第72話 あんまり引きずってられないの

 マイスの木々たちの間に入っていくと、ヒヤリと肌が冷気を感じ取った。


 空気が変わった。


 古い寺社は森に囲まれていることが多いが、アスファルトの道から木々のあるエリアへと足を踏み入れた時、同じ感覚を味わったことがある。

 それは夏場に行った時のことなので、森の中との温度差がそうさせたのだろう。

 だが寺社という要素が、何か厳粛な気持ちにさせたものだ。

 お化け谷・マイスではそれとは違い、『何か出そう』みたいな気持ちにさせる。

 お化け怖い的なヒヤリ。


 一方、ペット達はヒヤリとするどころかルンルン気分だ。

 チーちゃんとセリーナは初めて見る奇怪な樹の臭いを嗅いで回っている。

 とにかく犬はまず臭いから。臭い第一主義。

 猫も臭いは大事だが、猫の方は視覚から入ることが多いように思われる。

 プーミンは地面にびっしり生えている葉っぱをじっと凝視し、恐る恐る触っている。これが優しい猫パンチみたいで可愛い。


 春太は歩きながら、何とはなしにメルムのことを話題に乗せた。

「メルム、へこんだかなあ」

 お菓子研究部で元プロのミラに会った時のことを思い出す。

 メルムのクラザックスをミラに試食してもらった時のことを。


 ミラに試食してもらったことはプラスなハズだ。

 プロの意見は素人にとって大きな経験値に変換される。

 しかし、今回のは経験値に変換されるだろうか?

 あれだけ打ちのめされてしまうと、立ち直れるかが心配になってくる。

「へこんだと思うよ」

 マキンリアの反応は思ったより素っ気ない。

 メルムのことを心配していないのだろうか、と春太は気がかりになりながら言葉を続ける。

「先生にコテンパンにされてさあ、その後試作を止めちゃったじゃん」

「そうだね」

 やはり素っ気ない。

「ずっと俯いてたからさ、大丈夫かな?」

 焦ったように春太が尋ねると、マキンリアは肩を竦めてみせた。

「大丈夫だと思うよ」

「え?」

「女の子はね~次の日になると大抵のことは忘れちゃうんだよ。泣いたり怒ったり落ち込んだり忙しいから、あんまり引きずってられないの」

「…………そういうもんなの?」

「そうだよ。シュンたんだって経験あるでしょ? 女の子がすごーく怒ってたかと思えば、次の日普通に話しかけてきたりとか」

 春太は記憶に検索をかけてみる。女子と話すこと自体あんまり無い、というか小学校を卒業してからはほぼ無いような気がする。小学校の時は気にせずに話してたけど。姉ズはどうだったかなあ……なんか一つ一つのことすごーく根に持ってた気がするけど、そんなエピソードなどここで思い出したくないので割愛する。

 そこでチラリと愛するペット達に目を向けた。

 考えてみれば、彼女達は全員メスである。

 チーちゃんも、セリーナも、プーミンも、今までを振り返ればみんな切り替えが早いではないか。

 お散歩だぞーと言えばテンションが上がるし、ご飯だぞーも同じく。

 どんなにしょげている時も、パッと切り替わるのである。

「そうだね、うんうんあるある!」

 春太が頷くと、マキンリアは同意を得たとばかりに畳みかけてきた。

「でしょでしょ。だからあんまり心配しなくて良いんだよ」

 きっとマキンリアは、春太が『女の子が怒ってたのに次の日には普通に話しかけてきた』エピソードに思い当って頷いているものだと思っているのだろう。そこら辺の認識の祖語はまあよしとする。とにかく女子は切り替えが早いのは分かった。


 プーミンが遠くで動く物体を見付けた。

 その目線を追っていくと、ゆらゆらと空中で何かがゆらめいている。

 薄くなったり濃くなったりと見えづらいが、空中に火の球みたいなものが浮いているのが分かった。

 鬼火と表現すれば良いのかもしれない。

 それがスーッと空中を滑りこちらへ向かってくる。

 実にお化け谷らしいモンスターと言えるだろう。


 春太は弓を構え、引き絞った。

「これ、矢が素通りしちゃうとか、ないよね?」

 これまでプレイしてきたゲームでは、幽霊系のモンスターには物理攻撃が効かないという仕様である場合があった。幽霊には触れられないというイメージから設定した仕様なのだろう。そういった場合、魔法攻撃のみ有効となっていた。

 この世界では、幽霊系に物理攻撃が無効となる仕様だろうか。もしそうなら、春太とマキンリアでは倒すことが不可能になる。

「分からないけど、試してみれば……良いんじゃない?」

 マキンリアの方は言うが早いか、クロスボウを構えるとすぐに発射した。

 勢いよく飛び出していった矢が鬼火に当たる。

『41』

 普通にダメージが出た。

 物理攻撃は有効だ。

 なら、何も問題は無い。

 春太も矢を放つ。

 風切り音を残して前へ前へと矢が進む。

 しかし鬼火はひょいとそれをかわしてみせた。

『ミス!』

 ミスの表示が虚しく躍る。

 宝石鉱山・パケラケのコウモリも当てづらかったが、空中の敵はそういうものなのだろうか。

 まだ距離はある。

 第二射用意。

 今度は拡散撃ちの方がいいだろうか。

 ミスを重ねるより確実に当てていった方が良い気がする。

 その時だ、鬼火の様子が変わったのは。


 鬼火は中心から外側へネオンサインのように光っていき、それが終わると、周囲に幾つかの火の球を出現させた。

 火の球は赤く、鬼火と違って本物の炎のように思われる。

 それが魔法攻撃だと気付いたのは、発射されてからだった。

 四つの火の球が春太達に襲い掛かる。

「うおっヤバッ……!」

 春太は後ろに向かって走り出した。

 横に避ければいいものを後ろに逃げてしまうのはご愛嬌。

 鈍足なのですぐに追いつかれてしまう。

 脊髄反射で頭を抱えしゃがみ込む。

 頭の上を火の球が通り過ぎていった。

 果たして頭を庇う必要があったのか。多分、地震の時用の行動が反射的に出てしまったんだろう。人間、咄嗟の時には何をするか分からないものだ。

「危ない危ない……っと、マッキー大丈夫?」

「大丈夫だよ!」

 マキンリアの方は近くの木の陰に隠れやり過ごしたようだった。なるほど、一番無難なやり方はそれか。

 春太は思いつく。木の陰に隠れながら撃てば一番安全だ。

 さっそく一番近くにある木に走って行った。

「シュンたん危ない!」

 焦りの声が聴こえてくる。

 春太はマキンリアの方を振り返り、それから自分の周囲を見回した。

 一回目の確認では何も見付けることはできず、『危ない』が何を指しているのか分からなかった。

 しかし二回目見回してみた時、鬼火がもう一匹、こちらに向かってきているのを発見。

 その鬼火は既に火の球を作り終えたところだった。

 火の球は春太が目を丸くしている間に射出された。

 あっヤバイと春太は慌てて木の陰から飛び出す。

 だが本当に危険だったのは木の陰を出た後だった。

 元々いた鬼火が第二射を放ってきて、春太は火の球の弾幕に正面から突撃するハメになってしまう。

 急な方向転換ができず、正面から火の球を四つ、もろにもらってしまった。

「アヅァッ!」

 襲い来る熱と、ふっ飛ばされた時の浮遊感。


 あ、終わった、と春太は気付いた。


 チーちゃんやプーミンに飛びつかれた時は、ふっ飛ばされて死亡する。

 ふっ飛ばされるとは、つまりはそういうことなのだ。

 意識がしばしブラックアウトし、気付くと宿のベッドに寝かされていた。

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