第60話 この子達は汚したりしませんよ

 お菓子研究部の棟に着いた春太達。

「いきなり調理場を覗くのはまずいかな……?」

 入口を通った途端にメルムがそわそわし始める。

 これから告白でもするのかといった感じだ。


 建物の内装は清潔感で溢れ、引き締まった空気を醸成している。

 入口からすぐの所にはこれまでの受賞歴を誇示するようにトロフィーがいっぱいに並べられている。

 それから掲示板があり、部の基本精神十か条なるものが貼り出されていた。

 これが守れない者は即退部、とあり、その横には今月の退部者の名前まで貼り出されている。

 厳しくて、本気の人達が集まっている部活、というのが嫌というほど入口で分かった。

 春太は恐らくここに入れば一日とてもたないだろう。

 すぐに辛くなって逃げ出すはずだ。

 そう思っただけでちょっと胃にくるものがある。

 世の中には部活を面倒くさいと言って入らない人がごまんといる。

 しかし、口ではそう言ってても本音は『本気の人の足を引っ張ってしまうのが辛い』とか『やる気のある人に申し訳ない』みたいな後ろめたさで入部を諦めている人も割といるんじゃないだろうか。


 緊張状態にあるのはメルムと春太だけのようで、マキンリアに変化は無い。

「これだけ賞とってたら味も確かだよね。楽しみだなー」

 能天気な彼女の声が建物内で反響する。

 それが無性に場違いな気がして春太は「静かに!」と言いそうになった。図書館にいるみたいな感じだ。

 しかし、口まで出かかった言葉を飲み下したものの、口は既に発声を行う態勢になってしまっている。

 振り上げた拳の下ろしどころを失ってしまったみたいな状態が嫌で、間に合わせみたいな言葉を代わりに吐き出した。

「アポは取ってあるの?」

 何のことはない質問。

 場をもたせるだけの会話。

 しかしメルムの不安は一層高まってしまったようだった。

「弟が取ってある……ハズ。でも不安ね、あいつすぐものを忘れるし」

「アポ取ってなかったら俺達怪しい侵入者になっちゃうよ」

「やだ、そうしたらヤバくない? 捕まっちゃったりとか」

「え、そんなの嫌だよ。ここの警備員、剣とか持ってたりしない?」

 そうして進んでいくと、教室のようなドアが見えてくる。

 ドアの向こうからは話し声が聴こえてきていた。


『次の部内コンテストのテーマどうする?』『ヤバイな~全然決まってないよ~』『とか言いつつお前秘策あるんだろ』『えへへ、手の内をライバルには明かせないからね』『私は今回砂糖無しでいってみようと思う』『えー本当?!』


 部員たちが話しているようだ。

 競争心を高めるために部内でコンテストを開いているのだろうか。

「あー部員達がいるよ、しかも話し中だよ、どうしよう」

 メルムはドアの前で躊躇い始めてしまった。

 ドアの向こうで巨大企業の役員会議でもしているのかというほどプレッシャーを感じているようだ。

 春太もつられて緊張してしまう。

「いきなり入っていったら叩き出されたりしないかなあ。アポとってあるかどうか、弟さんに確認した方が良くない?」

「とってあると思うんだけどなぁ……でも信じきれないところが……んーやっぱり確認してみようかな」

 そんな風にひそひそ会話していることで、春太達は背後にやってきた影に声をかけられるまで気付かなかった。


「アポイント無しでも大丈夫ですよ」


「うわあっ!」「いっ……!」

 突然声をかけられ、春太とメルムが悲鳴をあげる。

 声をかけてきたのは、理知的な顔の、眼鏡をかけたイケメンだった。

「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。中にいるのは猛獣ではなく、あなた達と同じ普通の学生ですから」

 完璧なイケメンスマイルで、佇まいも穏やかな紳士。

 これだけで大半の男子からは敵認定されることだろう。

 春太にとってはどうでも良いことだが。俺は人間のメスを取り合ったりしないからね。犬猫の女の子にしか興味無いし。

 メルムの方には明確な変化があった。

「あ、あの、あなたはお菓子研究部部長のマリアールさん……?」

 紅潮した顔はイケメンスマイルの効果なのか、部長という肩書き効果なのか、その両方か。

 それくらいメルムは舞い上がってしまっているようだった。

「ああ、はい、部長をやらせてもらっていますマリアールです。知っていただけているのは光栄ですね。さあ、中へどうぞ。でも……」

 と言ってマリアールはチーちゃん達をチラリと見た。

 その先は言われなくても分かる。

 だから春太は先んじて反論した。

「この子達は汚したりしませんよ。俺が24時間365日完璧なコンディションを保っていますからね」

 するとマリアールは一度頷き、難しい話をし始めた。

「クモは害虫ではなく益虫であったりする場合もあるのですが、嫌われて家から叩き出されてしまったりしますよね? 害が無くても嫌われてしまうものたちは『不快害虫』と呼ばれています。私は部長であり、部員全員の責任者でもあります。私がこの子達を許しても、部員の中には動物が苦手な者もいるかもしれません。私個人の気持ちだけでは決めることができないのです」

「この子達を害虫と一緒にしないで下さい!」

「例えは悪いかもしれませんが、仕組みは同じなのです。それから、害虫ではなく不快害虫です。害が無くても人が嫌悪するという意味のね。あなただって見たことあるでしょう? 犬や猫を毛嫌いする人を。人間も動物なのに『動物がキライ』などと妙なことを主張する人だっているでしょう?」

「…………」

 春太は口をつぐんだ。

 小学生の時、何の害も無いダンゴムシでキャーキャー騒ぐ女子がいたなと思い出す。まああれは生理的嫌悪というより可愛さアピールなのかもしれないけど。それとか、『お前蚊だったら殺すだろ、何で犬や猫だったら良いんだよ?』とか捻くれたことを言って得意げになってる男子もいたな。

 しばらく沈黙していると、マリアールは機を見たように表情を和らげた。

「とはいえ、私がある程度裁量を任されていることも確かです。この部屋は事務的な用途の部屋なので、ここまでなら良いですよ。中に拒絶する者がいなければ、ですけど」

「本当ですか?! 良かったぁ……」

 春太は安堵してチーちゃん達を撫でまわした。

 チーちゃんはどちらかというと目の前の部屋よりもっと建物を奥を見ているようだった。

 きっとそっちの方に調理場があるのだろう。

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