第80話 どこ、ここ?

『家出?!』

 春太とマキンリアが声をハモらせた。


 メルムの父が苦い表情になる。

「あまり大声で言わないでくれ。近所に知れ渡ってしまう」

 それどころではないのでは、と春太は思ったが、他人の家のことなので口をつぐんだ。大人とはそういうものなんだろうか。


 とにかくメルムを捜すことにした。

 否、捜してもらうことにした。

 春太がセリーナに目を向ける。

 セリーナがぷいと横を向く。

「あー分かる分かる、分かるよ。『何でまた私なの』でしょ? セリーナ姉さん働きすぎだよね。でもさー他にいないんだよ、頼むよ」

 チーちゃんやプーミンに人捜しを理解する力があれば交代でできるのだが、あいにくチーちゃんとプーミンに複雑な指示をこなす力は無い。


 犬の知能は人間でいう三歳児程度と言われている。

 しかし犬種や個体差でブレ幅は大きい。

 犬種で言えばボーダーコリー、ジャーマンシェパードが特に知能が高いとようだ。

 ボーダーコリーは牧羊犬として知っている人もいれば、フリスビー競技で知っている人もいるかもしれない。

 どちらも複雑な指示を理解できなければこなすことができない作業だ。

 ジャーマンシェパードは警察犬で知っている人が多いだろう。

 やはり複雑な指示を理解できなければならず、こちらは力が強いのも特徴だ。

 また、総じて中型犬~大型犬の方が小型犬よりも知能が高い傾向があるように思われる。

 セリーナの場合は群を抜いて人の言葉を理解する力が高いため、これは個体差というやつだろう。

 彼女は耳だけ春太の方に向けているので、春太はそこに向かって語り続けた。

「メルムがいなくなっちゃったんだよ、これは捜さないと、ね? 間違って狩場に行っちゃっているかもしれないじゃん。そうしたら危ないでしょ?」

 以前マキンリアが行方不明になった時、高レベルな狩場に行ってしまったことがある。

 もしそうなった場合、一刻も早く捜し出してやらねばならない。

 セリーナもそれは分かっているようで、口を強く結んで厳しい表情をしていた。

 今度はマキンリアがセリーナの前にしゃがみ込み、話しかけた。

「セリーナ、お願い」

 セリーナが顔をしかめる。

『みんなでお願いしてくるなんてズルイでしょ』って思っているのかもしれない。

 絶賛葛藤中のようである。

「帰ったら首筋マッサージを倍に増量するから」

 春太が交渉を持ちかけるとセリーナの耳がピクピク動いた。

 しかし、以前はこれで折り合ったはずが、今回はまだいい返事が得られない。

「じゃあ三倍!」

 更に増量してみたら、セリーナが春太の方へようやく目を向けた。

『約束だからね』と言っているようだ。

 春太はもちろんと頷く。

 これはセリーナにとってもご褒美だが春太にとってもセリーナとベタベタできるのでご褒美なのだ。

 これ以上ないwin-winの条件なのである。

 セリーナは溜息をつくと体をブルブルさせた(濡れた時にやるようなブルブルである)。

 犬は緊張をほぐす時あくびをしたりブルブルしたりする。

 セリーナはしかめっ面から普段の顔に戻り、空気中を探るように鼻をヒクヒクさせ始めた。

 後は任せておけば必ずメルムの所まで辿り着けるはずだ。


 セリーナは道の臭いを嗅いでぐるぐる回り、やがて方向性を見出した。

 春太達がついていくと、セリーナは時折振り返りながら歩くスピードを人間に合わせてくれる。

 チーちゃんとプーミンがセリーナの真似をしてあっちこっちの臭いを嗅いでいたが、その内プーミンは飽きてしまった。

 チーちゃんは熱心に臭いを辿っていたが、やがてセリーナと別方向へ行こうとしてしまう。

「いったい何の臭いを嗅いでいるんだ?」

 春太が疑問を口にするとマキンリアが仮説を披露した。

「食べ物の臭いじゃない?」

「食べ物……」

 なるほどそれは盲点だった。

 セリーナが普通に人捜しをしているので忘れてしまっていたが、一般的なワンちゃんは食べ物の臭いにウハウハするものだ。その欲求を押さえて人捜しに集中しているセリーナの方が特殊なのである。

 チーちゃんが向かって行ったのは学校だった。

 お菓子研究部の棟からおいしい匂いが漂ってきているのかもしれない。

 学校はメルムが行く可能性のある場所だが、セリーナはそっちの方を向いていない。

 ということは、メルムはここにはいないのだ。

 春太が思うに、セリーナはメルムの新しい臭いと古い臭いを嗅ぎ分けている。

 新しい臭いを辿ることにより現在地を割り出そうとしているのだ。


 セリーナは街の中を鼻を頼りに進んでいく。

 時々きょろきょろしたり、長考することもあった。

 やがて見たことのある場所までやってくる。

 魔力噴出孔の丘・メッソーラだ。

 しかしその入口には行かず、更に街の外れの方へ。


 大きなタンクを載せた荷車がぽつぽつ見える。

 それらは少年がえっちらおっちら引いていた。

 水売りだ。

 だがこの辺りには水売り以外におらず、客の呼び込みも行っていなかった。

 一本道を、水売り達が行き来しているだけだ。


 セリーナが臭いを嗅ぐのをやめた。

 それは確信を得た、ということだ。

 彼女は水売りしかいないこの一本道の先を見据えている。

 春太とマキンリアは互いに首を捻った。

「どこ、ここ?」

「さぁ……?」

 春太達を水売りが追い抜いていく。

 その水売りは春太とマキンリアを交互に見て、ニヤニヤしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る