続 がんばれ!はるかわくん! -12-

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 咲 伯


《 DATE 2月14日 午前10時57分》


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 衝撃で、春川と佐東は、ひとつの塊のように床へと倒れ込んでいく。


 崩れ落ちる刹那の春川が、一瞬ぼくをみた。

 哀しげな目で。



「春川!」


 冷水がぼくを振り払って飛び出す。


 冷水は、佐東の腕が巻きついたままの春川の体を、佐東からはぎ取るようにして抱え上げた。

 呆然としていた佐東は驚いて冷水たちを見たが、もう何も言わなかった。


 冷水は佐東から距離を置くと、春川を抱きしめたまま、ゆっくりと腰を下ろす。

 途中で拾い上げたスタンガンを、壁の隅のほうに滑らせた。

 そこでやっと冷水は、春川の体を、静かに床に寝かせた。


「……カイ…ト…」


 上体を起こしながら、佐東が、2人を見たまま口を開く。


「……撃ったのか…、…お前……」


 動揺して声が震えている。

 春川の意識がないことを、どうやら勘違いしているようだ。


「当たっていたとしてもたぶん小さなアザが出来るくらいで、スグ消えるよ、エアガンだから。でも冷水は正確だから、スタンガンにしか当たってないと思う。」


 教えてあげると、佐東は不思議そうに目をしばたかせた。

 ぼくも冷水の銃を間近で確認していなかったら、春川は本物の銃で撃たれたんだと思ったろう。


「お前ら…、…本当に、何者なんだ……」

「とにかくあなたは、早くここから出て行ったほうがいいよね。」


 というか、出て行って欲しい。

 でないと冷水が次に何をするかわからない。


 今なら、冷水は、床のうえの春川の様子をひたすら心配そうにしているので、佐東へ危害を加えることもないだろう。


 佐東はうつむき、ようやくゆっくりと立ち上がった。


 玄関へ向かって踏み出しかけたが、一度止まって、そこで冷水に声を掛けた。


「……お前、俺がカイトにつきまとうのは、財産目当てなんだと言ったな。」


 春川だけを見ていたのに、冷水は、また佐東を見上げた。

(もう。早く出て行けってば佐東。)

 佐東は、冷水と春川の前でしゃがみ込む。

(うわっ)

 ぼくは内心焦った。



 だが、冷水は何もしなかった。


 佐東が手を伸ばして、ぐったりとした春川の、その髪に触り、指先で軽くといたときも、その手をじっと見ているだけだった。



 激昂して佐東の目あたりに向けてエアガンを撃つんじゃないか、などと、具体的なイメージに肝を冷やしていたぼくは、少し安心した。


 きっと冷水にも、ようやくわかったのだろう。

 佐東に、ぼくらを噛み砕くだけの牙は、もう無い。

 最初から無かったのだということを。



 佐東は、春川から手を落とすと、ふっと笑った。


「……返してくれと言っても、無理だろうな。その様子じゃ。」


 冷水は何も言わず、目の前の佐東を眺めている。


「こいつをよろしくな。気が向いたら、お前の叔父貴が詫びてたって伝えてくれ。」


 そう言って、佐東は、ふふっ、と、今度は少し声を出して笑った。


「…無理なんだろうな。その様子じゃ。」


 佐東は立ち上がると、今度こそ玄関に向かって歩き出した。

 顔には微かな笑みが浮かんでいる。

 その笑い方を見て、初めて、春川に似ている、と思った。



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「佐東さん」


 ドアの外で声をかけてみた。

 佐東が振り向くと、口には火のないタバコがくわえられていた。

 アパートの廊下は相変わらずがらんとしている。


「どうするつもりなの。これから。」


 雨はもう止んでいるようだ。


「……なあ。」

タバコを指でつまんで、佐東は言った。


「俺にとってあいつは、すべてだったんだ。」


 佐東はタバコをくわえ直し、コートのポケットを探しながら続けた。

「だけどそのことに気づいたのは、つい最近でね。」

 ポケットからライターを取り出すと、いったんタバコに火をつけた。


 手すりの向こうの景色を見つめながら、一度深く吸って、


「……俺のものだと思っていたんだがな…。――…… いや、思っていたかったんだよな、俺は。」


と、つぶやくように言った。

 それから、ふうう、と、ゆっくり煙を吐き出す。


「とにかく、」 佐東はそこで2、3度咳き込んでから、こっちを見た。

「まあ、そういうことだ。」


 そう言って、ニヤリと笑った。


 その言葉がタバコの煙とひとつになって、湿った冬の大気に溶けていくのを、ぼくは静かに見守った。


「カイトの新しい飼い主が、俺よりいい男で良かったよ。」


 佐東はそんな軽口をたたいて、また軽くふふっと笑い、タバコをくわえるとくるりと反転して再び廊下を進み始めた。


 佐東が廊下を右に折れると、革靴が階段を下りていく音が何回か聞こえて…

…やがてその音は、消えてしまった。




 部屋に戻ると、冷水はまだ春川を見つめ続けていた。

 さっきと違うのは、冷水はジャケットを脱いでいて、春川がそれにくるまれているところ。


「やり過ぎだよ冷水。春川のおじさん、死んじゃう気かも。」


 冷水は興味なさげにつぶやく。


「死ぬなら1人で首でもくくればいい。」


 ああそう。怒ってるんだね、やっぱりね。


「最近春川にかかりっきりみたいだけど、大丈夫なの?」

「大丈夫です。」

「そうじゃなくて。冷水にしてはなんかヤバいくらい能動的に攻めてたみたいだから。」


 おかげで佐東はすっかり追い詰められていた。


「…あの内容は、事実ばかりではありません。」

「ん?」


 冷水はようやく春川から視線を外してぼくを見た。


「固有名詞はあってますが、ツモリは出頭してもいないし、佐東の会社に関する資料などもありません。」

 んっ!?

「そうなの!」

「佐東の会社は、決定的な証拠こそあがっていませんがすでに警察にマークされているし、傷害の3人の名前は、調べてみただけで居所までは知りません。3人のことは警察には匿名で通報しましたが、あとは警察の仕事です。」


 冷水はまた春川を見た。


「頭に血がのぼって、とっさにいろいろな嘘をつきました…。すみません。」


(は、春川!)

 きみは、冷水に、そこまでのことを!



「……あなた以外の人間が嫌いでした。」

 冷水がぽつりとつぶやく。


「…あなた以外の人間に対するこの感情を、どうコントロールすればいいのか、わからない。

……春川は私をかき乱す。冷静でいられなくなるんです。どうしても。

…それどころか、どんどんひどくなっていくようです。」


 小さな呼吸を繰り返す春川を眺めながら、冷水はひとりごとのような声のトーンで話した。


「それを一目惚れというのだよ、冷水くん。」

 冷水はこっちを睨んだが、耳がもう赤くなり始めている。(くう♪)

「…そんな陳腐なものじゃありません、…なんというか、……。」


 冷水はぼくから目をそらすかわりに、また春川を見る。


「……昔、あなたに会う前、どうしても守りたかった人がいました。」

(えっ。)


 初めて聞く話だ。冷水が自分のことをぼくに話すのは、とても珍しい。


「ぼくに会う前って…」

「冷水さんに拾ってもらう前、施設にいたころに…。」


 冷水氏と冷水は血が繋がってない。実は、冷水の家庭環境もちょっと複雑なのだ。

 冷水は少し哀しげな顔になった。


「…私はそのとき、守れずに、壊してしまった。彼を。」

「…彼…。そのひとに、似てるんだ、春川は?」


 冷水は首を横に振る。


「いえ。ただ私は、自分の存在意義を確かめたかっただけなんです。…でも、コントロールのきかないこんな状態では、……。」


 冷水は静かにぼくを見た。


「あなたがいなければ、私は何も見えないんです。きっと、私はまた同じ過ちを繰り返していたことでしょう。」


…どういうことだろう。

 だが、冷水の言葉を理解する前に、冷水は一瞬、端正な口びるを軽く持ち上げて、とてつもなく美しい顔を見せた。



あ、今、笑ったんだ…



 冷水はまた表情を消して春川に向き直ってしまったが、ぼくは、鳥肌がたつほどの強い感銘を受けていて、冷水にそれ以上を聞けなかった。


「…じゃあ、ハルを腕に抱いてやりなよ。そっちのほうがあったかいよ。」


 ようやく言葉を紡げたが、冷水は動かず、ただ一言、「汚れますから。」 と言った。

 また、そんなこと言う。


「冷水のその、『逆』潔癖症ってさ、さっきの“彼”のせいなの?きみに触られたからって、ハルは汚れないよ。」


 そういえばハルも、汚れきった人生とかなんとか言ってたような気がする。

 なんでそこまで自分をさげすむのかなあ、この二人は。

(本当に気が合いそうだ。)なんて。


 冷水はぼくの言葉には反応せず、完全に黙ってしまった。


 もう少しいじめてみたくなったが、これ以上いじめるともう口きいてもらえないかもなので、とりあえず、

(……寒い!)

 エアコンのリモコンを探すことにする。


 リモコンはすぐに見つかった。スケッチブックの山の上に。

 リモコンでエアコンを起動させて、なにげなくスケッチブックをひとつ取る。


(おお。)


 デッサンばかりだか、すごくうまい。さすがもと美大生。

 真っ直ぐな目をしたきれいな女性の顔とか、しわくちゃの老人の手とか、眠っている猫の絵まである。


(……あれ?)

 これ、ぼく?


 笑っているぼくの顔。

 丁寧な線だが、これだけ何度もなぞりながら描き直したようなあとがある。


 すみに、「1/24」と殴り書きしてある。あ、春川のバイトの面接の日だ、確か。


 次のページをめくると、(…なんだこれ) なぜだかいきなりドラえもんらしき漫画絵があった。つい顔がほころぶ。


「ところで、春川の胸のあとですが」


(うっ)


 背後から憮然とした冷水の声。


「まさか全部あなたの「冷水見てホラ、冷水だよ春川が描いた」

 聞こえてないふりで素早くスケッチブックを差し出す。


 真剣に作業している冷水の横顔が、きれいに描かれている。

「うまいよね。」


 冷水は白い顔を赤らめてしばらく見ていたが、

「いつの間に…」

 とだけ言って、また春川を見た。


「…― 目が、覚めませんね…。遅いな、安堂…。」


 良かった。注意がそれた。

「冷水がキスしたら目が覚めるかもよ?」

 冷水は侮辱を込めた視線をよこす。「…くだらない。」


「…ねえ、冷水、…好きなんでしょ、ハルのこと。」

「……。」


 一気に近づき、春川ごしに冷水にキスをする。


「冷水は誰も汚さないよ。ぼくが保障する。だから、今のうちに、ハルにキスしてみなよ。」


 そうすればまた一歩、人形みたいな冷水が、人間に近づける気がする。

 冷水の顔がまた赤く、人間らしい色になる。


「そんな……」

「寝てるから。今なら。ね。」


 冷水は春川を見た。


 そして、ゆっくり体を傾けると、春川の頭の横で両手をついた。

 静かに、というより、おそるおそる、春川の顔に近づいていく。


(…うお~~!ほんとにする気だ!!)


……やばい。テンション上がってきた!

 あああ。冷水には悪いけど、動画撮りたい……

 いや、ぜったいばれるし……

 よし目に焼き付けよう!

(あと、3cm!)




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