第74話 人は人を超えられるんだよ

 メルムの学校へ向かう道すがら、春太はおでん屋・流浪の味を振り返る。


 おでんとクラザックスの組み合わせは果たしてどうだろうか……最初はそんな風に思っていたが、よくよく考えてみればご飯の後のデザートなんて普通にあることだ。

 糸目で見事に禿げあがった頭にねじり鉢巻きの店主がおでんをよそってくれた。

 予算を伝えてお任せコースにしたのだ。

 日本で見かけたおでんと違って肉の種類が豊富だったりカラフルな野菜があったりしたが、どれもおいしくいただいた。

 冷たいおでんは味が広がりにくい代わりに、飲み込む時にダシがきいているのが分かり、後から旨さがじわじわやってくるものだった。


 それからクラザックスが出てきたが、見た目は豆腐だった。

 杏仁豆腐のような、それでいてスーッと爽やかさが広がっていく口当たりの良さは食事の最後に食べるには最適だった。


 学校の敷地内へ入り、時折生徒や先生とすれ違う。

 高確率でチーちゃんやセリーナが注目され、女子からはカワイーと声が上がることもある。


 ただ、流浪の味は……と春太は思う。

 あの味はメルムの目指しているものとは方向が違う気がする。

 メルムのこれまでの試作品は、やはり専門店で出されるようなしっかり甘い、というか、主張のはっきりした味を意識しているようだった。

 クラザックス+コーヒーや紅茶、という感じの。

 今回のこの淡い感じをメルムに伝えたところでプラスになるのかどうか。

 そこは微妙なところかもしれない。

 というか、そもそもメルムは試作を続けているのだろうか。

 前回ミラにあれだけ打ちのめされてしまったのだ、もうお菓子研究部に来ていない可能性だってある。マキンリアは心配ないって言っているけど、やっぱり不安だ。俺なら立ち直れない……と思う。

 お菓子研究部に着くと、メルムが来ているのかどうか、そればかりが頭にへばりついて緊張してきた。

 事務室にセリーナ達を残し、春太とマキンリアで調理室へ向かう。

 いつの間にか事務室にはペット用のおもちゃや骨ガムが用意されていたが、セリーナ達は早くも人気者になっているようだ。

 調理室のドアを開ける時が一番緊張した。これでメルムがいなかったらどうしよう……


 しかし心配は杞憂に終わった。

 メルムはエルダルトやマリアールに囲まれ、調理台に立っていたのだ。

 春太達が近付いていくと、メルムはクラザックスに集中しながら口を動かした。

「ちょっと待っててね、今仕上げのところだから。そこに座ってて」


『話す時は人の目を見て話しなさい』という言葉があるように、こちらを見ずに話すのは失礼かもしれないが、これに限っては当てはまらないような気がした。

 これまでは彼女は作業に没頭していると春太達に気付かないことがあった。

 それが、周囲に意識を向けられるようになったのである。

 心に余裕が出てきたような、そんな変化が感じられた。


「できたっ……」

 メルムはそっとクラザックスから手を離し、満足げに呟く。

 その表情の翳りの無さに春太は目を奪われた。

 迷いのとれたような、とても魅力的な顔になっている。

 恋愛感情とかそういうのではなく、磨き上げられた水晶を見たように、綺麗だと思う。

 人は何かに打ち込んでいる時にいい顔をすると聞いたことがある。それを今見た気がした。


 でも、なぜ?


 ミラに打ちのめされてうなだれていたメルムの姿と今の彼女が、どうしても結びつかない。まるで、過去と今に断絶があって別人になってしまったかのような。

 しかしそれを口に出すのは勇気が必要だったのでやめた。

「お待たせ。ちょうど出来上がる時に来るなんて、嗅覚が鋭いのね」

 メルムが皿を皆の前に差し出しながら軽口を叩く。

 ここにも心の余裕が見てとれる。どこからこの余裕が来るのだろう。

 彼女の試作品にはマキンリアが真っ先に手を出した。

「あたしの嗅覚はチーちゃんにも負けないんだよ!」

「それは素晴らしい特技ね。犬の嗅覚って凄いんでしょう?」

「食の道を極めれば人は人を超えられるんだよ。ん~おいしいー!」

 マキンリアが目を瞑り味覚に浸る。

 その表情がどれだけおいしいかを表現しているようで、見ている側も興味がそそられてくる。

 春太も試作品に手を出してみた。

 口に放り込み、咀嚼。

 すると、一噛みで味覚がガツンと叩き起こされた気がした。

 味が変わったのか。

 微妙に変わった気もするが、劇的に変わったわけではない。

 しかし、何かこう……心してかからなければならない気持ちにさせるものがあったのだ。

 他の感覚を意識から外し、味覚だけに集中する。

 ひんやりしたゼリー、フルーツを練り込んだクリーム、全てが奥深い。

 その日の温度や湿度を肌で感じ、クリームを混ぜる手を絶妙な瞬間で止めるメルムの姿が思い浮かぶ。

 思わず唸りを上げてしまう春太。

 食べ始めから食べ終わりまでずっと多幸感に包まれていた。


 味覚以外の感覚を取り戻すと、周囲の声が聴こえてくる。

「なかなか良くなってきたね」

「確かに」

 マリアールとエルダルトが納得した顔で褒めている。

 ミラがやってきてメルムの皿を受け取った。

 彼女は前回同様クラザックスを半分に切り、口の中に放り込む。

 咀嚼が終わると、彼女は口の端を持ち上げた。

「まだまだだが……スタートラインには立てたようだな」

 それを聞いてメルムは感動し、深々と頭を下げた。

「あ、ありがとうございますっ!」

「気持ちは大事だ。ハイレベルな戦いになると技術の差は殆どなくなってくる。そんな時何が勝敗を分けるか……それは気持ちだ。精神論もあながち捨てがたい」

 ミラはそれだけ言うと、次の試食に呼ばれて去っていった。

 メルムは小さくガッツポーズし、邪気の無い良い笑顔をしていた。


 帰り道。

 校門を出て、校舎がゆっくり遠ざかっていく。

 メルムは明らかに変わったようだ。

 心に余裕が生まれ、ミラ先生にも認められた。

 春太は何があったのだろう、なぜだろうとずっと思っていたが、それがメルムに伝わったのか、彼女の方から話し始めた。

「わたしね、ミラ先生に打ちのめされてようやく自分の求めているものが分かった気がするの」

 苦笑いをしながら、苦い思い出を語るような口調だ。

 春太は何と言っていいのか分からなかったので、黙って先を促した。

「圧倒的な壁を感じたのは本当に久しぶりでね。でも、自分の求めていたものはこれなんだって、はっきり自覚したんだ。冒険者塾では物足りなさを感じていた。それは、この壁をどう攻略してやろうっていう挑戦者の気持ちだったんだよ。わたしは今、挑戦者になった、それがもう楽しくて楽しくて。何を見てもキラキラ輝いて見えるんだよね。道端に咲いてる花が実はこんなに綺麗だったんだーとか、今日は雲の流れがやけに速いなーとか、周囲のことも意識できるようになってさ、すっごい視界が広がったんだよね」

 彼女はとても充実しているようだった。

 確かに、冒険者塾での彼女は物足りなさを感じていたと思われる。

 もはや塾に行くようなレベルではなく、周囲より明らかに強く、そこに高い壁など存在しない。

 俗に言う『俺Tueee』。

 ライバルもいない俺Tueee。

 彼女は自分の敵わない何かを求めていたのかもしれない。


 高いレベルの悩みだと春太は思った。

 自分では経験できない悩みなので想像はつかないが、強いて言うならいとこの一人が見せてくれた光景がある。そのいとこは俺と同い年だけどずいぶんクールな奴だった。

 いとこはある時父親(要は春太のおじ)を誘ってオンラインゲームを始めた。対人戦が主体のゲームである。基本無料のこのゲームは無料でも最低限楽しめるが、いわゆる『ガチャ』がものをいう制度になっていた。

 ガチャとは課金して引くくじ引きであり、このガチャで強い装備が当たることがある。しかし強い装備が当たるのは稀で、殆どはハズレの弱い装備しか当たらない。子供がウン十万円ガチャに使ってしまったなどと社会問題になったこともあるが、それはこうした強い装備がなかなか当たらないようになっているからである。

 いとこは『まあ運営維持費もゼロじゃないから』と言って時々少額課金をしていた。しかしおじの方は『そんなぬるいことをするな』と数百万円もガチャに突っ込んでしまった。まあいとこの家もかなりの資産家なのである。

 おじは全てを最強装備で固め、対人戦で暴れ回った。

『フハハハ、これが大人の力だ!』

 自分の息子に良い所を見せたいと思ってのことだったのかもしれない。

 しかしいとこは反応が薄かった。

『おー全国1位じゃん、おめでとう』

 この一ヶ月後に再びいとこと会った時、遂に事件は起こる。ちなみに俺は同じゲームをやっていたが無課金だったので、いとことどっこいかちょっと弱いくらいで、もっと強い装備が欲しいねーなんて言っていた。

 再会した時春太といとこで楽しんでいたが、近くのテーブルで同じゲームをプレイしているおじの様子がおかしい。

 最強装備で固めたおじは相変わらず片っ端から敵プレイヤーを蹂躙していたが、そのうちおじはスマートフォンをテーブルに放って溜息をついた。

『はあーあー、つまらないなあ。みんなザコばっかりだ。誰か俺に立ち向かってくる奴はいないのかね』

 おじのキャラクターは画面にぽつんと一人で佇んでいる。

 たまに別プレイヤーがちらりと見えるが、おじを見た途端に逃げていく。

 強過ぎるおじのキャラクターは誰からも攻撃されず、おじが攻撃しても誰も反撃してこなかった。

 誰からも相手にされなくなったおじは明らかに物足りなさを感じているようだった。

 そんなおじに、いとこは冷静過ぎるツッコミを入れたのである。

『誰にも相手にされないキャラを作ったのは自分じゃん。これは自分が望んだ結果じゃないか。自分が望んだ結果に何で文句言ってんの?』

 その時おじはキレて自分の息子を罵倒し部屋を出ていったが……後で庭でうなだれているのを見てうわあ、と思ったのを覚えている。

 自分の幼稚さを息子に指摘されてへこむ父親像は、子供ながらに『見てはいけないものだ』と思わせるものがあり、春太は慌てて庭から離れたものである。

 そんなおじの姿は関係無いかもしれないが、とにかく、強過ぎるとつまらなくなるようだというのは何となく分かった。


 強過ぎるメルムが求めていたのは自分が強くない状況だったようだ。

「でも……よく気持ちを切り替えることができたね。あれだけ打ちのめされてさ」

 春太はそこに感心した。自分だったら多分無理だ。立ち直れない。

 するとメルムは困ったような顔で答えた。

「そりゃあの後はいっぱい泣いたよ、家帰ってからさ。でもいっぱい泣いたらすっきりしたんだよね。たまには感情を爆発させるのも必要なのかも」

 それを受けてマキンリアがそうだよねーと頷いている。

 春太は腕組してそういうものなのか、と半分納得したようなしてないような感じになった。これは女だからなのか、それともそういう性格なのか、それは分からない。

 セリーナに意見を求めようと視線を送ってみたが、こちらをチラ見するとすぐに別の方へ首を向けてしまった。自分で考えなさいと言っているようだった。

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