1 - 2 「魔導大帝国の問題児」

 漆黒の絨毯が敷かれた通路を、黒光りする鋼鉄の鎧に身を包んだ壮年の男が、大股で闊歩していく。


 その表情は険しく、額には薄っすらと青筋が浮かんでいた。


 一方、通路の反対側からは、白銀の長髪を風に靡かせた長身の美人が、同じくその額に青筋を浮かべながら向かってきていた。


 その耳は尖っており、その切れ長の瞳は怒りで釣り上がっているようだった。



「セルミア、殿下は見つかったか?」



 壮年の男は対面から歩いてきたセルミアに声をかけた。


 その表情は相変わらず険しいままだ。



「まだよ。手掛かりもなし。全く駄目。周辺の精霊達をフル稼働させても痕跡すら見つからないわ。あいつ、変態の癖に魔法に関してだけは相変わらずデタラメよね。エルフの中でも群を抜いてることだけは認めるわ。人としてはゴミ屑以下だけど」


「セルミア! 何度言ったら分かる! 殿下を変態呼ばわりするのは止めよ!」


「だって事実だし仕方ないじゃない。下着に欲情するなんて相当よ? それに、この前あの変態の隠し部屋から、大量の下着が出てきたそうじゃない。メイド達の話では、最近下着がなくなることが多発していたそうよ? 本当に虫酸が走るわ」



 セルミアは眉間に皺を寄せながら舌を出し、心から嫌そうにそう吐き捨てた。



「あいつが王子じゃなかったら、世にいる全ての女性の為に抹殺してるとこよ。あいつが今までにしてきたことを考えればそれでも生温いくらいね。だってそうでしょ? 私があいつの従者と言う名の楔役になっているのも、あいつが王位継承第一位でありながら、身の安全を守るお目付役があなただけというのも、国王の意志を物語っている気がするわ。あなたも内心ではそう思ってるんでしょ? ローデス“ 元 ” 王国騎士団長様?」



 ローデスと呼ばれた壮年の男は、セルミアの言葉に反論することなく、短く溜息を吐いた。



「そう言うな。今となっては、殿下の味方は私とお主のみ。よもや、血の契約を忘れた訳ではあるまい?」


「忘れる訳ないじゃない。本当に馬鹿だったわ。あんな変態だと最初から分かっていれば、絶対にあんな契約結ばなかったのに!」


「殿下も同じことを言っていたぞ。あんなジャジャ馬だと知っていたら契約などしなかった、とな。意外に似た者同士なのかも知れぬな」



 ローデスの言葉に、セルミアはその切れ長の瞳を大きく見開き、恐怖で口元を引攣らせた。



「ほ、本気で言っているのかしら? ローデス、いくらあなたでも許さないわよ?」



 肩を竦めるながら軽く謝罪の言葉を述べるローデス。


 だが、その口元は笑っていた。



「それより、早く殿下を見つけなければ。手遅れになる前に」


「そうね。まさか第二王子が実力行使に出てくるとは意外だったわ」


「セルミア!」


「大丈夫よ。今は私がこの周辺の全ての精霊を掌握してると言ったでしょ。盗み聞きなんて不可能よ。あの変態以外はね」


「だとしてもだ。念には念を入れよ。殿下のような奇才が他に現れても可笑しくないのだ。リスクは少ない方がよい」


「はいはい。分かったわ。全く信用ないのね。あいつみたいなのがもう一人でも人族に増えたら、私はあいつに純潔を捧げてもいいわ。それくらいの奇跡よ。あいつは」



 腕を組みながらそう言い切ったセルミアを、ローデスは何とも言えない表情で見つめていた。


 セルミアは、殿下の性癖を毛嫌いこそすれど、その秘めたる天才的な才能は認めている――と言ったところだろうか。


 ローデスにとってはそれでも十分であった。


 魑魅魍魎が蠢くこの魔導大帝国において、殿下のことで信用の置ける者は、エルフの国から招かれた聖霊魔導騎士であるセルミアしかいない。


 魔導大帝国イシリスと肩を並べるエルフの国、精霊大森国クロノア。


 魔導術のイシリス、精霊術のクロノアと呼ばれる両国において、その実力が認められた者のみが与えられる称号 “ 聖霊魔導騎士” 。


 この称号を与えられた者は、現在ではセルミア只一人だ。


 聖霊魔導騎士を従者として付ける程の実力を持つ殿下を、魔導大帝国は次期帝王として喝采した。




 そう、あの事件を殿下が起こすまでは――




 それは殿下が20歳になった事を祝うパーティでの出来事だった。



 満を持して登場した殿下は……



 ――あろうことか何も身に付けていなかった。



 そう、殿下は露出狂だったのだ。


 いや、露出狂の性癖も兼ね備えていたという方が正しいかもしれない。


 露出狂には、露出による相手の反応を見ることで性的興奮を得るタイプと、露出により自分を見てもらうことで性的興奮を得るタイプがある。


 残念なことに、殿下は両方だった。


 性器を見せることで引き起こされる背徳感と、相手の当惑の表情や驚愕の表情を見ることで引き起こされる高揚感が、殿下を奇行に走らせたようだ。


 その場にいた全員が、全裸で登場した殿下に注目し、会場は婦人達の絶叫で埋め尽くされた。


 これで終わればまだ被害は少なかったのかも知れない。


 だが、殿下は魔導に関しては最強と名高い魔導大帝国にして、歴代最高とまで言われた才能の持ち主だ。


 この事件の後ですぐに剥奪されることにはなったが、最強の魔導師に贈られる唯一無二の称号 “ 魔導帝王マジックエンペラー” を僅か13歳の時に授与された天才でもある。


 その殿下が、全裸で登場するだけにとどまる訳がなかった。



 ――忘れもしないあの日



 漆黒の闇に包まれた夜空に浮かぶ満月が、ステンドガラス越しに宝石のような神秘的な輝きを放っていた時、突如フロアの中央上空に登場した全裸の殿下。


 殿下を見て絶叫する婦人達。


 婦人達の絶叫を浴びながら恍惚とした表情を浮かべる殿下。


 そして、殿下を止めようと飛び出した側近達。


 殿下は不敵な笑みを浮かべながら何かを口ずさみ――


 会場全体が青い魔法陣で包まれると――


 気付いた時には、既にその場にいた全員が全裸になっていた。


 阿鼻叫喚となる会場。


 恥ずかしさのあまり、その場で蹲り、泣き噦る乙女達。



 だが、これで終わりではなかった。



 パニックに陥った会場を見下ろしながら、殿下は空中でダンスを踊り始めたのだ。


 殿下の手には、青い光の粒子を放つ魔法の短杖が。


 そして次の瞬間、会場にいた者達が突如踊り始めた。


 蹲って泣いていた者、その場から逃げようと開かなくなったドアに群がっていた者、殿下を止めようと必死になっていた者、それら全ての者に、強制的に輪舞ロンドを踊らせる強力な操作魔法の行使。


 それに抗える程の実力者は、残念ながら会場にはいなかった。



 私は今でもあの地獄絵図が脳裏からこびり付いて離れないでいる。


 泣きながら全裸で輪舞ロンドを踊る、いずれも高貴な出の紳士淑女達。


 殿下を止めようするも、その強力な魔法になすすべなく、顔を真っ赤にさせながら額に青筋を浮かべ、一緒に輪舞ロンドを踊らせさせられている帝国の精鋭達。


 そして、殿下の今まで見たことのない程の楽しそうな笑顔も……


 勿論、その中には、殿下の父となる現帝王や、王位継承順第二位以下の弟妹達も居た。



 魔導大帝国イシリス、建国以来最大の汚点。


 恥晒し。


 面汚し。


 数々の暴言や不名誉な二つ名がつくきっかけになった一大事件。


 だが、関係者への厳重な箝口令により、現場にいた者しか真実を知ることはないパンドラの不祥事。


 残忍な性格の多い歴代の王達の血を受け継ぎながら、唯一殺しをしない、常人とは異なる価値観を持っていた殿下。


 魔導帝王マジックエンペラーとまで言われた稀代の天才が、ただの痴れ者であるはずがない。


 私は殿下が誰にも見せぬ心の内に、この腐りきった世を変えてしまう程の何かを、期待していたのかも知れない。



「あまり考えたくないけど、あいつはもうこの城にはいないんじゃないかしら? さすがのあいつでも上位精霊達の眼を騙して隠れ続けることなんてできないと思うわ。それに、肉親からあれ程の殺意を向けられながらこの城に居座るなんて、私なら頼まれても御免だわ」


「ついに王の命に背いて外へ飛び出したか…… 何もなければ良いが……」


「あいつが何も起こさないなんてきっと無理ね。既に全裸で城下町を闊歩しててもおかしくないわ」


「そうだったな…… 否定できないところが悔しいところではあるが。だが、呪術師達の動きも気になる。手遅れになる前に何としても見つけ出すのだ!」


「あいつが呪術程度で殺されるとは思わないけど。むしろその程度で殺せるなら既に私が殺してるわ」


「セルミア!」


「はいはい。全く。ユーモアの一つも分からないなんて、ローデスは頭が硬すぎるんじゃないかしら」



 セルミアは肩を竦めながらやれやれと首を振った。そしてそのままローデスの横を通り過ぎる。



「安心して。あいつが死ぬと困るのは私も同じだから。あいつが盗んだ私の宝物を取り戻すまでは、絶対に死なせないわ」



 そう呟いたセルミアの眼には、見る者を震えさせる程の狂気を孕んでいたが、ローデスがそれを咎めることはしなかった。


 セルミアを見送ったローデスが、手を額に当てながら溜息を吐く。


 その表情には、先ほどまで浮かべていた青筋はなく、これからの未来を憂う様な哀愁が漂っていた。



「早く殿下を見つけねば…… この国が崩壊する前に……」

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