第56話 そして作ってあたしに食べさせて!
春太はいそいそと大食い袋から弁当を取り出し、ペット用の弁当を地面に置いた。
リリョーのデラックス弁当はその中でも階級があり、一番上の物はちょっとデラックス過ぎる感があったため、今回はそれより一段下のものにした。
セーネルではデラックスでも大した金額ではなかったのだが、ここはリゾート的な金銭感覚なのかもしれない。冒険者として大成すればそんなこと気にしなくなるんだろうけど。
早速チーちゃんがガツガツ食べ始める。
チワワに必要な食事量は本当に少ない。飼い始めの時はついつい沢山あげたくなってしまったが、祖父にそりゃあげ過ぎだと窘められたものだ。
『これくらいでいいんだ』
祖父がそう言ってドライフードを皿に入れたが、可哀そうと思うくらいの少なさだった。ウチではドライフードにプラスして缶詰を混ぜてあげるのだが、缶詰を足してもまだ少ない気がした。
しかしチワワの体重は1.5~3kgしかない。人間の基準で考えてはいけないのである。強いて言うなら、赤ちゃんに食べさせるようなものか。
チーちゃんの弁当はだいたい3分の2を取り去ってから与えている。取り去った分の行先は食いしん坊娘だ。プーミンの弁当も以下同文である。
セリーナだけは大型犬なので一人前をそのまま食べる。ボルゾイは他の大型犬より遥かに軽いのだが、運動量が多いならそれなりの量をあげて良い。
ペット達はよく咀嚼中にこっちを見たりするのだが、それは食べている様子を見てもらいたいのだろうか。それとも食べている間でも周囲を警戒する野生の名残りか?
そんなペット達の様子を微笑ましく見ているのも長くは続かない。
メルムが食べ始めるなり溜息をつく。
「またやっちゃった……」
華やかな容姿の彼女に、暗く湿った影が差し込んでいる。
さっきまでの勢いはどうした。いや、さっきまでの勢いが問題なのか。
ここには自信に満ちた塾生の姿は無く、頭を抱える少女の姿しかない。
春太は声のかけようがなかった。かけるべき言葉が何なのか、分からない。二、三回会っただけの相手の悩みに適切な言葉が浮かんだら、そいつは間違いなくコミュ力高い系だ。
「メルムは悪くないよ」
マキンリアが励ますが、メルムの耳には届かない。
「どうしてもここに来るとやっちゃうのよ。もう静かにしてようって思うんだけど、手加減しててきとうにすればいいっ……て思う度に、それは違うだろー、みたいな? で、イライラしてきて……」
どうやら彼女は真面目のようだ。みんなに合わせて手を抜くということができないらしい。落ちこぼれが真面目に頑張って成果を出すのは褒めてもらえるけど、できる人が真面目に頑張るとやっかみの対象になる。やっかまれずにそこそこ感心されるみたいなゾーンが暗黙の了解の内に出来上がっていて、そのゾーンの中に調整できれば平穏な学生生活が送れるんだけど……
何でそのゾーンに入っていなきゃならないんだろうと考える人はいる。メルムもそうなのだ。
「メルム、こういう時は食べて応援だよ!」
「…………応援?」
メルムが都市伝説を聞かされたみたいな疑いの表情になる。そりゃ当然だ。応援されるべき対象のメルムに応援しろというのだから。いったい誰を応援するんだ。
するとマキンリアは屈託のない顔で言ったのだった。
「自分自身を応援するんだよ! 食べるのは自分へのご褒美っていうじゃない!」
「ご褒美は何かを達成した時でしょ。それだと応援なのかご褒美なのか分からないじゃない」
苦笑しながらメルムが言うと、マキンリアは意味ありげに笑った。
「そうそう、それでいいんだよ! 難しいことは考えないで、さ、食べよ!」
滅茶苦茶だった。
マキンリアの言うことは大抵滅茶苦茶なのだが。
しかしそれがメルムの肩の力を抜いたようだった。
メルムはクスッと小さく笑みを漏らす。表情に差していた影が薄まる。
「あなたと話していたら少しだけ元気が出てきた。あなたって凄い元気を持ってるのね」
顔は明るい暗いと表現することが多いが、それがよく分かるような変化だった。
わずかに空気が緩んだことで、ようやく春太も口を開こうという気になる。
「せっかくクラザックスが好きなのなら、食べ歩きでもしてみたら?」
メルムは苦笑いで答えた。
「それはもうやってる」
当たり前のことだったかもしれない。春太達と出会ったのも、彼女が食べ歩きをしている時だったのではないか。
「じゃあ……作ってみるとか」
「作る……?」
「だって、職人になりたい願望があるんでしょ?」
「それは……あるけど……」
メルムの反応が変わった。この反応は、家であまり作っていないか、全然作っていないか、そのどちらかではないだろうか。
「作ってみるのも結構気晴らしになると思うよ。よく定年を迎えたお爺さんが蕎麦打ち教室に行ったりするじゃない」
「ソバって……?」
「……ああ、蕎麦って知らないのか。蕎麦っていうのはね、あのー………………蕎麦だよ。っていうか、麺だね、麺」
蕎麦を知らないと言われた時どう説明すれば良いか。これは思ったより難しいな。ソバの実から作ると言ってもソバの実を知らないと言われればそれまでだし。なんて言えば伝わるのか分からない。灰色の麺とか言ったらあまり旨そうに聴こえないかもしれない。
「それに、私まだ定年には遠すぎるし」
これはマズイことを言ってしまった、と春太は冷や汗をかいた。
意図しないことで失礼を言ってしまうことがたまにある。というか、俺の場合、よくある。特に今回のように励まそうとした時にこれが発動してしまうと最悪だ。
「いやっ特に深い意味とかは無くて、単純に爺ちゃんが『友達が蕎麦打ち教室行き始めた』って話をしていたことがあるから言っただけなんだ!」
するとメルムは、さきほどマキンリアに向けたのと同じように苦笑した。
「そんなに慌てなくても、怒ってないから安心して」
どうやらこちらの気持ちを酌んでくれる人のようで、助かった。何気ない一言で根に持たれる場合もあるし……
「とにかく、作ってみるのも良いと思うよ」
塾に行き高慢ちきな態度をとり、それで心が疲れて家路につくという極端な心の振れ幅の日々。そこには何か潤いが必要ではないか。俺の場合、外で溜めたストレスはチーちゃん達によって解消されている。
メルムは顎に手を当てて考え込む仕草をした。
「そうねえ……でも……親に見付かったらマズイし」
「親に一度ちゃんと話してみたら?」
親が子供のすることにいちいち口を出してくるだろうか、と春太は思う。ウチの場合は何も言ってこない。あまり関心が無いだけかもしれないけど……いや、それは今はどうでもいい。そういえばクローザーも言っていなかったか……ちゃんと親に話した方が良いって。案外簡単に許可が出るんじゃないのかな。
しかしメルムは首を振る。
「親がせっかく期待してくれているんだから、その期待を壊してしまうのもさ……」
「んー……そうなの?」
春太はここでもう一押しすることができない。
根気強く説得を試みる人もいるが、春太の場合は拒絶されるのが怖いのだ。
だから、一回断られたら基本的にそれ以上進まない。
「要するに中途半端なのよ。最後は自分次第ってよく言うけど、そんなことは分かってる。分かってるんだけどねぇ……」
どうにもならない気持ちを丸めて溜息として吐き出すメルム。
親に対する遠慮……何だか春太も親近感が湧いてきた。俺も親に遠慮しているし……自宅は裕福で姉ズはそれを目いっぱい享受している。でも俺は他人の金だし……と思って親には最近ねだらなくなった。高校生になったらバイトして、欲しい物は自分で買うようにしたいと思っている。
ますますこれ以上の言葉は無くなった。
しかし春太が黙っていると、マキンリアが声を上げたのだった。
「せっかくやりたいことがあるんだからやった方が良いよ! 結果を出せば親も認めてくれるんじゃない?」
物凄く真っすぐで、直球だった。
ここまで真っすぐに言われてしまうと、逆に驚きも出るというものだ。
「そ、そう?」
メルムがたじろいだ感じでそう言うと、マキンリアは両手を拳にして力説する。
「そうだよ! 人生は楽しんだもん勝ちなんだから! いや、それはこの際どうでもいいよ。食に傾ける情熱がある……それを実行に移さないのはもったいな過ぎる! 作ろうよ! そして作ってあたしに食べさせて!」
微妙な空気が広がる。
さんざんわけわからない演説を打っておいて、言いたいことは最後の一言だけだったのではないだろうか。
少しして、メルムは笑い出した。
「なに、あなたが食べるために私が作るの?」
「そう、心強いでしょ?」
自信満々のマキンリアにメルムは押し切られたようだった。
「しょうがないなあ、もう」
それはとても楽しそうな声だった。
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