第三章「魔王建国」

3 - 1 「呪われたままの姿で」

 


 ――気付けば、そこは森の中だった。



(また…… 振り出しかよ……)



 森の中で大の字になりながら、歪な三日月型に切り取られた空を見上げる。



(はぁ…… なんか…… 疲れたな)



 どっと疲れが押し寄せてきた。


 地面に接している背中や尻に心地よい圧力がかかり、自然と瞼が重くなっていく。


 そのまま眠りへ落ちようとしたハルトを、頭に直接響いてきた声が強引に呼び戻した。



『……お主、まだ生きているか?』



 その言葉に眉をしかめるハルト。


 勝手に殺すなよと言う不満と、緊急時に消えておいてようやく現れた第一声がそれかよという呆れ、更には、人が気持ち良く眠ろうとしているのを邪魔しやがって!という憤りと、色々な感情が一斉に湧いた故の表情だった。



(取り敢えず寝かせてくれ…… 無性に眠いんだ……)



 ハルトの言葉に沈黙で答える炎の雄牛ファラリス


 少しの間沈黙が続き、ハルトが再び眠りへ落ちようとした瞬間、炎の雄牛ファラリスの声が再びその眠りを邪魔した。



『……死ぬ気か?』


(……はっ?)



 炎の雄牛ファラリスは一体何を言い出すんだと、ハルトの思考にクエッションマークが浮かぶ。


 だが、それは炎の雄牛ファラリスの次の言葉で理解することができた。



『お主の身体…… 半分斬れておるぞ……』


(……えっ?)



 ドクンッと心臓が高鳴る。


 それと同時に、直前の光景がフラッシュバックされた。



(も、もしかして!? か、完全には間に合ってなかった!?)



 急いで身体を起こそうとするも、上手く力が入らない。



(く、くそっ! ど、どうなってる!? 俺の身体!?)



 力を振り絞って上半身だけ起こすと、青々とした周辺の地面一体が、真っ赤な血で染まっていた。


 そしてその中心には、腹あたりの黒いローブが半分くらい斬れているのが見える。



(ひ、ひぃぃいい!?)



 ハルトがパニックを起こしかける。


 ローブの下に、腸が溢れでたイメージが頭をよぎった。


 勿論、その後に訪れるのは、冷たい “死” だ。



(し、死にたくない…… い、今死んだら、転生できない…… 悪人は…… 転生でき……)



 そこまで考えて、ふと気付く。



(痛みが…… ない……?)



 ハルトの疑問に、炎の雄牛ファラリスが答えた。



『お主の傷はワシが塞いでおいた。お主より先に目を覚ましたのがワシで助かったな。後少し遅ければ、いくらお主と言えど死んでおったぞ』


(なんだよぉおお…… それを先に教えてくれよぉおお……)



 脱力した。


 だが、現状はそう楽観視できるものではなかった。



『勘違いするな。ワシは一時的に傷を塞いだだけだ。傷は治っておらん。早急に治療は必要だ。ワシは回復魔法が使えないからな。本来のお主であれば回復できぬ傷ではないと思うが…… 回復魔法が使えぬのであれば仕方ない。何処かその身体を癒せる場所を探した方が良いだろう』


(傷…… 治ってないの? だって今塞いだって……)


『そのままの意味だ』



 恐る恐る手を腹へと伸ばす。


 すると、筋肉の膨らみしかないはずの右腹に、あるはずのない深い溝――ならぬ、深い切り込みを発見した。


 それは腹に突然できた大きな口のようだった。



(ふ、塞いだって…… なんで切り口をそのままくっつけてくれなかったの……?)


『知らん。先ほど言っただろう。ワシは回復魔法が使えぬと。傷口を無理矢理ワシの魔力マナで焼いて止血したにすぎん。切り口の断面図に沿ってな。痛みがないのは、ワシの再生力のお陰だろう』


(ま、マジか…… )



 ぱっくりと割れた横腹を、恐る恐る触り続ける。


 すると、突然グォオオオオという低音が腹から響いた。


 驚いたハルトが手を引っ込める。



(びっくりした…… って、ただの腹の音かよ…… そう言えば…… ずっと何も口にしてなかったっけか……)



 鉛のように重くなった身体をなんとか動かし、近くに落ちていた太い枝を支えにしてゆっくりと立ち上がる。



(は、腹に力が入らない…… ぐっ…… な、なんだこれ…… か、身体が…… くっそ重い……)


『純粋に血が足りないのだろう。それと魔力欠乏だな。お主程の異次元魔力貯蔵量マナタンクを持つ者が魔力欠乏とは、一体何をしたんだ?』


(何って…… えっ? 記憶覗けるだろ?)


『それがな…… まるで黒い靄がかかったように、ワシが眠っていた間の記憶だけ見れぬのだ。一体何があった?』


(それは……)



 思い出そうとした瞬間、鈍器で頭を殴られたような激しい頭痛がハルトを襲った。



(うぐっ!? ぃ、痛ぇ……)



 急に蹲るハルトに、炎の雄牛ファラリスが「ふむ」と何か納得したように呟く。



『禁忌の類いか…… お主、相当厄介なものを抱えているようだな』



 一向に痛みから復帰してこないハルトへ、炎の雄牛ファラリスが言葉を投げかける。



『もう思い出さなくて良い。無理に禁忌を叩き起こすこともないだろう。あれは触れてはいけない類いのものだ。ワシも忘れるとしよう』



 ハルトが痛みから解放され、ようやく動けるようになったのは、それから数分後のことだった。


 ハルトは木の枝を杖代わりにしながら、食料と水を求めて、森の中を当てもなく移動を始めた。





 ◇◇◇





 森の中を進むこと数時間。


 ハルトは、茂みの中に身を隠していた。



(あれ…… 人間だよな……)



 視線の先には、粗暴な格好の男達と、首輪と鎖に繋がれた女達が見える。


 女達は、男が引く鎖に引っ張られるようにして森の中を進んでいた。



(木々が指し示す方角へ来てみれば…… 確かに人は居たけど、これ、どう見ても山賊か人攫いじゃん……)



 ハルトには、樹人ツリーフォークから貰った「樹人ツリーフォークの指輪」がある。


 その指輪に願うと、不思議なことに、森がハルトに力を貸してくれるのだ。


 ハルトが人のいる場所へ行きたいと願うと、見た目は何の変哲もない普通の木々が、その枝を皆同じ方角へ差し向けた。


 木々が指し示す方角へ歩き続けた結果、樹海のような森奥で、人間に遭遇することができたと言う訳だ。



(どうすっか…… 流石に体力の限界だ…… お腹空いたし喉もカラッカラ…… それに腹が割れているせいで満足に歩けない…… でもなぁ、相手が相手なんだよなぁ…… どう見てもガラの悪い山賊。いや、山賊って決まった訳じゃないけど……)



 ハルトが、彼ら人間――元い、この世界での人族の前へ姿を見せることに躊躇するのは、他にも理由があった。



(例えあれが山賊じゃなかったとしても、俺がこの見た目だしなぁ……)



 頭に生えた二本の大角。


 それに外れない仮面――口に出した発言を、正反対の汚い言葉で上書きするオプション付き。


 漆黒のローブと、血と汚れで赤黒く染まった素肌。


 おまけに、獣の如く低い唸りを上げる空腹音だ。



(見た目が怪物。しかしながら無闇に言葉すら発せない状況。そして全身からは濃い血の匂い…… なんだ、ただの無理ゲーじゃないか)



 溜息しか出ない。


 だが、その溜息すらも、呪いの仮面の効果で、白い煙となって仮面から溢れ出ていた。



(溜息すら許されないというのか……)


『難儀なものだな』


(くそ…… 他人事のように…… そう思うなら、この角消してくれ!)


『それは出来ん』


(……はぁ)



 この世界に来てもう何度目になるかも分からない溜息を吐く。


 魔法を使えるようになったはいいが、自身を取り巻く状況は一向に好転してくれない。


 最初は受け入れていた “死” も、この世界で罪を犯したことで、いつの間にか “死” への恐れも強くなってしまっていた。



(転生するには、善い行いを…… か)



 大量虐殺の罪を清算し、転生できるほどの善い行いとは、一体どれくらいの善行を積めばいいのか。


 考えれば考えるほど、気分が憂鬱になっていく。



(俺の転生…… 終わったな……)



 再び溜息を吐く。


 溜息は白い煙に変わり、先ほどから大量生産されるそれは、ドライアイスを水に入れたときに出る水蒸気のように、もくもくと地を這うように四方へ広がっていった。



(はぁ…… こうなったら、この世界で悔いが残らないようにやりたいことをやろう。好きに生きよう。そうだ、せっかくの二度目の人生だ。好き放題やって満足して死ねばいいじゃないか)



 一周回って開き直ったハルトに、炎の雄牛ファラリスが注意を促す。



『気付かれるぞ』


(……えっ?)



 角が茂みから出てしまっているのか思い、少し身を屈めた。



『違う。下だ』


(下? 下って…… あっ)



 視線を下げると、先ほどまで新緑の絨毯が敷き詰められていた場所は、真っ白な煙が流れる運河のように様変わりしていた。



(な、なにこれ…… あ、もしやこれか!)



 地面を這う煙が、仮面の隙間から大量に溢れ出てることに気が付く。


 だが、既に遅かった。


 地を這う煙は、ハルトの意思とは無関係に男達の方まで流れてしまっていた。



「な、なんだこれは!?」



 それに気付いた男の一人が声を上げる。



(げ…… 気付かれた…… と、取り合えず、このままじっと隠れてよう…… )



 茂みから飛び出す訳もいかず、そのまま息を殺して隠れ続けるハルト。


 しかし、男達の警戒は最高まで高まっていた。


 首輪に繋がれた女達の顔にも恐怖の色が浮かぶ。


 すると、先導していた男の一人が戻ってきた。


 他の男達より貫禄がある。


 その男が腰を屈めて、足元の煙を手ですくうと、その出所の方角へと目を向けた。



(お、おお、やばいやばい…… 見つかる!? 見つからない!? 大丈夫? 大丈夫だよな? よ、よし…… そのまま見つけるなよ…… 見つけるなよぉ…… )



 ハルトの願いが届いたのか、男は茂みに隠れていたハルトには気が付かなかったようで、すぐ様立ち上がると、周囲の男達へ向けて警戒を促した。



「得体の知れねぇーやべぇーもんが近くにいる。早くここから移動するぞ」


「お、おう! お前らとっとと歩け! ほら!」



 男達が鎖を引っ張り、女達を強引に急かす。


 鎖に引っ張られた女達は、皆苦悶の表情を浮かべつつ、覚束ない足取りで森の中を進んでいった。



(あの女性達…… 奴隷か何かかな…… どうしよう…… やっぱり助けた方がいいよね…… いや、助けたい気持ちはあるんだ…… なら迷う必要はないか…… どうせ一度は終わった人生だし…… 見た目は怪物だけど…… 魔法も使えるし、炎の雄牛ファラリスもいる。それなら自分が思うままに生きてみよう)



 そう決心すると、ハルトは男たちの後をゆっくりとつけ始めた。


 もちろん、男たちに気付かれないよう、彼らが移動した道とは別の獣道だ。


 樹人ツリーフォークの加護があれば、どんな険しい道も、木々の案内で快適な道へと様変わりする。


 今にも倒れそうなほどにふらつく鉛の身体を引きずりながら、ハルトは男達のアジト目指して歩みを進めるのだった。

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