第35話 貴様その汚い手を今すぐどけろ

 洗面台で手を洗い、春太は鏡を見た。

 多少髪にクセがあるくらいで、後は耳が大きいかもしれない。

 それ以外に特徴が見当たらない顔だ。

 異世界に来てイケメンに変貌しているなんていう親切設計にはなっていないらしい。

 とはいえいきなり顔が変わっていたら混乱しそうなので、見慣れた顔の方が安心するというものだ。鏡見て「誰この人?!」なんてなりたくはない。


 日本にいた頃動画で観たことがあるが、犬や猫で主人に甘えすぎてトイレにまで入ってこようとする子もいるらしい。でもウチの娘たちは大丈夫。甘えていてもそこは節度を保っている。ちなみに風呂の方はプーミンが積極的に入ってこようとする。猫なのに風呂が大好きなのだ。わざわざプーミン用にタライが用意されていて、そこに入ったプーミンがタライの縁に両肘を載せて目を細める姿は最強の癒しになる。想像しただけでニヤニヤしてしまいそうだ。


 春太はトイレから出て菓子店ノッテンバーグを退店した。

 既にマキンリアやチーちゃん達は店の前で待たせてある。

 宿もとってあるし、これからどこへ行こうか。

 早速お散歩(狩場に行くことをそう呼んでいる)に行くか、いやいや武具屋が先か。

 ある程度の資金はあるので、ここらで装備を新調したい。

 そんなことを考えながらマキンリア達と合流しようとしたところ、春太の目に衝撃的な光景が飛び込んできた。


「いやーお前美犬だなあ! 気に入ったぜグハハ!」

 戦士系の身なりをした赤い長髪の男がセリーナの首筋を撫でていた。

 セリーナの方は目を細め、気持ちよさそうに身を任せている。


 これはいったいどういうことか。

 春太の全身に熱い血潮が駆け巡る。

 心の内で獣の咆哮が爆発する。

 突き動かされるように春太はドシドシ歩いていき、赤髪の男の手を掴んだ。


「貴様その汚い手を今すぐどけろ……!」


 漫画ならこのセリフは極太の毛筆で荒々しく書いたものになっているだろう。

 それくらいドスの利いた声だった。

 春太のあまりの豹変ぶりに傍にいたマキンリアがあわあわし始める。

「シュンたん、キャラ変わってるよ?! 顔が劇画調になってるよ!」

 そりゃそうだと春太は思う。嫉妬は人を簡単に鬼に変える。今なら北斗神拳も使えるはずだ。

 赤髪の男は最初きょとんとしていたが、すぐにガハハと大笑いした。

「おお悪い悪い! お前の犬だったか!」

「いや嫁だ」

「そうか嫁か! ちょっかい出して悪かったな!」

「嫁で姉だ」

「何だかよく分からないがそれくらい大事ってことだな!」

「分かればいい」

 春太は最後にニヤッと笑って見せた。こいつなかなか分かる奴じゃないか。っていうかどっかで見たことある奴だな……

 怒りで我を忘れていたが、もう一度赤髪の男をまじまじと見てみる。


 赤い長髪で野性的な顔。

 引き締まった格闘家系の体躯。

 戦士系の出で立ち。


 やはり見たことある。この人はトージローさんと一緒にいた人だ!

 と思いきや、トージローが赤髪の男の肩にポンと手を置いたではないか。

「これこれゴン、他の人の犬にちょっかい出す時はちゃあんと許可を取らんと駄目じゃないか」

 どうやらトージローもこの場にいたらしい。

 顔の下半分をマフラーで隠した、謎めいた男性だ。

 そして、彼に会うことは春太の旅の目的の一つでもあった。


 トージローは春太がこの世界に来て最初に出会った人であり、セーネルの街まで連れて行ってくれた人でもある。

 春太はその時仮死亡(HP0の状態。この状態で6時間放置されると本当の死亡になる)になっており、街まで連れて行ってくれたお礼を言うことができなかった。

 旅をしていればまた会えると思っていた。

 が、こんなに早く会えるとは思いもしなかった。

 これは僥倖と春太は先日のお礼を口にした。

「トージローさん、セーネルの街ではお世話になりました!」

「おお君はあの時の! 確かチワワに飛びつかれて二千」「本っ当にお世話になりましたあああああああ!」

「ハハハ元気で何より。しかしチワワに二千」「お世話になりましたあああああああああっ!」

 春太は通りの人がみんな振り返るくらい叫んだ。全くトージローさんたらいきなり爆弾発言かましちゃうんだからもう!

 マキンリアが「チワワに二千?」と首を傾げているが無視だ。世の中知らない方が良いこともある。


 それからトージローはとても嬉しそうに笑みを浮かべた。

「わざわざお礼を言うとは、律儀な少年だな。これなら私も助けた甲斐があろうというものだ。のう、ヒマワリよ?」

 言葉の最後でトージローが振り返る。

 振り返った先には司祭風の女性が立っていたのだった。

「誰かを助ければ巡り巡って返ってきます。食物連鎖と同じですよ。おいしいものを食べれば食べるほど、更においしいものが巡ってくるのです」

 クリーム色に近い金髪でぱっちりとした穏やかな目、ゆったりとした声の調子。大らかなお姉さんといった感じだ。

 このヒマワリとゴンとトージローの三人が、春太がこの世界に来て最初に出会った人たちなのだった。

「……ヒマワリよ、それは連鎖ではなく一方通行ではないか?」

 トージローが呆れ混じりに尋ねるとヒマワリはニコニコしながら返す。

「フフフ、食の道は常に一方通行なのです」

 それを聞いたマキンリアが「食の道!」と叫んでヒマワリに駆け寄っていった。

「あなたも食の道を行く同志なんですね!」

 いきなり詰め寄られたら普通の人は引いてしまうだろう。

 しかしヒマワリはころころ笑って迎え入れた。

「世界中のおいしいもの達がわたし達の行く手を待ち受けているの。わたし達は辛く苦しい修行を重ねて食べ続けなければいけないのよ」

 そうして二人はああ辛い辛いもっと食べなきゃなどと言って抱き合った。

 春太は『女の友情は食欲で出来ている』なんていうCMを日本にいた頃見たことあるなと思い出した。食欲で出来る友情は食欲が続く限り続きそうで強固な気がする。でも現実はパンで作った糸の如く簡単にプチッといっているように見えるのは気のせいだろうか。少なくとも俺が見た学校ではそんな感じがしたけど。


 ともかく、旅の目的の一つがあっさりと解決してしまった。

 旅を続けていればその内会えるかもしれないとは思っていたが、こうも早く会えるとは拍子抜けだった。

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