1 - 3 「噂の露出狂」

 時間にして一瞬、されど永遠に続いて欲しかった走馬灯も終わり、無情にも時がゆっくりと進み始めた。


 振り返った女性達が驚き――


 その視線がゆっくりと下へ移動する。


 俺はそれをまるでスローモーションの映像を見ているかのような感覚で見守った。



「ひ、ひぃっ!?」


「な、なんだ!? うっ!?」


「えっ!? えっ!? きゃあっ!? 」



 橙色の髪を肩のところで切り揃えた、勝気な顔付きの妹系娘が顔を引攣らせ――


 灰色の髪を高めのサイドポニーで纏めた、凛々しい顔立ちのお姉様が、とても汚い何かを見るかのような眼つきでこちらを蔑み――


 桃色の長髪が愛らしい巨乳娘が目を丸くしながらこちらを凝視した。



 その反応を見た瞬間、胸がドクンッと高鳴り、心の底から言葉には表せない程の猛烈な高揚感が全身を駆け巡る。


 それは、春人ハルトがこれまで体験したことのない程の強烈な快楽だった。



(いいぃいぃいっ!? な、なんだこの感じはぁっ!?)



 この快楽により、春人ハルトが白目を剥いたとしても、それを咎められる男はいないだろう。


 それくらいの衝撃的な刺激だった。


 何故そんな快楽が身体を駆け巡ったのか、今の春人ハルトには見当も付かない。


 突然の出来事に、四人が四人とも硬直する。


 全裸で現れた春人ハルト自身もまた、想像を超える状況にすぐ立ち直れないでいた。


 というより、春人ハルトはまだ恍惚とした表情で白目を剥いていた。


 紛れも無い変質者である。


 僅か数秒の沈黙の後、一番最初に動いたのは、意外にも桃色の髪が綺麗な巨乳娘だった。



「も、もしかして最近、新たに指名手配された露出狂の変態さん……?」



 桃色髪の娘の言葉に、残りの二人が反応する。



「そいつを捕まえろッ!!」


「ミ、ミルお願い!!」


「わ、分かった! 変態さん大人しく捕まってね!」



 ミルと呼ばれた娘が迫る。


 その行動を見て我に返った春人ハルトは、己を駆け巡っていた快楽を、僅かに残った理性で振り払うことに成功すると、その場から逃げようとして――


 失敗した。


 先程の強烈な快楽のせいで足に力が入らなかったのである。


 無様な姿を晒しながら、目の前の娘に御用となった。



「な、何かの間違いだ。気がついたらここに全裸で……」


「まだ言うか。いい加減黙れ。この変態め」


「ミル、こいつの口も縄で絞っちゃいましょうよ。そうすれば少しは静かになると思うわ」


「ちょっとぉ、グレイスもネイトもそう言うなら手伝ってよぉ」



 巨乳娘のミルに後ろ手を縄で縛られながら、春人ハルトは必死に弁明したが全く取り合ってもらえなかった。


 だが、それも当然だろう。


 全裸で突然現れただけでも十分な理由となるのに、春人ハルトは恍惚とした表情をしながら白目を剥いていたのだから。


 言い逃れはできない。


 誰がどう見てもただの変質者と判断しただろう。



「せ、せめて下半身を何か覆わせてくれ! ひ、人としての威厳を!」



 このまま街に連行されるなら、せめて下半身くらい隠したいという切実な思いから出た言葉だったのだが、グレイスはそう受け取らなかった。


 眉間に深く皺を寄せたグレイスが、灰色の髪を束ねたサイドポニーテールを揺らしながら、乱暴な足取りで春人ハルトに近付き――


 徐に春人ハルトの頬を平手打ちした。


 森にパァーンッという爽快な音が鳴り響く。



「いっ!? いっだぁっ!?」



 耳がキーンとなり、左頬が少しずつジンジンヒリヒリし始める。


 春人ハルト自身は、一瞬自分が何をされたのか全く分からなかった。



(ぜ、全裸で、辱め受けた、上に、ビンタされ、た? な、何この生き地獄……)



 春人ハルトはもう何が何だか分からなかった。


 ただ、ビンタされた痛みと惨めな気持ちとが合わさり、左眼に薄っすらと涙が溢れた。


 それにグレイスが気付いたかどうかは定かではないが、グレイスは更に言葉で追い打ちをかけた。



「貴様の事など知ったことか。貴様の醜い行いのせいで、何人の年端もいかぬ少女達が傷付いたと思っている! 心配せずとも、貴様の様な罪人は去勢の刑が下されるだろう。そうすれば隠すモノもなくなる。安心しろ」



(な、何を安心しろって言うんですかねぇえええ!? 俺が転生する前のこいつは一体どんな罪を犯したんだよ!? 俺じゃないと言っても誰も信じないだろうし、やってもない罪で去勢されるなんて…… え? きょ、去勢って何!? ま、マジで言ってんの!? いやいやいや…… で、でもこの人の目はマジだな…… やばいやばいやばい…… ど、どうするどうする!?)



「ちょ、ちょっとグレイス! まだこの人が犯人って決まった訳じゃないんだよぉ? 乱暴したら可哀想だよぉ」


「ミルは罪人に甘過ぎる。こいつが全裸で私達に迫った事実が何よりの証拠だ。思い出したくもないが、私達の反応を見た瞬間のこいつの表情はまさに犯罪者のそれだった」


「で、でもぉ……」


「あたしもグレイスには賛成だけど、街までこいつの汚いモノと一緒に歩くのは流石に辛いかも……」



 青白い顔をしたネイトが、吐き気を抑える様に口元を手で抑えながらグレイスに訴えた。



(全力で、しかも面と向かって、直接他人に生理的嫌悪されると、人は本当に死にたい気持ちになるんだなぁ……)



 少しずつ現実逃避し始める春人ハルト



「それもそうだな。私もそれは嫌だ。ミル、頼めるか?」


「もうっ! 私だって女の子なんだからね!」



 頬を膨らませながらも、羽織っていた茶色いローブを春人ハルトの腰に巻き付けるミル。


 その瞬間、ミルがボソッと何かを呟いた。



「(ごめんね、でも少しの辛抱だから街まで大人しくしててね)」



 春人ハルトはそれがどう言う意味かは分からなかったが、大人しく連行された後の想像は容易くできた。



(痴漢冤罪は逃げるべし…… なんかのネット記事で見た気がする…… このまま捕まったらきっと更なる地獄が待ってるに違いない…… 全裸のこの状況に、この三人の証言を覆せる証拠なんてないし…… 何とかして逃げないと…… そ、そうだ!)



 転生時に授かった異能ギフトがある!


 森の中を連行されながら、春人ハルトは焦る気持ちを押し殺しながら異能ギフトをどうやったら発動できるのか試行錯誤していた。


 そもそも何の異能ギフトなのか分からない状態ではあったのだが……


 そんな挙動不振な春人ハルトに、ネイトが釘をさした。



「逃げようなんて考えても無駄よ。あんたみたいな魔導士は、魔縛りの縄で縛られたら何もできないんだから。丸腰だから魔導具アーティファクトも隠せないし、先を見据えた対策ができない時点で魔導士としても大したことないみたいだけど。後先考えずに快楽だけを優先するなんて、人としてはゴミ以下ね」



(魔縛りの縄? 魔導具アーティファクト? 魔導士? ファンタジー用語が飛び交ってるけど…… まさかここは魔法のある世界? なら何か手が……)



 今の春人ハルトには、ネイトの罵声程度何とでもなかった。


 それよりも重要なのは、この状況から抜け出すことである。



(魔法…… 魔法…… 火魔法くらい世界共通であるよね? 今はとにかく試そう!)



 片っ端から知り得る全ての呪文をブツブツと小声で行使していく春人ハルト


 勿論、全てゲーム知識である。



「何ぶつぶつ言ってんのよ! ちょっと! 喋るのやめなさいってば!」



 ネイトが春人ハルトの肩を掴んでやめさせようとしたその時――



「きゃぁっ!?」



 バァンッ!という破裂音とともに、春人ハルトを縛っていた魔縛りの縄が木端微塵に爆発した。


 すぐ側にいたネイトが悲鳴をあげ、それから少し遅れて他のメンバーが反応した。



「うぉっ!?」


「な、なんだ!? 貴様何をした!?」


「わぁっ!? な、なに!? 何が起きたの!?」



 惜しむべきは、肝心の春人ハルトも、突然の爆発音に身を竦めて硬直してしまったことだろう。


 まさか自分を縛っていた縄が爆発するとは思ってもみなかったのだ。


 だが、それも仕方ないことだと思う。


 本人は色んなゲームで登場した火魔法の呪文名を、ぶつぶつと小声で口ずさんでいただけなのだから。



「何で魔縛りの縄が爆発するのよ!? わ、訳分かんないっ!!」


「魔縛りの縄が? ミル! そいつを捕まえておけ!」


「わ、分かった」



(ま、マズい! 逃げないと!)



 ミルが伸ばした手をなんとか躱すことに成功した春人ハルトは、そのまま森の奥へ走り去ろうとするも、ネイトに先回りされてしまう。



「と、止まりなさい! じゃ、じゃないと酷いわよ!?」



 顔を引攣らせながらも、向かってくる半裸の春人ハルトを必死に制止しようと弓を構えるネイト。


 差し向けられた弓矢に一瞬肝が冷えるも、ここで引いたら牢獄行きだと自分を奮い立たせる。


 そしてネイトの叫びが後半上擦っていたことに気付き、もしや精神的に有利なのはこちらでは?と一瞬考え、そのまま実行に移す。



 両手を上に上げ、荒ぶる狼のポーズ。


 顎をしゃくりあげ、眉間に皺を寄せ、装うは紛れも無い変質者。


 膝は前方45度に上げる小刻みなジャンプ。


 世にも恐ろしいキチガイの誕生である。


 そして、そのまま恐怖で見るからに震えあがっているネイトへトドメの一言。



「退かないとお前の処女食っちまうぞぉおおおっ!?」


「ひぃいぃいっ!?」



 白目を剥いて後ろに倒れこむネイトを跨ぎ、そのまま森の中へ走り去る。


 後ろからグレイスとミルの叫びが聞こえたが、一切を無視してただひたすら走った。


 だが残念なことに、未だ心と身体が上手く繋がっていない春人ハルトの走りはとても遅かった……



「はぁ…… はぁ…… きっ、つい…… なんで、女の子脅すときは、あんなに、身体が軽かったのに……」



 まるであの場から立ち去ることを拒否しているかのように、走れば走るほど、身体が鉛のように重くなっていった。



「ふ、ふざけんなよ…… この、変態野郎がっ…… もうお前の持ち主は、俺だっつの…… ま、真っ当に、生きてやるからなっ……」



 夢のような、それでいて夢であって欲しいと心から願うような一連の状況に、この身体の本来の持ち主がどんな奴だったのか、少しだけ分かった気がした春人ハルトは、俄然言うことの聞かないその身体へ語りかけるように言葉を投げかけていた。



「はぁ…… はぁ…… ま、マズい。もう追い付いてきた!?」



 木の陰に身を潜める春人ハルト


 するとすぐ近くでグレイスの声が聞こえた。



「くそっ! ここから声が聞こえた気がしたんだが。見失ったか。だがまだ近くにいるはずだ。ネイトの意識が戻ればすぐ居場所が分かるだろ」


「ねぇグレイス、一回ギルドへ報告に戻ろ? 随分、森の中まで入って来ちゃったみたいだし。もうすぐ日も暮れちゃうよぉ」


「もうそんな時間か…… 引き返すにせよ、ネイトが目を覚まさなければ私達も迷う恐れがある。ミル、ネイトをここへ降ろしてくれ」


「うん、分かった」



 ミルが背負っていたネイトを地面に降ろすと、グレイスが近付き、ネイトの顔へ手をかざしながら詠唱を始めた。



「万物に宿りし母なる魔力マナよ、この者を微睡みの誘惑から解き放ち給え、≪ 意識の目覚めウェイカー ≫」



(な、何してんの? 何が始まるの? ネイトって子が目を覚ますと俺の居場所バレるの? もしや、そういう魔法を習得してるとか? ま、マズいっしょ…… どうするどうする、次はどうすればいい!? 誰でもいいから誰か助けてくれぇええ!!)



 春人ハルトの心の叫びに応える者はおらず、グレイスの詠唱によりネイトが目を覚ました。



「い、いやぁああああ!?」


「お、落ち着け! 私だ!」


「ネイト大丈夫だよぉ!」



 目を覚ますと同時に絶叫するネイトを、グレイスが抱き締めて宥める。



「グ、グレイス? あ、あいつは!?」


「見失った。だが、まだ近くに潜んでいるはずだ。ネイトの探知魔法で探れないか?」


「や、やってみる」



(た、探知魔法!? マズいマズいマズい……)



「ふぅ…… い、いくね。万物に宿りし母なる魔力マナよ…… 我にその息吹を感じさせ給え、≪ 魔力の探知ディテクション ≫」



(見つかった!? 見つかった? どうなった!?)



「……えっ?」


「どうした? 奴は見つかったのか?」



 虚空を見つめ、動きを止めるネイト。


 その瞳は小刻みに揺れていた。


 そして、その揺れは次第に唇、手へと伝播していく。



「は、早く逃げないと! グレイス、ミル! あんな奴の事はどうでもいいから、早くここから逃げるわよ!」


「え? え? 急にどうしたの!?」


「ネイト! 説明しろ! 何が起きた!?」


樹人ツリーフォークが近くに現れたのよ! それも複数! 今も数を増やしながらこっちへ向かって来てる!」


「な、なぜ樹人ツリーフォークが……」


「いいから早く! 囲まれたら逃げ道がなくなっちゃう!」


「わ、分かった。ミル、行くぞ!」


「で、でもあの人がまだ……」


「逃げた奴など放っておけ! ほら早く! 急げ!」


「あっ! ま、待ってよぉー!」



 三人の地を走る音が消え、代わりに枝葉がぶつかり、擦れ合う音が次第に大きくなる。


 心なしかズシンズシンと地響きまで感じたが、もはや春人ハルトには、それが自分の心音なのかどうかすら判断がつかない状況だった。



(ヤバいヤバいヤバいヤバい…… 怖い怖い怖い怖い……)



 三十三歳にもなって、恐怖のあまり膝を抱えながら「見つかりませんように見つかりませんように!」と祈る日が来ようとは、誰が思うだろうか。


 例え悪夢にうなされる日があっても、そんな行動をしなくなって大分年月が経つというのに。


 春人ハルトの願いが届いたのか、地響きを立てて鳴り響いていた音が突如ピタリと止んだ。


 恐る恐る顔を上げる。


 すると、木の幹に目と鼻と口が付いた、木の化け物が、緑色に発行する光の瞳を揺らしながらこちらを見据えていたのだった。

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