第31話 我田犬水

『水――――……水――――……』

 大きなタンクを載せた荷車を引いて少年が水売りをしている。

 街の人々はちょくちょく水売りの少年に小銭を渡し、タンクに付いた蛇口をひねっていた。

 そうした人達はマイマグカップを持ち歩いているようだった。

 よく見てみれば、建物の壁に寄りかかってマグカップをあおっている人もいるし、日蔭に数人で集まってマグカップ片手に談笑している人達もいた。

 暑いとやっぱり水である。

 リリョーにいる間はマイマグカップを用意した方が良さそうだ。


 行商のキャラバンが何台ものホロ付き馬車で進んでいく。

 御者台に座っている人はホロの中の人達と話しているのか、ずっと口を動かしていた。

 これから稼ごうとしているのか、それとも稼いで帰ってきたところなのか。

 その周囲には装備を固めた冒険者達の乗る馬車もあった。

 冒険者の馬車はホロが捲り上げられ、護衛の任務を素早くこなせるようになっているようだった。

 冒険者はこうした行商の護衛で収入を得ることもあるのだろう。


 宿は中堅どころに決めた。

 知らない土地に来て安宿に泊まるのは安全面がやや心配だ。

 セーネルでは一番安い宿ぽかぽか亭に泊まっていたが、それは女将のオルカおばさんの人柄に尽きるだろう。

 よそではなかなかそうはいかない。

 春太とマキンリアは兄妹ということで通した。

 単純に一部屋の方が安いし、マキンリアもそれで良いと言っている。

 風呂場に行こうとドアを開けたらマキンリアの裸が、みたいな安っぽい展開も部屋に風呂がついていないので起きようがない(共同風呂だ)。

 ペット愛にエロは必要無し、が春太のモットーである。


 宿の手続きが完了すると、マキンリアに引っ張られるようにしてこの街の名物を食べに行くことになった。

「ここの名物はひんやりしたお菓子『クラザックス』だって! グルメガイドにお店いっぱい載ってるよ! 一番近いお店に行ってみようよ!」

 お腹を空かせた犬のようにハイテンションなマキンリア。

 というより、チーちゃんやセリーナより食い意地が張っているとはどういうことか。

 これではどっちが犬だか分からない、などと深遠なことを考えながら春太はついていく。


 彼女は大事なことを忘れているようで、春太の腕を掴んでズンズン足を進めている。

 距離が近いし、彼女の手の温もりが腕を通して伝わってくる。

 普通の男子なら喜ぶところなのかもしれない。

 だが、春太はこうした時鼻水がドバドバ出てきてしまうのだ。

「マッキー、手、手! 触られると、鼻水がっ……」

 姉にさんざんオモチャにされた経験から年頃の女の子に一種の恐怖を抱いており、鼻水はその症状である。

 マキンリアとはセーネルの街でずいぶん接してきたから症状はマシな方なのだが、それでも全然治るところまではいかない。

 神経性の症状というのはちょっとやそっとでは治らないのだ。


 春太の必死の訴えにもマキンリアは気付いていないようだ。

 そこでセリーナに助けを求める。

「セリーナ」

 名前を呼ぶだけで全てを理解してくれる、そんなスーパードッグがセリーナだ。

 セリーナは呼ばれると、春太とマキンリアの接点をチラ見した。

 するとセリーナは併走しながらひょいと立ち上がり、前足でマキンリアの手をトントンとノックする。

 マキンリアはどうしたの、と振り向き春太の顔を見て仰天した。

「シュンたん鼻水が噴火してるよ?!」

 彼女はセリーナがノックしたのを気付いていない様子。

 セリーナは何もなかったように涼しげにしていた。何て賢い犬なんだろうか。後でご褒美にいっぱい首筋を撫でてあげよう。俺にとってもご褒美なのでwin‐winだ。

「うん、だからちょっと手を放して」

「ごめんごめん、頭の代わりにお腹が指令を出してて気付かなかったよ!」


 春太は解放され、思い切り鼻をかんだ。

 この体質のためだけにハンカチを何枚も購入してある。

 使い捨てられるティッシュが無いのがちょっと残念だ。

 駅前でポケットティッシュを配っている日本がこういう時は恋しくなる。ティッシュで恋しくなるというのも微妙だが。

「お腹には多分脳は無いと思うんだよね。お店はもう着きそう?」

「もう見えてるよ、あれだよ!」

 マキンリアが指差した先にはお洒落な店舗があり、店の前には数人の客が待機用の椅子に座って待っていた。

 どうやら人が並ぶほどの店のようだ。

 リリョーの名物クラザックスとは、そんなに人気なのだろうか。

「暑いからひんやりした物がちょうど食べたかったよ。でも最初に水が欲しいなあ」

「水ならお店で出るよ、有料かもしれないけど」

「ペット用にも出してくれるかな?」

「この世界では召喚獣は水も食事もなくても生きられるから大丈夫!」

 マキンリアは安心させるように胸を張って言った。


 どうやらこの世界では犬も猫もモンスターも『召喚獣』という扱いらしい。

 召喚獣は水も食事も必要ないそうだ。

 これは何とも便利な仕様である。

 飢えで苦しむこともないし、食費もかからない。

 しかし、と春太は渋みを利かせた声で言った。


我田犬水がでんいぬすい……ということわざがある」


 古くから伝わる伝説をそらんじるように、厳かに。

 マキンリアが小首をかしげて訊いてくる。

「え、聞いたことないんだけど」

「こっちの世界には無いだけだよ。田んぼの水も犬は飲みたいってことさ。飽くなき食の追求はマッキーだけじゃない……この子たちも同じなのさ」

 チーちゃん達は日本にいた時から朝晩食事をする生活を続けてきた。

 こっちの世界に来て食べなくても良くなったからといって、ハイそうですか、というのはちょっと寂しい。

 この子達も食べたいし飲みたいかもしれない。

 それに、この子達の飲み食いする姿もまた可愛らしいのだ。むしろここが一番重要。


 食の追求、と聞いてマキンリアは急に納得した表情を見せた。

「それならこの子達の分も欲しいね!」

 きっと食の追求なら全てが正解となるロジックから生まれ出た言葉なのだろう。

 同類を大事にする心は大切だ、たとえ異種間であっても。

 惜しむらくは彼女がペットのことをいまだに召喚獣と呼んでいることだ。

 召喚獣という呼び方は使役している感が強い。ペットのことをもっと身近に、家族として接してくれれば良いんだけど……

 マキンリアの狩りを最初に見せてもらった時のことが忘れられない。

 彼女は仲間モンスター・はんぺんをあろうことか囮にしていたのだ。

 敵モンスターにボコボコにされ、力尽きて泣きながら墜落したはんぺん……

 果たしてはんぺんが愛情を注がれる日は来るのだろうか。

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