊達への惨たらしい殺戮シーンのオンパレードだった。



 その森の殺戮は、木々の間を通り過ぎようとした男に、鋭い枝の鞭が迫り、その男の頭部を弾き飛ばす光景から始まった――


 低木を飛び越えようとした男には、地中から根が飛び出し、その男の足首に絡みつくと、低木の地面に穴が開き、そのまま地中へと生きたまま引きずり込んだ。


 大木に背を預けて隠れた男には、そのまま大木がのしかかり圧死させた。


 他にも、蔦に絡みつかれ、そのまま絞殺された者。


 目や鼻や耳という穴という穴から根が入り込み、窒息死した者。


 両手両足を引きちぎられた者。


 全員が全員、悲惨な死を迎えたのだった。



 その光景を、震えながら見守ることしかできない女達。


 全ての山賊が死に、森がいつもの静けさを取り戻すと、女達のすすり泣く声が響いてきた。



「さ、さすがはジョーカー様ニャ。悪人には容赦ないニャ」



 ミーニャを無視してシロを地面におろす。


 地面に立ったシロは、目を瞑ったまま、ハルトがいる方向へ顔を向けた。


 洋服の端を摘まんだまま、何も言わず耳をぴくぴくと動かしている。



(シロどうしたんだろ…… 怯えている訳でもなさそうだし…… あ、今気付いたけど、おれの身体微妙に綺麗になってる? これもシロが……? いや、でも目が見えないならどうしようもないか。他の誰かが介抱してくれたのかな?)



 ハルトが自分の手や腕を確認していると、何かを察したのか、シロが小声で話し始めた。



「シロ、きれいにする魔法、つかえるの。でも、ないしょ。みんなに、言ったら、だめなの。ママとの、やくそく」



(綺麗にする魔法…… そんなものがあるのか。ってことは介抱してくれたのはシロか! 目が見えないのに…… なんて健気な子なんだ……)



 庇護欲を刺激され、胸がきゅんきゅん――いや、ぎゅるんぎゅるんと呻りを上げた。


 その激しい胸の動悸に、ふらつくハルト。



(くっ…… や、やめろ…… も、もう新しい扉は開きたくない!!)



「だ、だいじょう、ぶ? まだ、いたい?」



 ――ぎゅるんぎゅるんぎゅるぎゅるぎゅる……



(や、やめろぉおおお! 制御できなくなるぅううう!!)



 眼を見開き、息を止め、とにかく全身の意識をフル動員して自制する。


 そんなハルトのもとへ、ミーニャがやれやれ顔で近付いてきた。



「ふぅ、やっぱり悪人を生かしておいてもいいことないニャ。奴らは死ぬまで学ばない馬鹿な生き物なのニャ」



 そのまま無言でミーニャを見つめるハルトへと接近する。


 どうやらさっきまでの怯えは薄れたようだ。



「ミーニャ、ちょっと勘違いしてたニャ。ジョーカー様はやっぱりいい奴ニャ。ミーニャを一度だけでなく、二度も助けてくれたニャ。あ、さっきので三度だったニャ。見た目は怪物だけど、悪人に対しても容赦ないけど、中身はきっと優しい…… 何族ニャ?」



 そう言いながらハルトの肩へと寄りかかってくるミーニャ。



「角はあるけど、尻尾はないニャ。仮面の下は…… 真っ暗で見えないニャ。手や腕を見る限り、亜人族に見えるニャ」



 ハルトへの恐怖心が緩んだのか、ミーニャのボディータッチが急激に激しくなった。


 ミーニャはハルトの身体をぽんぽんと手で叩きながら、ハルトという人物を観察し始めていく。



「筋肉質というほど筋肉質じゃないニャね。おっぱいもニャいニャ。やっぱり男かニャ。お腹のくびれは凄いニャ。ん? 片方だけくびれてるニャ? ローブ越しじゃ分かりにくいニャ。あっ、前に付いてるものはニャにかニャ?」



 ふと、ハルトの下半身部分に突き出ていたモノに気付く。


 すると、ミーニャは何も考えぬまま、そのまま条件反射でそれを掴み取るかのように、ハルトのローブをテント型に突き上げていたモノを勢いよく握った。



 にぎにぎ、にぎに……



「………………」



 二人の時が止まる。


 変化が起きたのは、ミーニャが握ったモノが先だった。


 そのモノの先端――漆黒のローブの色が、じわりと濃く滲む。


 ミーニャは握る瞬間の表情を張り付けたまま、瞬き一つしない。


 否、瞳の光は消え、少しずつミーニャの前身の毛が逆立ち始めていた。


 ミーニャの握るそのモノだけが何かを訴えるかのように、ビクビクと躍動しながら、ミーニャの手と一緒に微かに動いている。


 依然としてミーニャは動かない。


 ハルトも同様に動かない。


 一部を除いて……


 脈打つように上下に動いていたそのモノも、次第に動きが弱くなっていく。


 そのモノの動きが停止すると、今度はミーニャの時が動き始めた。


 ミーニャは、得体の知れないモノからゆっくりと手を放すと、ハルトと視線を合わさないよう視線を上げず、そのまま何もなかったかのように、音も立てず後退していった。


 そして、握られたハルトはというと……



 突如全身を稲妻が貫いたような、圧倒的な刺激の強さに――




 ショック死していた。


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