2 - 8 「コロシアム」
彼はこの
若くして
相手の心理を巧みに操る人心掌握術に長けておりながら、飴と鞭を使い分けるその容姿は、女であれば心が動かされて然るべき程の甘いマスクをもった美丈夫だ。
誰もが羨む容姿と家柄を持ちながらも、常に上を目指す向上心を持ち合わせ、それを実行に移すことのできる秀才でもあった。
ただ、彼にも欠点はある。
この性的嗜好により、多くの者が悲惨な死を遂げた事は、限られた者しか知らない闇の部分であり、ジーディスの裏の顔でもある。
しかしながら、コロシアムの運営に至っては、彼のその性的嗜好はプラスの面で大いに発揮されていた。
自らの欲求を快楽で満たすため、そしてその麻薬のような刺激を味わいたい市民のため、彼は罪人を裁くという免罪符を盾に、今日も合法的な殺戮ショーを開催するのである。
コロシアム運営により観光客が増え、それに伴い市場が活性化したのは言うまでもないだろう。
今では、このコロシアムが市民にとって必要不可欠な娯楽場となっていた。
コロシアム会場の最上階、特等席とも言える、観客席全てを見下ろせる広々とした場所に、ジーディスはいた。
金色の刺繍が美しい紅いテーブルクロスの前に腰掛け、黄金色の飲み物を優雅に嗜んでいる。
その佇まいは、一国の王子と評価しても遜色のない気品を、見る者全てに与えていた。
そして、その様子は観客からも見えており、ジーディスの美麗な顔を一目見ようと、多くの貴婦人達が黄色い声をあげている。
「メイリン、最近元気がないな。何かあったのか?」
「い、いえ、ジーディス様…… その様なことは、け、決して。な、何もありません。お気遣いありがとうございます」
「そうか…… ならいいんだが」
微笑みながら、会場へ向けて優雅に手を振る。
そのジーディスのファンサービスに、貴婦人達が黄色い声援で応えた。
その反応に満足するジーディス。
内心では、観客達を虫けら同然に見下していたとしても、表情に出すことは決してしない。
その片鱗すら見せることはないだろう。
視線を観客に向けたまま、ジーディスは脇に控えている副館長、メイリンへと再び話しかける。
「そうだ。先日、
何気なく呟かれたジーディスのその言葉に、メイリンの肩がビクリと跳ねる。
そんな驚きを含んだ目でジーディスの後ろ姿を見やり、直ぐ様同じように脇に控えていたスキンヘッドの男へと、睨むように視線を移した。
その視線を受けたカーンは焦り、小刻みに首を横に振る。
メイリンとカーンのその一連の行動は、物音すらしないほんの僅かな動きで行われていたのにも関わらず、ジーディスはまるで後ろに目がついているかのように、突然声を出して笑い始めた。
それは二人の行動を嘲笑っているかのような雰囲気さえあった。
「ははは。そこまで驚く必要はないだろ? 本の冗談だよ。私は何も知らない。ちょっとした悪ふざけだったのさ。許してくれるかい?」
そう言いながら流し目でメイリンを見る。
そしてメイリンの驚いた表情を一瞥すると、その答えをまたずに次の言葉へ繋いだ。
「今日は良い天気だね。私はこのショーがよりスリリングに、よりドラマティックになればそれでいいんだ。その為になら、私はこの身を捧げる覚悟すらあるよ。メイリン、君もそうだろ?」
「は、はッ!」
「そうか。それは良かった。君と考えが一致していて嬉しいよ。さぁ、今日も最高のショーを楽しもうじゃないか」
動揺するメイリンを余所に、ジーディスは左手を上げ、司会の男へと合図を送った。
それを受けた司会の男が、手に持っていた金色のベルをリンリンと振り鳴らす。
そのベルの音は、ガヤガヤと騒がしかった会場を一瞬にして静寂へと変えた。
コロシアムの開幕である。
◇◇◇
青空が見える。
清々しいほどの青空だ。
その青空の下、観客達の熱気が陽炎のように立ち昇っている。
「皆様ッ! 大変長らくお待たせいたしましたァーッ! 本日の第一試合を開催しますッ!」
その声に、観客は待っていましたとばかりに大歓声で応えた。
その歓声も、司会の言葉が続くと再び静かになる。
「本日の第一試合は、訳あり
司会のアナウンス直後、イーストサイドと書かれた通路口の前が突如輝き、その輝きの中から茶色い猫耳を生やした女性が現れた。
その瞬間、会場からは「死ねぇ」だとか「殺せぇ」だとかの罵声が、突如現れたミーニャへと、空から落ちる霰の如く一斉に降り注ぐ。
ミーニャは、その大音量の罵声に、耳をぺたんと折り曲げながら耐えている。
そして、少し罵声が弱まるや否や、観客に向かって吠え始めた。
「孤児院の金庫じゃないニャ! 募金を全て私腹を肥やすために横領してた腐った男の金庫ニャ! ミーニャはそのお金を取り戻してちゃんとあるべきところに戻そうとしただけニャーッ!!」
だが、その反論も、代わる代わる押し寄せてくる罵声の波に飲まれて消えてしまう。
そして、司会は次の出場者の紹介へとうつる――
「ウエストサイドからは、人族房の
名を呼ばれる刹那、ハルトはミーニャと呼ばれた対戦相手のときと同じような光に包まれた。
その様子を緊張した面持ちで見守るハルト。
光の屈折を変え、対象を見えなくしていただけの魔法が解除されたことで、ハルトは観客の前に、姿を現す。
その異様な姿に、場が一瞬静寂に包まれ――
そして――
次の瞬間、先程の歓声とは比べ物にならないくらいに大きな歓声が巻き起こり、その音の振動が地響きとなって会場を揺るがした。
それは、新たな強者――、新たな玩具を喜ぶ狂気の歓声。
異常者にのみ与えられることが許されたジョーカーの二つ名は、その不気味な仮面と、死神を思わせる漆黒のローブが合わさることで最大の効果を発揮する。
白塗りの仮面の口元は、真紅の口紅が乱雑に塗られおり、その口は耳まで裂けているかのようだ。
そして、目元は漆黒の闇を思わせる程に黒々と塗り潰され、まるで目がない死人のようにも思える。
その形相は、人々に死を連想させるには十分な迫力だった。
その迫力が、見る者の恐怖を煽り、恐怖はこれから起きる殺戮ショーへの期待へと変わる。
そして、会場は興奮の坩堝と化した。
そんな観客の期待を煽るように、司会がハルトの口上を述べていき、その口上に合わせて観客の歓声も大きくなっていく――
「投獄初日に人族房を半壊させ、囚人の半数を撲殺した最凶の囚人……」
――ォオオ!
「その力は、あの
――――ウォオオオ!!
「見る者全てを犯しッ! 殺しッ! 喰らうッ! 最強最悪の殺戮マシーンッ! ジョォォオオオカァァァアアーーッ!!」
――――ヴヴォォオオオオ!!!!
「ジョーカー!」「ジョーカー!」「ジョーカー!」……
観衆の熱狂的なジョーカーコールに会場が支配される。
対面にいるミーニャは顔を真っ青にし、股に尻尾を挟んだ状態でぶるぶると震えていた。
「う、嘘ニャ…… そ、そんな化け物に勝てる訳ないニャ…… い、嫌だニャ…… ま、まだ死にたくないニャ……」
そんなミーニャを余所に、ハルトは司会のデタラメな説明に混乱していた。
(ぼ、撲殺って何? 見る者全てを犯して殺して…… く、喰う? だ、誰ですかそれ…… ダメだ…… ここにいたらやってもない罪が次々に上乗せされる…… ど、どうしたら…… いや、仮面のお陰でまだ顔はバレてない…… まだ何とかなるんじゃ…… なるよね? い、いや、なる! まだ何とかなる! 素顔を晒さなければ、まだシャバで生きていける!)
殺し合いの場に身を置きながらも、ここを出た後の心配を真っ先に考えるハルト。
危機管理能力は既に壊れてしまっているのかも知れない。
(あ、あの猫耳の子と殺し合い? ど、どうにかならないの?)
仮面越しにミーニャを見つめる。
すると、その視線に気付いたミーニャが、側から見ても分かるくらいに震え上がりーー
尻餅をついた。
「目、目が合ったニャー! お、犯されるニャー! 無理ニャ無理ニャ! あんなのに勝てる訳ないニャー!」」
(犯されるって叫んでなかったか? あの猫耳……)
ハルトがミーニャの物言いに脱力しながら溜息をつく。
すると、仮面の隙間から白い蒸気が溢れ出した。
仮面に仕込まれた演出用の効果が働いたのだ。
ミーニャを見据えた状態で、急に身を少し屈め、興奮とも取れる白い蒸気を放ち始めたジョーカーに、観客達が騒ぎ始める。
「ジョーカーが獲物を捕捉したぞ!」
「見ろ! 殺る気満々だ!」
「泥棒猫だけじゃ荷が重いんじゃねーか!?」
「犯せ犯せぇーー!!」
騒ぐ観客達。
すかさず司会が会場を煽り始める。
「おおーーッ! ジョーカー、早くも戦闘態勢に入ったァーッ! ミーニャの命も後僅かァーッ!? 」
誰もが勝負にならない一方的な虐殺を想像する。
だが、それだけでは観客は満足しない。
案の定、「勝負にならない!」といった非難の声があがり始めた。
「賭けにならねぇーぞぉ!」
「女が犯されるだけのショーを見に来たんじゃないのよー!」
「猫耳だけじゃ不足だー! もっと増やせぇー!」
観客が望むのは手に汗握る殺し合いだ。
家畜の解体ショーを見に来た訳ではない。
だが、コロシアム運営側がその観客の欲求を把握していない筈もなく、このマッチングの不公平さを多くの観客が感じ始めたこのタイミングで、司会はようやく次の仕込みを解放させた。
「泥棒猫だけでは勝負にならないッ! 不公平だッ! そうでしょうそうでしょうッ! 皆様のお気持ちは、ドナルド海域よりも深く、深ーく理解しておりますッ! そのご要望にお応えし、私達は特別にッ! 特別に追加のマッチングをご用意しておりましたァーッ!!」
――ウォォオオオ!!
観客の歓声が再び会場を揺るがす。
その反応に満足した司会は、手を振り上げ、どこかにいるメンバーへと合図を送る。
すると、突如ノースサイド、サウスサイドと書かれた場所から光が溢れ、ミーニャやハルトの時と同様に何者かが姿を現した。
ハルトの左手側――ノースサイドには、
ハルトの右手側――サウスサイドには、火を身に纏った体格の大きな雄牛が、高熱により赤く輝く蹄で大地をかきながら、頭部に生えた鋭く湾曲した二本の大角を振り上げ、周囲を威嚇していた。
二体の怪物を前に、ハルトがもうどうにでもなれと大きな溜息を吐く。
その溜息が白い蒸気へと変わり、観客の目には三体の怪物が既に戦闘態勢に入ったように映る。
そして、怪物達の前には、腰を抜かして怯える子猫。
そのシチュエーションに、観客は喜び、次第にコロシアム全体が狂気の熱に包まれていくのだった。
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