第40話 あれを首に巻いてギューってしたい!

 春太が目を覚ますと、蒼穹が目に飛び込んできた。

 ひっかき傷のような小さな雲があるな、とそれに注目する。


「シュンたん、起きて。早く起きて! 犯人逃げちゃったよ!」

 マキンリアの急かす声が降り注いでくる。

「犯人……?」

 呆然と呟く春太。犯人とは誰だろう。というか、ここはどこだ?

 どうやらここは宿屋でもあの世でもない。

 HP0の状態、仮死亡の場合は宿屋に運んでもらうか、その場で蘇生薬を使って起こしてもらうかの二択しかない。

 とすると、蘇生薬を使って現地で起こしてもらったのか。


 現地というと、どこへ来ていたんだ……そう思った瞬間、記憶が蘇る。

 光の柱。

 セリーナの背中に乗ったプーミンとチーちゃん。

 食いしん坊発言するマキンリア。

 芸を覚えたはんぺん。

 並んで座るセリーナ、プーミン、チーちゃん。

 突然背中に衝撃を受けて、視界がぐるぐる……


「ああ、そうだ。メッソーラに来ていたのか!」

 弾かれたように起き上がる。

 あたふたするマキンリアと、その肩でオロオロするはんぺん。

 三頭並んで座ったセリーナ達。

「そうか、俺は誰かにぶつかられて……」

 春太がそう呟くと、マキンリアがその時の出来事を早口で説明してくれた。

「そうだよ! 男子三人組がふざけあって近寄ってきて、その中の一人が別の一人を突き飛ばして、その突き飛ばされた男子がシュンたんの背中に当たって。そうしたらクリティカルヒットが出てシュンたんが即死して、男子三人もあたしもみんなで『弱っ?!』て驚いて! そうしたら男子三人組は慌てて逃げてっちゃったんだよ!」

 そうだった。

 ギャハハ系の男子の集団の声が近付いてきていたのは覚えている。

 そしてぶつかられて……即死したのか。

「ていうか、俺弱っ!」

「でしょ!」

「まさか一般人にぶつかられて死ぬとは思わなかったよ。そうか、ここは狩場だからモンスターでなくてもダメージを喰らうんだね。でもこんなことがあったらセリーナやプーミンがただじゃおかない気が……っていうか、お座りをしてたからか」

 普段なら春太が何者かから危害を受けた場合、プーミンやセリーナが報復措置をとるはずだ。

 しかし今はお座りの最中である。

 次の指示を出さずに春太が死亡してしまったため、どうしていいか分からなかったのだろう。

 このあまりの忠犬ぶり(一匹は猫だが)に春太は嬉し泣きしそうになった。なんて良い子達なんだろう。


 男子三人組は既に逃走してしまったという。

 狩場から出てしまったのだろう。

 街に入られてはもう見分けることは困難だ。

 おまけに春太は犯人の顔すら見ていない。

 これでは諦めるしかなかった。

 そう、通常なら。

 春太は悪役の表情になると、愛犬の名を呼んだ。

「セリーナ」

 するとセリーナは起き上がり、やる気に満ちた表情を見せた。

 彼女はもう、することが分かっているのだ。

 犬は麻薬捜査でも災害救助でも活躍している。

 それはひとえに並外れた嗅覚を期待されてのことだ。

 その並外れた嗅覚に、並外れた知能を持つセリーナなら。

 不可能を、可能にできる。

 ひき逃げは厳罰である。

 逃走した犯人を捕まえなくては。


 セリーナの先導で犯人の捜索を開始。

 春太達はついていくだけだ。

 セリーナはボルゾイ特有の長い鼻を空中でヒクヒクさせたり、地面に鼻を近付けたりして臭いを追っていく。

 彼女が歩く度に純白の毛がふわふわと揺れる。

 毎日のブラッシングのお陰で毛ヅヤは完璧。実は俺は見えないところではブラッシングばかりしている。陰で努力するタイプなのだ。

 相変わらず歩く姿が優雅だ。

 そしてふさふさで長い尻尾。

 あの尻尾を首に巻いたらどんなに幸せだろう。

 どんなに高級なマフラーだって、あのふさふさ尻尾には敵わない。

 想像するだけでうっとりしてしまう。


「ああー、あれを首に巻いてギューってしたい!」


 恍惚とした表情で春太は何かを首に巻いてギューッと締め上げるジャスチャーをする。

 通りすがりの人がぎょっとして凝視していた。

「シュンたん、首吊りと間違われてるよ」

 マキンリアの指摘で春太は気付いた。む、そうか。ロープを首に巻いてギューッみたいな。そんなつもり全然無いんだけど。

「こんな幸せな顔なら間違われないでしょ」

「アブナイ人だと思われたかも」

「それは不当な評価だね。ただ普通にペットを愛しているだけなのに」

「普通の人は嫁にしたいとは言わないんじゃないかな」

「言わなければそいつはモグリだ」

 二人はバカ話をしながらセリーナについていく。

 プーミンとチーちゃんはセリーナの後ろで探偵の真似事をしていた。

 セリーナが左右に首を捻ると後の二頭も同じように捻り、セリーナが地面の臭いを嗅ぐと後の二頭も同じ動作をする。

 このシンクロがとても微笑ましい。


 メッソーラを出て街中に戻り、大通りから外れて幾つかの路地を曲がる。

 途中で川沿いも歩き、落ち着いた住宅街へと入っていった。

 セリーナはとある一軒家の前で止まった。

 しばらく玄関を凝視し、右前足を上げて春太に振り向く。


 猟犬が獲物を知らせる時、片方の前足を上げる。

 この動作を『ポイント』と呼ぶ。

 ボルゾイは元々の呼び名は『ロシアン・ウルフハウンド』という。

 ハウンドとは猟犬のことを指し、ボルゾイは視覚に優れたサイトハウンドに属する。

 すなわち、目も良い。

 嗅覚も視覚も知能もMAXの猟犬、それがセリーナだ。

 彼女が獲物を逃がすことなどありえない。

 彼女がここだと言ったら、ここなのだ。

 春太はマキンリアと頷き合い、扉を叩いた。

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