続 がんばれ!はるかわくん! -11-

 佐東だ。目が合う。


 その下に、(いた。) 春川だ。


 佐東の手の先から伸びた布のようなものが首に巻きついている。ネクタイだろうか。

 佐東は春川を窒息死させようとしている。

 ということは、さっきの音は銃じゃない。だがその光景には、さすがにゾッとした。


「春川!」


 冷水が後ろから動こうとするのを片手を上げて止める。佐東は突然現れたぼくたちに一瞬目を丸くした。

 しかしすぐに威嚇を始める。


「…なんだ。お前ら。」


 なるほど、冷水の報告どおり、写真のころと比べると佐東の人相は荒れている。

 髪の毛は少し伸びて乱れ、うっすらと無精ひげがあった。仕立ての良さそうなトレンチコートにも、しわがよっている。

 細身だががっしりとした体格や整った細面の顔立ちは、春川のそれとは違った印象だ。(くちびるが少し厚いあたり、安堂の好みのタイプかも。) …言ってる場合じゃないって。


「ハルから離れろ。」

 飛び出しかねない冷水を、その前に立ちふさがって抑えながら言う。


 佐東は、上目でこちらを激しく睨んだまま動こうとはしない。

 彼にとってよろしくない現場を押さえられているというのに、いやに落ち着きはらっている。


 「尊大」、「自信家」、「利己主義」。

 そんな類いのオーラがにじみ出ている。ぼくが一番好まないタイプの人間だ。


「…出ていけ。」


 凄みを効かせてくる。

 が、それよりも今は春川が気になる。動かない。こちらから見る限り、顔色がやけに青白い。


「出ていけ!」


 彼はもう一度言った。だからぼくも、仕方なくもう一度言う。


「春川から離れろってば、佐東さとう悠輝ゆうきさん。」


 名前を、いきなり初対面の人間から、しかもフルネームで呼ばれて、さすがの佐東も一瞬怯んで怪訝そうな顔を見せた。


「…お前ら誰だ。」


 まだ春川からどかないので、脅すつもりで一歩前へ進む。


「来るな!」


 佐東は春川を離さず、そのまま春川の細い体を抱え込んで素早く立ち上がった。


 でかいな。本当に春川の親類なのか?

 おかげで春川は、足が半分浮いた状態だ。佐東の胸に顔をつけたままぐったりとしている。髪の間から白い小さな耳が見え隠れしている。


「…来るな」


 佐東が押し殺した声を出して、ますます強く春川の頭を胸に押し付けたとき、突然春川の体が動きを見せた。


「――ケホッ、ゲホッ」


 佐東の腕のなかで、春川は激しくむせかえり始める。呼吸が戻った。


 斜め後ろで冷水が小さく安堵の息を漏らす。

 失神して気道をふさいでいた舌が、佐東に持ち上げられることで外れたのかも知れない。

 なんにせよ最悪の事態は免れた。春川の髪から覗いた耳は、激しく揺れながらも徐々に赤みを増している。


(安堂は。)

(タクシーで30分ほどかかるそうです。)

(了解。)


 佐東は春川が暴れるので、春川を正面に向けて抱き直した。

 人形のような春川の体が、自分の腕からこぼれ落ちそうになるのを何度かかきあげながらも、つり上がった細い目でこちらを激しく睨みつけ、威圧的に振る舞い続けようとしている。


 こちらを向いた春川は、まだ何度か咳き込んでいたが、意識は朦朧としているようで、佐東の肩の上に頭を押さえつけられながら、とろりとした視線を宙にさまよわせていた。


「…お前ら、…警察か…?」

「まさか。」

 そう言うと、佐東の顔から緊張が少し緩んだ。


…ふん。


 佐東は鼻で笑った。佐東の目つきはいっそうふてぶてしくなった。

「じゃ何者なんだ、何しに来た。」

「警察だったら困る?」


 言いながら、さらに一歩踏み出して部屋のなかに入る。


「来るなと言ってるだろうが!質問に答えろ!」


 佐東が再び声を荒げると、腕のなかの春川が声に反応して少し震えた。


「あなたには傷害教唆の嫌疑がかけられています。」

 いつの間にか、後ろにいたはずの冷水がぼくの横に並んで立っている。


「なんだと?」

「オオクボ タクヤくんは2月5日深夜、3名の男たちから暴行を受け、全治2週間の怪我を負いました。指示を出したのは、あなただ。」

「…なんの話だ」


「オオクボくんに暴行を加えた男のうち1人が、昨夜警察に自首したんですよ。ツモリ アキラ。ご存知のはずだ。あなたの名前は、すでに警察の知るところとなっています。」

「そんなやつ、知ら「神崎麻衣さんもご存知ですよね。あなたがウィルスを送り込んで個人情報を盗み出した、彼女です。

 あなたは、花咲アプリという不正アプリを使用して個人情報を収集し、興信所などからの依頼を受けてそういった情報を提供しては定期的に報酬を得ていたようですが、それが犯罪行為なのもご存知のはずです。


 はじめからそれが目的で花咲アプリを開発したのか、それとも春川の居所をつきとめるのが目的だったのかはわかりませんが、携帯電話を持たない春川の行方はつかめず終いで、業を煮やしたあなたはオオクボくんを襲った。


 だがそれでも情報は得られず、最終的には、花咲アプリのおかげで神崎麻衣さんが春川のストーカーとなっていたことを突き止め、それでこの場所を探り当てた。


 そこまで春川に執着するのは、春川の財産を当てにしているからですね。」


「…勝手な憶測だな。」


「実はツモリには、出頭する際、そういった資料を警察に持ち込んでもらいました。匿名で作成されたその資料には、あなたの会社の業務形態から、配信アプリの危険性やサイバー犯罪に加担している可能性があることを裏付ける情報までが取りまとめられてあります。」


……冷水、きみ、何をどこまでやってんの…。


「脅してるつもりか?…べらべらとえらそうに 「さらにあなたは、未成年後見人という立場を利用して、春川の財産を着服していました。これも業務上横領行為として摘発すれば立件してもらえます。さあ、どうしますか。今、春川を解放して出て行くなら、後は追いませんし、警察にもあなたをここで見たことは言いません。」


…相手が悪かったよね、佐東さん。

 つい同情したくなったが、佐東の反応はあいかわらずふてぶてしい。

 それどころか、佐東はだんだんと頬を弛ませ、ついにヒクヒクと笑い始めた。


「…そうか。…そういうことか…。お前、ずいぶんとこいつに、ご執心だと思ったら…」


 笑いをこらえられない、というふうに、佐東は震えながら喋っている。

 佐東の手のなかで、春川が小さくうめいた。


「…よかったか。」


「…?」


 困惑したのか、冷水が少しこちらをうかがった。


「春川にくわえ込んでもらったんだろ?よかったか?」


 冷水が再び佐東を睨む。

 佐東め。

 戦意は完全に喪失しているだろうのに、まだそんなくだらない揺さぶりをかけようとしている。とことん人を不愉快にさせる人間だ。整った見た目と異なり、実に残念な男だと思う。


「俺が仕込んだんだ。いい出来だったろ。」


 やめろよ。ぼくらに効果は無い。

 な、冷水。


…そう思って冷水を見たら、怒りに顔を歪めて細かく震えている。

(うそ。)

 思わず二度見してしまった。


(あ、そうか。冷水は知らないんだった。)

 春川が佐東から受けていた性的虐待の事実までは。


「お前がつけたのか、これ。」

 言いながら佐東は、ニヤニヤと春川のシャツをはぐった。


(あーやばい。)


 ぼくがおもしろがって春川にさんざんつけたキスマーク。冷水の目に、今まさに飛び込んでいる。あとで絶対怒られる。


「 は 」


 佐東が胸を撫でるので、突起を探られた春川はビクッと体を震わせた。

…うわ、春川の今の顔、エロい。


「貴様!」


 冷水がいきなりぼくの前に出ようとする。しまった。春川にみとれていた。

 あわてて冷水のジャケットを引くと、冷水はこっちを一瞬睨んで、それからようやくおとなしくした。黒い革のジャケットがまた少しひるがえり、そこから冷水の銃がチラッと見えた。


 佐東はますます図に乗った。


「俺の指導だけじゃないぞ。ガキの頃こそいやがってたが、そのうちこいつはすすんでくわえたがりだしてな。好きなんだよ。男のソレが。」


 ばかだな。

 春川はお前にやられるのがいやでたまらないから、必死でお前をなだめようとしたに過ぎない。


 こんなやつに、8年近くも飼われていたのだ、春川は。


 またもやキレそうになる冷水を、腕をつかんで止める。

 佐東がヤケクソになって話す言葉に反応して、感情のままに動くなんて、きみらしくない。

 佐東はもう虫の息だというのに。



 ところが、佐東の「あがき」はぼくの想像を超えた。

 素早く春川を左腕で抱え、右手に何かを握りしめると、それを春川のむき出しの胸にあてる。


「スタンガンだ。改良してあるからな、強いぞ。」

「佐東「動くな!」


「……こいつがどうなってもいいのか?……出て行け…。今すぐ!」

「ぼくらが出て行ったとして、あなたはどうなる?」


 死ぬ気なのだ。春川もろとも。

 出て行くわけにはいかない。ぼくたちがいる限り、佐東は春川に手を出さない。それは確信できていた。では、どうする。

―― 仕方ない。

 いや、大丈夫だ。

 冷水の銃、あれなら。


 そこまで考えたとき、ふと春川が軽く微笑んだ。


 意識があるのか?

 だがあれは、例の、自虐的な微笑。


(いけない。)


 春川のだらりと下がっていた右手が胸へと動く。

 春川は、今、自らの意志で「死」を選択しようとしている。


「冷水」


 ぼくが言い終わらないうちに冷水の腕がすっと横から伸びた。



――― パンッ



 薄暗い部屋に、乾いた音が響いた。




(咲伯 DATE 2月14日 午前10時57分 へつづく)

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