第55話 食欲による友情

 巨木の根でプーミンが爪とぎを始める。

 カリカリ、カリカリ。


 猫の爪とぎは本能的なもので、生後五週齢頃から見られるという。

 これはやめさせることは困難なので、お気に入りの爪とぎ場所を用意してあげることが必要だ。

 素材はロープやカーペット、形はキャットツリーやアップライト型など色々ある。


 プーミンの場合は最初、食器棚の角で爪とぎをしていた。それを見付けた母がヒステリーを起こしてプーミンを保健所に送ろうとしたことがある。

 爺ちゃんが『そんなこといちいち気にするな』と宥めようとしたら、母はとんでもない暴言を吐いたのだった。

『こんな薄汚い獣に家具を壊されたんです、殺処分すべきでしょう! これじゃお友達も呼べないじゃないですか!』

 母にとって家具は友達に自慢するための最良の小道具だ。時折お食事会を開いては友達から『このテーブル凄い、どこの?』『あの食器棚素敵』と褒めてもらい、いやいや大したことないんですのよ、と言って優越感を得ている。家具が傷物になってはたまらないのだ。

 これが爺ちゃんをキレさせた。

『薄汚いのはお前の心だ! サルみたいにマウンティングするためだけの家具なんて捨ててしまえ!』

 爺ちゃんは昔は命より物が大事という考えだった気がするが、この時には既に考えが180度変わっていた。

 母は頭に血が上り過ぎて卒倒してしまった。

 見かねた父が食器棚を買い直すことで何とかその場を収めたのだった。

 その後は春太が爪とぎについて調べ、プーミンが気に入る爪とぎアイテムを幾つか試してみた。

 プーミンが気に入ったのはロープやカーペットではなく、木の板だった。

 凹凸のある木の板が一番好きなようで、今目の前にある巨木の根は最適かもしれない。


 チーちゃんもプーミンの真似をして爪とぎを始めた。

 ここで、猫と犬の違いが出る。

 犬の場合、充分な散歩をしていれば爪と道路の接触により自然と爪が削れていくので、鋭くなることはない。

 チーちゃんは単に面白い遊びだと思って真似をしているだけだ。地面を掘るように勢いよくカリカリカリカリ引っ掻いている。

 セリーナは木の根をちょっと上った所に平らな場所があったので、そこで伏せていた。


 春太とマキンリアは冒険者塾の集団に近付き、観察していた。

 今日も前回見たのと同じだった。

 というか、もっと強烈だった。

 メルムはモンスターと対峙すると、あっという間に倒してしまう。ダチョウも苦戦しないし、黄色カラスは短剣を投げて撃ち落とす。

 塾生達が面白くないという空気でそれを見ていると、メルムは鼻で笑った。

 劣勢になっている塾生がいると、メルムはそれを助けた。助けられた塾生が悔しそうな顔をすると、彼女は何か捨て台詞を吐いているようだった。

 先生が何かを注意すると、メルムは髪をかき上げて聞き流した。

 もはや塾の集団にはメルムに対する反感の黒い霧がたちこめていた。


 春太は木の根の陰でメルムの様子を見ていたが、思わず驚きの声を漏らした。

「こんなに激しかったの?!」

 前回もメルムの高慢な態度の一端は見たが、今回のはそれを遥かに凌駕する衝撃だった。

 弟のクローザーはメルムがウジウジしていると言っていた。

 しかし、ウジウジなどとは正反対の姿がそこにはあった。

「本人が言っていたことだけどねえ……」

 マキンリアも微妙な表情だ。

 確かにメルムは冒険者塾だと嫌な態度をとってしまうと打ち明けていた。だがこれは行き過ぎだ。

 二面性。

 そんな単語が頭に浮かぶ。人は誰しも表の顔と裏の顔を持っているというが……


 冒険者塾は昼休憩に入ったようだった。

 ところどころにレジャーシートを敷いて、お弁当を広げ始める。

「シュンたん、お昼になったよ! お弁当の時間だよ!」

 マキンリアの体内時計に狂いは無く、時間になるとテンションが急上昇する。こうなるともはや狩りの続行は不可能。

「じゃあ俺達も食事にしようか」

「メルムと一緒に食べよ!」

「えっ」

 春太は驚きで固まってしまう。

「だってメルム、一人で食べてるよ。ちょうどいいじゃない」

「でも、この流れで……?」

 確かにメルムは多くの塾生達から離れてぽつんと一人で食べている。しかしこの空気で声をかけるのは難しい気がするけど……もしかしたら声をかけてほしくないタイミングかもしれないし。

 だがマキンリアはそんなことは全く気にしないようだった。

「流れなんて別にいいよ。食事は本能の赴くままにするものだよ!」

 いや、そういう問題じゃ……という間もなくマキンリアは駆けていった。

 その後をチーちゃんが追いかけていく。

 最近チーちゃんはマキンリアの出す『これから食事だぞ』の空気を察知するようになった。この人についていけば食べ物がある、そんな思いがチーちゃんとマキンリアの距離を縮めている。食欲による友情だ。


 マキンリアが声をかけるとメルムは狼狽した。

「あれ、あなた達、今日はこっちへ来てたの……?」

 明らかに目の焦点が揺れ動いていて、見られたくなかった感が滲み出ている。

 しかしそんな彼女の様子を気にすることもなくマキンリアが話しかけていると、やがて彼女の動揺も解けていった。

 マキンリアは人を安心させる謎の力を持っている。

 春太だって出会ってすぐに警戒を解いたくらいだ。話していて気疲れしないというか。

 この力は若干羨ましくもあるが、意図してできるものではないのだろう。

 そんなこんなで、メルムと昼を一緒に食べることになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る